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jeudi 8 novembre 2007

「フランス語、そして科学から哲学へ」



最近、フランスで科学哲学を学ぶようになるまでの軌跡をまとめるように依頼された。これまでブログにも書いてきたことも含めて総括してみた。そこで生まれ変わろうという魂胆も見え隠れした。このブログのカテゴリに 「パリ大学留学まで」 というのがあるが、それを締めくくるにはもってこいの内容にもなっていると思い、以下に転載したい。

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私は運命論者らしい。ある事に至った時、その元にあるものを探る癖がある。今回の元はおそらく2001年春ではないかと疑っている。その日私は花粉症に悩まされ、自宅のソファで横になっていた。朦朧とした意識の中で、20年以上前に滞在していたニューヨークで買ったフランス語のカセットのことをなぜか思い出したのだ。それは雑誌 New Yorker の縦長の広告を見て注文したものだが、当時は英語に忙しくほとんど触れることもなく忘れ去られていたのである。早速探してみると出てきたので、横になりながら、あるいは通勤時に20個ほどあるカセットをその音を楽しみながら聞き始めた。ただ聞いている、それだけであった。これが今回の事の発端になったフランス語との出会いである。

それからフランス文化との付き合いが始まった。その昔アメリカに渡り4年が経過したある夏の日の午後、英語が右から左に抜けるようにわかるようになる (私の中では) という経験をした。フランス語ではそれは無理だろうから、少なくとも4年間という時間を自由に使ってフランス文化に浸ってみてはどうだろうかという考えの下、これまでいろいろとやっていたようだ。何かのためにやるというのでは全くなく、ただフランス語の音や文化の中に身を晒し、そこでの出会いに快感を感じながらこれまで続けてきたように思う。ひょっとすると、こんなことは今までの私には起こらなかったことかもしれない。

今更述べる必要などないだろうが、異なる文化に触れるとこれまで慣れ親しんだものとは異なる発想の中に身を置くことになり、自分の中の全く別のところが刺激され、しばしば目を開かされる。私の購読している Le Point という週刊誌 (アメリカの Time や Newsweek に当たるようなものか) にはほとんど毎週のように哲学者 (philosophe) が出てくる。そのことに先ず新鮮な驚きを感じた。それから文化欄には哲学・思想と題する項があり、現役の哲学者や思想家が自らの経験を2-3ページに亘って語るのを読むことができる。その内容は哲学研究などではなく、自らの人生をどのように生きたのかを自らの思索を通して自らの言葉で語るというもので、そこにこれまでには感じたことのない、ある種の感動を覚えることになった。時には雑誌全体の特集としてニーチェ、ショーペンハウアー、スピノザ、モンテーニュなどの哲学者が10ページほども割いて取り上げられることもある。これらは私にさらなる驚きを与えた。

最近、フランス大統領選挙で勝ったサルコジの政権に、対立する社会党の影の内閣の大臣が参加するという現象が起こった。この現象に対して、表層的な、あるいは裏話的な分析に終始するのではなく、哲学者が出てきてそもそも裏切りとはどういうことなのかを分析したり、精神医学者が裏切りを生む精神状況を語ったりと物事へのアプローチが重層的で、事の本質に迫ろうとする精神を感じ、私にとっては大いに刺激的であった。このような小さな経験を積み重ねているうちに、私の中の何かが変容して行ったようだ。フランス語の « ouvrir votre esprit » という表現を 「あなたの精神を開く」 と直訳した時、私の経験していたことはまさにこれだと感じた。

2005年春、パリにあるP研究所の友人が私の研究室を訪ねてきた。彼は東京の街がマスクをしている人で溢れていることに驚いていたが、そこから会話がある方向に向かった。私が花粉症であること、花粉症のお陰でフランスとの出会いが生れたこと、病気がなくならないのは病気自体に存在意義があるからで、私にとっての花粉症はまさにフランスへの想いを呼び覚ますためにあったと考えている、というような他愛もないことである。そこで彼は、病気の意味などに興味があるのであればこの人を読んでみては、と言って 「ジョルジュ・カンギレム」 という名前を出し、« Georges Canguilhem » と綴ってくれた。それを見た時に実に不思議な感覚が襲ってきた。何と形容してよいのかわからないが、今まで全く知らなかった世界への鍵がそこにあるかのような、未知への扉がこれから開かれようとしているかのような感覚だろうか。それから彼の著作を取り寄せたり、関連する本に目を通すようになっていた。その結果、このような領域が科学哲学、フランス語では épistémologie (la philosophie des sciences) と呼ばれていることを初めて知ることになる。今から僅か2年ほど前のことでしかない。

