jeudi 19 juillet 2007

口座開設、そして住居探しへ ouvrir le compte et chercher l'appartement



日本でランデブーを取っておいた日に、銀行口座の開設に向かう。必要なものは、日本の住民票、銀行口座の残高証明、それと若干のユーロであった。いくつかの書類にサインをしながら、こちらの状況を聞く。また、学生の場合は週に20時間まではアルバイトができることになっているので、何かやられたらよいのでは、とお勧めいただく。すべての手続は1時間ほどで終わり、アパート探しにまず郊外に向かう。

この春に来た時にもいくつかのカルティエを回ったが、今回は同じ場所には行く気にならず。初めて見る場所に住んでみたいと思っているようだ。まず手当たり次第に不動産屋さんを6-7軒回る。それぞれのところで持っているアパートの条件を見ると、ほとんど満たしているのだがどれか一つが欠けているという状態。それぞれを足し引きできればよいのだが、そうは問屋が卸さない。人生を見る思いだ。前回の経験で、店員の対応もよく、持っている物件数も多かったので今回もまずそこから始めようと決めていた。しかし、メトロを降りると目の前に別の不動産屋があったのでまずそこから始め、最後に目指すところに辿り着いた。張り出された広告を見ると、1件だけ家具付のものがある。しかも他の条件もすべて満たしている。こういうものが初日に出てくるとは運がよい。

これが良さそうだと担当のダヴィッドに伝えると、フランスでどのくらいの期間働いているのか、と聞いてくる。2日前に着たばかりだと言うと驚いて、そういう人には貸せません。こちらで収入がなければ駄目です、と言って聞かない。よもや学生になろうしているとは思っていなかったらしい。それでは学生の場合はどうするのかと聞くと、こちらで収入のある人が保証人にならなければ駄目です、ときっぱり。前回の訪問時に、銀行の方からcaution bancaire (1年分くらいの家賃+?%を銀行で確保する) があれば借りられるような話を聞いていたのでそれでどうかと聞くが、グループの決まりでできないと言う。まだアパートを見てもいないうちにそれ以上詰め寄っても始らないと思い、とりあえず翌日現地で待ち合わせて部屋を見ることにした。



mercredi 18 juillet 2007

時差ぼけの朝、あるいは重層的にものを見る au matin de décalage horaire, regarder de vue multiple



時差ぼけのため、朝4時頃に目が覚める。テレビをつけると Inside the Actors Studio という以前にも取り上げた番組の最後の方が流れている。今回はシシー・スペイサックで、学生の質問に答えている。フランス語の字幕が出ているので、英語を聞きながらフランス語を口に出してみる。ある感情を表すためにはこういう表現があるのかということがわかり、英語を介してフランス語の話し言葉を覚えるというのも案外面白いかもしれな い。

さらに続けて、Science en Conscience という番組では生命倫理の問題を取り上げられている。

● éthique と économie が incompatible。
● 市場があるのか、ないのかが問題になる。
● 生物学研究に市場の原理が入り込んできている、それが大きな問題。
● 国が研究に入りこむためには限度がある。
● 研究は本来 philanthropie でされるべきもの。
● 遺伝子の特許の問題、成果は本来共有すべきはずのものだが、それが妨げられる可能性がある。それはすなわち、進歩の阻害につながる可能性を含んでいる。
● 遺伝子を含めた人体が商売の対象になっている。= "人体の商業性 commercialité de corps humains"
● あることがどういう意味があるか、考える前に、意味がわかる前に、物事はどんどん先に進んでいる。意味よりも市場原理が事を動かしているからだ。

病気の起源、治療の方法などは遺伝子の配列からある程度わかるようになるだろう。その場合、哲学の出番などないのではないか。哲学の中に閉じ篭るのではなく、科学データを想像力を交えて考えるという哲学のやり方を考えなければならないのかもしれない。あるいは、それしか有効な方法はないのかもしれない。

