dimanche 27 mai 2007

フランスからのメール



思いがけないことがたまに起こるものである。今日、フランスからメールが入っていた。 メールの主は、大学で哲学を修めた後、哲学教師をされていた方で、これまでも私のフランス語版ブログにいくつかの貴重なコメントを残している。例えば、私の拙いフランス語を最初から読んだ後に、次のような分析を加えている。

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あなたのブログを特徴付けているのは la dynamique (活力に溢れていること)である。この世に生きている人たちの仲間で、そこに参加することを知っている。あなたのフランス語への思い入れの強さに驚いている。言語は人間が住む家である。もし薦めるとすれば、マルティン・ハイデッガー Martin Heidegger (1889-1976) の "Lettre sur l'Humanisme" (「ヒューマニズムについて」) などはよいでしょう。あなたはイメージに惹きつけられている。それから時の流れに身を委ねることが気に入っている。そこにはすでに亡くなっている人と同時代人であろうとする意思が感じられる。あなたの天性の活力は現象学 la phénoménologie と結びついていて、エドムント・フッサール Edmund Husserl (1859-1938) やハイデッガーを愛するために生れてきたのだ。そして、さらに Kandinski (1866-1944) へと繋がるだろう。 (25 avril 2006)
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それ以来、ここにあげられている芸術家の存在を意識するようになり、少しずつではあるが彼らの声を聞くようになっている。

今回届いたメールは、科学哲学をするためにパリの大学に書類を出したことをフランス版ブログに書いたことに対するものである。A4に移すと2ページになるそのメールは、次のように始っている。

「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。少し前に私の"友人" バシュラール Bachelard についてお話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そうすることにより、常に霊感を与えるような活力 (すなわち目覚め) が得られるでしょう。あなたを取り巻き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じています。しかもあなた自身のものである考え方、尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」

しかしその後には、悲観的な見方に許しを請いながら、フランスの現状を分析している。例えば、フランスは崩壊しかかっている。1992年以来哲学や古典 (ラテン・ギリシャ) 研究へのグラントはなくなっている。フランスは大学の学生・研究者よりも初等教育に金を使っている唯一の国である。科学哲学の領域にも、大きな変化が起こっている。フランスの大学は昔に比べると相当に酷い状態である。フランスはもはや文化の国でも知の国でもなく、没落する過程にある。むしろドイツの大学の方が大学の名に値する内容を持っている。そして、誤った現状認識のもとに今回の決断をしたのではないか、もしそうだとしたら "理想の国" フランスでの生活に落胆するのではないかという危惧が綴られている。さらに必ずしも学生になる必要はなく、むしろ大学というフィルターのない遊歩者として、旅行者として直接フランスを経験する方が多くのものを学び、より大きな喜びを得るのではないかと助言までしてくれている。

このメールの最後で彼は本名を名乗り、フランスを善き方向に導くために現在ある政党の候補として国政を目指していると告白している (ネット検索で見つけることができた)。見ず知らずの者に対して、これだけ真摯に声をかけてくれる人がいるということに驚きと何か不思議なものを感じている。生きることが確かに旅で、今その道行きにあるという実感を呼び覚ましてくれる。



jeudi 24 mai 2007

ユーロのレート



向こうの生活を考えるようになるとユーロのレートが気になり出した。最近のユーロ高は目に余るものがあり、下がる気配が全くない。円を交換するとその価値が半減するという印象になる。このまま行くと生活の危機が襲う可能性大である。何とかならないのか、という思いが募る。このあたりの背景を指南していただける方はおられないだろうか。



mercredi 23 mai 2007

タンパク質に精神はありますか?



