vendredi 13 novembre 2015

科学の会で哲学を話して

15 novembre 2008
 


今回の旅行の目的である会が昨日終った。発表内容のレベルの高さと日本ならではのホスピタリティに海外からの参加者も充分に満足して帰ったのではないだろうか。私は科学をする上での哲学的思考の重要性と哲学が科学に対して何ができるのかという両面からの解析を抄録として送っていたが、オーガナイザーM氏の先見性ある判断により発表する機会を与えられた。このような科学の会議で哲学が話題になることは前代未聞のことなので、どのような反応があるのか不安と期待をもって参加した。もちろん不安の比率が大きく、会で話題になっていることも考慮に入れながら発表直前まで考えを練った。

今回はこれまでに感じたことのない会場との一体感を味わいながら話すという貴重な経験をすることができた。発表がその日の最後でもあったので皆さんをエンタテインしなければならないという思いがあったが、最初から会場が予想通りの反応で答えてくれた。そして話が進むにつれて皆さんの集中から出てくると思われる静寂を感じ取り、はっとした。やがてそれはある種の満たされた気分に繋がって行ったが、これは生まれて初めての経験になる。

話を終えるとベルギーからのMB氏がやや激しい口調で、そんなことを言っても今の科学者は目に見える成果をあげるのに必死にならざるを得ない環境にあり、哲学的思考などしている時間などないのだと心からの叫びを上げると、海外からの参加者が主ではないかと思うが会場から拍手が沸いていた。彼のコメントは私の話に対する批判というよりは、哲学的思考、すなわち自らのやっていることを全体の中(より大きなフレームワーク)に入れ直して考えるという何をする上でも重要なことができなくなっている今の状況に対する彼らの苛立ちではなかったかと思う。あとでドイツの方が話してくれたところによると、特にベルギーとオランダでは研究をする上での資金を得るのが厳しい状況にあるとのことであった。

その他にも何人かの海外からの方から関連する科学的事実についてのコメントや全体の印象を聞くことができた。これから考えを深める上で大いに参考になるだろう。日本の方からも様々なコメントをいただいたが、私の耳に入ったという制限付きで概して好評であった。これからもこのような話を続けて聞きたい、あるいは積極的にいろいろなところで話(全国行脚?)をするべきではないかという予想もしない反応をいただいた。同様の会議はアメリカとヨーロッパでも定期的に開かれているが、日本版は彼らの一周先を行っているのではないかとの言葉まで聞こえた。まさに生身の異分野交流の醍醐味に触れる贅沢を味わった。

すべてが終わり、このような抄録を送ってよかったと思った。心の底から静かに溢れる満足感と同時に、科学発表の時には感じたことのない何かに対する使命感(ミッション)のようなものが芽生えているのを感じていた。それはそのままこれからの歩みを後ろからしっかりと支えてくれるのではないかという淡い期待感に変わっていた。


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vendredi 13 novembre 2015


このような発表の最初の頃のエピソードになるだろう。

MB氏の顔を赤くした批判を今でも思い出す。

私が現役の時に今回の自分の話を聴いたとする。

その場合、それは理想論でしょう程度の反応か、気にも掛けなかったのではないだろうか。

こちらの人たちの「こと」に自ら参加するという性質にはいつも感心する。

そのような参加(アンガジュマン)の態度からしか、新しいものは生まれてこないのではないか。

ただ、日本にどっぷり浸ってしまうとそれは相当のエネルギーを要するだろう。

そのことは自らを振り返ればよく理解できる。


今年はテーズの準備もあり、外に向けての発信は不可能であった。

内に籠る生活が一段落すれば、このような活動を再開したいものである。

と同時に、これまでに蓄積されたものをさらに深める作業にも怠りがあってはならないだろう。

今回纏めたものは、考え着いたことのリストに過ぎないような気がしているからだ。


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当時のコメント欄です


Commented by takako at 2008-11-15 03:59

飛行機で隣だった者です。遅くなりましたが長旅お疲れ様です。もうパリに戻られたようですね。講演はいかがでしたか? あの時の友人のすてきーは空耳ではないです。私も、新たに言語を習得なさろうとする姿勢とかそれをきちんと実現されているのとか、ほんとに素敵だと思いますし心底尊敬します。フランス語ほんとにややこしくて私は何度も挫折してるので… 文法を細かい規則と思っているから覚えられないのでしょうね。とてもいい刺激をもらいました、ありがとうございます。

ブログもこれから楽しみに拝見させていただこうと思います。一度では理解しきれなくて何度も読み返しそうです!

旅行会社の方に11月中旬からパリはクリスマスのイルミネーションが点灯すると聞きました。ちょっとずれてしまい残念です。機会がありましたら写真載せてください!

それでは大学院がんばってください。失礼します。


Commented by paul-paris at 2008-11-15 06:20

takako様 訪問ならびにコメントありがとうございます。

先日はお付き合いいただきありがとうございます。少々話し込みすぎたのではないかと心配しておりましたが、安心しました。旅行中ブログはお休みにするつもりで日々の写真をパリにしていますが、まだ日本です。

最後まで不安が付き纏っていた講演ですが、今日の記事に書いたようにこの会議に参加して本当によかったと思えるものでした。今は開放感で一杯です。

少々回りくどい言い方に溢れているかもしれませんが、これに懲りずにこれからもここを訪問していただければ幸いです。それからノエルのパリの町並みもここに載せてみたいと思います。

では、お勉強がんばってください。
そしてお友達にもよろしくお伝えください。





samedi 7 novembre 2015

東西を哲学する

10 novembre 2008


本屋で立ち読み。「偶然を生きる思想―『日本の情』と『西洋の理』」の著者野内良三氏がフランス文学に入るきっかけが偶然にマラルメを知ったことで、そこに至るまでに偶然の重なりを見ているところを読み、私がこの道に入ることになった偶然の重なりと重なったので少し読み進む。


著者は、西洋と東洋の違いについて、単純化、極論だと言われることを覚悟した上でこう言っている。

「西洋人と日本人の一番大きな違いは『目に見えないもの』を信じるか信じないかにある。目に見えないものを西洋人は信じるが、日本人は信じない。いうならば西洋人は観念主義者で、日本人は現実主義者である。
このことを哲学的に捉え返せば、西洋哲学は超自然的原理を設定して、それに依拠して世界を説明してきたということだ」

西洋と日本の随筆のスタイルの違いから、こうも言っている。

「それは『全体』と『部分』に対するスタンスの違いに求められる。西洋人は『全体』あってこその『部分』であると考え、日本人は『部分』あってこその『全体』と考える。いや、『全体』など眼中にないというべきだろう。日本人は『部分』にこだわる。『全体』は後からついてくるものであり、偶然的なものの結果でしかない」

自然や外の世界に対する態度からは次のように。

「・・・日本人、あるいは日本文化には目の前にある現実(世界)を素直に受け容れる傾きがあるということです。世界をあるがままに認めるということは他の世界の可能性を考えないということである。世界を前にしてなぜという問を発しないということである。疑問を感じるよりは、世界を肯定的に受け容れ、むしろ楽しもうとする。無常も偶然も美的次元で受けとめられたわけである。偶然の美学はあるけれども偶然そのものへの問いかけはなかった」

