lundi 31 août 2015

ゲーテの思想 Memento vivere

31 août 2008

"Penser et agir, agir et penser, c'est la somme de toute sagesse [...]. L'un et l'autre doivent éternellement alterner leur effet dans la vie comme l'aspiration et l'expiration. Il faut soumettre l'action à l'épreuve de la pensée et la pensée à l'épreuve de l'action."
Goethe, Les Années de voyage

「考えることと行うこと、行うことと考えること、それこそすべての智慧の総和だ。・・・人生において呼気と吸気のように、この両者が絶えることなくその効果を交換しなければならない。行動を思索の試練にかけ、思索を行動の試練に曝さなければならないのだ」
ゲーテ 『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』
哲学的生活(la vie philosophique)とは、書き語るだけの生活ではない。そこに行動がなければならない。ゲーテの思想に霊感を与えた直感は、真実は休むことなく 生き生きと行動することであるというものであった。ファウストに語らせたように、 "Au commencement était l'Action" (初めに行動ありき)であった。その底には、「生きることを忘れるなかれ」 "Memento vivere" が色濃く表れている。人生を味わうことを忘れるなかれ。その悦びを味わい尽くすこと。愛の悦び、食卓の悦びを。しかしそれは同時に、自らの存在に、心身の 素晴らしい活動の中に悦びを見出すことを意味しているだろう。

   (ピエール・アドー Pierre Hadot さんの解説を参考に)

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2年ほど前にハンモックで取り上げた植物学者、橋本梧郎さんがブラジルで亡くなったことを知る。享年95。21歳で南米に渡り、彼の地の植物の採集に命を懸けている生活が10年ほど前にNHK-TVの特集で取り上げられ、強い印象を残した。







dimanche 30 août 2015

パリ生活1年に想う

30 août 2008


まだ時差ぼけのようだ。思い起こせば、昨年の今日、パリに着いて安ホテルのコンシェルジュの言葉に疲れを癒されたことや涼しいパリの秋を味わいながらカフェでスピノザについてまとめていたことを思い出す。あれから1年。早いようだが、中味はぎっしり詰まった1年だった。始める前は、この長さは日本で通っていた語学学校で言えば春季+秋季+冬季に当るので、こんな時間で一体何ができるのかと疑問に思っていた。しかし、実際に始めてみると意外にいろいろなことがあり、自分の 見方も変わってきているように思う。これまで使われていなかった脳の部分が揉み解されているように感じる。その部分とこれまで使ってきた部分が予想もしな いような結びつきをしてくれれば素晴らしいのだが、などと夢想している。

想えば、昨年の9月。来る前には考えてもいなかった目の前に見える高い壁。この程度の蓄えで、その壁を乗り越えることができるのか。しかし乗り越えなければならない。本当に手探りで進んでいった。必死にやっていたよう だ。アパルトマンの床に散らばっている本を眺めてみたが、こんなものまで買っていたのかというものが多く、この間の必死さが伝わってくる。今終ったばかり で何ともいえないが、将来平和な時間が訪れた時、この一年はどのように映るのだろうか。あるいは、先日瀬戸内寂聴氏の講演を聴いたというN氏から聞いた 「休むことができるのはあの世に行ってからですよ」ということになるのだろうか。

昨日、カフェで手帳のカレンダーを眺めながらこれからの 1年をぼんやりと想っていたが、そこにある1年は本当に短いという印象だった。しかし、実際に大学生活を始めると結構なことが起こり、これまでの1年とは違う抵抗感が訪れるのだろう。そして、もしこの秋から1年目を始めると考えただけでウンザリしていた。やはり事を始めるのは去年でなければならなかった、と自ら納得していた。








samedi 29 août 2015

メモワール初稿完成 La première version de M1 mémoire

29 août 2008


6月にヴァカンスに入ってから考えない日はなかった人生最初のメモワールが今朝完成した。ただ、感動はほとんど感じなかった。最初にミニメモワールを書き終えた時の興奮を懐かしく思い出しているが、もう実感できない。今が最高でなければならないという持論がここから出てくる。過去の栄光など(もちろん、あったとしての話だが)何の意味もないことが、こういう時に体感できるからだ。

