mardi 1 mai 2007

もし・・・がなかったら



6月までは実現するかどうかはわからないのだが、今の段階でどうしてここに辿り着いたのかについての運命論者としての作業を試みてみた。それは振り返ってみて、もしあのことがなければこうはなっていないだろうという出来事を探し出すという作業で、もちろん退屈しのぎである。そこから出てきたものを、以下順不同で。

● 2001年春に、もしフランス語のことが頭に浮かばなかったならば、こうはならなかったかもしれない。

● その時、花粉症がひどく、家で休んでいた。もし私が花粉症でなければ、フランス語への興味が湧くことはなかったかもしれない。

● 科学哲学という領域があることを知ったのは2005年春、パリの友人MDとの会話の中であった。もし、MDとの知己を得ず、彼との会話がなければ、ジョルジュ・カンギレムの名があの不思議な感覚とともに私の中に入ることはなく、この領域に興味を持つことはなかったであろう。

● 人類の歴史や哲学で生きてみようという決意は、時差ぼけの朝に浮かんできた。もし、2006年秋のパリの学会に出席していなければ時差ぼけもなく、日常的な頭では決意という形にはならなかったかもしれない。

● もし2006年秋に散策の途中に本屋に入り、DL氏の本に目が行っていなければ、彼との接触を考えることもなく、またその年の暮にパリを訪れていなければ、それを実行に移すこともなかったであろう。

● もし2007年春に再びパリを訪れDL氏との再度の話をしていなければ、どのような形で研究が可能なのかということはわからなかったであろう。

● そして、もし扉ががっちりと閉まったままのIHPSTを再度訪れていなければ、そして私の書類を置いてこなければ、JG氏からの連絡が入ることはなかったであろう。

● もしDALFの試験を受けていなければ、大学院に入る資格はなかったかもしれない。

● もしブログを始めることがなく、ぼんやりと暮らしていたならば、このような考えになったかどうかわからない。

● ブログを始めてからの読書の過程で、過去の人物の一生を眺めているうちに、自分の頭に築き上げられていた枠がほとんど完全に取り払われたようだ。つまり、この世は何でもありなんだ、と悟るようになった。その意味でも、もしブログをやっていなければ、どうなったかわからない。

● 永遠に続くと思っていた仕事の終わりをはっきりと感じ取った時、自らの終わりをも強く意識させることになった。終わりを意識した人間は哲学者になるのだろう。私もその時から哲学者になり、残りの生をその全体としてどう生きるべきかを考えるようになったようだ。換言すれば、そもそも定年がなければ、このようなことを考えることにはならなかったかもしれない。

このように今に続く糸を探し出すと、永遠に数え上げることができるようだ。人生が見えざる糸によって編み出されているということを感じざるを得なくなる。こんなことを書いている今が、また私を別のどこかへと導くことになるのかもしれない。こう考えていくと、人生の一瞬一瞬がスリリングなものに見えてくる。

何の目的もなくやっていることが、何かにつながっていたということを知ることの喜びは計り知れないものがある。私の場合は、何かのためにやると考えただけで、そう言われただけでやる気が失せるところがある。やること自体に意味を見出せなければやる気が湧いてこないのだ。何かのためではなく、そのためだけにやるという純粋な心がそのものに打ち込ませる。そのことの大切さを改めて感じている。