昨年の夏になるだろうか。その夜、私は食事のためにあるレストランに入った。その時、偶然に隣り合わせた方とのやりとりでこう聞かれたのである。後でわかったことだが、この方はおそらく50代の精神科の先生であった。当時、この手の話には全く耳を貸さない、現場に身を委ねている科学者であった私は、おかしな質問をする人だなというのが第一印象であった。しかし、酔いも手伝っていたのか、少し経って自らに問い直してみたところ、面白い質問だなと思っていた。このような疑問がありうるのだということ、自分の発する疑問が余りにも制約の多い中でのものでしかなかったことに気付き、大げさに言うと精神が開かされていた。この質問は同時に、科学と言われているものを非科学者がどのように見ているのかという問題にも目を向けさせることになった。科学を哲学的に見ようという人が多くはないにしても確実に存在しているという感触を私に与えてくれた。今まで意識はしていなかったが、この小さな出会いがその後の私に全く影響がなかったとは言えないだろう。

初めてリチャード・ドーキンスの 「利己的な遺伝子」 を読みながら、この経験を思い出していた。それは読み始めてすぐ出てくる次のようなところ、あるいはそのような雰囲気に溢れていそうな予感に誘発されていた可能性がある。

「かつて私は、偉大な分子生物学者ジャック・モノーが科学における創造性について話すのを聴くという光栄に浴した。彼が使った正確なことばは忘れてしまったが、おおむね次にようなことを言ったのである。すなわち、彼が化学の問題について考えようとするときには、もし自分が電子だったらどうするだろうと自問するのだという」

この他にも、科学を外から見直そうとする身にとって大きな励みになりそうな言葉が、1989年版へのまえがきに見つかった。

「科学者ができるもっとも重要な貢献は、新しい学説を提唱したり、新しい事実を発掘したりすることよりも、古い学説や事実を見る新しい見方を発見することにある場合が多い。・・・見方の転換は、うまくいけば、学説よりずっと高遠なものを成し遂げることができる。それは思考全体の中で先導的な役割を果たし、そこで多くの刺激的かつ検証可能な説が生まれ、それまで思ってもみなかった事実が明るみに出てくる」

「私は科学とその 『普及』とを明確に分離しないほうがよいと思っている。これまでは専門的な文献の中にしかでてこなかったアイディアを、くわしく解説するのは、むずかしい仕事である。それには洞察にあふれた新しいことばのひねりとか、啓示に富んだたとえを必要とする。もし、ことばやたとえの新奇さを十分に追求するならば、ついには新しい見方に到達するだろう。そして、新しい見方というものは、私が今さっき論じたように、それ自体として科学に対する独創的な貢献となりうる」



mardi 22 mai 2007

選考委員会の日程



選考委員会が6月にあることは以前に聞いていたが、詳しい日程がわからなかったのでパリのJG氏に問い合わせのメールを出す。そうすると、嬉しいことにその日のうちに返事が届いた。彼とのメールは例外もあるが、非常に感度がよい。その返事によると、選考委員会は6月後半。まだ確実ではないので他にも当たってみるという手もあるのだが、ここのプログラムが私にとって非常に魅力的なので、他にはなかなか手が伸びない。静かにこの結果を待ち、それから動くしかなさそうだ。



dimanche 20 mai 2007

パリでの心の昂ぶりを思い出しながら



若き人との接触を終え、のんびりとした日曜の昼下がり、3月にパリを訪れた時に一気に湧いてきた句 (と言うことができればだが) のことを思い出す。こんなこと、後にも先にも初めてである。当時の心の昂ぶりが表れているので、その一点でのみ掲げておきたい。これから先、事あるごとに思い出しそうである。


  人類の遺産と歩まんヴァンセンヌ

   avec le patrimoine spirituel
    je décide de marcher
     à Vincennes


    梅香るここしばらくのヴァンセンヌ

     les fleurs des pruniers s'exhalent
      je serai pour le moment
       à Vincennes


      いつ来てもパリの空切る飛行機雲

       Chaque fois à Paris
        les traînées des avions
         coupent son ciel


        哲学と科学と神とパリセット

         la philosophie
          la science et Dieu
           à Paris VII


          哲学書前に昂ぶるリブレリー

           devant des livres philosophiques
            je m'exalte
             dans la librairie


            白雪の荒野をゆくかこれからは

             vais-je désormais
              sur la terre sauvage
               de la neige blanche ?
 

          春盛り住みたくはなしパリ市街

           en plein printemps
            je ne voudrais pas habiter
             au cœur de Paris


        春のパリ住処に帰る心地して

         le printemps de Paris
          je me sens comme si
           je revenais chez moi


      春の空住み遂せるかパリの町

       le ciel du printemps
        puis-je vivre
         pour toujours à Paris ?