これまでにも観察していることだが、最後のまとまりを見せる時はあっという間に訪れる。今朝は時差ぼけで5時前に目が覚め、しばらくしてから始めたが、2時間くらいのうちに一気に終えることができた。このペースを日常的に維持できれば素晴らしいのだが、如何せん修士の学生。それにしても苦しい夏休みであった。早く仕上げて創造的なヴァカンスを、などと当初考えて いたが、何のことはない、平々凡々と読み、書こうとしていた日常であった。

今回の初体験はいろいろなことを教えてくれた。まず、蓄えもな いのに高望みしないこと。これが一番大きな教訓だろう。6月の段階ではかなり大きな構想を描き、それに合わせて読んでいこうとしたが、そう簡単にできるこ とではなかった。重要なことは、大枠を決めたところで些細なことでもよいから書き始めることだろう。それを元に広げ、深めるというやり方のほうが自分には合っているようだ。最初から大きなことが自分の中で熟するのを待ってから書こうとすると、経験がないこともありそういう時がなかなか訪れない。結局時間に追われることになる。今回がその例だろう。

それにしてもブロックを積み上げるようにして40-50ページにもなろうかというフランス語の文章を書いていることが、未だに信じられない。自分ではないようにも感じる。こういうアーティザナルな作業の結果だろうか、以前よりは動詞の活用、性変化、アクサンの位置などの構造上の異常に目が行くようになり、これはどこかおかしいという感覚が自然に生れるようになっている。前期のミニメモワールにつ いて指導教授と話した中では、このような点には意外にあっさりと触れるだけで(もちろん重要なのだろうが)、むしろテーマの質や論理の流れに重きを置いて いるように感じた。今回はどのようなことになるのだろうか。時間は余りないが、いつも目を開かされるディスカッションを楽しみにしている。


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29 août 2015

マスター1年目での経験がドクターに入ってから全く生かされていなかったことが分かる

結局、テーズにおいても最後まで苦しむことになり、現在に至っている











mardi 11 août 2015

お知らせ



再開したこのブログですが、古いサイトに現在からのコメントを加えることで用が足りることが判明

これまでかなり暇な時を過ごしていたようです

これからは、元のサイトを読み直しながら、適宜感想を書き添えることにいたします

こちらをご覧いただければ幸いです



よろしくお願いいたします




jeudi 6 août 2015

精神の屈伸運動を Changer d'état d'esprit

6 août 2008

昨日は川向こうの森を見て、もう秋が始っているのかと驚いた。少し離れてみると、すでに8月に入っている。今年に入ってもう8ヶ月も流れていたことに驚 く。振り返ると、年が明けてからは何かをまとめなければならないという精神状態でずーっと来ていて、今もその状態にある。自分の中ではその状態で時間が止まっていたかのようだ。少し精神の屈伸運動が必要だろう。早くそれができるところまで行きたいのだが、、、

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ネットで新聞を読む。リービ英雄と芥川賞を取った楊逸さんの対談が目に入った。
その中に楊さんの次の言葉があった。

「私の場合、日本語がわかるようになったことで頭の中に窓が開いた感じで、新しい風景が見えてきた」

よく言われることだが、これこそ外国語を学ぶ醍醐味だろう。
本当に新しい風景が見えるから素晴らしい。

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朝早かったのでバルコンに出てみた。
地平は赤く、雲ひとつない空は白んでいる。
その赤が次第に褪せ、空が青みを帯びてくる。
その空を行く飛行機が今日はミズスマシに見える。
鳥の声が聞こえてきた。
去年の秋、朝8時から始るラテン語のクールに出かけた時のことが蘇ってきた。

外国語がわかるようになると新しい風景が見えるという。
言葉の違う人は、目の前の同じものを全く違う像として結んでいる。
現実など、存在しないことがわかる。
同じ言葉を話す人でもその像は違うはずだ。が、そこには枠があるのだろう。
違う言葉を学ぶということは、ものを見る新たなレンズを手に入れることを意味している。
ものごとがいろいろな角度から見え始め、現実により近づくようになるはずだ。
夢の世界も変わってくるだろう。

