dimanche 9 mars 2008

どこか危険なもの



国際女性デーの昨日は、2年ほど前に初めてお会いした方と何ヶ月ぶりかのディネとなった。鄙びたセーヌを望む (と言っても暗くてよく見えないのだが) レストランで、気がつくと5時間にも及ぼうかという時間が経過していた。前回もそうだったが、この方と話しているとなぜか時間の流れが消えるようである。今回は私の生き方 (私という人間) が完全に日本の枠組みの外にある、あるいは少しずれているとはっきり指摘していただいた。もう少し詳しく説明していただくと、こういうことらしい。普通はベルの形をした正規分布を意識し、できるだけその中央に入ろうとするのだが、その正規分布を意識している気配さえ感じられないというのだ。まともだと思っているのはどうも本人だけらしいということがわかりつつある。ここ数年薄々感じていたようだが、こうもはっきり断言されるとそうなのかと思うしかない。同時にそれは、私の中に全く別の正規分布が存在していることの裏返しかもしれない。

こう書きながら思い出したことがある。それは、学生時代から卒業後しばらくの間にかけて父親が口を酸っぱくして言っていた、簡単に言ってしまえば、お前のようにやっていては日本では生きていけないよ、というものだ。なぜそうなのかをいくら言われても理解できなかった。今よりももっと理論的に考えていたはずなので、そこにはそうだからそうなのだ、という程度の理屈しかなかったのではないかと思うが、、。日本社会の中でしっかり生きた父親が私の中に見ていたどこか危険なものの正体はわからないが、振り返るとそれは私のなかでは生きる上でのモーターのようなものではなかったのだろうか。そして、そのモーターが非常に貴重なものに思えてくるこの日曜の朝である。

今日は予想もしないところに落ち着いてしまった。



samedi 8 mars 2008

国際女性デー Jounée internationale des femmes




今日3月8日は国際女性デーである。今週初めからパンテオンにこの景色が現れ、今回初めてこの日のことを知った。外に出ている一つの効果だろうか、日本では関心が薄くなる傾向があるように感じている。



ちなみに、ここに掲げられている人は以下のような方々である。拡大していただければわかるのだが、私自身も知らない方がいるので書き出してみたい。こちらにそれぞれの紹介がまとめられている。

中央にシモーヌ・ド・ボーヴォワール
上段左から、シャルロット・デルボ、ソリチュード、オランプ・ド・グージュマリー・キュリー
下段左から、コレット、マリア・ドゥレスメ (?)、ジョルジュ・サンド、ルイーズ・ミシェル

Simone de Beauvoir (9 janvier 1908 - 14 avril 1986)
 このポスターでは « On ne naît pas femme : on le devient » 「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」 が引用されている。モンパルナス墓地にサルトルとともに眠る。

Charlotte Delbo (10 août 1913 - 1er mars 1985) 
 レジスタンスに参加、アウシュビッツを経験したフランスの作家。

Solitude (1772? - 1802)    
 グアダループに奴隷の娘として生まれた。1794年に奴隷制が廃止され自由の身を信じる。しかし、ナポレオン一世が1802年から奴隷制を再び掲げ、自由のままであることを望んでいたグアダループへ軍を派遣。彼女は身重でありながら最後まで身を挺して戦い、お産の翌日絞首される。

Olympe de Gouges (7 mai 1748 - 3 novembre 1793)
 フランスの作家、女優、フェミニズム運動の先駆者。
 
Marie Curie (7 novembre 1867 - 4 juillet 1934)                                 

Colette (28 janvier 1873 - 3 août 1954) 
 性の解放を掲げ、自らも華麗な人生を送った。
   
Maria Deraismes (17 août 1828 - 6 février 1894) 
 フランスのフェミニストにして作家。初めてのフリーメーソン女性会員。
       
Georges Sand (1er juillet 1804 - 8 juin 1876)  

Louise Michel (29 mai 1830 - 9 janvier 1905) 
 パリコミューンの中心人物で、アナーキスト。昨年春にモンマルトルを散策中に彼女の広場を見つける。






vendredi 7 mars 2008

Mini-mémoires


Yves Farge (1899-1953) et Frédéric Joliot-Curie (1900-1958)


ミニ・メモワールについては、これまで何度も触れてきた。私の前に立ちはだかっている険しい山のように見えていたからである。私が書いたものは以下の4つとマスター1年目のメモワールの中間報告の5つになる。

"L'idée de Canguilhem et la médecine contemporaine"
 「カンギレムの概念と現代医学」

"Explication et la tâche du philosophe dans la science"
 「説明するということ、ならびに科学における哲学者の使命」

"'Qu'est-ce que la vie ?' de Schrödinger et l'approche transdisciplinaire"
 「シュレディンガーの 『生命とは何か』 と超学際的アプローチ」
 (この場合の transdisciplinaire とは、いわゆる学際的 interdisciplinaire とは少し違い、それぞれの専門性を超えて新しいものを創り出すという意味合いが強い)

