samedi 9 février 2008

混沌の中から



昨日は、今週最後のクールのために出かけたが、どういうわけか休講。こういう時にはいつも気分が解放され、人と話したくなる。幸いにも教室にひとりだけ残っていたパリジエンヌとお話をする。彼女は美術史、美術哲学専攻で、哲学をその横で勉強しているマスターの学生さん。ミシェル・フーコーなどを読んではいるが少し難しいので聞きに来たという。何とも感じのよい学生さんだったためか、雲ひとつないその空を切り取っている飛行機雲のせいか、calvaire が終ったためなのか、久しぶりに爽快な気分になっていた。

その勢いでリブレリーに入ると、ミシェル・セールさん (Michel Serres をセレスと訳し、kn様からご指摘を受けたことがあった) の本が飛び込んできた。パラパラ捲っていると、前日のクールで聞いたばかりの Translatio studii なるラテン語に目が留まる。こういう瞬間は心躍るものがある。今週から始ったクールを通してみても相互に関係するお話が出てきたり、前期で聞いたままになっていたテーマが再び取り上げられたり、いくつもの絡みが見えてくる様子には軽い興奮を覚えていた。昨年10月に始ったこの営みの初期の混沌の中に少しだけ関連する糸が見え始めてきたと言ったところだろうか。しかし、それはその全体が私の体だとすると、原子の大きさにしか過ぎないだろう。

フランス語を始めた当初の1-2年ほどの間、目の前に壁があって中を覗こうにも叶わないというあのもどかしさを思い出す。しかし、今回はその時の一方向の障害ではなく、本当に立体的な混沌の中を漂っているという感じがする。これがさらに進むとそこから何かが醸成され、その霧のような混沌の中からとんでもないものが噴き出してくるのだろうか。そういう日が来るのではないのかという期待感を抱かせるような今日の心境である。今年の夏のことを考えただけでも、その時にどのような心持ちでいるのか、思い描くこともできない。

  Translatio studii : refers to the the transfer or translation (translatio) of culture or knowledge (what one studies: studium) from one civilization to another.

(知の中心・覇権が移っていくこと。中世、ルネッサンス期に生れた見方のようで、主に書かれた知がエデンの園から始まり、エルサレム、バビロン、アテネ、ローマ、パリ、アムステルダム、ロンドンへと移行していき、ジョージ・ハーバートという人はその後その中心はアメリカに行くだろうとすでに予言していた、とウィキにある。)


今ハンモックへアクセスのあったページを眺めていた。その中に、昨年の正月の記事が出てきた。偶然の一致だが、昨日のクールの前に時間があったので去年の手帳の1月のメモを読んでいた。その頃にはこちらに来ることを決めていたような気配がある。そして、一体どのような形で来るのか、生活はどうなるのか、など不確定なことが多すぎで、年が明けて数週間は体の芯から冷え上がるような状態であったと書かれてあったりする。もう記憶の彼方なのだが、、。去年の正月の記事を読んでみると、仕事場で地震にあった初夢が書かれ、「今年がこれまでに経験したことのないような年になりそう」 だと予想している。まさにその通りの1年になった。正月がやっと明け、少し昨年を振り返ってみようという心境になっているようである。



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