mardi 8 décembre 2015

正気を保つための場所?

8 décembre 2008 

(le 15 mai 1903 - fusillé le 17 février 1944 à Arras)


昨日の余韻が残っていたようだ

これまでハンモックとこの場所でその時々に去来するものを書き綴ってきた

それはまさに専門を離れ、意識に枠をはめず、考えを羽ばたかせるという作業の繰り返しであった

それこそ無意識のうちに哲学していたのではないか、という思いとともに目が覚めた

昨日勢いに乗って出てきた「正気を保つ」という言葉

このためにも必要なことだったのかもしれない

それとも 「狂気の沙汰」 への序章だったのだろうか・・・



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samedi 26 décembre 2015
  

当時はブログを続けることの意味がはっきりとは理解されていなかったようだ

そこが哲学する場になっていたという認識は、外れてはいないだろう

対象を目の前にして、それについて観察し、考えるという姿勢があるからだ

ただ、今となってはさらに大きな意味が見えてくる

それは、生きるために必須の営みではなかったのかということである

その営みにより、生きる力を与えられたということである

それにより正気が保たれたとも言えるのかもしれない

 それが意識的だったこともあれば、無意識の内に進められたこともあったのだが、、、

 これこそ、哲学が生きるために不可欠であることの証に他ならないだろう

 この点は、これまでいろいろなところで触れている

わたしの一つの到達点になるだろう




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