またその頃から、ぼんやりと自らの退官のことが頭に浮かんでいた。それまでは研究生活が永遠に続くと無意識のうちに思い、呑気に研究をしていた。そもそも基礎研究を始めた当初の思いは、何か美しいものを見てみたい、あるいは大きな原理のようなものに触れてみたいというものであった。そのためには、自らの興味に従い求めを続け、その結果見つかってきたことをもとに、さらに問いかけるということを続けていけば、いずれ私の思いが満たされるのではないかと考えていた。これは意識的に考えたというよりも、直感的にそう思っていただけである、と今では言わざるを得ない。この考えは、研究生活が永遠に続くという前提の下で初めて自らを納得させることができるのではないか、と思い始めていた。そんな折も折、アインシュタインの次の言葉に出会ったのだ。

「概念と観察の間には橋渡しできないほどの溝があります。観察結果をつなぎ合わせることだけで、概念を作り出すことができると考えるのは全くの間違いです。あらゆる概念的なものは構成されたものであり、論理的方法によって直接的な経験から導き出すことはできません。つまり、私たちは原則として、世界を記述する時に基礎とする基本概念をも、全く自由に選べるのです。」

この言葉を見た時、ひょっとして私はスタートから間違っていたのではないか、という疑念が湧いていた。と同時に、これまで如何に自分の対象となっているものの本質を考えないで研究をしていたのかということを痛感させられていた。これから同じようなことを続けていて果たして自分は満たされて終ることができるのだろうか、さらに突き詰めると、これからを如何に生きるべきなのか、という究極の問が生れて初めて私の前に現れた。

この問に対して、自分に一番しっくり来る道、この道を行けば悔いを残さないと思われる道は何なのかを探ることにした。研究を続ける、大学で教える、新しい分野に入る、悠々自適を決め込む、などの可能性について、実際にその環境に身を置いて自分の反応を確かめるという方法で検討していった。試行錯誤を繰り返した結果、最終的にはパリ第一大学の大学院で科学哲学を学ぶことになった。ここに至る道は、パリ大学の先生が私のような門外漢に許可を与えたことも含めて、不思議の糸に導かれているとしか言いようのないものであった。

2年程前、言葉に慣れるために拙いながらフランス語でブログを始めた。先日、そこに書いたフランスで哲学をやることになったという記事に対して、A4にすると2ページにも及ぶ私の心を打つコメントが届いた。そのコメントの主は、大学で哲学を修め哲学教師をした後、フランスが自らの歴史を蔑ろにしている現状に危機感を覚え、現在政治の世界を目指しているという方である。要約すると次のようなことが綴られていた。

「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。先日、私の 『友人』 と言ってもよいガストン・バシュラール (Gaston Bachelard) について話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そおすることにより、常に霊感を与えるような活力 (すなわち目覚め) が得られるでしょう。あなたを取り巻き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じています。しかもあなた自身のものの考え方、すなわち尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」

最近、こういうはっきりした言葉との触れ合いに心から満足を感じるようになっている。数年前では想像もできない変化である。このような精神状態でこれからの数年をこちらで暮らしながら、人類の蓄積を掘り起こし、自らも考えていくという選択をしたことになる。いつの日か、その営みの跡を語ることができれば素晴らしいだろう、などという考えを弄んでいる。最後に、今年の3月にパリを訪れた際に浮かんできた一句を掲げ、この小文を終えたい。


若き日とともに歩まんパリーアン

Allons encore
avec ma jeunesse
à Paris 1

Paul Ailleurs




vendredi 31 août 2007

入居準備完了



昨日はスピノザさんを読んだあと、メトロに乗る。乗換を予定していた駅が工事のため、急遽予定を変更して左岸をセーヌ沿いにのんびりと半周した。最早観光客としての目はなくなっていて、非常に落ち着いて目の前の景色を眺めていた。すでに見たことのあるところは、当時呼び覚まされた感情や感覚を参照しながらの散策となった。