「いま問題にした日本人の特徴は、要するに『こだわりのなさ』という性格に集約できるだろう。偶然性は体系とか法則とか絶対とかを求める心――原理的なものへのこだわり――がないと、どうも深刻な問題として迫ってこないものらしい。言い換えれば、例外的なものを目撃したときに感じる驚きの情が大きくないと、偶然が本当の意味での偶然ではなくなってしまうのだ。日本人は偶然を前にしても余り驚かなかったのかもしれない(ここはむしろ『愕く』あるいは『駭く』を使うべきだろうか)。驚くよりはむしろ感動してしまったのである」



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samedi 7 novembre 2015 


日本人が細部に拘ることは、例えば、NHKの「プロフェッショナル」という番組を観ていて感じたことでもある。あの番組に登場する人で全体について考えている人は皆無に近かったのではないだろうか。それから、同じテーマについて話をする場合でも、東西では違いがあるように感じている。それは話の分かりやすさである。日本人の話はこまごまとしたことが並べられる傾向があり、全体の構造が見えにくいため、西の人の話の方が分かりやすいのである。ベルクソンは「最初に全体がなければならない」と言っていたという。そして、「その上で部分に当たらなければならない」とも。この言葉に西の考え方が表れてい るのかもしれない。

科学の道に入った当初は原理的なものを求めていた。しかし、時が経つにつれ、そのことは忘れられ、部分の解析に終始することになった。それが現代科学の方法論であったとしても、ベースのところに原理の追究がなければならないのだろうが、やはり根本は日本的な精神だったのだろうか。

自然に対する日本人の態度に関連したエピソードを思い出した。それは、日本が地震大国であるにもかかわらず、日本人からは地震学が生まれなかったということ。地震を対象として見たのは明治のお雇い外国人だったとどこかで読んだ記憶がある。よく言われることだが、日本人は自然の中に入り一体になる傾向が強いとすれば、このことも理解できる。

東西の思考に関して、今はこう考えている。最初から日本人はこういうものの考え方をするとしてそこに安住して西洋の思考を学ばないという道は取るべきではないということ。残念ながら世界を動かしているのは西の考え方であるからだ。西洋を突き抜けて東洋に至るという方向性が必要なのではないだろうか。その時初めて、東洋が西洋に通じる道が見えてくるような気がしている。これも「言うは易く行うは難し」になるのだろうが、、。 


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以下に当時のコメント欄を転載したい


Commented by ひらめきハート at 2008-11-10 21:11

何という偶然なのだろう? この所の私に起こった出来事が・・・偶然の二文字を何か見えない力に依るものだと思わざる得ないものでした。

偶然に・・・ということが、ある時から私にはよく起こるのですが・・。
目に見えない何かの力が、私を動かすと感じます。

西洋がその、目に見えない力、超常現象と言えるものを信じ説明して来たのですか?文学などでは確かにそんな感じがあるかしら・・。日本では・・信じない? のですか?確かに、視野が狭いと感じることが多いですけれども。スケールが小さいというか・・・。部分を見て全体が見えない・・ まるで政治の世界がそのような感じ・・。現代文学も・・・かな?
久々にコメントします~。
何故かしら? 本当に、偶然が偶然を呼ぶのです。

Commented by paul-paris at 2008-11-11 05:06

パリでの何気ない会話の中にも抽象的な概念を表現する言葉がよく出てくることが多く、そういういわば目に見えないものを自在に操って思考することに慣れているような印象を持っていましたので、この著者の観察に同意するところ大でした。また全体を見るところ、全体を構築するところ、壮大な構想力とでも言うものも弱いように感じていました。そう感じたのは第一には自分との比較になりますが、ひょっとすると広く日本人に当てはまることなのかもしれません。そうではない考え方が日本にはあり、そこから生まれてくるのが独特な日本文化になるのでしょうか。そういう視点からも西洋の文化をもう少し体感してみたいと思っているところです。

Commented by 冬月 at 2008-11-20 01:02

■ お久しぶりです。最近、感じていることと重なり、コメントしたくなりました。日本では、存在論と認識論は、いわば表裏一体で、見えないものは存在しませんし、それが当たり前と思っていますが、西欧は、認識論と存在論が分化しており、未だ認識できていない本質がある、というところから議論が出発する気がします。つまり、はじめから二元論的な世界です。ここから、真理に歴史性が付与され、哲学的な運動にダイナミズムが生まれてくるように思うのです。自然科学も資本主義も、このダイナミズムが生みだしたひとつのアウトプットではないでしょうか。元を糺せば、西欧世界が神を生みだしたときに世界が二元論化され、哲学的な運動が開始されたのではないかと、ぼくは感じています。二元論は、光と影の二元論でもあり、なかなか簡単に評価できませんが、少なくとも言えるのは、西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っているという点です。今後も、非西欧の生んだ果実を確かめながら、西欧世界のダイナミズムをモニタリングしてみたいと思っています。

Commented by paul-paris at 2008-11-20 10:12

東と西の問題は以前からずーっと私の中にあった疑問で、これを体で感じてみたいという欲求が今回こちらに来ることになった背景のどこかにあったようです。科学の活動に対しても彼らの精神の働きは明らかにわれわれとは違っているのを長い間観察してきています。同じ脳のはずがどうしてこうも違うのかというのが素朴な疑問でした。人間を取り巻く文化がそこに絡んでいるのは言うまでもないと思いますが、その辺りを少しずつ眺めて行きたいと考えています。この記事に取 り上げたところは一つのヒントを与えてくれているように感じています。

ところでコメントの中にあった
>西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っている・・・
ここがよくわからなかったのですが、、、

Commented by 冬月 at 2008-11-20 12:11

■>西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っている・・
どうも説明不足で失礼しました。

ひとつは、経済的な意味で、地上の人間の生き死にを握っています。今度の金融危機ではっきりしたように、市場は世界的につながっており、米国の信用危機は世界中に拡大し、市民レベルでは、倒産、失業、就職困難といった形で、ダメージを与えています。こうした現象は、グローバリゼーションと表裏一体で、資本主義や社会の近代化(先進国の場合には、後期近代化)とも関わってきます。これらを生みだした技術やシステム、制度、思想は、西欧から出て、全世界に広がってきたものです。

もうひとつは、生活のスタイルとの関わりです。端的に言うと、生活世界の「散文化」ということが言えるように思います。日本では、明治期以来、社会の西欧化をさまざまな分野で進めてきましたが、もともと、日本語には、散文的な思考やスタイルがありませんでしたから、翻訳しながら、文体を開発してきました。大江健三郎も村上春樹でもそうです。これは、文学の分野に限らず、社会的な領域(企業、官庁、学校、学界など)でも言えます。生活世界の散文化は、生活世界の合理化とも言いかえることができ、自然に対しては支配統御、社会の成員に対しては、管理、といった形で進行しています。こうした人間と人間の関係、人間と自然の関係の基本モデルは近代以降の西欧世界のものです(もちろん、日本的なバリエーションは加わっていますが)。

