samedi 28 juillet 2007
現代の古典小説 les romans français classiques d'aujourd'hui
このところカフェで過ごす時間が多くなっている。そこでホテルから持ってきた Le Figaro にゆっくりと目を通す。そして時の流れを眺める。今のうちの贅沢だろう。昨日の文化欄では今に生きるフランス文学の古典的な作家が取り上げられている。そこには Les sept galaxies の言葉があり、銀河系のような壮大な世界を創り上げている人たちということになるのだろうか。以下の方たちの名前が出ている。その名前を知っている人もいれば、初めての人もいる。小説は読まない方なのだが、こちらにいるうちに気の合う人が見つかれば素晴らしいだろうに、などと思い始めていた。
Pascal Quignard (1948- )
Patrick Modiano (1945- )
Michel Déon (1919- )
Jean-Marie Gustave Le Clézio (1940- )
Alain Robbe-Grillet (1922- )
Phillippe Sollers (1936- )
Michel Tournier (1924- )
Julien Gracq (1910- )
Jean d'Ormesson (1925- )
この日の Mon seul regret では、作家 Arthur Conte の娘さんで同じく作家のドミニク・ボナ Dominique Bona さん (1953- ) が取り上げられている。13歳の時、おばあさんに連れて行かれたローマやポンペイ Pompéi の遺跡で不思議な感じ襲われて以来、過去に埋もれているものに惹かれているという。彼女の悔いは、クリスチアンヌ・デローシュ・ノブルクール Christiane Desroches-Noblecourt (1913- ) やジャン・ルクラン Jean Leclant (1920- ) のような考古学者 archéologue にならなかったこと。しかしその悔いを過去の人を掘り起こす伝記を書くという作業で代償しているのかもしれない。
彼女の悔いを読みながら、ひょっとすると私の中のどこかに哲学 (人間が何をどのように考えてきたのかという問題) に触れずに終るのは大きな悔いになるのではないかという想いがあったのかもしれない・・・などと考えていた。
vendredi 27 juillet 2007
Les fantômes de Goya ― Pascal Paoli ― Ulrich Mühe
少し時間ができたので、新しい映画でもと思ってみたが、今回は見たいと思うものがない。先日テレビで紹介されていた Milos Forman の Les fantômes de Goya という映画が2日前に封切りになったので見ようかと思っていた。ところが今日の Le Figaro の評がかなり酷い。
ゴヤに霊感を受けているのはわかるが、扱っているのはゴヤについてではなく、当時の宗教裁判 l'Inquisition に纏わるものがテーマでゴヤはその目撃者のように見えるというのだ。作者は、おそらくオスカー・ワイルドの 「人生を模倣するのが芸術ではなく、芸術を模倣するのが人生だ」 "Ce n'est pas l'art qui imite la vie. Mais la vie qui imite l'art." という言葉に触発され、ゴヤのおぞましい絵に人生を重ね合わせて描いたのではないかと皮肉っている。この批評のタイトルは Rien sur Goya となっている。評は評として、時間があればこの目で見てみたい。
Le Figaro の文化欄に、コルシカ島の美術館で初めて耳にするパスカル・パオリという人の没後200年の展覧会が開かれているというニュースが出ている。コルシカ島という名前を聞くと、昔通っていたフランス語学校に夏休みを利用してコルシカ島から大学生が教師として来ていて、その教え方が非常にしっかりしていたこととその素朴で親しみ深い人柄を思い出す。その印象が残っていなければこの記事を読もうとは思わなかっただろう。
Pascal Paoli (6 avril 1725 - 5 février 1807)
この人はコルシカ島の歴史上最も重要な人で、「コルシカ島の父」 とまで言われているにもかかわらず、フランスでは忘れられている存在。むしろ、イギリスやアメリカで重視されていて、アメリカでは彼やコルシカの名を取った町が少なくとも7つはあるという。1755年から14年間彼はコルシカ独立の先頭に立ち、その憲法はヨーロッパで初めての民主的なもので、特に、平等 l'égalité という言葉が死語となってはならないという彼の考えはアメリカの独立に大きな影響を与えた。フランスとの戦いに敗れた後はイギリスに亡命し、フランス革命時に一時帰国するもロンドンで亡くなる。この展覧会が、彼をコルシカのチェ・ゲバラとして捉える単純な見方を廃する機会になれば、、、と結んでいる。