今朝、不動産屋さんに最後の署名をするために出かける。担当のダビッドは相変わらず元気一杯で、もう一月経ったのでフランス語も少しは上達しただろう、などと言って以前にも増して早口でまくし立てていた。この一月は日本での引越し準備でフランス語どころではなかったのだが。30分ほどですべてが終わり、明日鍵を貰い、晴れて新しいアパートの住人になることができる。2-3ヶ月前にも予想さえできないような展開である。これが結末ではなく、新たは始まりにしか過ぎないのだが。



jeudi 30 août 2007

巴里到着 arrivée à Paris via Amsterdam



一月ぶりのパリになる。成田では、準備不足から持参しなければならない荷物が多く覚悟はしていたが予想通りの展開となった。持ち込める手荷物は12kgまでと決められていて、いくらお金を払っても駄目、と言われる。仕方なくすでに重量オーバーのスーツケースに手荷物のオーバー分を移し計量すると29kg。郵送にした方が安いかもしれませんよと言われるもすでにその気力なく、受付嬢に哀れみを請い続ける。その甲斐あってか、最後は片目を少しだけ瞑って計量していただいたようだ。日本ならではのこととは思うが、これから学生の身、ありがたかった。

今回はアムステルダム経由。KLM乗員の対応もなかなか感じがよく、機内も心なしかゆったりしているように感じる。「この飛行機はパイロット2人で運航することになっていますが、今回は3名が搭乗しています。パイロットが客室内をうろちょろしていても (もちろん、もう少し丁寧に) ご心配なさらないように」 という機内アナウンスに少しにんまり。夕方、無事にパリのホテルに辿り着く。ここは隣の部屋の音は聞こえるものの、Wifi が無料で使える。タバコは吸えるのかをコンシェルジュの中年男に聞くと、「もちろん、全館禁煙です。でもたまに吸うくらいだったら、窓でも開けて吸えばいいでしょう。ヴォアラ!」 。この管理されていない、いい加減さが長旅の疲れを限りなく癒してくれる。ここに数日間お世話になった後、先月見つけたアパートに移ることになる。



mercredi 25 juillet 2007

アパート契約終了



今回の旅を始める前は、一体私はどこに住むことになるのだろうかと興味津々であった。もともとどうしてもここでなければならないということはなく、その時の気分で最もしっくり来るところであればそれでよしとするタイプのせいだろう。振り返れば、生き方もほとんど同じように見えてくる。最初に道を決めるのではなく、歩んでいるうちに分かれ道が必ずやって来るが、その時に心の底に問いかけて折り合いのつく道を歩むというやり方であった。

出発前には、通学に交通機関を使わず、walking distance にアパートを見つけることができれればよいのだが、とぼんやりと考えていた。2週間という時間を区切っていたので、最後の時間切れでは 「えいやーっ」 と決める予定でいた。しかし、何という幸運か、最初に見たところでしっくりきてしまったのである。このようなことはこれまでで初めての経験になる。しかも予想もしていなかった場所になったことも微かな喜びを呼んでいる。

本日、契約に必要な手続をすべて終え、後は caution bancaire の扱いをどうするかについて金曜日に銀行の方と話をして今回の予定のすべてを終えることになった。最初はどうなるのかという状況もあったが、最終的には予想を上回るペースで事が進んだことになる。これから名所巡りでもしようか、というのが普通なのだが、今回はそういう気が全く起こってこない。住処も決まり、しばらくこちらにいるという状況がそうさせるのだろう。それと新学期がどのようなものになるのかの方に興味が移ってきているようだ。今、大学のHPでコースの内容をチェックしてみた。結構ハードなことになりそうだが、それはそれで面白そうである。ありがたいことに、外国人向けのフランス語コースが必修となっている。



lundi 23 juillet 2007

大学を覗く visiter l'université



アパートを見た帰りに大学に寄る。回廊のようなものがあり、中庭には Victor Hugo と Louis Pasteur の像がある。廻廊を歩いていると、小さな部屋に数十人の学生が集まってワインパーティをやっているところに出くわす。入り口の表示を見ると、Paris 4 の人類学に入学する学生さんが登録を終わって顔見世せの会をやっている最中のようだ。さすがに皆さんお若い。中に変わり者がいるかどうか覗いてみたが、ここには見つからなかった。あと一ヵ月もすれば私もこのような人の輪にいるのだろうか。