テレビを見ながら、手に入る情報は日本と余り変わらないのではないかと感じる。もちろん、カバーされる領域が、たとえば地理的な要因で変わってくることはあるだろうが、、。その情報を受け取る側が今までと同じところにいた場合には、そこから得られるものは少なくなるだろう。場所を変える意味は余りないかもしれな い。問題は、受け取る側が元の立場を離れることができるか、そこから飛ぶことができるか、彼らの視点の根に入ることができるかどうかが事を決めるような気 がする。それができれば、情報の意味がこれまでとは変わってくる可能性があり、その時初めて事の重層性に触れ、より深い理解につながるような気がする。物事の多面性、その陰影を感じ取ること、それが取りも直さず 「この世」 (現在、過去、未来のすべて) を理解する上で大切になるのではないだろうか。そんなことを時差ぼけのパリで考えていた。


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写真を見ていて、こちらで撮った空の色が違うことには気付いていたが、今回もそういう写真が多い。そしていつものことながら、雲の姿にも惹き付けられている。



mardi 17 juillet 2007

旧友訪問 visiter mes amis



P研究所までモンパルナスから歩く。受付の女性はもう顔を覚えているようで、また来たのかというような表情。研究室で話を聞く。丁度バカンスに出る前に論文を出す準備中で、早速私にも読んでくれと渡され、昼食に行くまでにコメントをほしいと言っている。いつ来てもダイナミックである。仕事の内容はわれわれのところのものと関連があり、興味を持って読んだ。

私のこれからの道を話すと研究室の人がいろいろと助言をくれる。例えば、これからアパートを探すのであれば、一本のメトロで通えるところを探すように。少し広めの方が面積当りではお得である。狭いステュディオの方が学生の需要があるため、高くなるという。また、これから仕事をしなければ大変だろうからと言って、アルバイトの紹介までしてくれる。まだどうするかはわからないが、本当にありがたい心遣いである。今博士論文を書いている最中のKは、哲学の大学院など出て、将来は哲学教師になるつもりですか?などと半分冷やかしの質問をしてくる。もちろんNONと答えておいたが、先のことはわからない。カンティーンではアルジェリア出身の友人と2年ぶりに会い、4人で昼食。あなたのこれからは面白そうだ、私の学会でもそういうセクションを設けようか、などと軽口を叩いていた。

これからある程度の期間過ごすという心の状態でこの街を見ると、以前の旅行者として見ていた時ほど輝いては見えない。おそらく、いつでも見られるという日常になってしまうことが大きいのだろう。いつも新鮮な目を保っていたいものだと思う。今日が最初であるとともに、最後であるという目を。



lundi 16 juillet 2007

台風の中、無事到着



出る前に台風が来ていることを寸前まで気付かず、週間予報にある 「曇り時々雨」 だと思っていた。周りの騒ぎでどうなるのか気にはなっていたが、成田に着くと週間予報通りの曇りで時々雨の穏やかな天候。飛行機は定刻に飛び立ち、無事にパリ到着。前回も感じたが、着いた時の盛り上がりは全くない。特に今回は、日本のどこかの街に降りたのと同じ状態で、何の感情の変化も感じられない。おそらくこちらの人に会わなければ何も誘発されないのだろう。

今回のホテルはバスティーユの近く。ホテルのテレビでは Maigret をやっている。喉が渇いたので水を探しにパスティーユ周辺に出る。歩いていると Le Point のおそらく恒例の夏の哲学特集が目に入る。今年は Spinoza のようだ。いつもの通り、部屋からのネット接続はうまく行かないので、時間を見て街の Cyber Café でやるしかなさそうだ。

今朝、テレビをつけると新潟の大地震が報じられている。震度6.8とあるので相当な被害があると予想される。原発から煙が出ている映像が流れていた。最小限の被害に食い止めていただきたいものである。こちらでは朝メトロに乗ると早速 Campo Formio で止まり、イタリア広場まで歩かされた。工事のためだろうか。健康にはもってこいの始まりではあるのだが、、、



jeudi 12 juillet 2007

アパルトマン探し、銀行口座開設など



引越しになるといつものことで、住むところを見つけて、生活の基盤を整えなければならない。その準備をぼちぼち始めなければならないだろう。アパルトマンを借りるには銀行口座がなければならないようなので、向こうの銀行とFAXでやりとりを始めた。3月に滞在した時に会った日本人の方なので、勝手がわかってやりやすい。FAXが少しまどろっこしいところはあるが。実際には口座を開くためには生活の証拠がなければならないという堂々巡りなのだが、今回は口座の方を先に開設できそうである。日本の住民票と銀行の残高証明書とで何とかしていただけそうである。口座を設けた後で、住処を探すことになるだろう。問題は今のユーロ高である。しかし、学生の身なので贅沢は言っていられない。いずれにしても、来週からの様子を見てみたい。



