mardi 14 avril 2015

イブン・ルシュド Averroès -- Ibn Rushd de Cordoue

14 avril 2008

先月、長い空白の後に再会を果たしたSu氏のメールで知ることになった。日本のテレビでこの方が紹介されたとのこと。私の瞑想の対象に、というご配慮だろうか。この絵を見ると、日本にも多くのそっくりさんがいそうなお顔である。

イブン・ルシュド Ibn Rushd de Cordoue 
(latinisé en Averroès; né en 1126, à Cordoue en Andalousie - 10 décembre 1198, à Marrakech)

彼が生れたコルドバがフランス語ではコルドゥー(Cordoue)となることを知る。何度か触れてい るが、この落差が私にとっては外国語学習の一つの魅力になっている。時代を遡ると精神に枠ができあがっていない人間によく出会うが、この方も例外ではない。哲学者にしてイスラム神学者、法律家にして数学者、そして医学をものしたpolymath。若き日の教育は、コーランの暗誦、文法、詩、算術、文章術から始まり、宗教教育を受けた後に科学、哲学へと進む。科学では、物理学、天文学、医学。1166年、彼が40歳の時、その後30年にも及ぶことになるア リストテレスの作品に注釈を加える仕事に取り掛かる。中世における最も忠実なアリストテレス学者。

医学の面では、自ら手を下すことはな かったようだが解剖を推奨し、性的機能不全を見出しその治療に当たっている。また、パーキンソン病や視覚における網膜の役割を想定していた。さらに、宗教と哲学は相対するものではなく、真理へ至る異なる道だと考えており、われわれの精神は個人特有な部分とすべての人に共通する神性な部分の二つからなると信じていたようである。やがて彼の開かれた精神、論理的な思考がイスラム教の正統派を苛立たせ、異端(hérétique)として排斥され、彼の書籍は焚書に付される。1197年にはアンダルシアのユダヤ人の住む小さな町Lucenaで暮らした後、翌年にはモロッコで名誉は回復される。しかし、再びアンダルシアの地を踏むことなく、その年の冬にマラケシュで亡くなっている。

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Averroïsme
Al-Andalus





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