ホテル近くの古本屋で通りに出ている棚があったので覗くと、hamac の文字が見える。ダニエル・ぺナック Daniel Pennac という人の Le dictateur et le hamac であった。近くのカフェでモナコというビールのカクテルを飲みながら、最初の方を読む。南米辺りの仮想の国の独裁者で、権力とどこか別の場所 (ヨーロッパなど) を求めているが、なぜか広場恐怖症 agoraphobie の男が主人公らしい。人嫌いでもないのになぜアグロフォブなのか。どうも占いの人にあなたは民衆に虐殺される運命にあるとのお告げを受けたことが原因らしい。悪夢に苦しめられ、身代わり (le sosie という言葉がよく出てくる) を雇う。そのあたりの絡みがこれから出てくるのだろうか。しかし、なぜ hamac が出てくるのか、そこにも興味がある。

お店の人に、どこから来たのですかと聞かれると、自分がどこに属しているのかわからなくなる感覚に襲われる。これはアメリカにいる時にも襲ってきたものだ。これからこちらにしばらくいるという意識も加わってそうなるのかもしれない。



dimanche 22 juillet 2007

アパートを見る examiner l'appartement



数日前、求める条件を満たしているアパートを見に出かける。これまでの経験から、図面や説明では実物が予想もつかないことがあり、意外なものがよかったりする。見るまでの楽しみでメトロを降りると、中心部とは違い落ち着いた町並みで好感触。さらにアパートのある通りに入るといわゆる郊外の住宅街で、非常に静かである。アパートのすぐ横にはコンビニ、洗濯屋、靴修理屋、鍵屋、銀行、さらに少し歩くとショッピングセンターがあり、生活するのには不便はなさそうな環境である。アメリカ郊外の小さな町を思い出させる。

約束の時間に担当のダヴィッドがバイクで到着。ヘルメットを取りながらこちらに手を振っている。中に入ると家具付と銘打っているだけあり、家具はもちろんだが、食器、棚や壁の飾り、さらにご丁寧なことに本棚には本がぎっしり詰まっている。一人で乗り込んでもすぐに生活できる状態になっているし、これからさらに探す根気もなく、またこれまでの経験から自分にしっくりときているとわかるもので、今回もそう感じたのでこれに決めることにした。

問題はその後に出てきた。賃貸契約に projet de bail という書類を準備するのだが、それに少なくとも10日はかかるというのだ。アパートを探して契約まで辿り着こうとしたならば、一月位は必要になるのか。どうしても予定通りに帰らなければならないと詰め寄ると、まずアパートの管理をしている会社に2か月分の敷金 dépôt de garantie と最初の家賃のチェック、それに不動産屋に礼金 honoraire のチェックを準備すること、その上で書類に先にサインをして銀行と銀行保証 caution bancaire の手続をするという。そう言い残して大忙しのダヴィッドは次のランデブーにバイクで飛んでいった。明日以降の成り行きを見なければならないが、何とかなりそうな雲行きである。



jeudi 19 juillet 2007

口座開設、そして住居探しへ ouvrir le compte et chercher l'appartement



日本でランデブーを取っておいた日に、銀行口座の開設に向かう。必要なものは、日本の住民票、銀行口座の残高証明、それと若干のユーロであった。いくつかの書類にサインをしながら、こちらの状況を聞く。また、学生の場合は週に20時間まではアルバイトができることになっているので、何かやられたらよいのでは、とお勧めいただく。すべての手続は1時間ほどで終わり、アパート探しにまず郊外に向かう。

この春に来た時にもいくつかのカルティエを回ったが、今回は同じ場所には行く気にならず。初めて見る場所に住んでみたいと思っているようだ。まず手当たり次第に不動産屋さんを6-7軒回る。それぞれのところで持っているアパートの条件を見ると、ほとんど満たしているのだがどれか一つが欠けているという状態。それぞれを足し引きできればよいのだが、そうは問屋が卸さない。人生を見る思いだ。前回の経験で、店員の対応もよく、持っている物件数も多かったので今回もまずそこから始めようと決めていた。しかし、メトロを降りると目の前に別の不動産屋があったのでまずそこから始め、最後に目指すところに辿り着いた。張り出された広告を見ると、1件だけ家具付のものがある。しかも他の条件もすべて満たしている。こういうものが初日に出てくるとは運がよい。