"Expliquer la fonction immunologique"
 「免疫の機能を説明する」


日仏会議から帰ると大学の担当秘書さんから、ある先生がまだ成績を送ってきていないので私の方からも連絡してみてくれないかというメールが入っていた。丁度翌日クールがあったので話してみようと思っていたところ、中休みに先生の方からまだメモワールが届いていないのですが、と丁重に話しかけてきてくれた。数週間前に送っているはずなのだが、どこかで手違いがあった可能性が高い。再度送った後にすぐに連絡が入ったようだ。また、それとは別に中間報告の結果が届いていないというので昨日大学に確かめに行ったところ、こちらは9月に再度成績をもらうことで落ち着いた。

その時に久しぶりにオフィスがある方に足を運んだところ、何と廊下の壁にリサンスからマスターに至るまでの学生の成績が貼られていることに気付く。こんなことは高校時代にあったような気もするが、それ以来である。私のところを見てみたところ、def (おそらく、まだ結果が入っていないという défaillant の略だろうか) とされているもの以外は7割を超える高い成績が付けられていた。フランス語の語法も含めて中学生の感想文くらいにしか思っていなかったので、心底驚いてしまった。この道の専門家にとりあえずマスター1年目としては理解されたようで、ほっとしたというのが正直なところである。時間を掛けていろいろなものを参考にし、考えながら書き進むメモワール形式だったのでよかったのだろうが、これが例えば2時間の筆記試験とか口頭試問になると想像するだに恐ろしくなってくる。それがこれから待っていることになる。



jeudi 6 mars 2008

修道院生活で



日仏会議の初日が終わり、雨の中、他の方は農場が宿になっていたのになぜか私だけが中世の Abbaye に戻ってくる。その時、現世から精神生活に戻って行くような感覚が襲う。夕食の時、隣になった日本の方から 「日本の方ですか」 と問いかけられ、いつものように不思議な感覚が襲う。これらの感覚の中で、今の生活がどこかに属しているというのではなく、もはや精神だけの生活になっているのではないか、という想いが浮かぶ。まさに、今回のような会に出かけ、以前から知っている人に会うと、どこか現世に戻ったような気分になるから不思議だ。

この生き方は、以前ハンモックでも触れた古代・中世の専門家にして御年87歳の哲学者のリュシアン・ジェルファニョンさん (Lucien Jerphagnon, 1921- ) の生き方に近いものがあるような気がしてくる。今、ハンモックの関連記事を読み直してみたところ、普段は過去の中に身を潜め、用事のある時だけ現世に戻ってくるという彼の生き方に憧れを持っていた節もある。ひょっとすると、その時の気持ちのままに歩みを始めているということなのかもしれない。中世の修道院の夜、そんなことを考えていた。


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(12 février 2012)

ジェルファニヨンさんは、2011年9月に90歳で亡くなられた。

今回この記事を読み直し、今まさにジェルファニヨンさんの生き方の中にいることを感じる日々が続いている。




mercredi 5 mars 2008

英語を話そうとして



今回の会議である戸惑いを感じていた。フランス語を始めた当初は、いくらフランス語で話そうとしても英語が出てきて困った記憶がある。その時に、頭の中では日本語を話すところと外国語を話すところは別なのだと感じたものである。外国語を話す時には全く違うところにある部屋に入るという感じである。そしていつになったらフランス語で話そうとする時に英語が浮かばなくなるのだろうかなどと考えていた。

今回は基本的に英語が共通語ということになっていたが、フランス人とはフランス語で話すようにしていた。そのせいか、いざ英語に切り替えて話そうとする時にフランス語が頭に浮かんできて困った。特に、ワインの影響下では英語とフランス語のスイッチが全く作動しなくなり、とんでもないチャンポンになっていた。困ったとは思いながらも、以前では考えられない状態なので、この半年足らずの間に浴びたフランス語の影響が実際に現れ始めているのではないかと考えていた。これはフランス語が話せるようになっているということではなく、話す時にまずフランス語で表現しようと無意識のうちに思うようになっているということであろう。こちらに来た当初、フランス人Fから聞いた日本の1年はこちらの1ヶ月だという言葉を改めて思い出していた。

日本にいた当時の自分の状態を思い出すこともできないし、自分がその状態を客観的に見ることもできないだろうから現在と比較はできないが、少しは前に進んでいるものと思いたい。道遠しの印象に変わりはないが、、、



mardi 4 mars 2008

科学の現場を遠くから



日仏会議に参加するため、久しぶりに郊外へ足を伸ばしての2日間となった。また私にとっては昔の分野で活躍する現役の方々にも会うことができ、貴重な時間にもなった。会場は La Ferme となっているから農場。私のホテルは中世の僧院を改装したもので独特の雰囲気があり (今日の写真)、部屋も広く、水辺に寄って来る水鳥の鳴き声を聞きながらのプティ・デジュネ。一つの経験となった。

日本からの方の話では、研究を取り巻く環境も変わりつつあるとのこと。例えば研究費をどのように配分するのか、それはどのような研究をこれから支えていくのか、国として研究の体制をどの方向に持っていこうとしているのかということにも繋がる問題なのだろうが、そこのところを上からの視点で深い議論がされているのか疑問を持っている方もおられた。言ってみれば哲学的な課題でもあり、その点こそ真剣な議論が必要になると思うのだが、それがされないまま行政からの方針の単なる微調整に終始してきたように見えるが、いかがだろうか。

