22 octobre 2008
クールが本格的になってきた。M2のクール数は半分になっているが、一つひとつの密度が濃くなってきている。自らがそこに参加する機会が増えている。それ故大変だが、それだけ面白そうだ。こちらのシステムに次第に組み込まれていくという印象がある。こちらに来る前にフランスのL氏からいただいた言葉の中に、「単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っている」 という一節があり心を動かされたが、今まさにその実行を始めているという思いが生まれている。
ところでこのような歩みの中、新学期が始る前にこれからの1年をぼんやり考えることがあった。その時の印象は1年は何と短かく、こんな時間で一体何ができるのだろうというものであった。手帳のカレンダーを眺めていると、昨年のことを考えてもあっという間である。しかし、クールが本格的になってくるとその印象が変わってきた。今まで上から見ていた視点が下に降りてきて、1年先が全く見えない状態になってきた。丁度、新天地に来て慣れ始めた時に感じた視点の移動と同じ感覚である。再び地に足をつけて歩むことができるようになったということだろう。そうすると時の流れを自らに引き付けている、あるいはその中にどっぷり浸かっているように感じてくる。今まで流れ去るままに眺めていた時間が自分のところに還ってきたと言ってもよいだろう。そうすると、これから先いろいろなことが起こり、どのようなことになるのかわからない、さらに言うと変わりうる機会が増えてくることがわかってくる。その期待感こそ充実した時間をもたらしてくれるのだろう。どうも変わりたいと強く思っているようだ。
先日メモワールとしてどんなものを書いたのかを知ってもらうために出来上がったものをK先生に送ったが、その礼状が届いていた。この夏のバカンスで30年ぶりにお会いしたのを機会に手紙が数回往復するようになっている。今回先生が学生時代にフランス語を勉強していたことを知り驚いた。研究者になってからフランスの論文を読んで以来使っていなかった辞書を取り出して、私の拙い論文を読み始めているという。最初の方の要約が添えられ、これで問題がないかとのことであったが、正確に内容が把握されてまだ錆び付いていないようである。そして、現役の時代には電磁波の研究をされていて、その研究班を作ったり全国を講演して回られたようである。その時に出る質問の中で最も多かったのが、電磁波は健康に影響するのかというもので、それ以来健康とか病気、病理などについて疑問を持つようになったので、これから先を読むのが楽しみであると書かれてあった。修士の書いたものをここまで真剣に読んでもらっていると思うとありがたく感じると同時に、このテーマについてディスカッションをお願いしたいという気にもなっている。
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jeudi 22 octobre 2015
1年のカリキュラムを見て、その短さで一体何が学べるのかと思ったとある。このことは、つい数日前にある方との会話の中で語ったばかりであった。前期と言っても日本の語学学校の一期3か月程度の長さしかない。そこで何かできるのかと思ったのである。しかし、振り返ってみると、日本の場合、仕事の空き時間でやっているという感覚があるが、こちらの場合はそれを中心に回っているところが大きな違いになる。それにしても短い時間であるが、そこには想像しなかったものが詰まっている。この記事にもあるが、視点が下がってきてその中に包まれるという感覚が生まれてくるので受け取るものが大きく感じられるようになるのである。
ドクターに移る手続きの際、事務官にこれまでどこでマスターの教育を受けて来ましたか?という質問を受けた。その時初めて、わたしはそれまでの2年間、フランスの大学でフランス式の哲学の教育を受けていたのだということに気付いたのである。マスターの2年がなければわたしのフランス留学は殆ど意味を持たなかったのではないか、あるいは全く違うものになっていたとさえ思われるくらいである。今では苦しかったマスターの時期が何ものにも代えがたい貴重なものに見え、その感は年々深まっている。
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