これが良さそうだと担当のダヴィッドに伝えると、フランスでどのくらいの期間働いているのか、と聞いてくる。2日前に着たばかりだと言うと驚いて、そういう人には貸せません。こちらで収入がなければ駄目です、と言って聞かない。よもや学生になろうしているとは思っていなかったらしい。それでは学生の場合はどうするのかと聞くと、こちらで収入のある人が保証人にならなければ駄目です、ときっぱり。前回の訪問時に、銀行の方からcaution bancaire (1年分くらいの家賃+?%を銀行で確保する) があれば借りられるような話を聞いていたのでそれでどうかと聞くが、グループの決まりでできないと言う。まだアパートを見てもいないうちにそれ以上詰め寄っても始らないと思い、とりあえず翌日現地で待ち合わせて部屋を見ることにした。



mardi 17 juillet 2007

旧友訪問 visiter mes amis



P研究所までモンパルナスから歩く。受付の女性はもう顔を覚えているようで、また来たのかというような表情。研究室で話を聞く。丁度バカンスに出る前に論文を出す準備中で、早速私にも読んでくれと渡され、昼食に行くまでにコメントをほしいと言っている。いつ来てもダイナミックである。仕事の内容はわれわれのところのものと関連があり、興味を持って読んだ。

私のこれからの道を話すと研究室の人がいろいろと助言をくれる。例えば、これからアパートを探すのであれば、一本のメトロで通えるところを探すように。少し広めの方が面積当りではお得である。狭いステュディオの方が学生の需要があるため、高くなるという。また、これから仕事をしなければ大変だろうからと言って、アルバイトの紹介までしてくれる。まだどうするかはわからないが、本当にありがたい心遣いである。今博士論文を書いている最中のKは、哲学の大学院など出て、将来は哲学教師になるつもりですか?などと半分冷やかしの質問をしてくる。もちろんNONと答えておいたが、先のことはわからない。カンティーンではアルジェリア出身の友人と2年ぶりに会い、4人で昼食。あなたのこれからは面白そうだ、私の学会でもそういうセクションを設けようか、などと軽口を叩いていた。

これからある程度の期間過ごすという心の状態でこの街を見ると、以前の旅行者として見ていた時ほど輝いては見えない。おそらく、いつでも見られるという日常になってしまうことが大きいのだろう。いつも新鮮な目を保っていたいものだと思う。今日が最初であるとともに、最後であるという目を。



lundi 16 juillet 2007

台風の中、無事到着



出る前に台風が来ていることを寸前まで気付かず、週間予報にある 「曇り時々雨」 だと思っていた。周りの騒ぎでどうなるのか気にはなっていたが、成田に着くと週間予報通りの曇りで時々雨の穏やかな天候。飛行機は定刻に飛び立ち、無事にパリ到着。前回も感じたが、着いた時の盛り上がりは全くない。特に今回は、日本のどこかの街に降りたのと同じ状態で、何の感情の変化も感じられない。おそらくこちらの人に会わなければ何も誘発されないのだろう。

今回のホテルはバスティーユの近く。ホテルのテレビでは Maigret をやっている。喉が渇いたので水を探しにパスティーユ周辺に出る。歩いていると Le Point のおそらく恒例の夏の哲学特集が目に入る。今年は Spinoza のようだ。いつもの通り、部屋からのネット接続はうまく行かないので、時間を見て街の Cyber Café でやるしかなさそうだ。

今朝、テレビをつけると新潟の大地震が報じられている。震度6.8とあるので相当な被害があると予想される。原発から煙が出ている映像が流れていた。最小限の被害に食い止めていただきたいものである。こちらでは朝メトロに乗ると早速 Campo Formio で止まり、イタリア広場まで歩かされた。工事のためだろうか。健康にはもってこいの始まりではあるのだが、、、



jeudi 12 juillet 2007

アパルトマン探し、銀行口座開設など



引越しになるといつものことで、住むところを見つけて、生活の基盤を整えなければならない。その準備をぼちぼち始めなければならないだろう。アパルトマンを借りるには銀行口座がなければならないようなので、向こうの銀行とFAXでやりとりを始めた。3月に滞在した時に会った日本人の方なので、勝手がわかってやりやすい。FAXが少しまどろっこしいところはあるが。実際には口座を開くためには生活の証拠がなければならないという堂々巡りなのだが、今回は口座の方を先に開設できそうである。日本の住民票と銀行の残高証明書とで何とかしていただけそうである。口座を設けた後で、住処を探すことになるだろう。問題は今のユーロ高である。しかし、学生の身なので贅沢は言っていられない。いずれにしても、来週からの様子を見てみたい。



