mardi 12 février 2008
枠組みの外から
先週の今日は生命とは何かについてのコロックに顔を出したのだったが、もう遥か彼方に退いている。もう一週間経ってしまったなどとは想像もつかない。しかしそれが時の流れなのだろう。
昨日の夜は、昨年11月頃からのお互いの予定がかみ合わず実現しなかったランデブーが実現した。日本にいる時に友人のY氏からパリに行ったら会うように勧められていた人に会うことができた。大使館に勤めておられるK氏である。パリやフランスの情報もさることながら出身が仏文とのことなのでそちらの方面からも貴重なお話が伺えるかと思い、出かけた。
今年が日仏文化交流の150周年とのことで、相当にお忙しいようであった。いつものように話題は飛ぶのだが、特に日本を襲った大学改革についての話が何度か出てきた。日本の制度を実際に動かしているのは30代半ばくらいの若い人たちである。戦前、戦中の例もあるが、この世代のいわゆるエリートといわれている人たちがどれだけ深い考え、哲学のもとに事に当っているのかということに大きな疑念を持たざるを得ない。それはK氏の思いとも重なるものでもあるのだが、、。政治の力は大きい。その辺りの人たちの考えで日本が簡単に変わってしまう可能性があるからだ。しかし、その過程でどれだけの幅広い、奥深い思索がされていたのだろうのか。大きな疑問符がつかざるを得ない。そしてそれを受け取る側は、、、。
今回のことも彼らがアメリカに留学し、その考えをそのまま日本に移植しようとしたと疑われても仕様がないようなことになっている。実際にそうであった可能性も高く、日本独自の考えなど微塵も見えないものであった。本当にあれでよかったのだろうか。そういう疑念が浮かび上がる。フランスも日本に遅れて同じような道を歩もうとしている。せめてフランスくらいはこれまで通りのクラシックなやり方を貫いてほしい気がしないでもないが、歩みを始めてしまった。
日本の行政の現場では、それは一体どういう意味があるのか、要するにそれはどういうことなの、と立ち止まることなく、事を急ぐ姿勢に溢れているというお話を伺った。ここでも取り上げていることだが、それは考えることを止めてしまった人の姿勢に過ぎない。そういう風潮が日本の官庁で日常になっているということは、他は推して知るべしなのだろう。では、そこでどうするのか。それが大きな問題になる。結局は各自がそれぞれの頭で考えていなければならないことになるのだろうが、枠組みの中でではなく、枠組みそのものを考えるという姿勢が求められるということだろう。それはすなわち、外から考えるということ、哲学するということになるはずなのだが、、、。
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