jeudi 7 février 2008
一学徒として
少々古い言葉が出てしまった。自分の中では全く古くはないのだが、この言葉が出てくるのは、学生時代に 「きけ わだつみのこえ」 を自らに引き付けるようにして読んだ印象が残っているためかもしれない。昨日、後期最初のクールにENSまで出かけた。こちらに来てから若い学生さんに混じって行動しているが、全く違和感を感じない。そのことに驚き、ずーっと不思議に思っていた。環境は大学や研究所なので日本にいた時とは変わりないが、その環境に全く別の立場で入った時にはそれを受け取る精神状態に大きな変化が生れるのが普通ではないだろうか。しかし、そうはなっていないのだ。
そこで思い当たった理由は、今の精神状態は実は昔と何も変わらないためではないか、というものだ。つまり、これまでの研究生活を通して、いつも学生のつもりでやっていたのではないか、ということである。専門家になるのではなく、あるいはその道を無意識のうちに拒否し、いつもアマチュアでいることを欲し学ぼうとしていたのではないか、ということに気付いたのだ。そう考えると、違和感など感じようがないのである。そのことは、学問の世界で専門家として一家言持とうとするよりは、大きく言えばこの世界から何かを学ぼうとして歩んできたということにつながるのかもしれない。そしてその世界がほとんど無限に拡がっていることを意識する時、一学徒として生きるのは至極自然な行いのような気がしてくる。
ただ、ひとつ忘れてはならない重要な点は、そういう人間を受け入れる側のソフトだろう。彼らの態度を見ていると自らがどのような格好をしているのかを全く感じさせないのだ。先日の Marek Halter さんの怒りの源泉にもなっている異物として対処するという姿勢よりは認知されているという印象が強いためかもしれない。そうでなければ、いくら一学徒としてなどと言ってみても違和感で溢れかえることになるのは眼に見えている。まだ半年も経ってはいないが、今のところ私の生き方に合う環境にいることだけは言えそうである。
今期最初のクールの前、おそらく同年代のフランス哲学の伝統を自負しているような印象のある教授がよく来てくれたな、という気持ちが溢れ出る態度で迎えてくれた。
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