vendredi 1 février 2008
ほぼ終えて
昨日は、3つのメモワールの締切日であった。前日にけりがつかなかったためか、睡眠時間が3時間で目が覚めていた。ボーットしたまま最後のまとめを始め、夕方4時過ぎになり、その3つが一気にこれで行きましょうというところに落ち着いてくれた。まだ一つ残っているとは言うものの、その時の解放感を表現するのは難しい。部屋をすべてひっくり返して、できれば自分の中味もすべてを入れ替えたくなるような感覚とでも形容すればよいのだろうか。
ミニメモワールのことは、去年の11月くらいから意識にあがっていたようだ。来る前には、1年でマスターの論文を一つ仕上げればよいのではないのか程度に軽く考えていたので、少し驚いていたことが大きい。当時を思い返してみると、まだ観光客気分が抜けず、わずか数ヶ月でそんなことをしなければならないのか、そんなことが一体できるのか、という気分が強かった。こちらでフランス語も含めて勉強しましょうという気持ちで来ている身にとって、まず講義のフランス語を聞いて驚いていた時期でもある (これは今でも余り変わらないが)。それまでに聞いていたものとは全く別物だったからだ。ただ、これまでの経験から、これは時間しか解決してくれない問題だと思っていたので、その状況に身を任せるという方針でいた。
それから年末を向かえ、まだ何について書くのかも決めかねていたので、まとめることができなければ前期で大学を辞めるか、1年目をもう一度やり直すか、それが無理であれば日本に帰るというオプションも頭に浮かんだことがある。自分の好きなようにやった方がよいのではないかという思いとともに。しかし、年が明けて気分が少し変わってきたようだ。書けない理由は、最初から立派なものを書こうとしているからだと気付いたからだ。まだ数ヶ月で、しかもその基礎もないのによいものが書ける訳がないのである。よいものではなく、自分の頭にあるものをいかにして外に形として出すのかということに頭を使えばよいのではないかと思えるようになり、少し前に進みだした。
結局終ってみると、私の場合は、締め切り前に余裕をもって出すというタイプではないことがはっきりした。与えられた時間を最後の最後までたっぷりと使い、苦しみ、考えながら、ないものを搾り出すようにしなければ書けないということがわかってきた。そして、それをするためには、今回は徹夜をするところまでは行かなかったが、朝の3-4時まで起きていることに何の抵抗も感じなくなっていることもわかった。これは日本では全く考えられなかったことである。
今回は、とにかくこの過程を経験してそれを終えることが重要だったのではないだろうか。それしかこちらの環境に慣れるための方法はないのかもしれない。イニシエーションのような儀式の一つだったようにも感じている。結果はわからないものの、とにかく今はこの数ヶ月の静かな嵐を潜り抜けることができたことにほっとしている。それから、こちらに来た当初の精神状態とは全く変わっていることもわかる。さらには、年が明けてからの状態からも変わってきていることも感じることができる。おそらく、街を歩いていても、苦しみの中でも、少しずつ、静かに、本人にも気付かれないように何かが変わっているのかもしれない。
扉を外に開け放ち、久しぶりの葉巻を味わう。しばらくご無沙汰していたラジオからは、シカゴ・ショルティでワグナーのタンホイザー序曲がゆーったりと流れ始めている。
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