lundi 31 décembre 2007

よい年をお迎えください MES MEILLEURS VOEUX À TOUS !



今朝は昨日仕入れたプーランクを聞きながら
久しぶりにバルコンで葉巻を燻らせ雲の流れを見る

何ものにも囚われることなく、たゆたう雲を見ることができるのはいつになるのだろうか

今年最後の日になったが、まだ振り返る余裕はない

今の私にとって、今年はまだ終っていないからだろう

その時が来たら、その総括をしてみたい


  今年もここにお立ち寄りいただき、ありがとうございます
  
来年もここから観察を続けていくことができればと考えております


    2008年も皆様にとって素晴らしい年となりますように!



dimanche 30 décembre 2007

久し振りのプーランク


Francis Poulenc
(7 janvier 1899 à Paris - 30 janvier 1963 à Paris )


このところ寒さが緩んでいるようで、比較的しのぎやすくなっている。今年の後半は現実に対応するの忙しく、後ろを見る余裕がなかった。1年を振り返る意味でこのブログを読み返してみた。随分いろいろなことを経ていることに改めて驚く。最近フランシス・プーランクのピアノ曲が教室で演奏されているのを聞いたことがあり、この機会にそのすべてに触れてみたくなった。オフィスからの帰り、お店に寄って探してみたところ、なぜか新品では見つけらず、中古のセクションにこの一枚があった。

一 枚目に聞き覚えのある曲が出てきた時には懐かしく、嬉しさが込み上げてきた。学生時代にこの曲の管弦楽バージョンをやったことがあり、気に入っていたからである。曲名が出てこないのでリストを見ると Suite française (フランス組曲) となっている。今では、よくぞこのような曲を書いてくれていた、という思いである。







1-2週間前、大学近くの古本屋を巡っている時に彼の名前に出会っていたことを思い出す。







samedi 29 décembre 2007

冬のパリ



いよいよ今年も残り少なくなってきた。相変わらずオフィスに通っている。その途中、メトロからの眺めで私の好きなところがある。それは今日の写真の場所で、丁度セーヌを渡るところでエッフェル塔が突如顔を出すところである。毎日いろいろな姿を見せてくれる。最初に見た時には思わず爽やかな空気が頭の中を吹き抜けた。今日は天気がよくなかったせいで上の方が雲に隠れていた。晴れた日や夜には全く別の姿になる。一向に片付かない課題を抱えた身にとっては、一瞬の快感が訪れる瞬間である。

ところでメトロで見るパリの住人の服装の暗いこと。殆ど黒やねずみ色に覆われている。どす黒いと言い換えてもよいと思うようになっている。今の精神状態を反映してか、気が滅入る色に溢れている。全くの先入観からか、フランス人はもう少し色彩感覚が豊かではないのかと思っていたのだが、、。そう言えば、日本にいる時にあるフランス人が日本人の服装が色彩豊かでいい、と言っているのを意外な思いで聞いたことがあるが、ひょっとするとそれは正直な感想だったのかもしれない。



vendredi 28 décembre 2007

ダン・フォーゲルバーグさん亡くなる



年末恒例になる今年亡くなった方のリストを New York Times で何気なく見ていた。



すでに知っている事実を確認するものが殆どで、中にこんな人がという例もある。しかし、その中に私の記憶を刺激する名前があった。

実は、この夏にこちらに来るための荷物を整理している時に、アメリカでよく聞いていたカセットを探したが遂に見つけることができないことがあった。しかもその歌手の名前をいくら思い出そうとしてもなかなか出てこないのだ。いろいろ関連のものを思い出してから一緒に釣り上がって来ないものか試したが、成功せず諦めていた。その名前がこんなにあっさり目の前に現れるとは。しかもこのような記事の中に。2004年に前立腺癌が見つかり、今月の16日に56歳で亡くなっていたのである。



特によく聞いていた数曲を何十年ぶりかで味わってみたい。
いずれも青春の記憶を呼び覚ましてくれる。




















jeudi 27 décembre 2007

オスカー・ピーターソンに触れ直す



昨夜はパスツールの I さんとディネ。

今、オスカー・ピーターソンのビデオを見直していた。
三曲の中では love ballade が今日の気分にぴったり。
素晴らしい曲と演奏である。

彼の神々しいまでの表情に感動に近いものを感じる。
インタビューにある若き日の表情と比べると雲泥の差である。
人間が熟していくということはこういうことなのかと感じ入り、なぜか嬉しくなっていた。
こういう瞬間は人生に肯定的になれる。




mardi 25 décembre 2007

オスカー・ピーターソンさん亡くなる



カナダのジャズピアニスト、オスカー・ピーターソンさんが12月23日に腎臓の合併症で82歳で亡くなったことをル・モンドで知る。学生時代に彼のレコードを数枚仕入れて、2オクターブも?届こうかという大きな手から繰り出される奔放で流麗な彼のピアノを繰り返し聞いていたことを思い出す。アメリカに渡ってからはテレビなどで彼の生の姿に触れる。今でも印象に残っているのは、世に受け入れられんとするコマーシャリズムに乗ったジャズに対して非常に批判的なことを言っていたことである。クウィンシー・ジョーンズさんなどの名前を挙げていたように記憶している。そこに彼の音楽こそがジャズの真髄を表現しているという自負のようなものを感じ取ることができた。