西欧世界から発生したモデルネに飲み込まれつつ、地上で多様な反発力と推進力のぶつかり合いが生じている。その中核に位置するのが西欧世界。そんな風にぼくは見ています。

Commented by paul-paris at 2008-11-20 21:40

詳細な説明ありがとうございます。ここでも西欧世界の全体を見る力、構成力に秀でたところがはっきりと表れているように見えます。一方、日本からは世界を先導するような思想や制度が編み出されていないので、常に外を見て対応するということになっているのでしょうか。

自らを省みても、日本にいる時には世界を上から見るような視点は得られませんでしたが、一歩外に出ると少し様子が違ってきているようにも感じている今日この頃です。日本人に内在する特質と言うよりは日本の位置する物理的な条件が大きいような気もしています。それだけに難しい問題なのかもしれません。






vendredi 6 novembre 2015

機内での出来事

6 novembre 2008
 


CDGでは食事券を使った後にロビーでこれからの準備をする。

時間が迫ってくると気分的にも盛り上がってくるようだ。

これが相手に届くかどうかはその時までわからないのだが、、、


機内では女子大生と一緒になった。

フランス文学と法律を勉強しているというおしゃれな二人組。

パリ観光の帰りというところだろうか。

私のこともお話しすると、空耳かもしれないが 「すてきー」 と聞こえたような気がした。

そのためだろうか、気分よくお話をすることができた。

フランス文学のコースには中年の方がいて一番熱心な学生のようである。

学習意欲は普通の学生に勝るとも劣らないというのはわかるような気がする。

フランスの考え方について私の1年余りの印象を話す。

法学専攻の方もアメリカの考え方は目的指向の傾向が強いことを感じている様子だった。

やはり話しかけてみるものである。

お陰で楽しい飛行となった。


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vendredi 6 novembre 2015


前段の「これからの準備」とは何を言っているのか分からない

書いている時には分かっているのだろうが、時間が経つと駄目である

ここまで書いた時、それは日本で話をする内容についての準備であることが見えてきた

この時期はこちらに来て1年ほど経過したに過ぎない

物珍しく世界を観ていたのではないだろうか

それはそのまま目の前に現れる人に対しても向かっていたと思われる

今では考え難いが、いろいろな人に話しかけていたのだろう

その精神状態は決して悪いものではない

逆に今はマネリズムが入り込み、精神が硬直化している可能背もある





jeudi 5 novembre 2015

波乱の予感

5 novembre 2008
 


CDGに向かうメトロの中。前の御婦人が私の方を見上げるようにしている。

余り近くに寄っ てくるので不快に思っているのだろうか。

それにしても何かを伝えたいような視線である。

堪りかねて英語で話しかけてきた。

あなたのサックのチャックが開いていますよ、というのだ。

下ろして見てみると外側のポケットが完全に開いている。

全く感じなかったが・・・。

彼女は私の後ろにいる中年の外国人女性を指して教えてくれた。

ポケットを調べていたのがその人で、周りを子供5-6人が囲んで見えないようにしていた。

それが彼らの手口だと説明してくれた。

その御婦人の視線に気付いて、彼らは止めたのだという。

チャックを開けたと思われる人にあなたですか、と聞いてみた。

その女性は否定して次の駅で降り、一団を引き連れて別の車両に移って行った。

今回はスーツケースを持っていたので旅行者と思われたことと混んでいたのでこうなったのだろう。

パリでは初めての経験になる。


問題はそれだけではなかった。

空港に着いてチェックインする。

何と出発が6時間遅れで真夜中の出発になった。

予定が1日完全に狂ってしまった。

見事な幸先の旅立ちとなった。

これからに期待したいものである。


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jeudi 5 novembre 2015

メトロでの経験は最初で最後のものであった

まだパリ生活が終わったわけではないのだが

そして、このように調子が狂うことが続くことがある

これはこちらに来てからの特徴だが、このような出来事に遭遇しても殆ど動じることがない

これは日本にいた時のことを思い出すと、驚くべき変化である

そこにはいろいろな原因があると分析しているが、今日は深入りしない








mercredi 4 novembre 2015

ゼミで汗をかき、しばらくのお休み?

4 novembre 2008
 


今日のクールはある程度読んで準備ができたと思って出かけた。学生による発表が終った後、いつものようにディスカッションになった。今回は話している途中に嫌悪感が襲っていた。その場で頭の中でまとめようとすると相当に酷いことになり、自分でもほとほといやになっていた。問題に思った点については予め考えをまとめておかなければ準備をしたことにはならないということだろう。暑いわけでもないのに汗が噴き出していた。それでも終った後の解放感は何とも言えないものがある。

ところで今日はブラジルから経済を修めた女子学生が加わっていた。大きく受け入れてくれそうな雰囲気がある。クラスには他にも経済出身の人がいるのでどうしてなのか聞いてみたところ、経済学の中に科学哲学的なものが組み込まれているという返事であった。時間がなかったので詳しく聞けなかったが、自分の中では一番遠いところにある経済と科学哲学との繋がりがどういうことなのか興味深い。進化論との絡みなのだろうか、専門家のご意見を伺いたいところである。


明日からしばらくお休みを取る予定です。
何か面白いことが出てくれば再び浮上するかもしれませんが、、、


夜8時過ぎだろうか。しばらく見納めになるパリの夜空を眺めるべく木枯らし吹き込むバルコンに出る。いつものようにエッフェル塔からのサーチライトが回っているのが見える。上に目をやると薄曇の空にぼんやりとした白い玉状の明かりが3つ、自在に泳ぎ回っている。今までには見たことのない光景である。下から誰かが光を当てているのだろうか。古代人になって空だけを見ていると実に不思議な眺めであった。



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mercredi 4 novembre 2015


M2のクールでの冷汗は、この日だけではなかったのではないだろうか。

勿論、入 学説明会で額から静かに降りてきた脂汗?は別格ではあるのだが、、。

しかし、そのような状況に入るという経験は何事にも代え難いものだろう。

これは画面を通して学ぶこととの大きな違いになる。

単に知識を得るのとは違う別次元の体験がそこに加わっているところが貴重なものに見える。


 
エッフェル塔の昼と夜は、もうお馴染みの景色になってしまった。

感動は薄れているが、時にその形と光に見入ることがある。






mardi 3 novembre 2015

イフ・ブライエ展を覗く L'Exposition Yves Brayer

3 novembre 2008

 Yves Brayer (1907-1990)


ヴェルサイユに生まれた彼は20歳の時に奨学金でスペインに向かう。その時にプラド美術館で会った巨匠が大きな影響を与える。その後モロッコに滞在したりイタリアの生活に身を任せたりする。 27歳で一旦パリに戻る。33歳の時にはコルド・シュル・シエル (Cordes sur Ciel: このサイトのスライドショーが素晴らしい) に落ち着く。1960年には市庁舎の美術館に彼のための展示室が設けられている。それから世界中を旅している。メキシコ、エジプト、イラン、ギリシャ、ロシア、アメリカ、そして日本など。カマルグやプロバンスに魅せられ、最後は年に数ヶ月をその地で過ごすという生活をしたようである。