lundi 9 juillet 2007

あるレストラン 2005年7月



このレストランで、ニューヨーク時代の同僚とほぼ20年ぶりの再会を果たした。
Didier Squiban を聞きながら写真の中を眺める。



mercredi 4 juillet 2007

ビザ受領



入学許可書によると、入学手続きが9月20日になっている。その一ヶ月前からのビザが本日戻ってきた。窓口では少し並んだ後、

― Bonjour !
― Bonjour !
   ・・・
― Merci beaucoup !

だけで問題なく終わった。これで一応、向こうにある程度の期間の滞在が可能になった。これからやらなければならないことに取り掛かることができる。やっと動き出す心境になってきたということだが、同時にやや憂鬱である。



jeudi 21 juin 2007

ビザ申請に出かける



最後まで残っていた書類 (入学許可書) が届いたので、早速学生ビザの申請にフランス大使館まで出かける。快晴の週日の午前中、何の囚われもなく広尾界隈を散策するというのはこういう感覚を呼び覚ますのか。仕事をするということが本当によいことなのかどうか、考えてしまう。外国人で溢れかえったようなカフェがある。一瞬、ここはパリでは、と思う。大使館ではビザの開始日をいつにするのかを聞かれる。実際に学校が始る一月前まで遡って開始日とすることができるとのこと。私の場合、早めの出発もあるかと思い、そのように変更してもらった。その他には特に問題もなく終る。2週間後に出来上がるようだ。帰りがけに先ほど見たカフェに入り、これまでを振り返っていた。

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参考までにフランス大使館のホームページにある必要書類をあげてみると、以下のようになる。

1. 長期ビザ申請書
2. 証明写真 
3. (仮)入学許可書 
4. 滞在費の証明 (6000ユーロ以上の残高証明)
5. パスポート(残存期間が日本帰国予定日より3ヶ月以上) 、証明写真ページのコピー
6. ビザ料金 50ユーロ (ユーロ高のため8000円ほどになった)
7. 最終学歴を証明する書類 (英/仏文翻訳添付)
8. 履歴書 (フランス語か英語)
9. 動機書 (フランス語か英語)
10. フランス語レベルを証明できるもの (DELF、DALF、仏検など)
11. 学生ビザ申請者対象アンケート



samedi 16 juin 2007

入学許可書、届く



郵便箱を開けるといつものようにビラが溢れている。その中に数通の封筒があり、一通のエアメールが目に入る。見ると P1 からのものである。今週以降に会議があると予想していたので、意外に早いので驚く。早速開けてみると選考の結果が "favorable" とある。これで二ヶ月以上の 「待ち」 からやっと解放され、動き出せることになり一安心。

これまで私の中で埋もれていた営み、それは 「真・善・美」 についての人類の発見を探索する旅のようなものと言えるが、やっとその営みを自分の思うような切り口で進めることができるのか、という充足感が静かに押し寄せてくる。こういう感覚を味わうのは、本当に久しぶりである。おそらく、大学に入る前の春休み、あるいは米国に向かう前の状態に近いが、それよりもずっと穏やかで、しかもその喜びが深いような気がする。私のようなものに興味を示してくれたJG教授と選考に加わっていた大学の先生に率直に感謝したい。



jeudi 14 juin 2007

lundi 4 juin 2007

フランス大使館にて



パスツール研究所創立120周年記念シンポジウム 「ルイ・パスツール:人類への貢献」が明日日経ホールで開催される。このシンポジウムに出席のため来日された研究所の理事長を囲む会が、この4月からパスツール協会の名誉総裁になられた常陸宮正仁親王殿下ご夫妻のご臨席のもと、フランス大使館で催された。幸いなことに、協会の方の勧めで常陸宮殿下ご夫妻に挨拶をする機会を得た。そこで私のこれからのプロジェについて話をしたところ、難しそうだが計画が成功するように祈っているとのありがたい励ましのお言葉をいただいた。実は、20 年程前私がニューヨークの研究所で仕事をしていた時に、ご夫妻が研究所を訪問され、親しく言葉を交える幸運に浴したことがある。20年を経てこのようなことが再び起こるとは、想像もできなかった。

