mercredi 10 juin 2015

仕事とは、そして贅沢な旅

10 juin 2008

何でそんなことを・・・などともう自問・自責する必要のない生活に入っているのではないか

月曜の昼間から真夏の日差しを浴び散策している時 この疑問が浮かんできた

時間が前に転がっている

それを思うように使えばよいだけなのである

これに文句のある人はいないだろう


なぜ人は働きたがるのだろうか

その必要がある人は別である

そうでない人まで なぜ

この地上にはそれ以上に素晴らしいことが隠れている・・・はずだ

それに気付かずに終るのは何とももったいない

そんな思いで歩いていた


今の私にとって 学生生活も仕事のようなものかもしれない

しかし どこか違う

お金をもらっていないことからくる 責任のなさだろうか
 
いや むしろ 仕事から解放され 今や自らへの責任だけになったためだろう

何とも心地よい気分だ 

このことに気付くために 人は働き、そして働くことを辞めなければならないのか

これから見えるであろう新たな景色を その心持で 自らの足を使いながら鑑賞する

とても贅沢な旅が始まっているような気がしてきた


-----------------------
10 juin 2015

この時に感じたこの気持ち

それ以後、今日に至るまで殆ど変わらない

「仕事への責任」 から 「自分への責任」 への転換が起こった

そこで求められるのは、人間への視点の回帰である

この視点は仕事の中にある時、しばしば忘れ去られ、軽視・無視される

それを取り戻すことであった

その後の時間の中で行われていたのは、何ものの介入もない自らとの対話であった

これは特に意識的にやっていたわけではない

しかし、この営みこそが 「人間への視点の回帰」 の基礎にあるべきだと考えるようになっている

それが見えてきたことは、大きな収穫ではないだろうか





Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire