数日前の写真はトルビアックを歩いている時に、そのシガーが気になり撮っておいたものだ。そしてそこに写っているジャック・ヴェルジェスという方が一体どんな人物なのかはよくわからなかった。しかし、ウィキを読んでみると、相当激しい考えの持ち主で、いつも論争を巻き起こし、謎の多い波乱の人生を送っていることがわかり興味を持った。今年で83歳になる。
Jacques Vergès (avocat français et anticolonialiste, né d'un père réunionnais et d'une mère vietnamienne le 5 mars 1925 en Thaïlande)
この中にあった記載で、彼を追ったドキュメンタリー「恐怖の弁護士」が去年のカンヌ映画祭で "Un Certain Regard" のカテゴリーに選ばれ、今年のセザール賞ドキュメンタリー部門最優秀に輝いていることを知り見てみることにした。
« L’avocat de la terreur »
上にもあるように、彼はベトナム人の母とレユニオン島出身の父の間にタイで生まれている。子供の頃は色が黒く、ヨーロッパ人(白人)の中にいることに違和感を抱いていたようだ。若い時の姿には決然としたところがある。17歳の時(1941年)、レジスタンスに加わるためにレユニオン島を去り、アルジェリア、モロッコ、イタリア、フランスで戦い、何度か栄誉を得ている。彼はド・ゴールの人物に深く惹かれ、「ド・ゴール共産主義」(gaullo-communisme)を語っているという。その後2度訪問した以外はレユニオン島には戻っていない。
1945年には共産党員となり、1950年にはプラハに派遣され、54年まで留まっている。若き反植民地主義を唱える弁護士になった彼は、アルジェリア問題に興味を持つ。その中で、アルジェリアの反植民地主義の象徴であった女性(Djamila Bouhired)が爆弾テロの罪で捉えられ、拷問を受け、死刑を言い渡されたことを知り、彼女の弁護を買って出る。1965年には彼女と結婚し子供2人を授かっているが、1970年から8年間に亘る謎の失踪をする時に彼女から去っている。アルジェリアでは彼女の方が有名で、ジャミラの夫とされるのに辟易したのではないかと言っている人もいたが、真実はわからない。
これまでに弁護した人は右から左までのいわく付きの人が多い。私が聞いたことのある人では、「リヨンの屠殺屋」と言われたナチのゲシュタポ、クラウス・バルビー(Klaus Barbie)、国際テロリストのカルロス(Carlos the Jackal)。その他、シャンゼリゼでのテロに関わった3人の弁護も行っており、セルビアのミロシェヴィッチの弁護も申し出たが断られている。毛沢東にも会い、ポルポトとの関係も囁かれている。
カルロスの妻であったドイツ人女性(Magdalena Kopp)が爆弾テロで捕まるが、この時ヴェルジェスが彼女に差し入れをしている。当時一緒にいた女性によると、差し入れするものを買いに行かされ、面会時間も長いので気に入らなかったが(私は単なる運転手か?!)、ヴェルジェスは彼女のことを気に入っていたのだ、と断言し、最初の妻にも見られる向こう見ずな勇敢さのある女性に惹かれるのだと結論している。この女性は英語で話していたが、勇敢な女性は "téméraire" と訳されていた。それに答えるように彼のために獄中で編んだセーターをその女性が示すシーンがあった。
彼のことを長年追っているジャーナリストによると、彼は怒りの中で生まれ、偶然弁護士をやっているに過ぎないと評している。つまり、その怒りを解決することが第一で、弁護士が最も有効だと考えただけということになるのだろうか。自信満々で、時に挑発的でもあり、少し人を食ったようなところもある。先日の写真には穏やかさが見られ、好々爺かなと思っていた。しかし、このフィルムが撮影されたのは何歳の時かわからないが、その物言いには依然として決然としたものが漂っている。先日の写真を見直してみたが、その中にある "serial plaideur" (連続訴訟人)の意味が非常に重く映る。
これまで観光地としてマグレバンを見ていたが、そこに隠れていた生々しい歴史の一部が顔を出してきた。このフィルムを見ながら、もう少し細かいところがわかるようになるとよいのだが、と感じていた。まだまだである。ただ、この中にはいろいろなフランス語を話す人が出てくるので、興味深く眺めていた。
ところで、このドキュメンタリーは、日本では話題になったのだろうか。
Jacques Vergès (avocat français et anticolonialiste, né d'un père réunionnais et d'une mère vietnamienne le 5 mars 1925 en Thaïlande)