会場で係の人(同年代か)に写真撮影はどうか聞いてみたところ、もちろん禁止されていますとの予想通りの答え。ここにある言葉のパネルだけでも駄目ですかと 聞き直したところ、写真は急いで目立たないように撮ってくださいと言って姿を消した。昨年夏のフランスに着いたばかりの日の経験を思い出した(2007-08-30)。こういうところは何とも言えず好きである。


「ここにひとりの芸術家がいる。彼はその一生を根源的に自分自身のままでいることを心得ていた。<モダン>であることなど一切気に掛けず。われわれの20世紀の芸術の世界で花開いた多くの流れを無視した。・・・イフ・ブライエはそれらに頓着することなく、人を驚かせ、スキャンダルを起こす芸術を本能的に無視したのだ」 (アンドレ・デュノワイエ・ド・セゴンザック)
「詩的で絵画的な私の宇宙を創造するためには、自然と常に接している必要があります。想像では何も作り出せません。浜辺に打ち上げられた木の幹、空、石、鳥は尽きることのない辞典です。私は太陽の光の前のようにそこに謙虚に身を預け、幸せを味わいます。アルベール・カミュは書いています。『思考が止んだところ、そこから表現が始るのだ』 と」 (1963年9月、イフ・ブライエ)



「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れることです。その選択はほとんど瞬時に行われ、尽きることがないように見えます。もちろん、記憶や想像から描くことも知っています。しかし、わたしには源泉への回帰、新たな視点(理解)を生み出す刺激剤とでも言うべき自然との接触が必要なのです」 (1984年2月9日、イフ・ブライエ)


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lundi 2 novembre 2015

 
タイトルだけではピンと来なかったが、内容を見てこじんまりした展覧会が蘇って来た。全く知らない画家だったが、獲物を追うように生活していた中で興味が次々に移り、記憶の彼方に去って行ったのだろう。今こうして読み直すことで、すぐ横に蘇ってきてくれた。イフ・ブライエさんの最後の言葉に「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れること」とあるが、これをブログを書くことに置き換えても当て嵌まりそうである。書くことによっても実に多くのものを手に入れることができた。

そして、自然に向き合うことが不可欠だという。これも「この世界に身を晒すこと」を心掛けで来た身にとって、よく分かる。この世界とは、自然であり、過去の遺産であり、人の話であったりする。それらに向き合うことで何かが生まれてきたのではないか。今こうして過去の記事に向き合っていることもその一つになるだろう。それは何かを改めて理解していることになっているはずである。

カミュの「思考が止んだところ、そこから表現が始る」というところもいろいろに解釈できそうだ。先日のテーズを纏めている時、筆が進まず長い間苦しんでいた。そして、最後の数時間で不可能と思われた纏めに一気に向かって行き、自分でも信じられない経験をした。ひょっとすると、最後の数時間まで考えていたのかもしれない。さらに時間軸を長く取ると、フランス生活8年の内、最初の7年ほどはこの世界に身を晒し、カミュの言葉で言えば思考していた。そこではどんなに努力しても表現には至らなかった。わたしの言葉で言えば、まだ体験すべきものがあると感じていたからだろう。そして、最後の1年で思考が一つの閾値に達し、そこから表現に向かって行ったようにも見える。

世界の流れ、流行に惑わされることなく自分自身を追求したイフ・ブライエさんを讃えるデュノワイエ・ド・セゴンザックさんの「一生を根源的に自分自身のままでいる術を知っていた」という言葉も示唆に富む。これが実行できれば、それだけで創造的な存在になることができるはずである。しかし、言うは易く行うは難しであることは、この身を振り返ればよく分かることである。

それから、この画家が世界を歩き回っていたことにも何かを感じていたはずである。






lundi 2 novembre 2015

晩秋のパリ

2 novembre 2008
 






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lundi 2 novembre 2015


この季節は枯葉が目に入るが、今年も2日前のブログ写真が枯葉と落ち葉になった。
 

さっぱり進歩のない視点ではある。
 

これから新たな変容はあるのだろうか。






dimanche 1 novembre 2015

ジャクソン・ポロック Jackson Pollock

1er novembre 2008


ついに11月に入ってしまった。

こちらはToussaint (万聖節)。 

昨年の今頃の記事を読み直してみたが、もうあれから1年も経つのかという思い。

光陰矢のごとしとはよく言ったものである。

昔の人の言葉の意味が身に沁みる ことが多くなっている。

最近は昔の人の言葉の海に身を浸している。

そのためか、何気ない言葉も投げやりにできないようになっているようだ。

これまで拒否していたかに見える昔と繋がるところにしか「意味」に至る鍵はない。

そうとでも思い始めているのだろうか。


ジャクソン・ポロック Jackson Pollock (1912–1956)



"Jackson Pollock et le chamanisme"
du 15 octobre 2008 au 15 février 2009
À la Pinacothèque de Paris

National Gallery of Art, Washington, DC



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dimanche 1er novembre 2015

 なぜこのタイトルなのかピンと来なかったが、おそらくどこかでポスターを見たのだろう。
 

ただ、この展覧会に行った記憶はない。
 

シャーマニズムの影響に焦点を当ててポロックを読み直そうという企画のようだ。
 

今、見直してみたが、彼の作品よりはシャーマニズムの方に惹かれるところがある。





samedi 31 octobre 2015

予定を変更して

31 octobre 2008
 


今日は研究所に行くつもりで出たが、メトロの中で気分が変わっていた。

結局、République で降り、歩いているとリブレリーが目に入ったので覗いてみることにした。

店内の写真撮影もOKとのことで気分よく見て回る。

先日ブルターニュのPさんから紹介された小説もあった。

他にも目に付いたものがあったので一緒に仕入れる。

少し歩いたところでカフェに入り、いつものように早速読み始める。

Pさんは日本の文学に造詣が深いこともあり、サンパウロが舞台のお勧めも日本と関係がある。

彼女のサイト ASHITA はこちらになる。


人文科学の研究者の息抜きについて去年不思議に思っていた。

しかし、小説などはその中に入ってくるのかもしれない。

まだそれだけの余裕もないのだが、気が向いた時に読むことになるだろう。

リブレリーで目に入ってきた景色をいくつか。







1 novembre 2008

同じ写真を仏版にも出したところ、Pinson氏からコメントが入った。

どの写真にも共通して見られる視線について触れている。

これは自分でも気付かなかった。



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samedi 31 octobre 2015

この界隈には、今でもたまに出かける

このリブレリーは、何年か前に火災に遭ったが、今は持ち直している

こちらに来てそれぞれのリブレリーが持つ特徴に目が行くようになった

何気ない本の置き方に美しさを感じたが、それは今でも消えていない





vendredi 30 octobre 2015

インタビューの翌日に、そしてパリで chic なこと

30 octobre 2015
 


昨日のインタビューは調べ物をしながら本を読んでいる人が周りにいる中で行われた。この様子を見ながら、日本ではノーベル賞受賞者のインタビューをこのような状況ではしないだろうという思いでいた。大仰にならず、何気なく事を進めてしまう彼らのやり方や事に対する感じ方はやはりよい。

