dimanche 4 octobre 2015

マスター2年目の初日は盛りだくさん La première journée de Master 2

2 octobre 2008

 

今日は朝9時からM2最初のクールがあるのでENSまで出かけた。まだM2になっているのかどうかわからなかったのだが。メンデルが遺伝の法則を明らかにした1865年の歴史的なドイツ語で書かれた論文の仏訳(Recherches sur des hybrides végétaux)を読みながら、いろいろ想いを巡らせていた。

修道院の僧侶が庭に作った菜園で、5-10年という今では考えられない時間をかけて研究を重ねていた。論文の語り口に人間臭さが出ており、機械的で無機質な現代の科学論文とは大きく異なっていて興味深い。それと確率や統計の手法がしっかりと使われ、その結果を説明するための様式が込み入っているので、当時そちらの素養がない人はついていけなかっただろう。発表時には全く注目されなかった理由もわかろうというものだ。ご存知のように、35年後の1900年にドイツ、オランダ、オーストリアの3人の学者がメンデルの仕事を再発見するまでは埋もれた論文であった。それにしても、歴史に残る仕事というのはしっかりしている。改めて感じ入る。

これまでの私の中でのメンデルのイメージは本当に漠としたものに過ぎず、ブルノ Brno という町の修道院で一生を送った修道僧がよくぞこのようなことをやる気になり、それが大発見にまでつながったものだ、という程度の恥ずかしいものであった。しかし、今日のクールを聞きながら、目が開かされていた。当時の修道僧の仕事は研究と教育であることを知る。彼は修道院の中に閉じこもり、埋もれていたわけではなく、行動し、移動し、活発に活動していたことを知る。

ブルノの町もウイーンから100キロ程度しか離れていないので、文化的に隔離されていたわけでもなかった。実際、彼はそのウィーンに出て、植物学、昆虫学、物理学(ドップラー効果で有名なドップラーの講義を受けている)を修め、細胞学説の大病理学者ウィルヒョーの話も聞いていたという。科学者としての基礎をしっかりと身に付けていたことがわかる。論文を読んでいると、法則を見出そうとして目の前で起こっていることをただただ正確に記録し、その結果を説明しようとしている様が伝わってくる。そこには邪心が全くないかのようでもある。

このような歴史を知ることに一体どのような意味があるのだろうか。私の場合には、例えば今日のクールが終った後、非常に落ち着いた気分になっていた。それを知らない時とは確かに違う落ち着きである。なぜかはわからないが、自らの現在が過去とのつながりの中にあることを確認できたということだろうか。自らの根の一部に触れたということだろうか。

これまでは無意識のうちに、家の、土地の、国の、そして学問の歴史を無視してきたところがある。そして光り輝いて見える現在に生き、歴史はこれから始ると考えていたのだ。振り返ると、それはアメリカで芽生え、私の中に根を張って行った。その目から見ると、歴史を抱えながらゆっくりと歩んでいるかに見えるヨーロッパは暗く、くすんで見えたのである。そこまで徹底した視点になっていた。そして、おそらくその徹底さ故に、数年前に飛び込んできた意味を探りたいという欲求は、当然のようにヨーロッパの歴史へと同じ徹底さをもって私を導くことになったのだろう。


午後に害虫駆除の処理をするというので、一旦アパルトマンに帰ることにした。担当者が入ってきた時にクラシックが流れていたので、彼はオーケストラやオペラは好きかと聞いてきた。その問に肯定で答えると、さらにロベルト・アラーニャを知っているかと問を続けた。もちろん(下の記事参照)、と答えると、ロベルト・アラーニャは私の従兄弟だと言って、携帯に入った一緒に撮った写真とアラーニャが彼の家で歌っている動画を見せてくれた。本当に世界は狭いものである。それにしてもイタリアの血は陽気で、人生を謳歌しているように見える。

ロベルト・アラーニャ ROBERTO ALAGNA (2007-01-18)


夕方、M2の合格者の発表が大学であるというので出かける。壁に張られた紙には、幸いにも私の名前があり、その横に admis と書かれてあった。これで2年目としてさらに研究が続けられることになった。そして直ちに2時間に及ぶプログラムの説明会が始った。Paris 1では大体20数名がこのプログラムに入るようである。このプログラムはParis 4、Paris 7、ENSとの共同なので、全体で80人前後ということになるのだろうか。

M1の時とは違い、会の初めにM2でのプロジェについても触れながら自己紹介するようにとの指示があった。その中でM1と比べ学生の多様性が増していることがわかった。例えば、大学を終えた先生や学校の先生を途中で辞めた人、年配のお医者さんがいたりするので、私もほとんど普通の学生の範疇に入るようになった。M1で一緒だったのは一人だけになっている。それぞれが別の道に進んだのだろう。それから当然のことながら、専門色が強くなっている。必須のクールが二つに減り、プログラム途中にそれぞれの研究についてエクスポゼが課せられ、最後のメモワールはM1の2倍の100ページと決められている。そして先日あったばかりのsoutenanceを通過して終わりとなる。研究職の前段階という色合いが濃くなっているようだ。来週から本格始動する2年目が一体どのようなものになるのか、今は予想もできない。ただはっきり言えるのは、私のような背景の者はM1から始めて正解だったということだろう。あの苦しみの中で大量の髪を失いながらもM2に向けての準備運動をさせられていたように感じるからである。



今朝、ENSに向かう道すがら撮っておいた写真が冒頭にあるもので、そこには馬が彫られていた。そのことはすっかり忘れていたが、帰りにメトロでこの写真が目に飛び込んできた。しかもその中のコピーに 「歴史の中に入るために」 という言葉が見える。



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dimanche 4 octobre 2015


いよいよ新学期が始まるという緊張感が伝わって来た。

メンデルのお話も印象深いものがあった。このような歴史のお話は科学の「今、現場」というところには直接関係はないかもしれないが、科学者の教養とも言えるベースになるだろう。わたしの場合、心が落ち着く効果があったと書いてある。それ以後も同様の経験をしているが、それはものを考える上で重要な効果を齎してくれることがある。考えるためにはこのような作業は必須だということである。

害虫駆除は毎年恒例だが、今年は1週間前に来たところだ。これも大袈裟に言えば歴史である。ああ、7年前も今頃だったのかということを確認するだけで心が落ち着く、腑に落ちるという感覚が生まれる。それは茫洋とした中に在るわれわれを一つの繋がりの中に置いてくれるからなのだろうか。




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