mercredi 2 décembre 2015

少し慣れてきたゼミ、そしてある哲学者の死

2 décembre 2008



昨日、今日と二日続けて帰りは雨に遭った。暗いのでどの程度降っているのか分からない。頭に響く音である程度想像はついていたが、車のヘッドライトに照らしだされた雨を見て驚いた。これだけの雨を何とも思わずに歩いている自分は、確かに日本の自分とは違うと言わざるを得ないだろう。

今日のクールにも自分の考えているような準備はできなかった。一応、6時起床で最後の読みをしようとしたが、結局メトロと大学近くのカフェだけで終わった。メトロで論文を抱え考えながら歩いていたせいか、階段を踏み外して前にのめっていた。ご老人で偶に見られる図である。十分に足を上げているつもりがそうなっていなかったようだ。

クールでは次第に全体の流れの中に入ってきているように感じていた。今回は内容もよく理解でき、自己嫌悪もなく自分の意見を発表していた。終わった後、いつものようにカルチエ・ラタンを散策する。もう1年が経っているが、ここに入ると旅行者気分をまだ味わえる。初めてのカフェでデジュネを取ってから研究所に向かった。

今日はクールの復習をしましょうか、という気分になっていた。今までであれば、終わった解放感で全く関係のないことをしていたのだが、少し変わってきているようだ。こうして真面目に見直してみると、M1でよく理解していなかったことなどもよくわかってくる。その後、ネット・サーフしている時に、新しい顔を見せてきた出来事があった。

今年の10月のセミナーでのこと、私も2-3度会ったことがあるその会のオーガナイザーの一人が亡くなったので黙とうをしてから始まった。その時、彼女が自殺したことは知らされていたが詳しくわからなかったので触れなかった。前回そして今日のクールで、機能について重要な研究していた人として彼女の名前が出ていたので調べてみた。そうすると彼女の自殺についての記事が並んでいることがわかった。新聞にも取り上げられたようである。そこで言われていたこと、また彼女の遺書に書かれていたことによると、ブルターニュの大学で1年の仮の採用後、講師としての正式の採用が委員会全員一致で認められなかったことがその一因のようである(もちろん、人が自らの命を絶つその理由は最後まで分からないだろうが)。しかし、その委員会というのは2名しか出ておらず(全会一致とは2/2)、その審議内容も知らされていなかったことなどが明らかになり、これからの人材に対する大学の対応がこれでよいのかというフランスの大学システムが抱える問題として提起する記事が多いことを知る。

実際にどのようなことがあったのかはわからない。ただはっきりしているのは、将来ある哲学者が9月22日、生前好きだったというミッテラン国立図書館近くのシモーヌ・ド・ボーヴォワール橋 (la passerelle Simone de Beauvoir) からセーヌへ身を投げ、遺体が10月初めに見つかったということだけである。享年39。




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2 décembre 2015

 亡くなった方とは、こちらに来てすぐのセミナーでお会いしていた

その時、何を質問したのか思い出さない

思い出すのは、司会の彼女がそれはそんなに問題にならないと言っていたことである

 哲学の問題にはならないという意味だったのだろう

 科学からこの領域に入ったばかりだったので、その意味するところも分からなかったことと思う






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