3月のハンモックで取り上げた映画 La vie des autres (他人の人生) で主役を演じていた Ulrich Mühe さんがこの日曜日に癌のため54歳で亡くなったという記事が出ていた。映画と重なるような激しく、厳しい人生だったようだ。
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街を歩いている時に Les fantômes de Goya をやっている劇場があり、時間もぴったりだったので見ることにした。Le Figaro の評に影響を受けたわけではないと思うが、見終わった後に残る感動は少ない。エンディング・クレジットの背景に次々に映し出される彼の絵がなぜ描かれなければならなかったのか、というような問にはほとんど答えてくれない映画であった。ところで全くの余談だが、今回の旅で bière blanche が口に合うことが判明。一時的なものかもしれないが、、
jeudi 26 juillet 2007
ワグナー家の跡目争い Guerre de succession chez les Wagner
今日の図はカフェで作ったもので少々見にくく心苦しいが、これがあると話が通じやすいので出すことにした。ご容赦願いたい。今日のお話は、昨日の le figaro に出ていたもので、昨日開幕されたバイロイト音楽祭を誰が引き継ぐのかという問題。
この音楽祭は1876年に Richard が始めたもので、これまでこの8月30日で88歳になる (il soufflera ses 88 bougies le 30 août) 孫の Wolfgang が1951年から率いてきた。彼は、2度目の結婚で生れた娘 Katharina (29歳) に引き継がせたいと考えている。今年の音楽祭は、彼女が総監督の 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 Les Maîtres chanteurs de Nuremberg で開幕するという (余談だが、この中には私の好きな曲が盛りだくさん)。この公演は観客のみならず、音楽祭を運営しているリヒャルト・ワーグナー財団の評価も受けることになる。財団は Katharina の姉 Eva Wagner-Pasquier (62歳) と Wieland Wagner の娘 Nike を推しているためだ。
これまでの歴史を見ると Richard の死後、妻 (フランツ・リストの娘) Cosima が1905年まで音楽祭を仕切ってきた。その後、彼女の息子 Siegfried が亡くなる1930年まで引継ぎ、ナチの時代は Siegfried の妻 Winifred が主宰してきた。この時代のヒトラーとの関係、さらにヒトラーがワグナーの音楽を崇拝していたため、大戦後に連合国の意向で1951年まで音楽祭は閉鎖される。再開後は Wolfgang が主催しており、下の娘が引き継ぐ時がくれば退く意向であった。これまでの10年ほど、後継者争いが続いていたらしいので、詳しい方にとっては新しい話ではないだろう。
mercredi 25 juillet 2007
アパート契約終了
今回の旅を始める前は、一体私はどこに住むことになるのだろうかと興味津々であった。もともとどうしてもここでなければならないということはなく、その時の気分で最もしっくり来るところであればそれでよしとするタイプのせいだろう。振り返れば、生き方もほとんど同じように見えてくる。最初に道を決めるのではなく、歩んでいるうちに分かれ道が必ずやって来るが、その時に心の底に問いかけて折り合いのつく道を歩むというやり方であった。
出発前には、通学に交通機関を使わず、walking distance にアパートを見つけることができれればよいのだが、とぼんやりと考えていた。2週間という時間を区切っていたので、最後の時間切れでは 「えいやーっ」 と決める予定でいた。しかし、何という幸運か、最初に見たところでしっくりきてしまったのである。このようなことはこれまでで初めての経験になる。しかも予想もしていなかった場所になったことも微かな喜びを呼んでいる。