mercredi 4 juillet 2007

ビザ受領



入学許可書によると、入学手続きが9月20日になっている。その一ヶ月前からのビザが本日戻ってきた。窓口では少し並んだ後、

― Bonjour !
― Bonjour !
   ・・・
― Merci beaucoup !

だけで問題なく終わった。これで一応、向こうにある程度の期間の滞在が可能になった。これからやらなければならないことに取り掛かることができる。やっと動き出す心境になってきたということだが、同時にやや憂鬱である。



jeudi 21 juin 2007

ビザ申請に出かける



最後まで残っていた書類 (入学許可書) が届いたので、早速学生ビザの申請にフランス大使館まで出かける。快晴の週日の午前中、何の囚われもなく広尾界隈を散策するというのはこういう感覚を呼び覚ますのか。仕事をするということが本当によいことなのかどうか、考えてしまう。外国人で溢れかえったようなカフェがある。一瞬、ここはパリでは、と思う。大使館ではビザの開始日をいつにするのかを聞かれる。実際に学校が始る一月前まで遡って開始日とすることができるとのこと。私の場合、早めの出発もあるかと思い、そのように変更してもらった。その他には特に問題もなく終る。2週間後に出来上がるようだ。帰りがけに先ほど見たカフェに入り、これまでを振り返っていた。

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参考までにフランス大使館のホームページにある必要書類をあげてみると、以下のようになる。

1. 長期ビザ申請書
2. 証明写真 
3. (仮)入学許可書 
4. 滞在費の証明 (6000ユーロ以上の残高証明)
5. パスポート(残存期間が日本帰国予定日より3ヶ月以上) 、証明写真ページのコピー
6. ビザ料金 50ユーロ (ユーロ高のため8000円ほどになった)
7. 最終学歴を証明する書類 (英/仏文翻訳添付)
8. 履歴書 (フランス語か英語)
9. 動機書 (フランス語か英語)
10. フランス語レベルを証明できるもの (DELF、DALF、仏検など)
11. 学生ビザ申請者対象アンケート



samedi 16 juin 2007

入学許可書、届く



郵便箱を開けるといつものようにビラが溢れている。その中に数通の封筒があり、一通のエアメールが目に入る。見ると P1 からのものである。今週以降に会議があると予想していたので、意外に早いので驚く。早速開けてみると選考の結果が "favorable" とある。これで二ヶ月以上の 「待ち」 からやっと解放され、動き出せることになり一安心。

これまで私の中で埋もれていた営み、それは 「真・善・美」 についての人類の発見を探索する旅のようなものと言えるが、やっとその営みを自分の思うような切り口で進めることができるのか、という充足感が静かに押し寄せてくる。こういう感覚を味わうのは、本当に久しぶりである。おそらく、大学に入る前の春休み、あるいは米国に向かう前の状態に近いが、それよりもずっと穏やかで、しかもその喜びが深いような気がする。私のようなものに興味を示してくれたJG教授と選考に加わっていた大学の先生に率直に感謝したい。



jeudi 14 juin 2007

lundi 4 juin 2007

フランス大使館にて



パスツール研究所創立120周年記念シンポジウム 「ルイ・パスツール:人類への貢献」が明日日経ホールで開催される。このシンポジウムに出席のため来日された研究所の理事長を囲む会が、この4月からパスツール協会の名誉総裁になられた常陸宮正仁親王殿下ご夫妻のご臨席のもと、フランス大使館で催された。幸いなことに、協会の方の勧めで常陸宮殿下ご夫妻に挨拶をする機会を得た。そこで私のこれからのプロジェについて話をしたところ、難しそうだが計画が成功するように祈っているとのありがたい励ましのお言葉をいただいた。実は、20 年程前私がニューヨークの研究所で仕事をしていた時に、ご夫妻が研究所を訪問され、親しく言葉を交える幸運に浴したことがある。20年を経てこのようなことが再び起こるとは、想像もできなかった。

