samedi 23 février 2008

ピエール・ベール Pierre Bayle


Pierre Bayle
(près de Pamiers, 18 novembre 1647 - Rotterdam, 28 décembre 1706)


スピノザと日本の関係を調べている時、この方に出会った。百科全書のさきがけとも言える、引用を本文中に囲い込むような記載が現在のハイパーテキストを思わせるという指摘もある彼の Dictionnaire historique et critique (1697) で、スピノザの50ページを超える項に触れてみた。当時の人の仕事を凄さを思い知らされるようであった。

プロテスタントの家に生まれ、父親からギリシャ語、ラテン語を学ぶ。家庭が貧しかったため、兄が学校終えるまでは行けなかった。22歳でトゥールーズのイエズス会の大学に入り、そこでカトリックに改宗。しかし17ヵ月後には再びプロテスタントに改宗、ジュネーブに逃げる。そこでデカルトを学び、神学の勉強に取り掛かる。

数年後にフランスに戻り、ルーアンやパリで家庭教師をしながら執筆を始める。28歳の時にセダンの哲学教授になる。34歳で大学が閉鎖になったが、ロッテルダムの哲学・歴史学の教授で迎えられる。・・・・・

この Dictionnaire はそれまでの辞書の誤りを正すのが目的だったようだ。彼は、この世界が単純な善悪二元論 manichéisme には決して還元できず、相対立する見方や意見が永久に交錯していると考える懐疑主義者であった。

1906年には、永い忘却の償いとしてパミエ Pamiers の町に彼の像が建ったという。




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