lundi 18 février 2008
すべて英語で?
夜は窓を開けて星空を眺めるしかない生活もあと1日となった。暗い中でぼんやりしていると、それまで浮かばなかったことが思い出される。日常の動きが、目に見えるものがどこかで浮かび上がるのを阻害しているようにみえる。この脳は意外にいろいろなものを受け止めてくれていることがわかる。
浮かび上がってきたのは、先日大使館のK氏との話の中で出ていたことになる。それがなぜか暗闇の中で思い出されたのだ。フランスの大学の話になった時に、これまでの私の外から見た経験から、こちらの教育スタイルは非常にクラシックで、オーディオ・ヴィジュアルを使うこともなく、学生に阿るように体系化されているところもなく (例えば、マニュアルのようなものはないのではないだろうか)、先生の評価なども行われているような気配もない (確かめたわけではないので正確さに保証はないが)、つまり、グローバル・スタンダードからすると落第になるようなシステムになっているというようなことを話した。その時に、ENSのようなところもこれから講義を英語にして留学生を意識的に受け入れようとする動きがあるということが話題に上がった。おそらく自然科学の領域に限ってのことと思われるが。しかし、フランスの大学がそこまでする必要があるのだろうか、というのが私の率直な感想であった。
もしこの流れが文系にも及ぶとすると、フランスの魅力は大きく低下するだろう。それぞれの国が独自に持つ文化、言語、ものの考え方を英語でやり始めることによって失われるものの大きさは、今現場に身を置いている者として痛いほど感じる。もしフランスの哲学を英語でやっているとした場合、私はこちらで哲学をやろうとしただろうか。英語にすることにより、その国の文化に対する真の思い入れが失われるように感じられるからだ。外から、あるいは上から論じるようにも感じられ、フランス語から現在受けている霊感など思いも寄らなくなるだろう。解らないながらも、その国の言葉で聞き、読み、感じることで得られるものは想像を超えるものがあるように感じている。フランスよ、どうかこの道だけは歩まないでほしい、と星の動きを見ながら願っていた。
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