ところでフランソワーズ・バレ・シヌシさんの話を聞きながら、余り感動しなくなっている自分を確認していた。確かに一つの病気の原因に迫る研究成果は素晴らしいものがあるが、体全体が震えないのである。現役の研究者から確実に退きつつあることを感じていた。そして、インタビューの受け答えを聞きながら、この感覚はおそらく彼女も共有しているのではないかという印象を持った。確かに賞を貰いある満足は得られたのかもしれないが、それで死んでもよいというほどのものではないだろう。今の私から見ると20-30年というのはそれほど前には感じないのだが、彼女にとってはかなり昔のような話し振りで、当時の感触(感激)を今のものとすることが難しくなっているように感じた。さらにエイズの問題は全く解決していないということもあるだろう。彼女の場合には患者さんのもとに下りて社会とのつながりを意識したような研究や社会的活動により深い満足を求めようとしているのではないかと想像していた。結局、人は人間全体を使うようなところでしか満たされないのではないだろうか。そして科学は一つの大きな入り口ではあるだろうが、人間活動のほんの一部にしかなりえないような印象がある。ただ、科学の世界がすべてだと思える人は幸せなのかもしれないという思いでもいた。


今日のENSでのクールは新しい先生(40代前半か)が担当。頭を短く刈っているためか仏教の僧侶の風貌がある。学生がなかなか集まらないので、こんなことを言っていた。パリでは5-6分遅れてくることが chic なんでしょうかね。こういう言葉が出てくるのを興味深く聞いていた。そして18世紀フランスの数学者にして生物学者、博物学者であるのみならず、ヴォルテール、モンテスキュー、ルソーとともに18世紀の四大文章家としても名を馳せたこの人の話を始めた。パリ15区、パスツール研究所の近くには彼の名を冠したリセがあり、しばしばその前にたむろする学生さんを掻き分けて通り過ぎる。


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vendredi 30 octobre 2015


この記事では、かなり本質的な指摘がされている。
 

それは現在のわたしの認識にも近いものがある。
 

当時の観察が7年の間に確信に近いものに変容してきたとも言えるだろう。

それは、科学だけで人はどれだけ満足を得られるのか、という問題である。
 

ノーベル賞と言えども一つの賞にしか過ぎない。
 

それで人類の問題を解決することなど不可能だろう。
 

一見解決したかに見える発見でもその後に新たな問題を生み出している。
 

例えば、ペニシリンの発見などはその中に入るだろう。
 

エイズウイルスの発見にしても入口に立ったにしか過ぎないことが明らかになっている。
 

同様の例がいくつも浮かんでくる。

 

それでは何が人間に幸福を与えるのだろうか。
 

その解はあるのだろうか。
 

今は分からない。
 

しかし、科学が人間を幸福にするとは考え難いという感触だけは確かなものになりつつある。







jeudi 29 octobre 2015

フランソワーズ・バレ・シヌシ博士のインタビューに同席する

29 octobre 2008


Dr. Françoise Barré-Sinoussi, Prix Nobel 2008

 
ノマドが巡り会う道行きの神の仕業だろうか。二日続けての嬉しい出会いとなった。

今日も午後から研究所に出かける。しばらくするとビブリオテクの人が数人を連れて現れた。お連れの方に聞いてみると、ノーベル財団の仕事で受賞者のインタビューを制作しているアメリカの3人組。1時間後に私の目の前で今年のノーベル賞を受賞したバレ・シヌシさんのインタビューが始まるという。彼らの仕事振りを見ていると、熟達の人たちという印象で気持ちがよい。貴重な経験なので今日も予定を変更せざるを得なくなった。

インタビューが始まる前、バレ・シヌシさんはまだ新人なので "very nervous" であると言っていた。インタビューで出ていた質問は次のようなことである。

ウイルスとは何か
レトロウイルスとは何か
ウィルス学を定義するとどうなるか
ウイルスの研究のどこが面白いのか
30年の研究生活は楽しいものだったのか
どのようなきっかけでエイズの研究に入ることになったのか
これがエイズの原因だとわかった時の興奮とはどんなものだったのか
当初世界的に感染が広がると予想していたか
エイズウイルス発見から20年以上経つがまだ有効なワクチンも開発されていないが何が問題なのか
アフリカやカンボジア、ベトナムではどのようなことをされているのか
モンタニエ博士との共同研究はどのようなものだったのか
ノーベル賞受賞はどのような状況で聞いたのか
あなたの研究は基礎から臨床へと進んでいった点で満たされるものがあるのではないか
人を助けていることの喜びとはどのようなものなのか

彼女がエイズにレトロウイルスが関係していることを明らかにした時の状態は、興奮というよりいかにして世界を納得させるのかが問題だったので、やることが山のようにあったとのこと。彼女の研究はどこにでもある(ルティーンの)手法で行われたものであること、それから多くの専門の異なる人たちの智慧の結集であること、したがって今回の受賞も二人だけのものではないということを強調していた。

彼女は以前からアフリカやカンボジア、ベトナムで共同研究や研究指導などを行っている。受賞の知らせを聞いたのは、そのカンボジアでのミーティングで発表している時。フランスのラジオ局の人からの電話で知ったそうだが、全く信じられなかったとのこと。エイズウイルスの研究がノーベル賞を貰うとしても自分がその中に入るとは思っていなかったようである。その後カンボジアの病院を訪ねた時に、若い女性のエイズ患者が彼女にキスをしてこう言ったという。「あなたは本当に素晴らしいことをしてくれました、あなたのお陰で私はこのように治療を受けていますが、まだその恩恵に与っていない人がたくさんいます」。そして、お互い抱き合いながら泣いたらしいが、素晴らしい瞬間だったと数週間前の出来事を語っていた。これは常に病める人のいるところに出かけて行って研究を考えるというパスツールの基本姿勢を実践していることになるのだろう。こういうところにもパスツールの伝統が息づいているという印象を強く持った。


インタビューは数ヵ月後にはノーベル財団のサイトで見ることができるとのこと。
今日は一足早く味わった直後のアップとなった。


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jeudi 29 octobre 2015

このような場面に単独で出会うことができるということは、日本では想像ができない。
 
先日のアンジェ美術館でもすべてを独り占めにするという経験をした。
 
美術館での同様の経験は、こちらでは稀ではない。
 
対象との垣根の低さを感じる経験と言っても良いのだろうが、有難いことである。








mercredi 28 octobre 2015

パトリック・フォルテール博士、微生物を語る Patrick Forterre parle des microbes

28 octobre 2008
 


先週、度が合っておらず、しかも焦点の範囲が狭いレンズを使っていた眼鏡を作り直してもらうことにした。出来上がる日だったので出かける。レンズは手元に届いているがまだフレームに入れていないのでもう少ししてから来てくださいとのことで時間を潰す。これ以上範囲の広いものはあるのか聞いてみたが、これが最高だと言う。諦めの気持ちで戻ってみると前回よりは明らかに良くなっているが、これまでの方が見やすい。ただ、頭痛と眩暈がしそうな前回のものと違って慣れると何とかなりそうな印象である。今日から使ってみることにした。