本日、契約に必要な手続をすべて終え、後は caution bancaire の扱いをどうするかについて金曜日に銀行の方と話をして今回の予定のすべてを終えることになった。最初はどうなるのかという状況もあったが、最終的には予想を上回るペースで事が進んだことになる。これから名所巡りでもしようか、というのが普通なのだが、今回はそういう気が全く起こってこない。住処も決まり、しばらくこちらにいるという状況がそうさせるのだろう。それと新学期がどのようなものになるのかの方に興味が移ってきているようだ。今、大学のHPでコースの内容をチェックしてみた。結構ハードなことになりそうだが、それはそれで面白そうである。ありがたいことに、外国人向けのフランス語コースが必修となっている。
mardi 24 juillet 2007
仏版高等教育改革 La reforme de l'éducation supérieure en France
先日ハンモックでもフランスの大学危機が叫ばれているという記事について触れたが、現地ではそれが生々しく感じられる。高等教育相 ministre de l'Education supérieure のヴァレリー・ペクレス Valérie Pécresse さんがよく出てくる。先日もテレビの番組に出て早口で捲くし立てていた。キーワードは l'autonomie で、大学も自立せよというメッセージ。企業などと積極的に連携を取り金を集めれば、それだけよい教育・研究ができるというもの。また大学の教育をグランゼコールのレベルまで持っていくことも改革の一つ。インタビューワーがグランゼコールは入学時に競争があるが、大学にはそれがなく学生の選別が行われていないのでは、と質問すると、大学1年生の半分は上に進めないのでそこで選別されているのだ、とのこと。さらに高校に出向いて大学で何が行われているのかを語る、高校との連携の必要性も説いていた。女性ながら有無を言わせない突進力がありそうだ。
Le Figaro にも国立高等鉱業学校の改革に成功しているトップが、高等教育には金がかかる (il a un coût) ということを認めないのは偽善者で、理想やミッションを見失いようにしながら、利益を追求しなければならないという論を発表している。国際競争に曝されている大学も今まさに l'ouverture が必要であるととして、国に求めるのではなく自らが国に何ができるのかを問えというケネディの言葉まで引用して熱い。
"Ne demandez pas à votre pays ce qu'il peut faire pour vous, demandez-vous ce que vous pouvez faire pour votre pays."
日本で何年か前に行われたことが、フランスでもこれから行われようとしているということなのだろうか。この改革 (彼女に言わせると文化革命 "une révolution culturelle" ということになるのだが) には教師の組合が発言しているのは予想できるが、学生の組合も積極的に顔を出ているのは日本ではなかったようだ。いずれ学生の評価の見直しや学費の値上げなどがあるのかもしれない。
lundi 23 juillet 2007
大学を覗く visiter l'université
アパートを見た帰りに大学に寄る。回廊のようなものがあり、中庭には Victor Hugo と Louis Pasteur の像がある。廻廊を歩いていると、小さな部屋に数十人の学生が集まってワインパーティをやっているところに出くわす。入り口の表示を見ると、Paris 4 の人類学に入学する学生さんが登録を終わって顔見世せの会をやっている最中のようだ。さすがに皆さんお若い。中に変わり者がいるかどうか覗いてみたが、ここには見つからなかった。あと一ヵ月もすれば私もこのような人の輪にいるのだろうか。
ホテル近くの古本屋で通りに出ている棚があったので覗くと、hamac の文字が見える。ダニエル・ぺナック Daniel Pennac という人の Le dictateur et le hamac であった。近くのカフェでモナコというビールのカクテルを飲みながら、最初の方を読む。南米辺りの仮想の国の独裁者で、権力とどこか別の場所 (ヨーロッパなど) を求めているが、なぜか広場恐怖症 agoraphobie の男が主人公らしい。人嫌いでもないのになぜアグロフォブなのか。どうも占いの人にあなたは民衆に虐殺される運命にあるとのお告げを受けたことが原因らしい。悪夢に苦しめられ、身代わり (le sosie という言葉がよく出てくる) を雇う。そのあたりの絡みがこれから出てくるのだろうか。しかし、なぜ hamac が出てくるのか、そこにも興味がある。
お店の人に、どこから来たのですかと聞かれると、自分がどこに属しているのかわからなくなる感覚に襲われる。これはアメリカにいる時にも襲ってきたものだ。これからこちらにしばらくいるという意識も加わってそうなるのかもしれない。
dimanche 22 juillet 2007
アパートを見る examiner l'appartement