    巴里の街若き日の我溢れおり

     à Paris
      plein de gens comme
       moi de ma jeunesse
   

  春の巴里沸き立つ心ボストンの

   Paris au printemps
    je m'exalte
     comme aux temps de Boston


     若き日と再び歩まんパリセット

      allons encore
       avec ma jeunesse
        à Paris VII


        フランス語我を導き哲学へ

         la langue française
          me guide sur les chemins
           de la philosophie


           なぜ哲学それ人生と先人 (ひと) の説き

            pourquoi la philosophie ?
             « c’est la vie même »
               disent nos ancêtres


        巴里に住みすぐ蘇る紐育

         dès que j'habite à Paris
          les jours de New York
           me reviennent


     西東なぜ斯く違う春うらら

      l'est et l'ouest
       pourquoi si différents
        le printemps doux


  先人の形見に触れん秋 (とき) 近し

   le souvenir de nos ancêtres 
    le temps de le toucher
     est tout près



vendredi 18 mai 2007

若い世代との接触



私の関係している大学で大学院の学生に向け、研究をどのようにやってきたのかというお話をするようにとの依頼があった。私が少し早めの退職をしてパリに学ぶことにしたことを伝えていたからである。最終講義という意味合いになる。数年前までは今にしか生きていなかったので、現在と将来しか見ていなかった。このお話を受けて、これまでを振り返ってみると、よくもこれだけの長い間この道に携わってきたな、とまず驚いた。さらに、そこから生まれたものを思い返してみると、やはり愕然とする。また、もしあの時に何も見つかっていなければ、ここまで来ることができなかったな、という出来事もある。なぜここにいるのかが不思議にさえ思える危うい歩みであった。

進化生物学者の Ernst Mayr は、生物学を Functional biology と Evolutionary biology に分けて考えている。 前者は、生物現象がどのようにして起こるのかを解析するもので、科学者は "How?" という問題提起をするが、後者においては生物現象がどうしてそうなるのか、その意味を問う "Why?" という疑問に答えようとする。この話をしながら、私はこれまで How を問う研究者であり、そのことに少し飽いてきたのではないか。それは自分の精神のごく一部しか動員されていないように感じたからである。これからは "Why?" という問に答えようとする精神の状態、自らのすべてを立ち上げて立ち向かうような状態を保ちたいという思いが湧いていた。

それは自分の中では次の出来事とも比較できるものである。フランス語の試験に日本では仏検という試験があり、フランスには国民教育省の試験、DELF-DALFがある。DALFーC1を受けた時に私の頭の中で起こっていたことが、まさに自分のすべてを使うという運動であった。それは仏検を受けた時に感じることのできなかったものであり、終わってみると快感に近いものをもたらしてくれた。仏検では頭のごく一部しか活性化しないような問題が出される。文字通り、小手先の出来事で、自分が動員されないのだ。これからは自分のすべてを活性化できるようなところに身を置きたいという想いが芽生えていたということになるのだろうか。

1時間半ほどの会が終わり、声をかけていただいた先生の部屋で15人ほどの学生さんとざっくばらんに話をする。研究を実際に動かす原動力は、やはり若い力が担わなければならないが、これまでの経験を語ったり、「意味」 を探る思索を続け、その成果を世に問うということはわれわれでなければできないだろう。これからの歩みがそこに何らかの漣を立てることができれば素晴らしいのではないか、ということを確認していた。



lundi 14 mai 2007

ailleurs から paris へ



ふとある想いが浮かんだ

ここに来る前のブログは paul-ailleurs が書いていた。そしてここでは paul-paris に変わっている。それまでの場所が 「よそ、他の場所」 で、今ははっきりとした町なのだ。深い考えもなくそうしていたのだが、よくよく考えてみるとそこには意味があったのかもしれない。それまではどこかに 「よそ」 にいるという感覚があり、「ここではないところ」 を求める心が静かに眠っていたが、その求める場所が今現実となっている。