会議では多くの考えが誘発された。例えば、日本の若い方もよい研究をされているが、こちらの人との違いも強く感じた。これは今回に始ったことではないが、おそらく科学に対する姿勢の違いから来ているのではないかという印象を持った。ある研究をする時にどのような意図で向かっているのかが形としては見えるのだが、それが形に留まり、その人間の底からの叫びのようには響いてこない、訴える力が弱いのだ。これは単に言葉の問題ではなく、日本の科学の現場の文化、科学と日常との乖離、さらに個の自立のような問題とも繋がっているように感じていた。大きく言うと、科学の歴史の違いになるのかもしれない。





会議は和やかな雰囲気の中で進められていた。会議場が農場なので、発表者が回答に窮していると珍客が現れて大きな鳴き声を発した時には会場が爆笑の渦に巻き込まれていた。また以前に私のボストン時代に時間をともにしたフランス人について触れたが、彼が当時所属していたところから来ている人がいたので所在を調べてもらうことにした。よい返事が戻ってくることを願っている。

ところでこの方は5-6年前までENSで研究と教育に携わっていたとのことだったので、こちらの大学の様子を聞いてみたところ、意外な返事が返って来た。フランスでも科学史や哲学について科学者の卵が学ぶ機会は少ないという。彼もその重要性を指摘しているのだが、その上で最近の若い人を見ていると高級テクニシャンにしか見えないらしい。ひょっとするとこの現象は現代の科学のやり方に伴う内在的な問題の表れなのかもしれない、という考えが頭をもたげていた。その話の中で彼の気に入っている人物が私の顔になっているディドロであることがわかり、意気投合することになった。

それから以前に直接のコンタクトはなかったが遭遇していた方もいた。ひとりは数年前にこちらの病院で話をしたことがあるが、それを聞いていたと言う方。彼は別れ際に、ホテルに帰って科学から哲学に移って本当によかったと思うのでしょうね、とどちらにも取れる言葉を残していた。もうひとりはアメリカの方で、向こうの学会で何回も見かけているので顔は覚えていると話しかけてきてくれた。共同研究や研究所のアドバイザーをしているとのことで、日本にも年に1回は行っているようである。今回もいろいろな出会いがあった。まだすべてをまとめ切れていないが、今日はこんなところだろうか。



lundi 3 mars 2008

僧院出発までに



この1週間ほどメモワールの計画を修正・補充する作業に当たっている。この間、こちらに来てからミニ・メモワールを出すまでの過程を改めて振り返っていた。残されたメモを見ると、当初考えていたものとは全く別物に仕上がっていることがわかる。とにかく最初はどのような対象を選ぶのか、その対象をどのように捌くのかという基本が全く掴めていないため、霧の中を行くが如しであった。そして締め切り一日前になり、自分が何をやろうとしていたのかがわかるという曲芸のようなことになっていた。それはメモワールに向かう今も変わらない。これまで味わってきた苦しみが始っているようで、これからそれをたっぷりと味わうことになるのだろう。

ある意味では、この混沌の状態は対象もその料理法も完全にオープンであることの裏返しになるのだろう。ゼロから考えることができるという点では、醍醐味満点のような気もしてくる。それはさて置き、現実には中間計画を仕上げなければならないのだが、これまで同様書こうという気がさっぱり起こってこない。自分でも理解に苦しんでいる。仕方なしに夕方から散策に出て、その勢いで書き上げようということになった。僧院に出発するまでには仕上げなければならないのだが、、、



dimanche 2 mars 2008

あるご老人のこと



大学の教室前の廊下にベンチが備え付けられている。まさに板だけのベンチで、クールが始るまでそこで待つのが日課になっている。そのペンチでいつも見かけるご老人がいる。白髪で髭がたっぷり伸びている痩せ型の方で、その場の景色にぴったりなのである。ベンチに新聞を置き、屈み込むようにして手にした鋏みでその中の記事を切り抜いている。最初はクールが始るまでのことかと思っていたが、どうもそれ以外には何もしていないようである。哲学科の廊下には霊感を与える何かがあるのだろうか。それは生きている証としての作業なのだろうか。いつも不思議に思っていて一度話をしてみようと考えてはみたが、一喝されるのではないかとの怖れからまだ直接話をするところには至っていない。その景色が日常の一駒になってしまったのか、大学を出ると記憶の彼方に消えていたが、なぜかこの日曜の朝に思い出され、書き留めておこうという気になった。


明日から3日間、パリ郊外の僧院で日仏の科学関連の会議がある。私は大学の関係もあり最初の2日間だけ出席する予定にしている。日本からは5-6人が参加するとのことなので、久しぶりにいろいろなお話が聞けるのではないかと楽しみにしている。



samedi 1 mars 2008

週末の解放感



昨日、金曜のクールが終ると何ともいえない気分が襲うと書いたが、その正体について考えてみた。これまでであればそれは解放感と言ってもよいもので、のんびりと終日音楽を聴いて過ごしたり、街中を歩き回るなどしながら過ごしていた。しかし、最近では週末の捉え方の質が変わってきているようだ。一つには週に起こる出来事の圧力と言ってもよいものがかなり弱まっていることが大きいのではないだろうか。つまり、クールを経験することが非日常的だったものが少しずつ日常の一部になりつつあるということだろう。だからと言ってそこで起こっていることを充分に捉えているかと言えばそんなことは全くなく、以前と同様処理能力を超えた情報の山に押しつぶされそうになっているのが現状である。そのせいか、その週に溜まった情報をゆっくりとした時間の中で反芻することができる悦びを味わえるという期待感に近いものがその正体ではないか、ということになった。それにしてもなかなか追いつかないものである。いつになったらすんなりと入ってくるようになるのであろうか。

