samedi 3 octobre 2015

ミシェル・オンフレ 「旅の理論」 "Théorie du voyage" de Michel Onfray

1 octobre 2008

 
Michel Onfray


いよいよ10月の声を聞くことになった。少し身が引き締まる感じがする。今日は午後から雨が降る変わりやすい天気で風も強かったが、いつもの寒さは感じなかった。昼から仕事をするために外に出る。早足で30-40分歩くと汗ばんできた。カフェに入り3時間ほど原稿の校正と先日読んだエドガール・モラン (Edgar Morin) さんの考えにネットで触れる。帰ってから、これも最近触れたミシェル・オンフレ (Michel Onfray) 氏の「旅の理論」を読み返しながら瞑想する。


われわれの中にある2つの極性。

nomade vs. sédentaire

amateur de flux, de transports, de déplacements vs. passionné de statisme, d'immobilisme, de racines

cosmopolitisme des voyageurs vs. nationalisme des paysans

動きたい、場所を変えたいという思いと自らの根に愛着を持ち、一所に留まっていたい、静かな生活がしたいという思いが交錯する。これまでもその繰り返しだったようにも見える。今はノマドの衝動が働いた後に、再び僅かばかりの静を求めている時期なのかもしれない。個人の中ではこのような動きしか見せないが、歴史の中では政治的な対立にも発展してきた。

羊飼いが広大な原野を行く時、そこには政治的な心配はない。もちろん、仲間内の簡単な決まりはあるだろうが、それは些細なものだ。しかし、農民はどうだろう。一ヶ所に落ち着き、畑を耕し家を建て、村を作り、町を作り、そして社会を、国を作ることになる。そこには厳然たる法が顔を出すことになり、牢屋が生まれる。この新しい秩序に逆らう者は反社会的だとして牢屋に送り込まれる。制御不能になる可能性のあるノマドは権力者の不安の種であり、恐れを抱かせる存在だったのだ。権力者のイデオロギーは必然的にノマドを支配することになり、時にそのための暴力をも容認してきた。権力者はまず移動を禁じようとするのだ。共産圏の国がそうであり、そうであったように。そして、ナチズムが定住する、根を持った、国を持った民族を礼賛し、そうではないユダヤ人、ジプシーを敵と見なした。フランスのペタン主義も土着の愛国的で国家主義的な定住者を祝福し、生け贄を用意した。 今日の資本主義はどうだろう。家を、定職を持たない人間を排除し、嫌悪する。市場が動かす社会に適応できないからか。

旅行者は動きを愛し、変化を求め、移動を激しく欲する。共同体とともに歩む本能的な難しさ、自立への執着、自由の崇拝、わずかな事実や身振りの即興への熱中などが彼の中にある。そして、文明が生み出した勤勉な予定表を拒否し、創意に富む悦びに満ちた時間を選ぶのだ。

遊牧の民を真似て旅に出ること、それは汎神論の世界を経験すること、古代の神の跡を発見することを意味する。幸運と運命と陶酔と豊穣と悦楽の交差するところに現れる神、コミュニケーションと自然と宿命と必然がもたらす道行きの神を見出すことになるのだ。

今まさにその道行きの只中にある。ノマドの論理が生きる力を生み出してくれているようにも感じる。



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samedi 3 octobre 2015

ノマド的な性質と定住を求める心とのバランスは永遠の課題だ。いつも交錯を続けているが、わたしの場合は前者の勢いが強いようだ。それは定住型の共同体に違和感を覚えるからなのか。できるだけ多くの世界を観てからこの世を去りたいという願望のためなのか。その一方で、親子代々生活を共にするという空間に対する憧れのようなものもある。しかし、それは所詮空想の中でのことに過ぎないのかもしれない。いずれにせよ、その人間の持てるものを十全に生かすことができる場所を選ぶことが大切になるのだろう。そのような選択は誰にでもできることではないのかもしれないが、、。







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