vendredi 8 février 2008

calvaire 終わり、そして新たな



昨日は大学の実質2日目。ソルボンヌまで出かけ、2時間のクールを back-to-back (こういう場合、dos-à-dos と言うのだろうか?) で聞いてきた。今期最初の講義とあって、分厚い資料を持参していたり、参考文献のリストの紹介があったりした後、全体の計画が説明され、早速始った。参考文献に目を通すと、今回もすべて読んでみたいものばかりであるが、前期の流れを見てみるとおそらく不可能だと思われる。学習意欲が高ければ高いほど、未達成感が残るという困った状況に陥るのである。

2クールの4時間にも睡魔が襲う瞬間があった。それがこのところの睡眠不足のせいだと思いたいのだが、それだけではないことは自分がよく知っている。ただ、前期との違いも感じていた。これまでは、手探りで鬱蒼とした茂みの中をとにかく掻き分けながら進むという、ハードでスリリングなものだった。しかし、今回はクール全体を上から捉えている、とでも言うべき感覚が生れていて、ノートも前期よりは自然に取れているようだ。これは時間の単純な流れもあるだろうが、苦しみながらのメモワール作成が大きな効果を及ぼしているのは間違いない、と確信していた。それから、後半のクールでは眠気を覚ますには質問するに限るということを数回試してみたが、これは効果覿面であった。こういうことをしようと思うところなども前期との違いになるのかもしれない。

研究所の友人からは、新年のメール交換で近いうちに昼食でも一緒に、と言ったきり連絡がないのを心配してメールが入っていた。こちらの状況を説明すると、それが "calvaire" でないことを祈っている、との激励の言葉がすぐに返ってきた。この言葉、辞書によると 「キリスト磔刑の像」 と 「長く苦しい試練」 という意味がある。驚いたことに、そこにはすでに "la fin du calvaire" なる書き込みがあった。その時の叫びが聞こえるようである。

calvaire = Succession d'épreuves difficiles et de souffrances

こちらでの学生生活、一つ越えるとまた別の calvaire が待っているという生活を意味しているのかもしれない。



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