この中にあった記載で、彼を追ったドキュメンタリー「恐怖の弁護士」が去年のカンヌ映画祭で "Un Certain Regard" のカテゴリーに選ばれ、今年のセザール賞ドキュメンタリー部門最優秀に輝いていることを知り見てみることにした。
« L’avocat de la terreur »
上にもあるように、彼はベトナム人の母とレユニオン島出身の父の間にタイで生まれている。子供の頃は色が黒く、ヨーロッパ人(白人)の中にいることに違和感を抱いていたようだ。若い時の姿には決然としたところがある。17歳の時(1941年)、レジスタンスに加わるためにレユニオン島を去り、アルジェリア、モロッコ、イタリア、フランスで戦い、何度か栄誉を得ている。彼はド・ゴールの人物に深く惹かれ、「ド・ゴール共産主義」(gaullo-communisme)を語っているという。その後2度訪問した以外はレユニオン島には戻っていない。
1945年には共産党員となり、1950年にはプラハに派遣され、54年まで留まっている。若き反植民地主義を唱える弁護士になった彼は、アルジェリア問題に興味を持つ。その中で、アルジェリアの反植民地主義の象徴であった女性(Djamila Bouhired)が爆弾テロの罪で捉えられ、拷問を受け、死刑を言い渡されたことを知り、彼女の弁護を買って出る。1965年には彼女と結婚し子供2人を授かっているが、1970年から8年間に亘る謎の失踪をする時に彼女から去っている。アルジェリアでは彼女の方が有名で、ジャミラの夫とされるのに辟易したのではないかと言っている人もいたが、真実はわからない。
これまでに弁護した人は右から左までのいわく付きの人が多い。私が聞いたことのある人では、「リヨンの屠殺屋」と言われたナチのゲシュタポ、クラウス・バルビー(Klaus Barbie)、国際テロリストのカルロス(Carlos the Jackal)。その他、シャンゼリゼでのテロに関わった3人の弁護も行っており、セルビアのミロシェヴィッチの弁護も申し出たが断られている。毛沢東にも会い、ポルポトとの関係も囁かれている。
カルロスの妻であったドイツ人女性(Magdalena Kopp)が爆弾テロで捕まるが、この時ヴェルジェスが彼女に差し入れをしている。当時一緒にいた女性によると、差し入れするものを買いに行かされ、面会時間も長いので気に入らなかったが(私は単なる運転手か?!)、ヴェルジェスは彼女のことを気に入っていたのだ、と断言し、最初の妻にも見られる向こう見ずな勇敢さのある女性に惹かれるのだと結論している。この女性は英語で話していたが、勇敢な女性は "téméraire" と訳されていた。それに答えるように彼のために獄中で編んだセーターをその女性が示すシーンがあった。
彼のことを長年追っているジャーナリストによると、彼は怒りの中で生まれ、偶然弁護士をやっているに過ぎないと評している。つまり、その怒りを解決することが第一で、弁護士が最も有効だと考えただけということになるのだろうか。自信満々で、時に挑発的でもあり、少し人を食ったようなところもある。先日の写真には穏やかさが見られ、好々爺かなと思っていた。しかし、このフィルムが撮影されたのは何歳の時かわからないが、その物言いには依然として決然としたものが漂っている。先日の写真を見直してみたが、その中にある "serial plaideur" (連続訴訟人)の意味が非常に重く映る。
これまで観光地としてマグレバンを見ていたが、そこに隠れていた生々しい歴史の一部が顔を出してきた。このフィルムを見ながら、もう少し細かいところがわかるようになるとよいのだが、と感じていた。まだまだである。ただ、この中にはいろいろなフランス語を話す人が出てくるので、興味深く眺めていた。
ところで、このドキュメンタリーは、日本では話題になったのだろうか。
vendredi 2 octobre 2015
このブログを読み直し始めて感じていること。
一つは当然なのだろうが、その記憶がすぐ横にあるものと、暫くして浮かび上がってくるものがあること。そして、いずれの場合も読み直しているうちに、書かれ ていることが今ここの出来事に変わっていくことだ。過去に現在の視点が加わることで、一つの体験に複雑な陰影が加わり、新たな経験として記憶に残っていくように感じる。特に、このブログの記事はほぼ毎日書いているだけではなく、この時期はこちらの世界を体験することに追われていたようなところがあるため、振り返る余裕がなかった。その意味では、今のような時が訪れたことには大きな意味があるだろう。
この記事にあるマグレバンには未だ足を踏み入れていない。その時は訪れるのだろうか。
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