mercredi 15 juillet 2015

一体彼女に何が?

15 juillet 2008


昨日、ヘリコプターの編隊が三度四度とアパート上空を通り過ぎて行った。8機ほど集まると普段聞き慣れない響き渡る音を出す。血が踊る人がいても不思議ではないだろう。脳の深いところを刺激するかのような音である。日本では目にすることのない革命記念日の朝の出来事。われわれの歴史とは大きく違う人間の歩 みを想う。

昨夜、寝る前に本棚で目に留まった Lee Silver Challenging Nature という本と摘み読みしていた。この本は2年前に買ったことになっている。著者のSilver は私のニューヨーク時代に同じ研究所にいたので彼の話はよく聞いていたし、何度か言葉を交わしたこともある。体の動きが鋭くエネルギーが漲っていて、それは精神の活動からきていることがはっきりとわかった。弁舌爽やかで才気煥発というのが第一印象。彼のようなタイプは日本の研究者には見かけないが、アメ リカのエリートの中では稀ではない。冴え渡る才気を見る思いであった。

この本であるが、科学の歴史やその中に出てくる科学者、哲学、科学と宗教の関係、さらに最近の倫理に絡むような話題まで軽い調子で書かれている。こちらに来てから読んでいるような本では味わえないテンポがあり、テレビ番組を見るような雰囲気さえある。そこにはアメリカ的とでも言えるだろう現実的で楽観 的、やや小児的率直さと明快さと活力がある。哲学を語っていても哲学臭さをほとんど感じない。今ではそれが浅く感じられるのだが、、。それにヨーロッパの老練さや思索のしつこさ、あるいは科学への本質的な懐疑はないように見える。このような大西洋を隔てた違いの手触りまでがこれほどはっきりと感じられるように なるとは、こちらに来る前には予想もできなかったことだ。

その本の中に思わず噴き出してしまったエピソードがあった。彼が教えているニュージャージーにあるプリンストン大学の女子学生の話である。ある日、その学生が卒業論文のテーマについて相談するために訪ねてきた。実はその前日に 30人くらいの3年生を相手に彼がこう話したという。チンパンジーと人間の遺伝子は99%同じなので、人の受精卵のある遺伝子をチンパンジーのものに置き 換えても全く同じ人間が生まれるだろう。脳の遺伝子についても人間とチンパンジーではほとんど変わらない。両者の違いはそれぞれの遺伝子がいつ活性化したり不活性化するのかによる。それからやり取りがあり、彼がこの両者の遺伝子の違いが少ないので、掛け合わせればハイブリッドができ正常に子供が生れるかも しれないと付け加えた。

そこで、これまでにその実験をやった人はいますかと質問したのがこの女子学生だったのだ。彼はこう答えた。チンパンジーが妊娠すると人間の胎児が大きすぎるのでうまく行かないと思いますが、その逆であればうまく生れるかもしれません。ただ、こんな実験をやりたい人などいないとは思いますが、と。しかし、何とその彼女が卵子を提供してチンパンジーの精子で受精させ、自分の子宮に戻して子供の育つ過程を論文にしたいと真剣に言ってきたというのだ。言葉を失うことはそんなにないさすがの彼だが、これにはびっくり仰天。

彼はさらにこう聞いた。ところで、もし生れたらどうするつもり?もしチンパンジーだったら、動物園に預かってもらうか、もし人間であれば赤ん坊として育てるか、養子にでも出すの?でも、もし人間でもないようだったら?

その学生の答えは、「生れる前に中絶します。もう論文はできているし、卒業したいから。ところで先生この計画どう思います?」

最近の若い女性は自分の体をこのように扱うことを何とも思っていないのだろうか。私も彼女の頭の中でどんなことが起こっていたのか興味が湧いていた。その後、彼はもしその子供が生れて育てることになった時の状況について考察していたようだが、眠くなりフォローできなかった。


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15 juillet 2015


アングロサクソンとフランス人が科学について書くスタンスには大きな違いがある

この時すでにそう気付いていたようだが、それ以後この考えが強まることはあれ変わることはなかった

一つの対象に対して異なる見方があることは素晴らしいことで、豊かさを齎してくれる


それはそうと、リー氏が科学を取り巻く問題について語っているビデオが見つかった

こちらから

語り口は若い時と余り変わっていない

科学の普及に尽くしたカール・セーガンは正統なる科学界からは認められなかった

わたしもそのことが問題になった時期にアメリカにいて、同時代で見聞きしている

そのことを The Strange Resentment of Popular Scientists の中で論じている

その他にバイオテクノロジーに関する問題点についても語っている


ただ、これらの話から霊感を得ることができるかと言えば、今のわたしには難しい

思考が 「いま・ここ」 に集中し、歴史的な視点が欠けているように見えるからだろうか

科学が嫌う哲学的なニュアンスがないからだろうか

そう感じるのは、この7年間でものの見方が変化したからなのか

あるいは、それ以前から求めていたものが顕在化してきただけなのか

その両方ではないかとも思うが、いずれにせよ科学についての新しい切り口が必要な気がしている





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