午後から研究所へ。入り口にあった案内で1時間ほどで講演会が始ることを知る。今年の2月にあった 「生命を定義する」 というコロックで話を聞き興味を持ったフォルテールさんが「微生物:友か敵か」という題で話をするという。予定を変更して聞きに行くことにした。

非常に面白い話であった。彼の話は時間軸が永遠に近いほど長く、生命の歴史を感じるので気持ちが良い。微生物が友か敵かという二分法では答えが出ないことがわかる。前回も聞いたことだが、目に見える動物、植物、カビの類は恰も地球の主役のような顔をしているが、微生物こそ圧倒的に多いのである。微生物こそ主役で、それ以外は添え物だと今回も主張していた。現に微生物はわれわれの外だけではなく内にも溢れている。外のものはしばしば悪さをするが、内のものは普段はわれわれのためになっている。さらに、微生物がないと気分を晴らしてくれるわれわれ(私)の偶の楽しみも味わえなくなるだろう。植物を合法化でもしないとならないかもしれない。彼らが先に生まれているせいもあるのだろうが、われわれの遺伝子の80%くらいはウイルス由来である。この世界の出来事はその善悪を直ちに決め付けるのではなく、まずあるがままの姿を見て、理解しようとすることが大切なのだろう。

今回の話の中に私が考えている問題の重要なヒントになりそうなことが隠されているように感じたが、まだどうつながるのかはわからない。それから興味深い科学者が数人紹介されていた。これから少しずつ調べて行きたい。会場は外に向けての講演会だったようで、年配の方が多かった。講演終了後、英語訛りや外国語訛りも混じった質問が続出していた。フォルテールさんの方がこの辺で止めましょうと言って会は終った。終了後頭の中がシャッフルされたようになり、当初の予定が手につかなくなっていた。

閉館後、外に出ると雨。いつものようにそのまま歩く。いつからこれが気にならなくなってきたのだろうか。アパルトマンにつく頃には雨は上がっていた。



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mercredi 28 octobre 2015

ここにも書かれている通り、フォルテール博士の話は科学的にも興味深く、時に挑戦的なことも話すので面白い。今思い当ったのだが、表情はどこかテリー伊藤さんに似ていないこともない。今回書いたテーズにも微生物が重要なところで出てくるが、多くの示唆を与えてくれた。この中にある「微生物がないと気分を晴らしてくれるわれわれ(私)の偶の楽しみ」が何を指しているのか暫くの間よく分からなかったが、眺めているうちにお酒のことを言っているのかもしれないと思い当った。






mardi 27 octobre 2015

日曜の午後、街に出て散策と読書

27 octobre 2008



昨日、シオランを味わった後、少し内省的な気分になる。午後をどのように使おうか考えている時、普段ほとんど使われていない古いメールボックスに日本からのお付き合いになるブルターニュのPさんからメールが入っているのに気付く。最近彼女について触れた仏版ブログの記事を目にしたのか、近況報告と共にいくつかお勧めの本が書かれてあった。また、別のボックスには日本のY氏から私が日本の学会のニュースレターに書いたエッセイについて熱のこもった (passionnant) なコメントを寄せてくれた。このような反応には本当に生気を与えてくれる力がある(revigorant, vivifiant とでも言うのだろうか)。ということで、午後からPさんに紹介された本などを探すために街に出ることにした。シャトレの辺りを中心に散策する予定で。

ところが出掛けに手にしたドイツのヴァイツゼッカー(ヴィクトール・フォン)の日本語訳文庫本をメトロで読み始めると面白くなっていた。まず人間が複雑である。その上、ナチとの関係、学会との関係、フロイトとの関係なども一筋縄では行かない。その人間像と彼の考えを知りたくなり、リブレリー巡りを諦めシャトレのカフェで数時間過ごす。日曜の午後、普段読むことがなくなっている日本語の本をパリの街中で読むのも悪くないな、という思いが湧いていた。それから周辺の町並みを鑑賞しながらゆっくりと散策し、セーヌを渡ってオデオンまで出た。パリの町は切り取るところが至るところに転がっているという印象である。

それにしても今頃冬時間に移行したことに気付くとは。
去年と同様にパソコン時間より部屋の時計が1時間進んでいることでわかる。
狐につままれたような時間は今年は非常に短かった。
時の経つのは本当に速い。


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mardi 27 octobre 2015

この記事にある「出掛けに手にした」本が意外に強い印象を残すことにその後気付くことになった。限られた時間、立ったまま読むことが集中力を増しているのではないかと想像しているのだが、、。出口近くの本棚を眺め、適当に本を取り出し、その場で少し読み、よく入ってくるものをそのまま持って外に出るのである。そこには日本語の本が多いため、持ち出す本もほとんどの場合日本語の本である。 つい先日のアンジェに向かう前には、トルストイの『人生論』を持ち出し、多くの発見をした。

今年はこの日曜から冬時間が始まった。最近は1日前から時計を調整するようになっている。それだけ生活に余裕が出てきたということだろう。





lundi 26 octobre 2015

Documentaire Emil Cioran - Roumanie -

26 octobre 2008


今週火曜が休講になったので塊の休みをもらったような気分。

今日も天候が冴えない。

もう一日のんびりしてみようという気になってくる。

昨日の余韻が残っているようだ。

シオランの人生と言葉を見ることにした。






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lundi 26 octobre 2015

前日のブログで、それ以来シオランには触れていないのではないかと書いたばかりだった。

早速、裏切られた格好だ。

記憶が如何に当てにならないのかが分かる。

これ以後も読んでいた可能性は十分にありそうだ。

残念ながら、7年前に見たビデオは削除されていた。





dimanche 25 octobre 2015

エミール・シオランの言葉 Cioran dit...

25 octobre 2008
 


彼のことを知ったのは、2年ほど前の真夏の夜のカフェ。フランス人Fとの会話の中であった (2006-08-04)。それ以来、どこかで引っ掛かる存在になっている。

Émile Michel Cioran (8 avril 1911 en Roumanie - 20 juin 1995 à Paris)

外は曇り空。予定を変更して、アパルトマンで物憂い土曜の午後を過ごすことにした。その時、彼が浮かび上がってきた。彼の「生誕の災厄」のページをぱらぱらと捲ってみる。


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Je ne fais rien, c'est entendu. Mais je vois les heures passer ---- ce qui vaut mieux qu'essayer de les remplir.

私は何もしない。よくわかっている。しかし、時が過ぎ去るのを見ているのだ ・・・ その時を埋めようとするのがよいだろう。


Chez certains, tout, absolument tout, relève de la physiologie : leur corps est leur pensée, leur pensée est leur corps.