今日も午後から研究所へ。まず入った辺りに置かれてある本を何かないかと思いながら一瞥するのが習慣になっているが、たまにこちらの注意を惹くものが見つかる。今日も哲学と科学に関連して新しくシリーズで出された本に目が行った。係の人に尋ねてみたところ、それ以外のものを購入する予定のようなので、他の図書館に行くか自分で仕入れなければならないだろう。予定を変更してその本を読んでいるうちに時間が経っていた。これも解放感の成せる業だろうか。ということで、クールのおさらいなどはなかなか実現しそうにもない。




vendredi 29 février 2008

いよいよ本格的に



週末を迎える気分は何とも言えないものがある。今日は、今週最後で今月最後のクールが11時から2時間あった。これは現代哲学のクールで、前期もそうだったが人気がある。いつも床や窓の出っ張りに坐っている学生がいるので登録している人は50を超えているのではないかと思われる。講師の先生はおそらく40代のエネルギッシュな女性で、女性問題や人種差別などの問題にも積極的に発言している方のようである。という訳で、最後まで突っ走る。久しぶりに椅子に足を掛けて講義をする女性を見た。元気が出るクールと言ってもよいだろう。

昨日のクールもそうだったが、もう後期をどのようにまとめるのか、という話が出ていた。昨日のクールは4月早々に中間の筆記試験をやるとのことであった。こちらの最終試験は口頭試問という話も出ていた。じっくり時間を掛けてやるミニ・メモワールの方が自分には向いているのだが、、、。いずれにせよ、いよいよ本格的な学生生活の幕開け、という印象である。先生の年齢と話す速度、厳しさにはある相関関係がありそうである。



jeudi 28 février 2008

知のあり方


Pr. Anne Fagot-Largeault
(Collège de France)


あるクールを聞きながら、知のあり方などということを考えていた。海外に出てみると、とにかく人間の可能性の幅が広いことに驚かされる。それは20年以上前のアメリカでの生活の一つの結論でもあったが、今その経験を別の角度から広め深めているかのように感じている。少なくとも、そうありたいと願っていることだけは間違いがない。

今この世にある人だけではなく、歴史に少しでも足を踏み入れただけで、これほどまでにいろいろな頭の使い方があるというダイナミズムに感心したり、時にはそれぞれの微妙な差を辿り直さなければならなくなったりする。どんなところに力を入れてものを観るのか、本当に人さまざまである。私の営みには単にいろいろな事実を知るという喜びだけではなく、それ以上に人間というものの凄さを体感しながらその思考の跡を自らも歩んでみるという醍醐味が溢れているような気がする。そこに尽きることのない魅力がある。

進化の光の下でものを観なければ生物の真の理解はできないという言葉がある。その生物という言葉を人間に置き換えてみると、歴史の視点を持たなければ人間の真の理解はできないということになる。そこには真理があると考えたい。そしてこのことを本当に理解しているかどうかで、その人間やその人間の属する社会の価値が決まってくるような気がしている。


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今日の休憩時間のこと。隣の教室から男子学生が飛び出してきて、まずゴミ箱を、それから廊下に備え付けられていた消火器を思いっきり蹴り上げ、両手を挙げ大きな叫び声を発しながら階段を駆け下りていくという出来事があった。事の詳細はわからない。


今日の講義時間中には大学事務の方が数人 (消防署の人?) を連れて入ってきた。木の枠に歪んだガラスの入った窓の閉まり具合などをチェックし、取っ手の辺りの写真を撮っていたようだが、事の詳細はわからない。



mercredi 27 février 2008

久しぶりに



今日は久しぶりに外に出たことになる。午後から研究所へ。これからの仕事に関連する資料に目を通す。その度に思うのは、なぜ普段から頭を働かせていないのかという疑問であり、少しは前に進めたらどうなのかという苛立ちでもある。もう旅行者は卒業したはずなのだが。

科学関係の論文のコピーを頼みにカウンターに行く。受付の方が親切で、カウンターの中に来て論文を自分で選んでやってみたら、というのでトライしてみた。ここは一枚20サンチームとのことなので両面印刷をしようとしたのだが、いつもの場所にそれが見つからない。彼女がやっても駄目。ということで片面になってしまった。学生の身、料金がかさむので困っていたが、片目を瞑って計算してくださいね、と言ってみたところ、彼女が大きな声で笑い出し、結局両目を瞑ってくれた。明日以降に両面印刷をすることにした。

閉館間際、同じ建物でやっていた会議が終わり見かけたので来てみたと言って、いつもお世話になっているMD氏が寄ってくれ、来月の記念行事の案内を渡してくれた。丁度都合がよかったので、先日ある方との会話の中で私が "La culture fraçaise me galvanise" と言ったところ、その方が噴き出していたのは一体どうしてだろうかと聞いてみた。それは (お前さん、とは言っていないが) 少々表現が強過ぎるのでは、との含み笑いを伴ったコメントが返ってきた。皆様、お気を付け下さい。