考え過ぎだろうか

しかし、しばらくは現実に対応するのに忙しく、再び 「他の場所」 を求めるまでには時間がかかるのかもしれない。



samedi 5 mai 2007

これからの生活を想う



生物学の考え方についての論文を読みながら、これからの生活は本当に自分の望むものなのかを再度自問していた。このようなことを毎日続けるという生活に耐えられるのかと聞いていた。すると、これこそ自分の望む生活であり、そこから広がるであろう全く予想もできない精神世界がどのようなものなのかを真に見てみたいと考えていることがわかった。それは、どのようなものが待ち受けていようとも悔いなど残さないということでもある。精神的な高まりだけは間違いなくここにあることを確認できた。やはり、これこそが自分が生きていることを自らに示すことのできる限られた道のひとつであると考えているようだ。



mardi 1 mai 2007

もし・・・がなかったら



6月までは実現するかどうかはわからないのだが、今の段階でどうしてここに辿り着いたのかについての運命論者としての作業を試みてみた。それは振り返ってみて、もしあのことがなければこうはなっていないだろうという出来事を探し出すという作業で、もちろん退屈しのぎである。そこから出てきたものを、以下順不同で。

● 2001年春に、もしフランス語のことが頭に浮かばなかったならば、こうはならなかったかもしれない。

● その時、花粉症がひどく、家で休んでいた。もし私が花粉症でなければ、フランス語への興味が湧くことはなかったかもしれない。

● 科学哲学という領域があることを知ったのは2005年春、パリの友人MDとの会話の中であった。もし、MDとの知己を得ず、彼との会話がなければ、ジョルジュ・カンギレムの名があの不思議な感覚とともに私の中に入ることはなく、この領域に興味を持つことはなかったであろう。

● 人類の歴史や哲学で生きてみようという決意は、時差ぼけの朝に浮かんできた。もし、2006年秋のパリの学会に出席していなければ時差ぼけもなく、日常的な頭では決意という形にはならなかったかもしれない。

● もし2006年秋に散策の途中に本屋に入り、DL氏の本に目が行っていなければ、彼との接触を考えることもなく、またその年の暮にパリを訪れていなければ、それを実行に移すこともなかったであろう。

● もし2007年春に再びパリを訪れDL氏との再度の話をしていなければ、どのような形で研究が可能なのかということはわからなかったであろう。

● そして、もし扉ががっちりと閉まったままのIHPSTを再度訪れていなければ、そして私の書類を置いてこなければ、JG氏からの連絡が入ることはなかったであろう。

● もしDALFの試験を受けていなければ、大学院に入る資格はなかったかもしれない。

● もしブログを始めることがなく、ぼんやりと暮らしていたならば、このような考えになったかどうかわからない。

● ブログを始めてからの読書の過程で、過去の人物の一生を眺めているうちに、自分の頭に築き上げられていた枠がほとんど完全に取り払われたようだ。つまり、この世は何でもありなんだ、と悟るようになった。その意味でも、もしブログをやっていなければ、どうなったかわからない。

● 永遠に続くと思っていた仕事の終わりをはっきりと感じ取った時、自らの終わりをも強く意識させることになった。終わりを意識した人間は哲学者になるのだろう。私もその時から哲学者になり、残りの生をその全体としてどう生きるべきかを考えるようになったようだ。換言すれば、そもそも定年がなければ、このようなことを考えることにはならなかったかもしれない。

このように今に続く糸を探し出すと、永遠に数え上げることができるようだ。人生が見えざる糸によって編み出されているということを感じざるを得なくなる。こんなことを書いている今が、また私を別のどこかへと導くことになるのかもしれない。こう考えていくと、人生の一瞬一瞬がスリリングなものに見えてくる。

何の目的もなくやっていることが、何かにつながっていたということを知ることの喜びは計り知れないものがある。私の場合は、何かのためにやると考えただけで、そう言われただけでやる気が失せるところがある。やること自体に意味を見出せなければやる気が湧いてこないのだ。何かのためではなく、そのためだけにやるという純粋な心がそのものに打ち込ませる。そのことの大切さを改めて感じている。