lundi 19 octobre 2015

科学の会議で哲学: 初の試みの準備始める

19 octobre 2008


あと2週間ほどすると、日本である国際カンファランスに出席のために帰国することになる。科学の会議なのだが、哲学の視点から話ができないかと考えて異色の抄録を送ったところオーガナイザーのM氏から時間を与えられた。科学の根にある哲学のことを知っているのと知らないのとの差は目に見える形で表れるかどうかはわからない。しかし、科学の文化に属するところで深く静かに効いてきそうな気がしている。主観的にも意外に大きいのではないのか、というのがこれまでの経験からの結論である。現役の時にそのような目を持っていれば科学をする上でよい影響が出ていたのではないか、より深く科学を理解することができたのではないかと感じることが多くなっている。その点について是非話しておきたいという願望が私の中に生まれているようだ。このようなことは海外の学会でも非常に珍しいし、ましてや日本では皆無ではないだろうか。オーガナイザーの判断に敬意を表したい。

ところでどのように話をまとめればよいのだろうか。純粋に哲学的になってしまうと聞いている人は全く興味を示さないだろう。科学とどのように関連をつけて話をするのがよいのか。そろそろ本格的に準備をしなければならないと思い、今日の早いうちはバルコンで、午後には散策ついでに近くのカフェまで行き、資料を読みながら瞑想していた。この営みが出発まで続くだろう。日本人だけの場合には、個人的な経過を交えながら哲学的要素について大雑把に話してから科学との関連へと入っていくことになるのだろう。問題は外国の方である。(科学)哲学についての了解がどの程度なのか、全く想像がつかないのが頭痛の種である。ただ、最近哲学者と科学者の共著論文が一流と言われる科学雑誌に出ていたのを目にしたので、少し状況が変わってきているのではないかという気もしている。いずれにしても私にとっては初めての試みになる。もちろん聞いている方も初めての経験になるだろう。そんな話を聞いて何になるという反応になるのか、少しはためになったということになるのか。今の心境としては、これからにつながるような話ができるように全力を尽くすしかなさそうである。



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lundi 19 octobre 2015
 

こちらに来てすぐの頃は、新しい領域に触れ、これまでわたしが知らなかったことは他の科学者もおそらく知らないのではないかという思い込みのためか、強く知 らせたいという思いに溢れていた。その気持ちは数年に亘って続いたのではないだろうか。この時がその最初の発表だった。

後に関連記事があるかもしれないが、わたしの発表に対してベルギーの方が激しく反応したことを思い出す。科学者はそんなことを考える暇などなく研究に追われている、それができるのはダーウィンのような生活に余裕のある科学者だけだというものだった。確かに、最初に生活があり、その後に哲学というのが古代からの見方である。いつの時代にも変わらないことなのかもしれない、と最近では達観するようになっている。







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