数日前、求める条件を満たしているアパートを見に出かける。これまでの経験から、図面や説明では実物が予想もつかないことがあり、意外なものがよかったりする。見るまでの楽しみでメトロを降りると、中心部とは違い落ち着いた町並みで好感触。さらにアパートのある通りに入るといわゆる郊外の住宅街で、非常に静かである。アパートのすぐ横にはコンビニ、洗濯屋、靴修理屋、鍵屋、銀行、さらに少し歩くとショッピングセンターがあり、生活するのには不便はなさそうな環境である。アメリカ郊外の小さな町を思い出させる。
約束の時間に担当のダヴィッドがバイクで到着。ヘルメットを取りながらこちらに手を振っている。中に入ると家具付と銘打っているだけあり、家具はもちろんだが、食器、棚や壁の飾り、さらにご丁寧なことに本棚には本がぎっしり詰まっている。一人で乗り込んでもすぐに生活できる状態になっているし、これからさらに探す根気もなく、またこれまでの経験から自分にしっくりときているとわかるもので、今回もそう感じたのでこれに決めることにした。
問題はその後に出てきた。賃貸契約に projet de bail という書類を準備するのだが、それに少なくとも10日はかかるというのだ。アパートを探して契約まで辿り着こうとしたならば、一月位は必要になるのか。どうしても予定通りに帰らなければならないと詰め寄ると、まずアパートの管理をしている会社に2か月分の敷金 dépôt de garantie と最初の家賃のチェック、それに不動産屋に礼金 honoraire のチェックを準備すること、その上で書類に先にサインをして銀行と銀行保証 caution bancaire の手続をするという。そう言い残して大忙しのダヴィッドは次のランデブーにバイクで飛んでいった。明日以降の成り行きを見なければならないが、何とかなりそうな雲行きである。
samedi 21 juillet 2007
人生ただ一つの後悔 mon seul regret
fraises des bois
ホテルにある le figaro を毎日見ているが、夏の特集として人生における唯一の悔いを各界の名士に語ってもらう企画と歴史に残る毒殺者 empoisonneurs を紹介する1ページの記事が面白い。例えば、「悔い」 シリーズの昨日はハンモックでも取り上げたことがあるベルナール・ピヴォー Bernard Pivot 氏 (5 mai 1935 -)。
彼のことを知ったのは、TV5の番組 "Bouillon de culture" や "Double je" (これはフランコフォンの外国人にフランス語との付き合いなどを聞く興味深い試み) で、その人懐こい笑顔と博識が印象的であった。彼の記憶力は作者も驚くほどであるが、第二次大戦後に結核にかかってから努力しなければ覚えられなくなったという。もう一つの大きな問題は、15年ほど前から人の顔をおぼえることができなくなり、悪評を受けるようになる。例えば、前の週に番組に出ていたにもかかわらず、空港で会っても知らん振り。その態度が侮蔑的で高慢だ (c'est du dédain, de l'orgeuil.) と写ったらしいが、そういうハンディキャップを知らなければ当然の反応だろう。このインタビューの最後にインタビュワーを写真に収めていたという。
本日悔いを語っているのは、Europe 1 の会長を務めるジャン・ピエール・エルカバッハ Jean-Pierre Elkabbach さん (29 septembre 1937 -)。こちらの悔いはより生々しい。40年ほど前にシャンゼリゼで青いドレスの魅力的な女性に会う。振り返ると彼女もこちらを見ている。それから彼女は道に入り、追いかけるが遂に見つけることができなかった。若き日のある一瞬に声をかけなかったことを一生の悔いとして持っている。また、文学的な悔いとしては、アルベール・カミュに会っておかなかったこと。共通の友人がいて、その友人宅にはカフェの時間に行っていたが、そこには彼が吸ったタバコの灰が残っているだけであった。
彼らの年齢を見ると、自らの悔いを語るのはもう少し先になりそうだ。
vendredi 20 juillet 2007
存在が本質に先行する l’existence précède l’essence
不動産屋に寄った帰りに Fnac に入る。そこでこの本に手が伸びた。
Jean-Paul Sartre « L’existentialisme est un humanisme » (folio essais)
「存在が本質に先行する」 、これが実存主義の本質で、ハイデッガーにも見て取れる人間の捉え方だという。
