いよいよ9月に入った。夏休み気分が徐々に抜けていくのを感じる。
私は20代後半にアメリカに向かった。その時、すぐに必要なもの以外はそれまでに読んでいた本やノート、日記なども含めてすべて実家に預けておいた。今から 考えると、そこで脱皮でもしようとしていたかのようだ。これまでも実家に帰ることはあったが、これらのものが置かれている書庫に入ろうという気にはなかな かならなかった。しかし、今回はなぜか自然にそこに入っていた。そしてそこにあるものを見て仰天した。
今回は現在興味を持っていることについて昔の日本人が書いた本を古本屋で探すのを楽しみにしていた。驚いたことにそのリストにあるかなりの本がそこに見つかったのだ。全く覚えていなかった が、現在興味が湧いていることに当時の私が興味を持っていたことをその時発見した。それらの本を開いてみたが、確実に読んだ形跡がある。最後のページに今とは違う見覚えのない字体で感想が綴られているものもある。また、このリストには入っていないが、何年か前に古本屋で気になって手に入れた本が、その本棚にちゃんと置かれ読了した日付と感想まで書かれてあったのにも驚いた。また、3年ほど前のDALFの試験以来いくつか読んでいたヴァレリーの全集まで揃えてあるのを見て、不思議な感動を覚えた。こちらを読んだかどうかは調べられなかったのだが、、、。さらに、見つかった自分のノートも見てみた。私の記憶の中には遊んでばかりいた姿しか残っていないのだが、そこには真面目に何かを学び取ろうとしている姿が見られ、少しばかり安堵していた。
その書庫には親父の残した本も一緒になっていたのでそこにも目をやったところ、現在興味あることに重なる本が次から次に出てきたのには嬉しくなってしまっ た。今では古本屋でも見つかるかどうか、見つかっても高くなっているものが多いので、ありがたくこちらに送り、数日前に無事受け取った。ところが、さらに驚いたことが待っていた。本棚や引き出しに親父の書き残したノートや日記が見つかったのだ。そのノートには今まさに私が知ろうとしていることについてのメ モが残されているのを見つけた時には驚きを通り越して、何と表現してよいのかわからないがどこかにある不思議な力のようなものを感じていた。長く緊張関係にあった中で、最終的にはどこかで繋がっていたという感覚、この世を歩む中での心の安定感、ストーンと腑に落ちるとでも言うのだろうか。そんな感覚が懐かしさとともに私を襲っていた。今回は日記の方には目を通さなかったが、いずれ読む機会が訪れた時に親から見た新たな自分の姿が蘇ってくることもあるのだろ うか。
この数時間、時間が止まり完全に別世界に過ごしていた。そして、そこにある本は時間があればすべて読み返してみたいという願望が生れていた。これこそ、先日も触れた「過去の自分を今に引き戻す」という行為そのものだろうか。
そして、今の歩みの底にあるものが、実は若き日に芽生えていた自分にとっての根源的な問を探り直してみたいという願望によるところが大きいのではないか、と いう想いにつながる。当時の興味が数十年を経て現在まで一気に飛んできたような印象である。日本には「三つ子の魂百までも」という観察があるが、無意識のうちにわれわれを動かしているものは、若き日にこの世に接し芽生えた純な疑問なのかもしれない。
不思議な、そして自分の中が洗われるような書庫での数時間となった。
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mardi 1er septembre 2015
7年前にこのようなことがあったことは覚えている。これはフランスに渡って1年目のことだったので、フランスでの今との対比が強烈だったのだろう。最近では書庫に入っても当時の驚きは感じない。
この中にある学生時代の3年連用日記はこちらで読んでみた。書いている人間は驚くほどナイーブな感受性を持つ自分とは全くの別人であった。小さなことに悩み、考え、揺れ動いている。このような記録がなければ今のまま今日まで来たと思っていただろう。この日記を読むことにより、今の若者がどれだけ揺れ動く心を持っているのかにも思いが至るようになった。これからも貴重な資料になるだろう。親父の日記については、まだ読む心境になっていない。
この記事に生々しく書かれているが、それ以前からフランスでの時間は若き日の想いを実現するためのものであると感じていた。それは哲学がどのような学問なのかを体験したいということであった。科学の中にある時には、哲学という言葉自体わたしの辞書から消えていた。それが仕事の終わりが見えてきた頃、どこからともなく蘇ってきたのである。そして、8年に及ぶ哲学中心の生活をフランスの地で送ることができた。それが何を齎してくれたのかは今は分からない。しかし、こちらに来る前には想像もしていなかったものが堆積しているように感じている。これからそれを解きほぐすのが、一つの仕事になりそうである。
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