このパーティで、二人の大使館の方と話す機会があった。折角なので私のプロジェを話してみた。そうすると反射的に、そのような学生のための奨学金を大使館が用意しているという話が出てきた。今年の分はすでに終っているので、2008年に挑戦してみては・・・というお話。彼らと話していて気持ちがよいのは、年齢の話が全く出ないことである。最初からそんな枠などはめて考えていないところがよいのである。さらに、哲学という話をすると、すぐに科学とのつながりを語り出すことである。私の話がよく通じるのである。日本人とではなかなかそうはいかない。これはヨーロッパにおける哲学、科学の歴史が彼らの精神に染み込んでいることの証左なのだろうか。そう思わざるを得ない、と今の段階では考えておこう。



dimanche 27 mai 2007

フランスからのメール



思いがけないことがたまに起こるものである。今日、フランスからメールが入っていた。 メールの主は、大学で哲学を修めた後、哲学教師をされていた方で、これまでも私のフランス語版ブログにいくつかの貴重なコメントを残している。例えば、私の拙いフランス語を最初から読んだ後に、次のような分析を加えている。

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あなたのブログを特徴付けているのは la dynamique (活力に溢れていること)である。この世に生きている人たちの仲間で、そこに参加することを知っている。あなたのフランス語への思い入れの強さに驚いている。言語は人間が住む家である。もし薦めるとすれば、マルティン・ハイデッガー Martin Heidegger (1889-1976) の "Lettre sur l'Humanisme" (「ヒューマニズムについて」) などはよいでしょう。あなたはイメージに惹きつけられている。それから時の流れに身を委ねることが気に入っている。そこにはすでに亡くなっている人と同時代人であろうとする意思が感じられる。あなたの天性の活力は現象学 la phénoménologie と結びついていて、エドムント・フッサール Edmund Husserl (1859-1938) やハイデッガーを愛するために生れてきたのだ。そして、さらに Kandinski (1866-1944) へと繋がるだろう。 (25 avril 2006)
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それ以来、ここにあげられている芸術家の存在を意識するようになり、少しずつではあるが彼らの声を聞くようになっている。

今回届いたメールは、科学哲学をするためにパリの大学に書類を出したことをフランス版ブログに書いたことに対するものである。A4に移すと2ページになるそのメールは、次のように始っている。

「今あなたの決心を知ったところです。それは非常に崇高な (noble) もので、あなたにとって重要な生命科学とフランス語の分野を発見しようとする意思の表れです。心から真摯な激励を贈りたいと思います。少し前に私の"友人" バシュラール Bachelard についてお話しましたが、科学哲学を学ぶことは素晴らしい旅になるでしょう。私はあなたが単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っております。そうすることにより、常に霊感を与えるような活力 (すなわち目覚め) が得られるでしょう。あなたを取り巻き、そして呼び覚ますものによってあなたが外に開かれるようになり、人間としての勤めを追求しようと冷静に結論を出されたことに心からの喜びを感じています。しかもあなた自身のものである考え方、尊厳をもって生きるという考え方を失うことなく。」

しかしその後には、悲観的な見方に許しを請いながら、フランスの現状を分析している。例えば、フランスは崩壊しかかっている。1992年以来哲学や古典 (ラテン・ギリシャ) 研究へのグラントはなくなっている。フランスは大学の学生・研究者よりも初等教育に金を使っている唯一の国である。科学哲学の領域にも、大きな変化が起こっている。フランスの大学は昔に比べると相当に酷い状態である。フランスはもはや文化の国でも知の国でもなく、没落する過程にある。むしろドイツの大学の方が大学の名に値する内容を持っている。そして、誤った現状認識のもとに今回の決断をしたのではないか、もしそうだとしたら "理想の国" フランスでの生活に落胆するのではないかという危惧が綴られている。さらに必ずしも学生になる必要はなく、むしろ大学というフィルターのない遊歩者として、旅行者として直接フランスを経験する方が多くのものを学び、より大きな喜びを得るのではないかと助言までしてくれている。