ある人においてはすべてが、まさにそのすべてが生理により支えられている。つまり、彼らの体が思想であり、彼らの思想が体なのだ。


À regarder les choses selon la nature, l'homme a été fait pour vivre tourné l'extérieur. S'il veut voir en lui-même, il lui faut fermer les yeux, renoncer à entreprendre, sortir du courant. Ce qu'on appelle « vie intérieure » est un phénomène tardif qui n'a été possible que par un ralentissement de nos activités vitales, « l'âme » n"ayant pu émerger ni s'épanouir qu'aux dépens du bon fonctionnement des organes.

自然に応じて物を見るために、人は外に向かって生きるように創られた。もし自らの中を見ようとするのであれば、目を閉じ、物事を始めることをやめ、流れから抜け出さなければならない。内的生活と言われるものは、われわれの生命にとって必須な活動を減速することによってのみ可能になった遅れてあらわれた現象であり、臓器の健全な機能の犠牲の上にしか精神が顔を出すこともそれが開花することもなかったのだ。


― Que faites-vous du matin au soir ?
― Je me subis.

― あなたは朝から晩まで何をしていますか?
― 私に耐えています。


Je n'ai pas rencontré un seul esprit intéressant qui n'ait été largement pourvu en déficiences inavouables.

「口には出せないような欠陥のない興味深い精神には私は一度たりとも出会ったことはなかった」


Ce que je sais à soixante, je le savais aussi bien à vingt. Quarante ans d'un long, d'un superflu travail de vérification...

「私が六十で知っていることは、二十歳でもしっかりと知っていた。40年という長い無駄な検証作業 ・・・」


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« De l'inconvénient d'être né » (「生誕の災厄」)




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dimanche 25 octobre 2015

これ以来、シオランを読むことはなかったのではないだろうか。

ただ、ここにある言葉が蘇ってきたことがある。

2009年、イスラエルのホテルで自らの体を見た時、一番長い引用が突然浮かんできたのだ。

そのことはあるエッセイでも取り上げたことがある。

これから先、シオランを読むことはあるだろうか。





samedi 24 octobre 2015

リブレリーのウィンドーを覗く

24 octobre 2008



今年のヴァカンスに注文したアマゾンの配達に問題があり、数回の注文がすべて届かなかった。ドイツからのものや古本なのでおそらくアマゾンと契約しているフランスやイギリスの本屋からのものである。それ以来、面倒なのでしばらくの間使っていなかったが、最近フランスのアマゾンに注文を出してみた。以前はアパルトマンに配達してくれたのだが、今回も郵便局まで持ち帰っていることがわかった。今朝その本が実際に届いているか確かめるために出かけた。プリンタ・ カートリッジをリサイクルに出すためのパックを持って。




今日は列に並んでいる時に係の人が来てパックを預かり、郵便物受け取りのギーシェ まで案内してくれた。アマゾンの本も届いていた。これが当たり前なのだが、事がすんなり進んだのでそのまま街に出ることにした。ウインドー・ショッピングとリブレリーで見つけた本数冊を仕入れる。






カルチエ・ラタンのカフェを梯子して手に入れたばかりの本を摘み読み。
帰り、外に出ると丁度雨が降り出したところだった。






vendredi 23 octobre 2015

パンテオンに彫刻 Rabarama et Panthéon

23 octobre 2008

Rabarama ou Paola Epifani (1969- )


今朝のENSのクールの帰りにパンテオンに出てみたところ、彫刻がいくつか目に触れた

先日ソルボンヌ広場で目にしたものと同じ作風だ

イタリアの女性彫刻家、ラバラマことパオラ・エピファニさんの作品群であった

素晴らしい秋晴れの下、気持ちよく受け入れることができた







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vendredi 23 octobre 2015

この日のことは、はっきり覚えている

講義の前後にパンテオンの辺りを歩く時、心の中が澄み切ったように感じた

あの感覚は初めてのものだったように感じていたのではないだろうか

それは、精神を力強く前に進める力を持っていた

人類の遺産に誘う力を伴っていた


これらの小さな積み重ねがこの精神に見えない活力を与えていたのではないか


そんなことを今改めて思う





jeudi 22 octobre 2015

時の流れの違い、そしてK先生からの礼状

22 octobre 2008 
 


クールが本格的になってきた。M2のクール数は半分になっているが、一つひとつの密度が濃くなってきている。自らがそこに参加する機会が増えている。それ故大変だが、それだけ面白そうだ。こちらのシステムに次第に組み込まれていくという印象がある。こちらに来る前にフランスのL氏からいただいた言葉の中に、「単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っている」 という一節があり心を動かされたが、今まさにその実行を始めているという思いが生まれている。

ところでこのような歩みの中、新学期が始る前にこれからの1年をぼんやり考えることがあった。その時の印象は1年は何と短かく、こんな時間で一体何ができるのだろうというものであった。手帳のカレンダーを眺めていると、昨年のことを考えてもあっという間である。しかし、クールが本格的になってくるとその印象が変わってきた。今まで上から見ていた視点が下に降りてきて、1年先が全く見えない状態になってきた。丁度、新天地に来て慣れ始めた時に感じた視点の移動と同じ感覚である。再び地に足をつけて歩むことができるようになったということだろう。そうすると時の流れを自らに引き付けている、あるいはその中にどっぷり浸かっているように感じてくる。今まで流れ去るままに眺めていた時間が自分のところに還ってきたと言ってもよいだろう。そうすると、これから先いろいろなことが起こり、どのようなことになるのかわからない、さらに言うと変わりうる機会が増えてくることがわかってくる。その期待感こそ充実した時間をもたらしてくれるのだろう。どうも変わりたいと強く思っているようだ。

先日メモワールとしてどんなものを書いたのかを知ってもらうために出来上がったものをK先生に送ったが、その礼状が届いていた。この夏のバカンスで30年ぶりにお会いしたのを機会に手紙が数回往復するようになっている。今回先生が学生時代にフランス語を勉強していたことを知り驚いた。研究者になってからフランスの論文を読んで以来使っていなかった辞書を取り出して、私の拙い論文を読み始めているという。最初の方の要約が添えられ、これで問題がないかとのことであったが、正確に内容が把握されてまだ錆び付いていないようである。そして、現役の時代には電磁波の研究をされていて、その研究班を作ったり全国を講演して回られたようである。その時に出る質問の中で最も多かったのが、電磁波は健康に影響するのかというもので、それ以来健康とか病気、病理などについて疑問を持つようになったので、これから先を読むのが楽しみであると書かれてあった。修士の書いたものをここまで真剣に読んでもらっていると思うとありがたく感じると同時に、このテーマについてディスカッションをお願いしたいという気にもなっている。



