vendredi 11 septembre 2015

勇気がありますね

11 septembre 2008



この夏、前に勤めていた研究所の同年代のW氏、N氏、さらに先輩のI先生と元所長S先生とで食事をする機会があった。池を望む林の中にある、どちらかと言えば若者向けの場所だろうか。昔話あり、パリの話あり、日欧比較ありで楽しい時間であった。忙しい時間を割いていただいたことに改めて感謝したい。

以前にも少し触れたことがあるが、昨年夏、私がこちらに来ることを話した時に寄せられた言葉で最も多かったのは「自由人!」だったが、それに次いで多かったのが「羨ましい!」であった。しかし、こちらに来てフランスの科学者に同じ話をすると、ほとんどの場合 "Vous êtes courageux" (勇気がありますね)という言葉が返ってきて、その反応の違いに驚いていた。おそらく、日本の同僚の「羨ましい!」には、好きなことを自由に時間を使ってで きることに対するあるニュアンスが込められているが、こちらの人の反応には、途中で道を変えてこれからその道で生きていくのは大変でしょうね、という心が あるように感じていた。ひょっとして日本人の私は歳よりも若く見られているのではないだろうか。

ところがこの夏、同じ言葉をS先生から聞 いた時には不思議な感慨が湧いていた。日本人でこのような反応をした人はそれまでいなかったからである。どのような意味で言われたのか定かではないが、この試みの中に少なからず真剣味のようなものを見ていただいていたとすれば、ありがたいと同時に大変なことをしているような気になってくる。やはり、自由人として羨ましがられているうちが花なのかもしれない。


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mercredi 9 septembre 2015

幸いなことに、退職前の研究所の方々とはそれ以後もほぼ毎年食事会を持っている。渡仏1年目の会でS先生から「勇気がありますね」と言われたことは忘れていた。わたしの中では自然の流れだったので、こちらに来ること自体には全く抵抗がなかった。ただ、どのような学生生活が待っているのかについては想像もできなかった。結果は荒波の中の航海になったので、その意味では勇気があったと言えるのかもしれない。

当初から、こちらの生活が本当のものなのか、仮のものなのか、あるいはこれを本当の生活にするのか、仮のものにするのかについての迷いがあった。つまり、日本にいると仮定した自分が本物で、こちらにいる自分は仮のものだと捉えることもできたということである。その場合は、気楽にやればよいことになる。それに対して、こちらの生活を本当のものだと捉えた場合は、上の記事にもあるように真剣さをもって生活しなければならなくなる。

このジレンマが消えたように感じたのは、ここ1-2 年のことである。これから9年目に入る学生生活だが、それを終えた時には専門家の予備軍ということになるのだろう。甚だ不十分だと感じてはいるが、そう自らを捉えて動かなければならないような気がしている。ちゃんと終えることができるのかどうかはまだ見えていないが、いずれにしても長い瞑想生活から社会に出ようとしている人間と捉えることもできる。これから動的生活に入るのか、これまで通り瞑想的な生活に重点を置くのか。それはまだわからないが、一つの大きな転換点が待っていることだけは確かである。






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