Oscar Peterson
(15 août 1925 à Montréal - 23 décembre 2007 à Mississauga, Ontario)


記事によると、18歳でデビューし、彼が24歳の1949年には、アメリカの興行師ノーマン・グランツがカーネギー・ホールで行われた Jazz at the Philharmonic オーケストラのコンサートに飛び入り出演をさせたことで世界的な演奏家への道を歩み出す。50年にも及ぶ充実した活動の後、1993年のニューヨークで出演の折、脳血管障害に襲われるもコンサートを終える。しかし、ヨーロッパ・ツアーをキャンセルし、今年のトロント・ジャズ・フェスティバルも参加しなかった。


この季節に相応しい静かな演奏を聴いてみたい。









 

インタビュー番組
"Maharajah of the keyboard" (CBC: March 7, 1979 )

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Le pianiste et compositeur de jazz Oscar Peterson est mort à l'âge de 82 ans suite à des complications rénales, dimanche 23 décembre au soir, à Toronto, selon les chaînes de télévision canadiennes CBC et Radio-Canada.

Oscar Peterson, qui a joué avec les plus grands noms du jazz en plus de sooixante ans de carrière, s'était illustré par une maîtrise inégalée du piano et son style caractéristique d'une période de transition dans le jazz, passant librement du boogie-woogie au stride ou au bebop.

Né à Montréal le 15 août 1925 dans une famille modeste d'origine antillaise, il avait débuté sa carrière en 1943 en devenant le premier musicien noir d'un orchestre de danse populaire de la métropole québécoise.

Sa carrière avait pris un élan en 1949 lorsque l'impresario américain Norman Granz l'a présenté aux Etats-Unis en tant qu'invité surprise au sein de l'orchestre Jazz at the Philharmonic, réunissant les plus grands musiciens américains, lors d'un concert au Carnegie Hall à New York. Cette brève apparition, à 24 ans, avait fait sensation et marqué le début de sa carrière internationale.

Il effectua régulièrement des tournées en Europe, souvent en compagnie de la chanteuse Ella Fitzgerald. Parmi les nombreux autres artistes avec lesquels il a travaillé figurent Roy Eldridge, Stan Getz, Dizzy Gillespie, Charlie Parker, Joe Pass, Ben Webster ou Lester Young.

Après cinquante ans de succès, en 1993, au cours d'un spectacle à New York, il avait eu un accident cérébro-vasculaire. Il avait néanmoins terminé le concert, mais avait dû annuler une tournée en Europe. Il continua ensuite à se produire, mais ralentit son rythme et avait dû renoncer en 2007 au festival de jazz Toronto.

(AFP | 24.12.07 | 19h17)



dimanche 23 décembre 2007

ジュリアン・グラックさん亡くなる L'écrivain Julien Gracq est mort


(La République des Lettres)


作家のジュリアン・グラックさんが97歳で亡くなったことをラジオで知る。彼の名前は以前にミシェル・トゥルニエさんがそのすべての作品を読むべき作家として挙げていたので気になる存在であった。数冊注文したが、未だ手付かずの人である。今しがたル・モンドを開けてみた。

ジュリアン・グラック Julien Gracq (27 juillet 1910 - 22 décembre 2007)

ドイツ浪漫主義、幻想やシュールリアリズムに溢れた19作品を残したフランスの偉大な作家。本名はルイ・ポワリエ Louis Poirier。なぜ Gracq に?との質問には、リズムと響きがよいから、と答えたとのこと。歴史と地理を学んだ後、カンペール (Quimper)、ナント (Nantes)、アミアン (Amiens)、パリなどの高校で教鞭をとりながら作家活動をした。1938年には "Au château d'Argol" (アルゴールの城にて) をガリマール社に持っていったが断られる。ジョゼ・コルティ (José Corti) がそれを受け入れてくれたので、それ以後同社への忠誠を守っている。

アンドレ・ブルトンに会った後、1939年に彼のシュールリアリズム運動に加わるが、すぐに遠のく。1951年、彼の傑作 "Le rivage des Syrtes" (シルトの岸辺) に与えられたゴンクール賞を拒否し、スキャンダルになる。1989年にはガリマールのプレイヤード版 (la Pléiade) に入る名誉は受け入れた。

手元を調べて見ると彼の対談集 "Entretiens" が出てきた。non-massicoté (ページが綴じたままで裁断されていない) ので、ペーパーナイフで開きながら読み進む楽しみを味わってみたい。いずれ、である。



samedi 22 décembre 2007

理想の時間?