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jeudi 22 octobre 2015

1年のカリキュラムを見て、その短さで一体何が学べるのかと思ったとある。このことは、つい数日前にある方との会話の中で語ったばかりであった。前期と言っても日本の語学学校の一期3か月程度の長さしかない。そこで何かできるのかと思ったのである。しかし、振り返ってみると、日本の場合、仕事の空き時間でやっているという感覚があるが、こちらの場合はそれを中心に回っているところが大きな違いになる。それにしても短い時間であるが、そこには想像しなかったものが詰まっている。この記事にもあるが、視点が下がってきてその中に包まれるという感覚が生まれてくるので受け取るものが大きく感じられるようになるのである。

ドクターに移る手続きの際、事務官にこれまでどこでマスターの教育を受けて来ましたか?という質問を受けた。その時初めて、わたしはそれまでの2年間、フランスの大学でフランス式の哲学の教育を受けていたのだということに気付いたのである。マスターの2年がなければわたしのフランス留学は殆ど意味を持たなかったのではないか、あるいは全く違うものになっていたとさえ思われるくらいである。今では苦しかったマスターの時期が何ものにも代えがたい貴重なものに見え、その感は年々深まっている。







mercredi 21 octobre 2015

インタラクティブなクールが始り、いくつかのインタラクションがある

21 octobre 2008
 


昨日は遅くなったが、結局最後まで行かないまま今日のクールを迎えた。始る前に近くのカフェでショコラ・ショーを飲んでいる時、前に見えた草を食む馬の絵に引き込まれていた。木の陰が昔見たどこかの景色を思い出させたのかもしれない。今日も雨であったが、傘なしで出かけた。ホールで待っている学生さんにフランス人は雨でも傘をささない人が多いですね、と聞いてみると、オックスフォードに1年ほどいたという先日一緒になった学生が、イギリスでは傘は "obligatoire" (さすのが当たり前)と言っていた。イギリスと言えば、雨が降っていなくても傘を持ち歩いている紳士を想像してしまうところがあるが、海峡一つ越えると全く逆の行動になるとは面白いと思いながらこの話を聞いていた。

クールは今日から本格的になった。以前に少し紹介したように、指定された論文についてコント・ランデュした後にディスカッションをするというスタイルである。今日は2つの論文が取り上げられ、若い学生と大学勤めの後と思われる方の2人が15-20分程度話をしていた。ディスカッションが終った後に全員に意見を求められた。私自身は準備不足もあり全般的な話をしたが、真摯に対応していただいた。ただクールの最後に独り言のように課題の論文は必ず読んでくるようにという指導教授の言葉は耳に痛く響いた。これは当然なのかもしれないが、クールの進め方が熟達していることに感心する。それと学生の方の反応が非常によい。これがこのようなクールをうまく進める上で重要になるのだが、それが機能している。コミュニケーションのために言葉をできるだけ正確に使おうとしているように感じる。簡単に言うと、言葉が生きているという印象である。こちらが不自由だからそう感じるのかもしれないが、、、。理系での経験しかないが、日本ではなかなかこうはいかないのではないだろうか。

今日の中休みも前回と同じメンバー4人で向かいのカフェで雑談する。前回より、少しこなれてきたようだ。手巻き煙草の彼女はもともと哲学専攻なので、よく話すし鋭い。哲学なので言葉が命というところがあるのか、言葉に力があり、理系の者から見ると体一つで生きている逞しさを感じる。

クールが終わり、少し歩くと先日話題になったお茶の寿月堂が目に入ったので中に入ってみた。調べた住所がセーヌ通りになっていたので勝手に川沿いにあるものだと思っていたので、こんなところにあったのかという嬉しい驚きとなった。こじんまりした静かなお店に熟練の店員さん2人が迎えてくれた。一般論だが、日本女性の人当たりはこちらの人と違いやはり柔らかい。抹茶入りの玄米茶というのを出され気分が落ち着いたので、同じものを手に入れて書店に向かった。今日は7-8冊が目に入ってきた。そこで何か入ってくるものがないか探している時に、同じクールに出ているリセの哲学プロフェッサーが話しかけてきてくれた。彼女は何と朝5-6時に起きてランスから通っているという。彼女も言葉の歯切れがよく、こちらを覗きこむようにして話をし、また聞いてくれるので非常に話しやすい。そうしているところに、少年のような瞳をしたParis 4のTP氏が通りかかり立ち話をする。彼が私のメモワールにクリティークを加えてくれたが、非常に鋭くこういうものの見方をするのかというところがわかり大いに参考になっている。そのクリティークに答えるのが大変で、現在もその作業中であることを伝える。こういう出会いは嬉しいものである。

2時になるのを待って、先日から問題になっている日本流に言えばM1の単位のことを確かめるため大学に向かう。オフィスに入ると先日とは違い、何しに来たのというような感じでテンションが非常に低い。事情を確かめるとあなたの場合は全く問題ありませんと、最初から何もなかったかのような回答。よくよく考えてみれば、指導教授がM1の卒業を認め、M2への入学も認めているので、そもそもM1の資格も必要ないのかもしれない。まだマスターを終えていない人の場合には問題があるのだろうが、、。ということで、これまで通りにM2のクールに参加できることがわかりほっとして帰ってきた。



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mercredi 21 octobre 2015

マスターの時は一生懸命にやっていたという感想は持っていた。
しかし、具体的なことは忘れている。
それがこのように読み直すことで蘇ってくる。
インタラクティブなクールは緊張して受けていたことを思います。

この記事にあるランスから通っているという哲学の先生のことは思い出せない。
それほど出席されていなかったのではないだろうか。






mardi 20 octobre 2015

眼鏡を再調整し、淡々と前へ

20 octobre 2008
Georges YOLDJOGLOU (né en 1933)


今朝は数日前に受け取った眼鏡を何とかしてもらうために再び眼鏡屋さんへ向かう。実は昔作った眼鏡が昨夜出てきて、それが問題なく使えることがわかった。今回のものをよく見えるものと比べてみると、レンズの厚さが中央と周辺で大きく違うので、それが原因ではないかと思って出かけた。もう一度今回のものとこれまで使っていたものの度数を比較してもらったところ、驚いたことに数字が違うと言っている。それから今回のレンズは安いもので、焦点の合う範囲が狭いこともわかった。仕方なく、より広い範囲で焦点の合うレンズに変更してもらうことにした。もしこれでも駄目だったら・・・と持ちかけると、"ÇA VA MARCHER !!!" と一段と力を込めていた。しかし、私の方はそれほど楽観していない。このようなことは今回だけではないからだ。やはり小手先の気分転換は禁物、という教訓 だろうか。

午後からは研究所へ。引き続き日本の準備をする。
これまでぼんやりと考えていたアイディアが全く使えないことがわかった。
瞑想だけでは駄目である。現実を見ながら、ひたすら前へ進むしかなさそうだ。

夜は明日のクールのために読み、ディスカッションの準備をする予定。
次第に、規則正しい、ある意味では味気ない生活パターンに入りつつある。
映画 "Le Grand Silence" を思い出させる修道僧の生活である。
しかし、これが一番落ち着くから不思議だ。


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mardi 20 octobre 2015

今、アンジェに来ているが、パリに戻るとメガネの調整が待っている。
丁度7年を隔てて同じことをやっている。
人生はこの繰り返しなのか。