このパーティで、二人の大使館の方と話す機会があった。折角なので私のプロジェを話してみた。そうすると反射的に、そのような学生のための奨学金を大使館が用意しているという話が出てきた。今年の分はすでに終っているので、2008年に挑戦してみては・・・というお話。彼らと話していて気持ちがよいのは、年齢の話が全く出ないことである。最初からそんな枠などはめて考えていないところがよいのである。さらに、哲学という話をすると、すぐに科学とのつながりを語り出すことである。私の話がよく通じるのである。日本人とではなかなかそうはいかない。これはヨーロッパにおける哲学、科学の歴史が彼らの精神に染み込んでいることの証左なのだろうか。そう思わざるを得ない、と今の段階では考えておこう。



dimanche 27 mai 2007

フランスからのメール



思いがけないことがたまに起こるものである。今日、フランスからメールが入っていた。 メールの主は、大学で哲学を修めた後、哲学教師をされていた方で、これまでも私のフランス語版ブログにいくつかの貴重なコメントを残している。例えば、私の拙いフランス語を最初から読んだ後に、次のような分析を加えている。

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あなたのブログを特徴付けているのは la dynamique (活力に溢れていること)である。この世に生きている人たちの仲間で、そこに参加することを知っている。あなたのフランス語への思い入れの強さに驚いている。言語は人間が住む家である。もし薦めるとすれば、マルティン・ハイデッガー Martin Heidegger (1889-1976) の "Lettre sur l'Humanisme" (「ヒューマニズムについて」) などはよいでしょう。あなたはイメージに惹きつけられている。それから時の流れに身を委ねることが気に入っている。そこにはすでに亡くなっている人と同時代人であろうとする意思が感じられる。あなたの天性の活力は現象学 la phénoménologie と結びついていて、エドムント・フッサール Edmund Husserl (1859-1938) やハイデッガーを愛するために生れてきたのだ。そして、さらに Kandinski (1866-1944) へと繋がるだろう。 (25 avril 2006)
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それ以来、ここにあげられている芸術家の存在を意識するようになり、少しずつではあるが彼らの声を聞くようになっている。

今回届いたメールは、科学哲学をするためにパリの大学に書類を出したことをフランス版ブログに書いたことに対するものである。A4に移すと2ページになるそのメールは、次のように始っている。

「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。少し前に私の"友人" バシュラール Bachelard についてお話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そうすることにより、常に霊感を与えるような活力 (すなわち目覚め) が得られるでしょう。あなたを取り巻き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じています。しかもあなた自身のものである考え方、尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」

しかしその後には、悲観的な見方に許しを請いながら、フランスの現状を分析している。例えば、フランスは崩壊しかかっている。1992年以来哲学や古典 (ラテン・ギリシャ) 研究へのグラントはなくなっている。フランスは大学の学生・研究者よりも初等教育に金を使っている唯一の国である。科学哲学の領域にも、大きな変化が起こっている。フランスの大学は昔に比べると相当に酷い状態である。フランスはもはや文化の国でも知の国でもなく、没落する過程にある。むしろドイツの大学の方が大学の名に値する内容を持っている。そして、誤った現状認識のもとに今回の決断をしたのではないか、もしそうだとしたら "理想の国" フランスでの生活に落胆するのではないかという危惧が綴られている。さらに必ずしも学生になる必要はなく、むしろ大学というフィルターのない遊歩者として、旅行者として直接フランスを経験する方が多くのものを学び、より大きな喜びを得るのではないかと助言までしてくれている。

このメールの最後で彼は本名を名乗り、フランスを善き方向に導くために現在ある政党の候補として国政を目指していると告白している (ネット検索で見つけることができた)。見ず知らずの者に対して、これだけ真摯に声をかけてくれる人がいるということに驚きと何か不思議なものを感じている。生きることが確かに旅で、今その道行きにあるという実感を呼び覚ましてくれる。



jeudi 24 mai 2007

ユーロのレート



向こうの生活を考えるようになるとユーロのレートが気になり出した。最近のユーロ高は目に余るものがあり、下がる気配が全くない。円を交換するとその価値が半減するという印象になる。このまま行くと生活の危機が襲う可能性大である。何とかならないのか、という思いが募る。このあたりの背景を指南していただける方はおられないだろうか。



mercredi 23 mai 2007

タンパク質に精神はありますか?



