jeudi 1 octobre 2015

フランス式とマニュアル、そして "L'Esprit nomade" de Kenneth White

27 septembre 2008



こちらの大学1年目は、ミニメモワールに始まりメモワールで終る課題の処理をどうすればよいのか、これに頭を悩ませているうちに終わりを迎えた。これまでにこの道を来た学生さんであれば、その継続ということになるのだろうが、私の場合には本当に困った。アメリカの大学のサイトに行くと、事細かくマニュアルが出ている。真剣に探したわけではないが、フランスの場合にはこの手のマニュアルは目に触れなかった。もちろん様式の指示はきっちりとされているが、、。ただ、実際に提出されているものを見ると、結構ばらばらであった。

つい最近アメリカから届いたメールにあった広告サイトに入ってみると、レポートの詳しい書き方が出ていた。テーマの選び方から考え方、論文の探し方から読み方、・・・延々と続く。それを細かく指示できることがよき教育だという考えが染み付いているようにも見える。確かに、読んでいると頭はすっきりするように感じる。しかし、私にとってはあの闇の中をもがくように歩んだ経験が何ものにも替え難いものに感じられる。この間の経験がその苦しみの故か体にしっかりと残っている。これこそ大学教育だ、と思えてしようがない。

全く枠組みのないところから、自らの頭でその枠組みやどのように進めるのかを考えていくところにこそ、大きな意味と面白みがあるのではないだろうか。ただ今のグローバル化の時代では、学生さんにやり方をわかりやすく示さなければ評価されないことになっている。無駄なことにエネルギーを使わないで、短い時間で最大の効果を、という思想がそこにあるのだろうか。当然の帰結としてフランス式のやり方は評価が低くなるだろう。個人的な経験から言わせていただければ、最初から最後まで自分に頼らざるを得ない(大人として扱っているように見える)こちらのシステムは素晴らしい(=私のスタイルには合っている)ように思えるのだが、、、




今日も午後から外に出た。3時間ほどカフェで時間を過ごした後、すぐに帰ろうとしたが道を間違えたようで、そのままパリ市内の観光をして帰ってきた。途中、本屋に入ると Kenneth Whiteという人の L'Esprit nomade (Grasset, 1987) が目に入ってきたので少し立ち読みする。つい最近 Paris 2 近くの本屋で出会ったミシェル・オンフレ Michel Onfray のThéorie du voyageともつながりそうな雰囲気を持っていたので手に入れることにした。帰って調べると著者はグラスゴー生まれの詩人で、今年72歳。 フランスに惹かれているようで、60年代にブルターニュ地方に住んでいた。

さらに歩くとオペラ近辺に出てきた。ラーメン屋が目に入ったのでそこで遅い昼食を取ることにした。左の客が帰った後、周りを見渡しながら紙袋を持って入ってきた男がその席に坐り、残ったラーメンを食べている。それに気付いた店員が厳しく追い出していた。



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1er octobre 2015


マニュアルのない世界の良さについては、これまでいろいろなところに書き、話したりしている。そこにこそ、人間が生き生きと立ち上がる秘訣があるのではないか。それを強く感じるのは、マニュアル社会に変貌している日本に帰った時だ。人間が機械に見えるのである。こちらではごく普通にあるその個人が出るような会話は望むべくもない。個人の上に膜がかかっているのである。それが日本社会を効率的に回す秘訣になっているのだろうか。

実は、これまでテーズの纏めをやっていた。そして最後になり、アメリカの大学のテーズのまとめ方を見て驚いた。やはり、微に入り細に入った注意点が並んでいる。それを読むと参考になるところもあった。ただ、それははっきりと言葉にはならないものの自分も注意してきたことのように見える。ただ、最初からあのような言葉として提示されると、その意味するところを身に付けるところまで行かないのではないか。言葉の上でのことになってしまう危険性があるのだ。
こちらの何もしない時間を多く持つ生活の中で、言葉をどのように捉えるのかについての見方が変わった。より正確には、見方が体に乗り移ってきたとでも言うのだろうか。言葉が記号に堕しているというようなことが言われる。その時、その言葉を使っている人が言葉に内包された意味、それは歴史にも繋がるのだろうが、そこまでに思いを致すことなく言葉を発している状態を言っているのだろう。

この違いが体で分かるようになったのは、こちらの時間のお蔭だと思っている。言葉に思いを致した時間がどれだけあったのかによって、その言葉が人に届くかどうかが決まってくるようにも感じている。






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