jeudi 4 juin 2015

人は二度生まれる On naît deux fois

4 juin 2008
 

「人は二度生まれる」
 

一度目は母親から、そして二度目は教育を通して

こう言ったのはカントだろうか

二度目の生の意味を知った時
 
今まさに何度目かの生を受ける過程のように感じてくる

これまでの苦しみは その生みの苦しみだったのかもしれない

しかし それは何という贅沢な難産だろうか

何度か食事に行ったつもりで この国の最高の教育の香りを一年に亘って味わうことができるとは

今のわたしにとって フランス語から受ける霊感には計り知れないものがある

日本で眠っていたものが 一斉に立ち上がってくるかのようだ

それを処理しきれていないのが 何とも残念である

ただ 日々有り難い気持ちで満ちている


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4 juin 2015

当時のこの気持ち、これがすべてを語っているのかもしれない

ここ数年、この有難い気持ちを忘れていたようだ

こちらでは、教育というものの意味を考えさせられている

最初の教育は、目的のための手段になっている

いくらそうではないと説いても、この考えを払拭することは難しい

そこに真の学ぶ喜びはあるだろうか

こちらでの時間は、手段ではない学びが純粋の悦びを齎すことを教えてくれている

ひょっとすると、人は二度学ばなければならないのではないか

そうしなければ、知の悦びを味わえないのではないか

それは人間であることの悦びにも通じるものであるはずだ





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