彼の提唱する実存主義が2つの方向から非難されていて、1945年に行われたコロックで自らを弁護したのがこの書となった。一方の非難は、実存主義はヒトを絶望の淵に誘うもので、解決法がないため瞑想的哲学へ行かざるを得ない。瞑想というのは一つの贅沢なので、この考えがブルジョワ的であるとして非難するのは共産主義者。もう一方は、人間の醜い側面 (l'ignominie) を強調し、卑劣さ (le sordide)、胡散臭さ・いかがわしさ (le louche)、不品行 (le vicieux) を至るところに明らかにし、人間のよいところを見ようとしないとして非難するのはキリスト教者。
最初の方に、無神論実存主義 (l’existentialisme athée) という項目があり、その中に私の見方に近いものが言葉になっていた。これは先日、別ブログ 「フランスに揺られながら」 に漢江様から何のために外国語を学ぶのかについてのコメントがあり、その答えとして次にようなことを書いた。
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同様のことがフランス語の場合にも当てはまります。この世界に入る切っ掛けは、全く予想もできないものでしたが、とにかく始めました。これも何かのためにということはありませんでした(カテゴリ 「フランス語学習」 で少し触れています)。しかし、その後の経過を見ていると、フランス語を読むうちに、「言葉」 の意味を考えるようになりました。その結果、日本語をより深く読めるようになったと感じています。また、フランス文化に触れるうちにフランス人の頭の働きを感じるようになりますので、その視点からしか見えない世界を見ることができるようになりました。またフランス語のブログを始めるようになってからは、私のレベルの中ではありますが、フランス語圏の方ともお話ができるようになりました。これらの経験は私を促す効果があったようで、私自身の人生を見直さざるを得ないような重要な影響がありました。
以上のような私の経験から見ると、何のために外国語を学ぶのかは、学びを始めなければわからないということになります。これは私自身の事に当たる時の、まず始めてから後でその意味を探るという姿勢とも関係があるのかもしれません。
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サルトルの方に次のようにある。
L’existentialisme athée, que je représente, est plus cohérent. Il déclare que si Dieu n’existe pas, il y a au moins un être chez qui l’existence précède l’essence, un être qui existe avant de pouvoir être défini par aucun concept et que cet être c’est l’homme ou, comme dit Heidegger, la réalité-humaine. Qu’est-ce que signifie ici que l’existence précède l’essence ? Cela signifie que l’homme existe d’abord, se rencontre, surgit dans le monde, et qu’il se définit après. .... L’homme n’est rien d’autre que ce qu’il se fait.
ここでは、サルトル自身が無神論実存主義者であり、この考えが理に叶っているとして次のように書いている。もし神が存在しないとしたならば、少なくとも存在が本質に先行する存在、あらゆる概念で説明される以前に存在する存在があり、それが人間で、ハイデッガーの所謂人間的実在性というものがあると無紳論実存主義者は宣言する。それでは、存在が本質に先行するとはどういうことか?それは、まず人間が存在し、その人間同士が出会い、世界に出現する。そうした後に、自らを定義するということである。・・・人間はつくられるもの以外の何物でもない。
人間存在の捉え方、あるいはこの世の歩き方が彼らと近いことに驚いている。突然のサルトルになったので、専門家のコメントをお待ちしております。
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今日、快晴の中歩いているうちに喉が渇いたのでマクドに入ると、インターネットをやっている人がいる。聞いてみると Wifi で接続が可能だという。やってみると確かにつながる。この記事はフランス初のマクドからの発信になった。知は生活を豊かにするのだろうか。今までのサイバーカフェでの散財は何だったのか、、、今となっては致し方ないが、、
jeudi 19 juillet 2007