夕方郵便局に寄り、30分ほど待ってやっと guichet に辿り着く。いざ切手を注文すると生憎ありませんと言う。やはりフランスなのだろうか。



mardi 26 février 2008

雨の日は



今日は曇りで雨交じり。
読んでいるうちに時間が経っていた。
とにかく時間の流れが速いという、こちらに来てからの感想を確認していた。


朝のうちは La philosophie des sciences au XXe siècle (20世紀の科学哲学) という専門の本をざっーと流していた。前期に講義を聞いたアヌーク・バルベルス (Anouk Barberousse) さんも書いていて、現在私が興味を持っている点について詳しく書かれている。これからじっくり読みたいものになった。

それから Penser la médecine (医学を考える) という医学を哲学的に扱っているアンソロジーに移り、その最初のエッセーの最初のページに出てきた "une personne souffrante ....., destinée à mourir." (死の運命にある...病める人) という文章に出会った時、死を前提にして考える哲学者はある意味では病める人ではないか、という思いに至る。それは不健康と言うよりは、その意識でいると日々が生き生きしてくるという逆説が含まれているように感じていた。

また、トマス・マンの 「魔の山」 (Der Zauberberg : La Montagne magique : The Magic Mountain) が出てくる。小説はどうしてもいずれになり、まだ読んでいないが、この本では病気との関連のみならず、多くの哲学的主題に溢れているようだ。いずれ本当に読んでみたいと思わせるものがあった。若い時に読んでいれば、その時との比較ができてさらに面白いのだろうが、、。

ということで、相変わらず興味が一所に留まらない一日となった。



lundi 25 février 2008

そうは問屋が



数日前からクシャミが出るようになってきた。私の場合は疲れが溜まると風邪を引くことがわかっているので、風邪を引いたら逆に疲れが溜まっているな、と思うようになった。今回もぼんやりとそう思っていたところ、昨日の散策の後、妙に鼻がムズムズするのだ。早々に出した結論を修正しなければならなくなった。この結論を出した背景には、昨年3月にこちらを訪れた時にそれまでの花粉症が治まったという経験があったからだ。併せて考えると、パリでもスギ花粉は飛んでいるが、2月後半から3月中旬くらいの一月足らずの間だけではないか、ということになる。今はこの楽観的な推測が当たってくれることを願うばかりである。

現在、マスター1年目のメモワールの計画を練り直しているところだが、新たにミニメモワールについてのコメントが一つだけ戻ってきた。提出の時にお願いしておいたのだが、すべてについてコメントが戻ってくる可能性は少ないと思っている。学生の多いクールではそんな余裕はないだろうと考えられるためだ。ただ、あと一人の先生は必ずコメントを返してくれるとのことだったので、楽しみにしているところである。と言うのも、今回のコメントも当然のことながらツボを突いていて、自分でも弱いなと思っていたところについて、さらに言及するとより幅が出ますよ、と言うもので、非常にためになると同時になぜか嬉しくなるのだ。

本日はお休みのため、その気持ちのままお昼の散策に出た。いつもの鄙びたセーヌに挨拶をしてから向かったお店が閉まっていたので、歩を進めているうちに本屋に入っていた。目に入ったのは、今年HIVウイルス発見から25周年を迎えるリュック・モンタニエ氏の新刊書 Les combats de la vie : Mieux que guérir, prévenir (Luc Montagnier) 「命の戦い : 治療より予防を」 と、昨日の記事で触れたフランスの17世紀後半の哲学者ピエール・ベール (Pierre Bayle) の名前がその中に見えたアクセル・カーン氏とクリスチャン・ゴダン氏の対談集 L'homme, le bien, le mal (Axel Kahn, Chrisitian Godin) 「人間、善、悪」、さらに哲学関係の本1冊を買って帰って来た。


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dimanche 24 février 2008

スピノザと日本



このところ本当に不思議な繋がりが続いている。この前身であるハンモックは、今もいろいろな方に訪問していただいている。メールも送られてくるがほとんどすべてがジャンクなので、たまに寄せられる貴重なコメントまでも削除しかねない。昨日はそういう日になるところであった。昨年夏にこちらに来て書いたスピノザについての記事に、山石水皮様からの興味深いコメントが寄せられていたからである。


そのコメントにはこう記されていた。

「スピノザは神学・政治論で日本について書いていると聞きました。何からどのようにして日本を知ったのでしょうか。スピノザは江戸日本からどのよ うな影響を受けているのでしょうか。17-18世紀のヨーロッパの変化について関心があり調べています。お分かりでしたらお教え願えれば幸いです。」

スピノザ (Baruch De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日)

私自身はスピノザに興味を持ってフランスの雑誌記事について触れたのだが、スピノザを読んでいる専門家でもなければ哲学に広く通じているわけでもない。したがって、この疑問には答えられないので、その旨の返事を書いた。そして、その返事を送ろうとする時、指摘されている不思議なつながりに異常な興味が湧いていた。少し調べてみようという気になりネットをサーフすると、上智大学が発行している雑誌に載っている、まさにこの問題をテーマにした論文に行き当たった。ラテン語とその訳としてドイツ語が出てくるフランス語で書かれたこの論文を頼りに、両者の関係を探ってみたい。

