mercredi 9 décembre 2015

M1という時間

9 décembre 2008



今朝はクールのために科せられた論文を何とか読み終えてから出かけた。12月に入ってから何かが変わってきているようだ。今まで自分の中にあった話すことへの抵抗感のようなものがなくなってきたのがはっきりとわかる。これまでの状態は、フランス語を母国語とする人の間にいるとどこかに躊躇するところがあったり、恥ずかしさがあったのが、そのわだかまりがどこかに消えていったようなのだ。こういう大きな変化は徐々に何かが変わってきた結果なのだろうがそれに気付くことはなく、突然壁の崩壊という形で現れる。その1週間前でさえこのような状態になるとは想像もできなかったのである。こういう道に入ると、ただ当てもなく前に進みながらいつ訪れるか分からないその時が来るのを待たなければならないのだろう。これから先、どのようなその時に巡り合うことができるのだろうか。

終わって外に出ると、白い物の混じった重たい雨が降っていた。その雨に打たれながら、イタリア広場のあたりを散策する。昨年3月にこちらに来た時に泊まったホテルが広場の近くにあったので、ここに来るとなぜか懐かしい。それから久しぶりにマスター1年目に通った教室の前にある掲示板を見に行く。こちらでも切ないくらいの懐かしさを感じていた。日本では仕事をしていたためか、こちらに来た時には自らの青春時代にタイムスリップしたかのようで、すべてが新鮮で光り輝いて見えた。苦しい1年間ではあったが、今では何物にも代えがたい貴重な時間の塊がそこにあるのがわかる。今戻ってもあの感激は味わえないだろう。私の場合にはM1から入らなければ適応できなかったことがはっきりしているのである意味では避けられない道だったのだが、今振り返るとそれ以上のものを残してくれたように感じながらサンミシェル通りを歩いていた。



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samedi 26 décembre 2015


 ここに書かれてある「突然壁が崩れる」感じというのは、よく分かる

フランス語を人前で話す恥ずかしさのようなものは、こちらに来てからずーっとあったものだ

その抵抗感を消すことはできなかった

それがこの時に嘘のように消えて行ったということだろう


同様のことは、一々記録には取っていないが、他にもあったのではないかと思う

そのような大小の壁が次第次第に取り払われ、最後にはスートゥナンスに至ったのだろう

スートゥナンスは一年前にも見ていたが、その中に自分が入るということは想像だにできなかった

しかしその日、満足のいくものではなかったが、 何の抵抗感もなくその場に立っていたのである

そのためには8年の時が必要だったということになる

 上の記事にもあるが、マスターでの時間がなければ、それは叶わなかったのではないか

時の経過とともに、マスターでの時間が貴重なものであったことが見えてくる





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