3 novembre 2008
Yves Brayer (1907-1990)
ヴェルサイユに生まれた彼は20歳の時に奨学金でスペインに向かう。その時にプラド美術館で会った巨匠が大きな影響を与える。その後モロッコに滞在したりイタリアの生活に身を任せたりする。 27歳で一旦パリに戻る。33歳の時にはコルド・シュル・シエル (Cordes sur Ciel:
このサイトのスライドショーが素晴らしい)
に落ち着く。1960年には市庁舎の美術館に彼のための展示室が設けられている。それから世界中を旅している。メキシコ、エジプト、イラン、ギリシャ、ロシア、アメリカ、そして日本など。カマルグやプロバンスに魅せられ、最後は年に数ヶ月をその地で過ごすという生活をしたようである。
会場で係の人(同年代か)に写真撮影はどうか聞いてみたところ、もちろん禁止されていますとの予想通りの答え。ここにある言葉のパネルだけでも駄目ですかと 聞き直したところ、写真は急いで目立たないように撮ってくださいと言って姿を消した。昨年夏のフランスに着いたばかりの日の経験を思い出した(2007-08-30)。こういうところは何とも言えず好きである。
会場で係の人(同年代か)に写真撮影はどうか聞いてみたところ、もちろん禁止されていますとの予想通りの答え。ここにある言葉のパネルだけでも駄目ですかと 聞き直したところ、写真は急いで目立たないように撮ってくださいと言って姿を消した。昨年夏のフランスに着いたばかりの日の経験を思い出した(2007-08-30)。こういうところは何とも言えず好きである。
André Dunoyer de Segonzac (1884-1974)
「ここにひとりの芸術家がいる。彼はその一生を根源的に自分自身のままでいることを心得ていた。<モダン>であることなど一切気に掛けず。われわれの20世紀の芸術の世界で花開いた多くの流れを無視した。・・・イフ・ブライエはそれらに頓着することなく、人を驚かせ、スキャンダルを起こす芸術を本能的に無視したのだ」 (アンドレ・デュノワイエ・ド・セゴンザック)
「詩的で絵画的な私の宇宙を創造するためには、自然と常に接している必要があります。想像では何も作り出せません。浜辺に打ち上げられた木の幹、空、石、鳥は尽きることのない辞典です。私は太陽の光の前のようにそこに謙虚に身を預け、幸せを味わいます。アルベール・カミュは書いています。『思考が止んだところ、そこから表現が始るのだ』 と」 (1963年9月、イフ・ブライエ)
「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れることです。その選択はほとんど瞬時に行われ、尽きることがないように見えます。もちろん、記憶や想像から描くことも知っています。しかし、わたしには源泉への回帰、新たな視点(理解)を生み出す刺激剤とでも言うべき自然との接触が必要なのです」 (1984年2月9日、イフ・ブライエ)
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lundi 2 novembre 2015
lundi 2 novembre 2015
タイトルだけではピンと来なかったが、内容を見てこじんまりした展覧会が蘇って来た。全く知らない画家だったが、獲物を追うように生活していた中で興味が次々に移り、記憶の彼方に去って行ったのだろう。今こうして読み直すことで、すぐ横に蘇ってきてくれた。イフ・ブライエさんの最後の言葉に「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れること」とあるが、これをブログを書くことに置き換えても当て嵌まりそうである。書くことによっても実に多くのものを手に入れることができた。
そして、自然に向き合うことが不可欠だという。これも「この世界に身を晒すこと」を心掛けで来た身にとって、よく分かる。この世界とは、自然であり、過去の遺産であり、人の話であったりする。それらに向き合うことで何かが生まれてきたのではないか。今こうして過去の記事に向き合っていることもその一つになるだろう。それは何かを改めて理解していることになっているはずである。
カミュの「思考が止んだところ、そこから表現が始る」というところもいろいろに解釈できそうだ。先日のテーズを纏めている時、筆が進まず長い間苦しんでいた。そして、最後の数時間で不可能と思われた纏めに一気に向かって行き、自分でも信じられない経験をした。ひょっとすると、最後の数時間まで考えていたのかもしれない。さらに時間軸を長く取ると、フランス生活8年の内、最初の7年ほどはこの世界に身を晒し、カミュの言葉で言えば思考していた。そこではどんなに努力しても表現には至らなかった。わたしの言葉で言えば、まだ体験すべきものがあると感じていたからだろう。そして、最後の1年で思考が一つの閾値に達し、そこから表現に向かって行ったようにも見える。
世界の流れ、流行に惑わされることなく自分自身を追求したイフ・ブライエさんを讃えるデュノワイエ・ド・セゴンザックさんの「一生を根源的に自分自身のままでいる術を知っていた」という言葉も示唆に富む。これが実行できれば、それだけで創造的な存在になることができるはずである。しかし、言うは易く行うは難しであることは、この身を振り返ればよく分かることである。
それから、この画家が世界を歩き回っていたことにも何かを感じていたはずである。
そして、自然に向き合うことが不可欠だという。これも「この世界に身を晒すこと」を心掛けで来た身にとって、よく分かる。この世界とは、自然であり、過去の遺産であり、人の話であったりする。それらに向き合うことで何かが生まれてきたのではないか。今こうして過去の記事に向き合っていることもその一つになるだろう。それは何かを改めて理解していることになっているはずである。
カミュの「思考が止んだところ、そこから表現が始る」というところもいろいろに解釈できそうだ。先日のテーズを纏めている時、筆が進まず長い間苦しんでいた。そして、最後の数時間で不可能と思われた纏めに一気に向かって行き、自分でも信じられない経験をした。ひょっとすると、最後の数時間まで考えていたのかもしれない。さらに時間軸を長く取ると、フランス生活8年の内、最初の7年ほどはこの世界に身を晒し、カミュの言葉で言えば思考していた。そこではどんなに努力しても表現には至らなかった。わたしの言葉で言えば、まだ体験すべきものがあると感じていたからだろう。そして、最後の1年で思考が一つの閾値に達し、そこから表現に向かって行ったようにも見える。
世界の流れ、流行に惑わされることなく自分自身を追求したイフ・ブライエさんを讃えるデュノワイエ・ド・セゴンザックさんの「一生を根源的に自分自身のままでいる術を知っていた」という言葉も示唆に富む。これが実行できれば、それだけで創造的な存在になることができるはずである。しかし、言うは易く行うは難しであることは、この身を振り返ればよく分かることである。
それから、この画家が世界を歩き回っていたことにも何かを感じていたはずである。
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