Henri Bernard "Spinoza et le Japon"
Monumenta Nipponica, Vol. 6, No. 1/2, pp. 428-431, 1943

スピノザの死後20年にあたる1697年に、彼に敵対していたピエール・ベール Pierre Bayle (18 novembre, 1647 - Rotterdam, 28 décembre, 1706) というフランス百科全書派のさきがけと言ってもよい哲学者が Dictionnaire historique et critique 「歴史と批判精神辞典」 を出版した。この膨大な辞書はネットで読むことができるが、スピノザの項だけでも70ページが割かれている。その中でスピノザを 「古今のヨーロッパや東洋の哲学者の影響を受けているが、全く新しい体系と方法を持つ無神論者」 と規定した上で、中国の哲学、さらには日本の哲学と同一視しているという。

私がざっと目を通したところでも、無神論を構成する要素が中国人の間には一般的に広まっているという指摘があり、別の書の引用がされている。そこには、中国人は世界の至る所に精神が宿っていると考えており、それは星であり、山、河、植物であったりする、という記載もある。

1649年、スピノザ16歳の時にはベルンハルト・ヴァーレン (ラテン名:ベルンハルドゥス・ヴァレニウス) の Descriptio Regni Japoniae という日本伝聞記がアムステルダムから出版されていた。この著者は地理学にも興味を持っていたドイツの医者にして数学者で、仕事の慰みに日本についての情報をハンブルグの政治家などに提供していたという。28歳の若さでこの世を去っている。



Descriptio Regni Japoniae


1663年には、日本に初めて足を踏み入れたというオランダに移住したフランス人 François Caron の "A true description of mighty kingdoms of Japan and Siam" という書も出版され、日本に関する情報には触れることができたであろう。余談だが、この書はあらゆることに興味を持っていたスウェーデンのクリスティーナ女王にも献呈されている。幸いなことに、同志社大学のケーリ文庫で読むことができる。

その上で、この論文の著者アンリ・ベルナール氏は、Tractatus theologico-politicus 「神学・政治論」 で日本に言及されているのは第5章だけで (日本におけるキリスト教の儀式について) 、実際のところ、スピノザの哲学思想が日本の儒教思想に影響された可能性は低いだろうと考えている。

他の論文に当たっていないので科学的な正当性は保証できないが、この方面への第一歩にはなったように感じている。


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思わぬところから歴史への旅をしたことになるが、過去の書に触れる瞬間にはそれがネット上であっても不思議な興奮が襲ってくることを発見していた。山石水皮様には改めて感謝したい。




samedi 23 février 2008

Liguea 様からの再びの便り



2年程前にこのブログの前身であるハンモックの仏版に届いたコメントは、私にとっては衝撃的であった(2006-04-28)。Liguea 様の言葉は、今となってはその後を予言しているようにも感じている。そのコメントの中で、私と関係のある芸術家・哲学者として、ハイデッガー、フッサール、そしてカンディンスキーを上げていた。その意味は未だによくわからないが、ずーっと気になっている人たちである。今日、週末のせいもありのんびりしていたせいか、ハンモックにアクセスのあった記事を読み直していた時、彼からのコメントが届いた一月後にカンディンスキーについて書いたものがあった(2006-05-28)。その中で、カンディンスキーが自らの芸術を生み出す時に、「自分の内から真に湧き出るもの、それだけを頼りに描くこと」 という考えを基にしていたことを知り、自らに重ねているところが見つかった。同様の考えや見方が仏版ハンモックのどこかに顕れていたのだろうか。それを指摘していただいたことで私の目は大きく開かれたように感じている。さらに、昨年こちらに来る前にも心を打つメールをいただいたことも大きな力を与えてくれており(2007-05-27)、いつも感謝の気持ちを込めて難解な文章を読んでいる。


そして再び Liguea 様からメールが届いた。哲学の専門家だけあり、今回も複雑な文体と豊富な語彙が溢れるそのメールには、次のようなことが書かれてあった。
「昨年メールを出してからご無沙汰していましたが、私自身取り込んでおりパソコンに向かう時間もありませんでした。大変失礼いたしました。

今回あなたがフランスに来られたということに深く心を打たれております。もはやフランス人でさえ、このフランスの地に立ってフランス語やフランス文化を学ぼうとするあなたに比する愛情を自らの文化に持っているとは言えないように思います。フランスは今大きく変わろうとしております。そのすべての精神性とは関係のない世界になっています。私は心底フランスには幻滅しております。自らの運命を自らの手で決めることを止めてしまった国には全く魅力を感じません。あなた自身の存在にとって意義のあるフランスから目覚めを得ようとするあなたの試み、それを支える迸り出る生命の躍動と勇気が与えられますよう願っておりま す。

ところで、われわれの道行きが交錯していることにお気付きでしょうか。あなたは科学の世界から科学哲学という抽象的な世界へと向かわれています。つまり、あなたは「存在」の新しい理解につながる最も多様な基盤へと向うために、具象の世界から旅立った人です。あなたの年齢でそのような道に入られることに深い尊敬の念を覚えると同時に、私自身を広い思索に導いてくれます。反対に私の方は、抽象的な場所から現実に戻ることを決めました。ある意味では逃避の世界から具体的なものを作る仕事に就くことになります。それは私の青春時代の夢でもあったのです。私は40歳を前に哲学を辞め、具象の世界に生きる成熟を得たと思っています。