昨年の夏になるだろうか。その夜、私は食事のためにあるレストランに入った。その時、偶然に隣り合わせた方とのやりとりでこう聞かれたのである。後でわかったことだが、この方はおそらく50代の精神科の先生であった。当時、この手の話には全く耳を貸さない、現場に身を委ねている科学者であった私は、おかしな質問をする人だなというのが第一印象であった。しかし、酔いも手伝っていたのか、少し経って自らに問い直してみたところ、面白い質問だなと思っていた。このような疑問がありうるのだということ、自分の発する疑問が余りにも制約の多い中でのものでしかなかったことに気付き、大げさに言うと精神が開かされていた。この質問は同時に、科学と言われているものを非科学者がどのように見ているのかという問題にも目を向けさせることになった。科学を哲学的に見ようという人が多くはないにしても確実に存在しているという感触を私に与えてくれた。今まで意識はしていなかったが、この小さな出会いがその後の私に全く影響がなかったとは言えないだろう。

初めてリチャード・ドーキンスの 「利己的な遺伝子」 を読みながら、この経験を思い出していた。それは読み始めてすぐ出てくる次のようなところ、あるいはそのような雰囲気に溢れていそうな予感に誘発されていた可能性がある。

「かつて私は、偉大な分子生物学者ジャック・モノーが科学における創造性について話すのを聴くという光栄に浴した。彼が使った正確なことばは忘れてしまったが、おおむね次にようなことを言ったのである。すなわち、彼が化学の問題について考えようとするときには、もし自分が電子だったらどうするだろうと自問するのだという」

この他にも、科学を外から見直そうとする身にとって大きな励みになりそうな言葉が、1989年版へのまえがきに見つかった。

「科学者ができるもっとも重要な貢献は、新しい学説を提唱したり、新しい事実を発掘したりすることよりも、古い学説や事実を見る新しい見方を発見することにある場合が多い。・・・見方の転換は、うまくいけば、学説よりずっと高遠なものを成し遂げることができる。それは思考全体の中で先導的な役割を果たし、そこで多くの刺激的かつ検証可能な説が生まれ、それまで思ってもみなかった事実が明るみに出てくる」

「私は科学とその 『普及』とを明確に分離しないほうがよいと思っている。これまでは専門的な文献の中にしかでてこなかったアイディアを、くわしく解説するのは、むずかしい仕事である。それには洞察にあふれた新しいことばのひねりとか、啓示に富んだたとえを必要とする。もし、ことばやたとえの新奇さを十分に追求するならば、ついには新しい見方に到達するだろう。そして、新しい見方というものは、私が今さっき論じたように、それ自体として科学に対する独創的な貢献となりうる」



mardi 22 mai 2007

選考委員会の日程



選考委員会が6月にあることは以前に聞いていたが、詳しい日程がわからなかったのでパリのJG氏に問い合わせのメールを出す。そうすると、嬉しいことにその日のうちに返事が届いた。彼とのメールは例外もあるが、非常に感度がよい。その返事によると、選考委員会は6月後半。まだ確実ではないので他にも当たってみるという手もあるのだが、ここのプログラムが私にとって非常に魅力的なので、他にはなかなか手が伸びない。静かにこの結果を待ち、それから動くしかなさそうだ。



dimanche 20 mai 2007

パリでの心の昂ぶりを思い出しながら



若き人との接触を終え、のんびりとした日曜の昼下がり、3月にパリを訪れた時に一気に湧いてきた句 (と言うことができればだが) のことを思い出す。こんなこと、後にも先にも初めてである。当時の心の昂ぶりが表れているので、その一点でのみ掲げておきたい。これから先、事あるごとに思い出しそうである。


  人類の遺産と歩まんヴァンセンヌ

   avec le patrimoine spirituel
    je décide de marcher
     à Vincennes


    梅香るここしばらくのヴァンセンヌ

     les fleurs des pruniers s'exhalent
      je serai pour le moment
       à Vincennes


      いつ来てもパリの空切る飛行機雲

       Chaque fois à Paris
        les traînées des avions
         coupent son ciel


        哲学と科学と神とパリセット

         la philosophie
          la science et Dieu
           à Paris VII


          哲学書前に昂ぶるリブレリー

           devant des livres philosophiques
            je m'exalte
             dans la librairie


            白雪の荒野をゆくかこれからは

             vais-je désormais
              sur la terre sauvage
               de la neige blanche ?
 