しかし残念ながら、この贅沢はただでは手に入らない。
何年にも亘る積み重ねの後、その贅沢があることに初めて気付くことになるのだ。
バベルの塔ができる前は、さぞ詰まらない世界だったに違いない。

太陽が昇ってきた。
その光を手で遮ると、無数の虫たちが木々の合間を飛び交っているのが見えてきた。
朝のちょっとした驚き。






mercredi 5 août 2015

カミュ: オランへのオマージュ "The Minotaur or the stop in Oran" by Albert Camus

5 août 2008


今日セーヌに行き対岸の森を見ると、先端が丸くなった円筒形の木々の半分くらいは茶褐色に変わっていて驚く。もう秋が来ているということだろうか。

アルベール・カミュの The Myth of Sisyphus の中から、後ろ方にあった短いエッセイを読む。"The Minotaur, or the stop in Oran" というアルジェリアの町オランへのオマージュだ。マグレバンには以前から興味を持っているが、カミュの筆になる1939年の印象もその心を擽ってくれる。
"In order to understand the world, one has to turn away from it on occasion; in order to serve men better, one has to hold them at a distance for a time."

(世界を理解しようとしたら、時にそこから離れなければ駄目だ。人によく奉仕しようとしたら、時には彼らから距離を置かなければならない)
"From Amsterdam, Descartes writes to the aged Guez de Balzac: 'I go out walking every day amidst the confusion of a great crowd, with as much freedom and tranquillity as you could do on your garden paths."

(アムステルダムからデカルトは年老いたグエス・ド・バルザックにこう書いている。「私は毎日人ごみの混沌の中に歩き出す。あなたが庭を歩く時に得られるのと同じくらいの自由と静寂を味わいながら」)
20年もの間オランダに隠れていたデカルトの心が見えるようだ。オランはとにかく何もないところ、退屈なところ。砂漠、空、断崖。そんな町の何がよいのか?
"But can one be moved by a city where nothing attracts the mind, where the very ugliness is anonymous, where the past is reduced to nothing? Emptiness, boredom, an indifferent sky, what are the charms of such places? Doubtless solitude and, perhaps, the human creature. For a certain race of men, wherever the human creature is beautiful is a better native land. Oran is one of its thousand capitals."

(心を惹きつける何ものもない、その醜さに名前もない、そして過去が無に帰しているそんな町に感動することがあるだろうか。空虚、倦怠、そして無関心な空。そ んなところの魅力は何だ?それは疑うこともできない孤独、そしておそらく人間という存在。ある人種にとって、その存在が美しいのは生まれながらの土地であ る。オランはそういう数ある首都の一つだ)
「オランの通りでデカルトやチェーザレ・ボルジア(Cesare Borgia ; César Borgia)に会うかと思ったこともあった。しかし、その機会は巡ってこなかった」 という件も嬉しさを呼んだ。早速 Google Earthで散策してみたが、マグレバンには是非行ってみたいという思いが益々強くなっていた。もはや70年前の面影はないだろうが、、、





lundi 3 août 2015

静かな週末、あるいは最後の授業 The Last Lecture by Randy Pausch


3 août 2008

この前の記事に書いた「死を意識して生きる」ということについてもう少し付け加えたい。先日、「最後の授業」で有名になったランディ・パウシュ Randy Pausch (October 23, 1960 – July 25, 2008) というアメリカのカーネギー・メロン大学教授が最近亡くなったことを知った。パウシュ氏のことはこのニュースがあるまで知らなかったので、早速YouTubeでその様子を見てみた。それを観ている時にも彼の生き方は今の私と余り変わらないのではないかという想いが浮かんでいた。もちろん、そこには切実さの違いがあり、それが大きいのだが、、。ひょっとすると前の記事にはその想いも重なっていたのかもしれない。




今週末は日中は曇っていて、たまに小雨も降り涼しいが、夕方には晴れてくれる。

ヴァカンスのためか町は静かである。

近くのプレスでサン・テグジュペリの "Vol du nuit" が目に入る。

ページを開くとアンドレ・ジードが紹介文を書いているので買ってしまった。

早速、カフェでジードの言葉だけ読んできた。