人生は不思議で驚きに溢れています。われわれの道行きの方向は重要ではありません。われわれがどんなに些細なことでも自らの最善を捧げて実現していくというその心の在り様こそ重要なのです。フランスがあなたに捧げてくれる最善のもの、そして私が移住することを決めたスイスが私にもたらしてくれる最善のものを期待したいと思います。

最後になりましたが、もしあなたがフランスに長く滞在されるのであれば、あなたを私の未来の祖国に招待したいと思っております」


ピエール・ベール Pierre Bayle


Pierre Bayle
(près de Pamiers, 18 novembre 1647 - Rotterdam, 28 décembre 1706)


スピノザと日本の関係を調べている時、この方に出会った。百科全書のさきがけとも言える、引用を本文中に囲い込むような記載が現在のハイパーテキストを思わせるという指摘もある彼の Dictionnaire historique et critique (1697) で、スピノザの50ページを超える項に触れてみた。当時の人の仕事を凄さを思い知らされるようであった。

プロテスタントの家に生まれ、父親からギリシャ語、ラテン語を学ぶ。家庭が貧しかったため、兄が学校終えるまでは行けなかった。22歳でトゥールーズのイエズス会の大学に入り、そこでカトリックに改宗。しかし17ヵ月後には再びプロテスタントに改宗、ジュネーブに逃げる。そこでデカルトを学び、神学の勉強に取り掛かる。

数年後にフランスに戻り、ルーアンやパリで家庭教師をしながら執筆を始める。28歳の時にセダンの哲学教授になる。34歳で大学が閉鎖になったが、ロッテルダムの哲学・歴史学の教授で迎えられる。・・・・・

この Dictionnaire はそれまでの辞書の誤りを正すのが目的だったようだ。彼は、この世界が単純な善悪二元論 manichéisme には決して還元できず、相対立する見方や意見が永久に交錯していると考える懐疑主義者であった。

1906年には、永い忘却の償いとしてパミエ Pamiers の町に彼の像が建ったという。




vendredi 22 février 2008

織姫と彦星?



本当に人生は不思議である。織姫と彦星のお話を遥かに通り越した再会が実現した。私が彦星を名乗るのは少々おこがましいが、話のついでだと思っていただきたい。織姫は現在アメリカの大学で活躍する研究者。滞米10年くらいになるのだろうか。その彼女から突然メールが入った。今日アメリカを出てパリに行くのでお茶しませんか、というものだ。パリ大学でお話をするとのこと。こういう唐突さは彼女らしさが出ていて好ましく思っているところだが。そこで思い返してみた。とにかく、いつどのような切っ掛けで知り合うようになったのか、始まりがはっきりしないのだ。最初は彼女が大学を出て数年の時ではないかと思うが、溌剌とした快活さと涼しげな印象が強く残っている。それから彼女がアメリカに渡り、私が出張に行った時に会ったのがほぼ10年前のことになる。大雑把に言えば、10年に一度会えることになっている関係とでも言えばよいのだろうか。その3回目のランデブーが実現したということになる。

観光名所での1時間半ほどのお茶になったが、いろいろなことを話した。すべては思い出せないが、いずれ暗闇に入った時に出てくるかもしれない。一つだけ上げるとすれば、社会の枠がわれわれに及ぼす影響が話題になった。その枠に入るのかどうか、入って違和感を感じないのかどうか。彼女も含めて、キャリアを求める若い女性は結婚というものを成功への条件のように考えていて、とりあえずその条件をクリアしようとするらしい。ここまでは一般論として語っていた。それから人によっても違うのだろうが、時間が経ちキャリアを求めれば求めるほど、その関係が大きな負担になり始めることもあるという。つまり、その過程で自らの内なる声を聞くうちに、それが必ずしも自分の求めていたものではないのではないかと気付くことになりジレンマに陥るという。これは彼女自身の経験のようにも感じたが。この話を聞きながら、人間関係の難しさを考えていた。また、彼女は海外での生活が長く、研究を生業とされているので、枠の中でどうするかだけではなく、枠の外から考えることの大切さを語っていたが、それが日本社会では乏しいのではないかという印象を持っているようであった。その点は先日も触れたが、私もほぼ同意見である。

私の方は学生生活に至るまでの偶然に次ぐ偶然の出来事を話したが、彼女の反応はそれを必然と言うのですよ、とのこと。変に納得していた。それから学生生活の現実へと進んだが、老後とは程遠いその生活ぶりをどのように聞いていたのだろうか。とにかく半年後1年後のことも解らないという状態をどう受け止めるのか。銀行での性格判断の話 (アメリカでは当然行われているとのこと) と絡み合わせて、彼女が offensive であるのは言うまでもないだろうが、offensive であれば楽しめるのではないか、ということになった。私の方はどうなってもよい立場なのだが、これからがある彼女には真の成功を手に入れてほしいと願っている。

ということで不思議な縁を感じながら、10年後の4度目の再会を約してクールに向かった。


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ランデブーの前に周辺を散策中、これまで使っていた私の肖像画が彫刻になっているのを発見。以前から目には入ってはいたが、気に掛けていなかったようだ。その写真に変更した。




jeudi 21 février 2008

アンリ・サルヴァドールさん追悼 Henri Salvador



メトロの座席に残っていた情報誌をめくっている時、彼が90歳で亡くなっていたことを知る。


Henri Salvador (18 juillet 1917 - 13 février 2008)
un chanteur, compositeur et guitariste de jazz français