          春盛り住みたくはなしパリ市街

           en plein printemps
            je ne voudrais pas habiter
             au cœur de Paris


        春のパリ住処に帰る心地して

         le printemps de Paris
          je me sens comme si
           je revenais chez moi


      春の空住み遂せるかパリの町

       le ciel du printemps
        puis-je vivre
         pour toujours à Paris ?


    巴里の街若き日の我溢れおり

     à Paris
      plein de gens comme
       moi de ma jeunesse
   

  春の巴里沸き立つ心ボストンの

   Paris au printemps
    je m'exalte
     comme aux temps de Boston


     若き日と再び歩まんパリセット

      allons encore
       avec ma jeunesse
        à Paris VII


        フランス語我を導き哲学へ

         la langue française
          me guide sur les chemins
           de la philosophie


           なぜ哲学それ人生と先人 (ひと) の説き

            pourquoi la philosophie ?
             « c’est la vie même »
               disent nos ancêtres


        巴里に住みすぐ蘇る紐育

         dès que j'habite à Paris
          les jours de New York
           me reviennent


     西東なぜ斯く違う春うらら

      l'est et l'ouest
       pourquoi si différents
        le printemps doux


  先人の形見に触れん秋 (とき) 近し

   le souvenir de nos ancêtres 
    le temps de le toucher
     est tout près



vendredi 18 mai 2007

若い世代との接触



私の関係している大学で大学院の学生に向け、研究をどのようにやってきたのかというお話をするようにとの依頼があった。私が少し早めの退職をしてパリに学ぶことにしたことを伝えていたからである。最終講義という意味合いになる。数年前までは今にしか生きていなかったので、現在と将来しか見ていなかった。このお話を受けて、これまでを振り返ってみると、よくもこれだけの長い間この道に携わってきたな、とまず驚いた。さらに、そこから生まれたものを思い返してみると、やはり愕然とする。また、もしあの時に何も見つかっていなければ、ここまで来ることができなかったな、という出来事もある。なぜここにいるのかが不思議にさえ思える危うい歩みであった。

進化生物学者の Ernst Mayr は、生物学を Functional biology と Evolutionary biology に分けて考えている。 前者は、生物現象がどのようにして起こるのかを解析するもので、科学者は "How?" という問題提起をするが、後者においては生物現象がどうしてそうなるのか、その意味を問う "Why?" という疑問に答えようとする。この話をしながら、私はこれまで How を問う研究者であり、そのことに少し飽いてきたのではないか。それは自分の精神のごく一部しか動員されていないように感じたからである。これからは "Why?" という問に答えようとする精神の状態、自らのすべてを立ち上げて立ち向かうような状態を保ちたいという思いが湧いていた。

それは自分の中では次の出来事とも比較できるものである。フランス語の試験に日本では仏検という試験があり、フランスには国民教育省の試験、DELF-DALFがある。DALFーC1を受けた時に私の頭の中で起こっていたことが、まさに自分のすべてを使うという運動であった。それは仏検を受けた時に感じることのできなかったものであり、終わってみると快感に近いものをもたらしてくれた。仏検では頭のごく一部しか活性化しないような問題が出される。文字通り、小手先の出来事で、自分が動員されないのだ。これからは自分のすべてを活性化できるようなところに身を置きたいという想いが芽生えていたということになるのだろうか。

1時間半ほどの会が終わり、声をかけていただいた先生の部屋で15人ほどの学生さんとざっくばらんに話をする。研究を実際に動かす原動力は、やはり若い力が担わなければならないが、これまでの経験を語ったり、「意味」 を探る思索を続け、その成果を世に問うということはわれわれでなければできないだろう。これからの歩みがそこに何らかの漣を立てることができれば素晴らしいのではないか、ということを確認していた。



lundi 14 mai 2007

ailleurs から paris へ



ふとある想いが浮かんだ

ここに来る前のブログは paul-ailleurs が書いていた。そしてここでは paul-paris に変わっている。それまでの場所が 「よそ、他の場所」 で、今ははっきりとした町なのだ。深い考えもなくそうしていたのだが、よくよく考えてみるとそこには意味があったのかもしれない。それまではどこかに 「よそ」 にいるという感覚があり、「ここではないところ」 を求める心が静かに眠っていたが、その求める場所が今現実となっている。