このメールの最後で彼は本名を名乗り、フランスを善き方向に導くために現在ある政党の候補として国政を目指していると告白している (ネット検索で見つけることができた)。見ず知らずの者に対して、これだけ真摯に声をかけてくれる人がいるということに驚きと何か不思議なものを感じている。生きることが確かに旅で、今その道行きにあるという実感を呼び覚ましてくれる。



jeudi 24 mai 2007

ユーロのレート



向こうの生活を考えるようになるとユーロのレートが気になり出した。最近のユーロ高は目に余るものがあり、下がる気配が全くない。円を交換するとその価値が半減するという印象になる。このまま行くと生活の危機が襲う可能性大である。何とかならないのか、という思いが募る。このあたりの背景を指南していただける方はおられないだろうか。



mardi 22 mai 2007

選考委員会の日程



選考委員会が6月にあることは以前に聞いていたが、詳しい日程がわからなかったのでパリのJG氏に問い合わせのメールを出す。そうすると、嬉しいことにその日のうちに返事が届いた。彼とのメールは例外もあるが、非常に感度がよい。その返事によると、選考委員会は6月後半。まだ確実ではないので他にも当たってみるという手もあるのだが、ここのプログラムが私にとって非常に魅力的なので、他にはなかなか手が伸びない。静かにこの結果を待ち、それから動くしかなさそうだ。



dimanche 20 mai 2007

パリでの心の昂ぶりを思い出しながら



若き人との接触を終え、のんびりとした日曜の昼下がり、3月にパリを訪れた時に一気に湧いてきた句 (と言うことができればだが) のことを思い出す。こんなこと、後にも先にも初めてである。当時の心の昂ぶりが表れているので、その一点でのみ掲げておきたい。これから先、事あるごとに思い出しそうである。


  人類の遺産と歩まんヴァンセンヌ

   avec le patrimoine spirituel
    je décide de marcher
     à Vincennes


    梅香るここしばらくのヴァンセンヌ

     les fleurs des pruniers s'exhalent
      je serai pour le moment
       à Vincennes


      いつ来てもパリの空切る飛行機雲

       Chaque fois à Paris
        les traînées des avions
         coupent son ciel


        哲学と科学と神とパリセット

         la philosophie
          la science et Dieu
           à Paris VII


          哲学書前に昂ぶるリブレリー

           devant des livres philosophiques
            je m'exalte
             dans la librairie


            白雪の荒野をゆくかこれからは

             vais-je désormais
              sur la terre sauvage
               de la neige blanche ?
 

          春盛り住みたくはなしパリ市街

           en plein printemps
            je ne voudrais pas habiter
             au cœur de Paris


        春のパリ住処に帰る心地して

         le printemps de Paris
          je me sens comme si
           je revenais chez moi


      春の空住み遂せるかパリの町

       le ciel du printemps
        puis-je vivre
         pour toujours à Paris ?


    巴里の街若き日の我溢れおり

     à Paris
      plein de gens comme
       moi de ma jeunesse
   

  春の巴里沸き立つ心ボストンの

   Paris au printemps
    je m'exalte
     comme aux temps de Boston


     若き日と再び歩まんパリセット

      allons encore
       avec ma jeunesse
        à Paris VII


        フランス語我を導き哲学へ

         la langue française
          me guide sur les chemins
           de la philosophie


           なぜ哲学それ人生と先人 (ひと) の説き

            pourquoi la philosophie ?
             « c’est la vie même »
               disent nos ancêtres


        巴里に住みすぐ蘇る紐育

         dès que j'habite à Paris
          les jours de New York
           me reviennent


     西東なぜ斯く違う春うらら

      l'est et l'ouest
       pourquoi si différents
        le printemps doux


  先人の形見に触れん秋 (とき) 近し

   le souvenir de nos ancêtres 
    le temps de le toucher
     est tout près



lundi 14 mai 2007

ailleurs から paris へ



ふとある想いが浮かんだ

ここに来る前のブログは paul-ailleurs が書いていた。そしてここでは paul-paris に変わっている。それまでの場所が 「よそ、他の場所」 で、今ははっきりとした町なのだ。深い考えもなくそうしていたのだが、よくよく考えてみるとそこには意味があったのかもしれない。それまではどこかに 「よそ」 にいるという感覚があり、「ここではないところ」 を求める心が静かに眠っていたが、その求める場所が今現実となっている。

考え過ぎだろうか

しかし、しばらくは現実に対応するのに忙しく、再び 「他の場所」 を求めるまでには時間がかかるのかもしれない。