本日もオフィス (研究所図書館) に出勤。課題となっている人の本を読む。実はこの方、私がこちらに来る切っ掛けになった張本人である。時間がたっぷりあると思っているので、余裕を持って読み始めた。読みながら自らに問いかけ直し、考えをまとめる。その繰り返しをやってみた。そんな時に自分の新しい考えが出てくることがある。その合間に書架に行き関連の人の本を紐解く。私の中にある理想的な時間の流れを少しだけ体験することができたようで、非常に気分よくオフィスを出ることができた。それから大学近くの本屋に立ち寄り、数冊仕入れて帰って来た。街には師走のざわざわとした感触が溢れていた。



vendredi 21 décembre 2007

クリスマス休暇に突入



「休暇に突入」 と威勢がよくなったのは、本来であればすべてを抱きしめたくなるような解放感が襲ってきてもよいところ、今回は重い荷物を背負って突撃するかのような意識と重なったためだろう。自爆でなければよいと今は願うばかりだが、、。ただ次の日を気にしなくてもよい日々が続くという点では、どこかに歓迎する気持ちもある。こういう気持ちで迎える年の瀬は初めての経験になる。最近しばしば感じる徹夜への誘惑ともうまく付き合いながら、乗り切りたいものである。

先日のシュスターマン氏の soma-esthéthique のお話に絡めれば、このところ体がどこかに行ってしまい心 (頭) だけの存在になっていると言えないこともない。身 (体) にとってはいい迷惑なのだが、そこにはある種の恍惚感を伴うようなところがあるから厄介だ。こんな感覚を覚えるということは心身が別のところにあるようでもある。いずれにしても心身ともに余裕がなければ soma-esthéthique の実現は難しいということかもしれない。



jeudi 20 décembre 2007

内と外の分担



まだ大学生活のリズムが生れるには至っていない。ただ、小論文を5-6編書かなければならないという状況になり、ある踏ん切りが付いてきたようだ。これまでは時間が足りないので所構わず同じ質の仕事をしようとしていた。しかし、アパルトマンで実際の仕事をするのは効率が悪いことがわかりつつある。そこでは体勢を気にせず、読んだり、瞑想したり、せいぜいメモを取るくらいしかできないと言い聞かせた方が精神衛生上よさそうだ。そこで本格的にやろうとすると変なストレスがかかり、よいことはない。実際の書き物は謂わば 「塔」 の中での成果をもとに、研究所や大学の図書館など人のいるところでやる方が書くこと自体に苦痛を感じることなく、また緊張感をもってできそうである。取りあえずこのスタイルで、荒れることは間違いがないこれからの二ヶ月余りの航海に乗り出したい。

これは余談だが、研究所では皆さん実験に忙しいのか、自分の場所でインターネットから資料を手に入れることができるためか、図書館には人がほとんどいない。そのため、最近ではその広く素晴らしい図書館全体が自分のオフィスのような感覚になってきている。



mercredi 19 décembre 2007

リチャード・シュスターマンというノマド哲学者



新しい Le Point に紹介されていた放浪の哲学者、リチャード・シュスターマン。初めての人である。nomade という言葉に惹かれて読んでみることにした。

 Richard Shusterman (December 3, 1949 - )

1949年、フィラデルフィアのユダヤ人家庭に生まれる。16歳の時、イスラエルに移住。エルサレムのヘブライ大学で英語と哲学を学ぶ。24歳から3年間軍隊に入る。30歳でオックスフォード大学から学位を取得。その後、イスラエル、ドイツ、フランス (Collège international de philosophie)、アメリカ (テンプル大学) を経て、2004年からはフロリダ・アトランティック大学で教育に携わっている。

今回、彼の新著が出た。

 Conscience du corps; Pour une soma-esthéthique
 Body consciousness: A philosophy of mindfulness and somaesthetics


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以下、Le Point のインタビューから。

 LP: 人の体の定義は?
 RS: それは精神と一体になったもの (unité psycho-physique) で、本質的にアクティブで感受性に富む、常に進化しているものです。esprit に対立するものでは全くなく、われわれが感じ、考える源泉にあるもので、すべての人間活動を担うものです。