もう数年前になるだろうか。どういう切っ掛けか忘れたが、"Jardin d'hiver" が入った "Chambre avec vue" というCDを仕入れて聞いたことがある。最初のうちは全くピンと来なかった。それまで聞いていたアメリカの歌のように人生に向かっていくという力強さを感 じなかったからだろう。しかし、聞いているうちに人生に向かうのではなく、じっくり眺めながら寄り添っているような、肩の力が完全に抜けたその歌に惹かれ 始めていた。この手の歌手はアメリカには余りいなかったように思い、新鮮に感じるようになっていた。同じような経験はムスタキと出会った時にもしている。











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賢犬様からアンリ・サルヴァドールが最高と考えていた歌を教えていただきました。
以下に紹介致します。








mercredi 20 février 2008

エネルギー戻る



昨日は待望の電気が戻る日であった。先日の連絡ではインターフォンで連絡できますよ、と言っておいたのだが、よくよく考えてみると電気がないのでそれができないことに気付く。いつものようにこのタイミングで。仕方なく15分ほど前から外で待つことにした。予定の時刻になっても人が来ないので電力会社 (EDF) に電話すると、4時間の幅で現れることになっているという。そんなことであればこの日にはしなかったのに、と食い下がっている時にタイミングよく2人が現れてくれ、お互いの声の調子が一気に和やかになった。そして彼らのお陰で6日間に及ぶ問題が一瞬にして解決した。ほっとした、というのが本当のところだろう。

それからフランス語のクール (FLE) のためにTolbiacへ。ここは教養学部のようなところで、他の校舎からは感じられない猥雑さとエネルギーが溢れている。今日の写真はそこで目に入ったもので、フランスでなければありえないような (日本では考えられないような) 学生寮を求めるポスター。実は先週土曜に登録してあった教室に行ったのだが、これがキャンセルされていた。折角なので丁度やっていた別のクールに顔を出し、条件法の復習をやってきた。その時に、火曜に別のクールがあることを知り、出かけたという訳である。おそらく私より少し若いくらいの女性教授が担当。始る前に登録用紙が配られ、専攻と生年月日を記入して手渡すと、彼女は何ともいえない顔で、にやっとしていた。私の年齢を見た時の先生の反応を見るのがこちらに来てからのひとつの楽しみになっているようだ。ちなみに、この日のテーマは接続法であった。その中で、接続法を用いて嘆願するという設定の下に作文するという課題が出された。それを隣の2-3人とグループを作って共同作業でやるのだが、私の隣はラテンの国から来たおそらくリサンスの女子学生さん。なぜか楽しい時間となった。彼女たちの作文する様を見ていると、自分たちの言葉に少しだけ手を加えているという風情で、何とも羨ましい限りであった。ただ、彼女たちにしても街に出て店員などと話をするとすぐに英語で答えが返ってくると言って不満気であった。私などはいつも経験していることだが、、、

夜には指導教授とのランデブーがあった。先日提出したメモワールの中間報告についてのディスカッションのためである。この機会にその原稿を読み返してみたが、ざっと見ただけでもいくつか単純な文法的な誤りが見つかったりする。やはり、終了直後だと客観的な視点を持てないようだ。次回からは締め切り1週間くらい前に一度終えてから時間を置いて見直すということをしないと駄目だろう。今回はあれで精一杯だったので、致し方ないような気もしているが。ランデブーではいくつかの問題点を指摘されたが、それは自分でも充分にわかっていることなので反論の余地はないであろう。コメントを考慮に入れて校正することになった。さらに、私が持っている基本的な疑問についても話をしたところ、その点についても1週間くらいでまとめるようにとの話になった。これは1週間というような短期間ではなく、年単位のことで考えていたので少々驚いたが、今はどんなことも苦痛に感じない不思議な精神状態になっている。

仕事の話の後雑談になったが、その中でフランスの大学人の考え方に触れたように思った。これは先日の記事とも関連するので、一教授の考えではあるが紹介しておきたい。まず驚いたことに、フランスの大学の状態を見ると dépressif になるというのだ。フランスでは大学自体が特別な存在、選別された、そのためやや差別的な(くらいに優遇された状態にあるという意味だろうが) 立場にあるため、保守的な傾向が非常に強く、変化や活力に乏しいと見ているようだ。それを強く感じたのは、アメリカで生活してアメリカの大学に貫かれている平等の精神を体験した時だという。それは大学のシステムを平等精神で動かすように努めているという意味と、フランスに比して大学が外に開かれているという意味が含まれているのだろう。そして、その考えをフランスの大学にも導入したいような意向を持っているように見受けた。私がフランスの大学のクラシックなスタイルが気に入っており、活力と霊感を得ていると言うと、少し驚いた様子であった。そして、私のように退官してまでこのような道に入る人がいるということは、大学にいる人間にとっても何らかの影響があるのではないか、という言葉をかけてくれた。ご本人の退官後は音楽に打ち込みたいとのことであった。話をしているうちに、これから何かが始るのだという感触を強く持つことができた、よいランデブーであった。