口座開設、そして住居探しへ ouvrir le compte et chercher l'appartement
日本でランデブーを取っておいた日に、銀行口座の開設に向かう。必要なものは、日本の住民票、銀行口座の残高証明、それと若干のユーロであった。いくつかの書類にサインをしながら、こちらの状況を聞く。また、学生の場合は週に20時間まではアルバイトができることになっているので、何かやられたらよいのでは、とお勧めいただく。すべての手続は1時間ほどで終わり、アパート探しにまず郊外に向かう。
この春に来た時にもいくつかのカルティエを回ったが、今回は同じ場所には行く気にならず。初めて見る場所に住んでみたいと思っているようだ。まず手当たり次第に不動産屋さんを6-7軒回る。それぞれのところで持っているアパートの条件を見ると、ほとんど満たしているのだがどれか一つが欠けているという状態。それぞれを足し引きできればよいのだが、そうは問屋が卸さない。人生を見る思いだ。前回の経験で、店員の対応もよく、持っている物件数も多かったので今回もまずそこから始めようと決めていた。しかし、メトロを降りると目の前に別の不動産屋があったのでまずそこから始め、最後に目指すところに辿り着いた。張り出された広告を見ると、1件だけ家具付のものがある。しかも他の条件もすべて満たしている。こういうものが初日に出てくるとは運がよい。
これが良さそうだと担当のダヴィッドに伝えると、フランスでどのくらいの期間働いているのか、と聞いてくる。2日前に着たばかりだと言うと驚いて、そういう人には貸せません。こちらで収入がなければ駄目です、と言って聞かない。よもや学生になろうしているとは思っていなかったらしい。それでは学生の場合はどうするのかと聞くと、こちらで収入のある人が保証人にならなければ駄目です、ときっぱり。前回の訪問時に、銀行の方からcaution bancaire (1年分くらいの家賃+?%を銀行で確保する) があれば借りられるような話を聞いていたのでそれでどうかと聞くが、グループの決まりでできないと言う。まだアパートを見てもいないうちにそれ以上詰め寄っても始らないと思い、とりあえず翌日現地で待ち合わせて部屋を見ることにした。
mercredi 18 juillet 2007
時差ぼけの朝、あるいは重層的にものを見る au matin de décalage horaire, regarder de vue multiple
時差ぼけのため、朝4時頃に目が覚める。テレビをつけると Inside the Actors Studio という以前にも取り上げた番組の最後の方が流れている。今回はシシー・スペイサックで、学生の質問に答えている。フランス語の字幕が出ているので、英語を聞きながらフランス語を口に出してみる。ある感情を表すためにはこういう表現があるのかということがわかり、英語を介してフランス語の話し言葉を覚えるというのも案外面白いかもしれな い。
さらに続けて、Science en Conscience という番組では生命倫理の問題を取り上げられている。
● éthique と économie が incompatible。
● 市場があるのか、ないのかが問題になる。
● 生物学研究に市場の原理が入り込んできている、それが大きな問題。
● 国が研究に入りこむためには限度がある。
● 研究は本来 philanthropie でされるべきもの。
● 遺伝子の特許の問題、成果は本来共有すべきはずのものだが、それが妨げられる可能性がある。それはすなわち、進歩の阻害につながる可能性を含んでいる。
● 遺伝子を含めた人体が商売の対象になっている。= "人体の商業性 commercialité de corps humains"
● あることがどういう意味があるか、考える前に、意味がわかる前に、物事はどんどん先に進んでいる。意味よりも市場原理が事を動かしているからだ。
病気の起源、治療の方法などは遺伝子の配列からある程度わかるようになるだろう。その場合、哲学の出番などないのではないか。哲学の中に閉じ篭るのではなく、科学データを想像力を交えて考えるという哲学のやり方を考えなければならないのかもしれない。あるいは、それしか有効な方法はないのかもしれない。
テレビを見ながら、手に入る情報は日本と余り変わらないのではないかと感じる。もちろん、カバーされる領域が、たとえば地理的な要因で変わってくることはあるだろうが、、。その情報を受け取る側が今までと同じところにいた場合には、そこから得られるものは少なくなるだろう。場所を変える意味は余りないかもしれな い。問題は、受け取る側が元の立場を離れることができるか、そこから飛ぶことができるか、彼らの視点の根に入ることができるかどうかが事を決めるような気 がする。それができれば、情報の意味がこれまでとは変わってくる可能性があり、その時初めて事の重層性に触れ、より深い理解につながるような気がする。物事の多面性、その陰影を感じ取ること、それが取りも直さず 「この世」 (現在、過去、未来のすべて) を理解する上で大切になるのではないだろうか。そんなことを時差ぼけのパリで考えていた。