考え過ぎだろうか

しかし、しばらくは現実に対応するのに忙しく、再び 「他の場所」 を求めるまでには時間がかかるのかもしれない。



samedi 5 mai 2007

これからの生活を想う



生物学の考え方についての論文を読みながら、これからの生活は本当に自分の望むものなのかを再度自問していた。このようなことを毎日続けるという生活に耐えられるのかと聞いていた。すると、これこそ自分の望む生活であり、そこから広がるであろう全く予想もできない精神世界がどのようなものなのかを真に見てみたいと考えていることがわかった。それは、どのようなものが待ち受けていようとも悔いなど残さないということでもある。精神的な高まりだけは間違いなくここにあることを確認できた。やはり、これこそが自分が生きていることを自らに示すことのできる限られた道のひとつであると考えているようだ。



mardi 1 mai 2007

もし・・・がなかったら



6月までは実現するかどうかはわからないのだが、今の段階でどうしてここに辿り着いたのかについての運命論者としての作業を試みてみた。それは振り返ってみて、もしあのことがなければこうはなっていないだろうという出来事を探し出すという作業で、もちろん退屈しのぎである。そこから出てきたものを、以下順不同で。

● 2001年春に、もしフランス語のことが頭に浮かばなかったならば、こうはならなかったかもしれない。

● その時、花粉症がひどく、家で休んでいた。もし私が花粉症でなければ、フランス語への興味が湧くことはなかったかもしれない。

● 科学哲学という領域があることを知ったのは2005年春、パリの友人MDとの会話の中であった。もし、MDとの知己を得ず、彼との会話がなければ、ジョルジュ・カンギレムの名があの不思議な感覚とともに私の中に入ることはなく、この領域に興味を持つことはなかったであろう。

● 人類の歴史や哲学で生きてみようという決意は、時差ぼけの朝に浮かんできた。もし、2006年秋のパリの学会に出席していなければ時差ぼけもなく、日常的な頭では決意という形にはならなかったかもしれない。

● もし2006年秋に散策の途中に本屋に入り、DL氏の本に目が行っていなければ、彼との接触を考えることもなく、またその年の暮にパリを訪れていなければ、それを実行に移すこともなかったであろう。

● もし2007年春に再びパリを訪れDL氏との再度の話をしていなければ、どのような形で研究が可能なのかということはわからなかったであろう。

● そして、もし扉ががっちりと閉まったままのIHPSTを再度訪れていなければ、そして私の書類を置いてこなければ、JG氏からの連絡が入ることはなかったであろう。

● もしDALFの試験を受けていなければ、大学院に入る資格はなかったかもしれない。

● もしブログを始めることがなく、ぼんやりと暮らしていたならば、このような考えになったかどうかわからない。

● ブログを始めてからの読書の過程で、過去の人物の一生を眺めているうちに、自分の頭に築き上げられていた枠がほとんど完全に取り払われたようだ。つまり、この世は何でもありなんだ、と悟るようになった。その意味でも、もしブログをやっていなければ、どうなったかわからない。

● 永遠に続くと思っていた仕事の終わりをはっきりと感じ取った時、自らの終わりをも強く意識させることになった。終わりを意識した人間は哲学者になるのだろう。私もその時から哲学者になり、残りの生をその全体としてどう生きるべきかを考えるようになったようだ。換言すれば、そもそも定年がなければ、このようなことを考えることにはならなかったかもしれない。

このように今に続く糸を探し出すと、永遠に数え上げることができるようだ。人生が見えざる糸によって編み出されているということを感じざるを得なくなる。こんなことを書いている今が、また私を別のどこかへと導くことになるのかもしれない。こう考えていくと、人生の一瞬一瞬がスリリングなものに見えてくる。

何の目的もなくやっていることが、何かにつながっていたということを知ることの喜びは計り知れないものがある。私の場合は、何かのためにやると考えただけで、そう言われただけでやる気が失せるところがある。やること自体に意味を見出せなければやる気が湧いてこないのだ。何かのためではなく、そのためだけにやるという純粋な心がそのものに打ち込ませる。そのことの大切さを改めて感じている。