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写真を見ていて、こちらで撮った空の色が違うことには気付いていたが、今回もそういう写真が多い。そしていつものことながら、雲の姿にも惹き付けられている。
mardi 17 juillet 2007
旧友訪問 visiter mes amis
P研究所までモンパルナスから歩く。受付の女性はもう顔を覚えているようで、また来たのかというような表情。研究室で話を聞く。丁度バカンスに出る前に論文を出す準備中で、早速私にも読んでくれと渡され、昼食に行くまでにコメントをほしいと言っている。いつ来てもダイナミックである。仕事の内容はわれわれのところのものと関連があり、興味を持って読んだ。
私のこれからの道を話すと研究室の人がいろいろと助言をくれる。例えば、これからアパートを探すのであれば、一本のメトロで通えるところを探すように。少し広めの方が面積当りではお得である。狭いステュディオの方が学生の需要があるため、高くなるという。また、これから仕事をしなければ大変だろうからと言って、アルバイトの紹介までしてくれる。まだどうするかはわからないが、本当にありがたい心遣いである。今博士論文を書いている最中のKは、哲学の大学院など出て、将来は哲学教師になるつもりですか?などと半分冷やかしの質問をしてくる。もちろんNONと答えておいたが、先のことはわからない。カンティーンではアルジェリア出身の友人と2年ぶりに会い、4人で昼食。あなたのこれからは面白そうだ、私の学会でもそういうセクションを設けようか、などと軽口を叩いていた。
これからある程度の期間過ごすという心の状態でこの街を見ると、以前の旅行者として見ていた時ほど輝いては見えない。おそらく、いつでも見られるという日常になってしまうことが大きいのだろう。いつも新鮮な目を保っていたいものだと思う。今日が最初であるとともに、最後であるという目を。
lundi 16 juillet 2007
台風の中、無事到着
出る前に台風が来ていることを寸前まで気付かず、週間予報にある 「曇り時々雨」 だと思っていた。周りの騒ぎでどうなるのか気にはなっていたが、成田に着くと週間予報通りの曇りで時々雨の穏やかな天候。飛行機は定刻に飛び立ち、無事にパリ到着。前回も感じたが、着いた時の盛り上がりは全くない。特に今回は、日本のどこかの街に降りたのと同じ状態で、何の感情の変化も感じられない。おそらくこちらの人に会わなければ何も誘発されないのだろう。
今回のホテルはバスティーユの近く。ホテルのテレビでは Maigret をやっている。喉が渇いたので水を探しにパスティーユ周辺に出る。歩いていると Le Point のおそらく恒例の夏の哲学特集が目に入る。今年は Spinoza のようだ。いつもの通り、部屋からのネット接続はうまく行かないので、時間を見て街の Cyber Café でやるしかなさそうだ。
今朝、テレビをつけると新潟の大地震が報じられている。震度6.8とあるので相当な被害があると予想される。原発から煙が出ている映像が流れていた。最小限の被害に食い止めていただきたいものである。こちらでは朝メトロに乗ると早速 Campo Formio で止まり、イタリア広場まで歩かされた。工事のためだろうか。健康にはもってこいの始まりではあるのだが、、、
jeudi 12 juillet 2007
アパルトマン探し、銀行口座開設など
引越しになるといつものことで、住むところを見つけて、生活の基盤を整えなければならない。その準備をぼちぼち始めなければならないだろう。アパルトマンを借りるには銀行口座がなければならないようなので、向こうの銀行とFAXでやりとりを始めた。3月に滞在した時に会った日本人の方なので、勝手がわかってやりやすい。FAXが少しまどろっこしいところはあるが。実際には口座を開くためには生活の証拠がなければならないという堂々巡りなのだが、今回は口座の方を先に開設できそうである。日本の住民票と銀行の残高証明書とで何とかしていただけそうである。口座を設けた後で、住処を探すことになるだろう。問題は今のユーロ高である。しかし、学生の身なので贅沢は言っていられない。いずれにしても、来週からの様子を見てみたい。
lundi 9 juillet 2007
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