 LP: ということは、常に自分ではないものと相互作用するものを指しているのですね?
 RS: 全くその通りです。だから体は人間存在の根本的な曖昧さを表現することになるのです。主体であるとともに客体であり、世界に存在する物であると同時にその世界にあって感じ、行動し、反応する感受性でもあるという具合に。世界を観察するためには左右、高低、内外といった視点を必要としていますが、この視点を提供しているのが体で、そこから時空間や社会的な関わりにおける自らの位置がわかるということになります。

 LP: あなたは体という代わりによく « soma » という言葉を使いますが、なぜですか。
 RS: それは哲学の分野で « corps » という言葉は精神 (l'esprit) との対比で考えられることが多いからです。それで感受性があり、知性があり、考える体という意味を持たせるためにギリシャ語に由来する « soma » という言葉を使っています。私の研究する分野を « soma-esthétique » と名づけ、感覚的・美的判断や自らを創造的に作り上げる場としての体について研究しています。

 LP: 今日、体は至るところで注目されているようですが、同時にそれはどこにもないということにはならないでしょうか。
 RS: 全くその通りです。私の考えに反対する人は、すでに体については充分に注意を払っているのではないかと言いますが、実際には良質の注意というものが致命的に欠けているのです。われわれの文明において « somatique » という場合、他人に自分の体がどう見えるか、世に出回っている基準に基づいてより魅力的な体にするにはどうしたらよいのかというところにしか意識が行っていないからです。

 逆に、われわれの感覚や実際の身体的活動についての意識を詳細に観察し (scruter)、磨きをかける (aiguiser) 方法については全く注意が払われていません。目的は単に体についての抽象的な知識を充実させるだけではなく、生きた経験や身体能力を向上させることにあります。われわれの悦びは体に最も細かな注意を払うことによって増幅させることができるのです。モンテーニュもこの点を強調しています。われわれの文明はこの注意を失い、益々異常な刺激への依存を高めています。私は禅の経験から、至上の悦びは静かな呼吸に注意を払うことによって得られるということを学びました。

 LP: あなたの « somatique » な文化という概念は、哲学的な問題意識とも関係があるのでしょうか。
 RS: 多くの古代ギリシャの哲学者はこの点を強調しましたし、アジアの哲学的伝統も身体の鍛錬に重点を置きます。哲学の中心課題である知識、自己知、徳、幸福、正義を思い起こせば充分でしょう。

 LP: 倫理や政治も身体的定点に…。
 RS: われわれの概念は常にわれわれの体を生かし、他者がそれを扱うという社会生活の形態に基づいています。その意味では、価値観がわれわれの体に刻まれています。例えば、人種嫌悪は理性的な思考結果ではなく、深く根ざした偏見によっています。それは他者の身体によって誘発される漠然とした不快感であり、身体的に刻印されます。この感覚ははっきりとした意識の下にありますので、寛容を促す単純な議論によっては修正ができません。そして、そのような偏見の存在を否定するのです。まず第一にやることは、われわれの中にあるその存在を認識できるようにする身体的意識を開くことです。

 LP: あなたの道行きを導いているものは何ですか。
 RS: 私の哲学的道行きは、異なる言語、異なる大陸、そしていくつかのスタイルによって導かれています。それは « nomade » と形容することもできるでしょう。私は新たな経験に扉を開き続けています。それこそが私の考えの源泉だからです。したがって、自分の仕事をある型にはめたくはありません。しかし、そこには生きる術として考えられた哲学への私の関わりから来る一貫性はあります。



mardi 18 décembre 2007

アイディアより言葉



パリを1週間空けただけで、以前の精神状態に戻すのに2-3日が必要であった。異なる言葉の世界から帰って、出発前の状態を思い出してみるとそれくらいかかっていた。目前に迫っているミニメモワールもさっぱりよいアイディアが浮かばない。どうも最初から大きな (漠然とした) テーマを頭に描いているためだろう。もっと絞り込まなければならないのだが、全くの異分野から飛び込んで来て3ヶ月の今の気持ちとしては、1年間じっくりこの世界に浸った後でテーマを絞りたいというのが正直なところである。そんなに急がなくてもよいだろう、可能であれば1年くらい留年してもよいという気持ちが強いのだ。ただ私のことだから、来年も同じことを言っている可能性が高いので、この時期に何とかしなければならないのだろう。

それからアイディアに関して言えば、言葉の影響は無視できない。英語の世界にいた時もそうだったが、最初から外国語で考えようとすると発想が著しく制限されてしまう。何とそれに気付いたのがつい最近という呑気さである。今回も反省した跡は全く見られず、最初からフランス語で考えようとしている。その蓄えがないのだから考えが進むはずはなく、いつもふわふわした状態でこの数ヶ月を過ごしていた。どうもテーマを考えるよりもよくわからないフランス語の世界に浮いている状態を楽しんでいた形跡もある。こうして見ると、私の場合、アイディアよりもまず第一に言葉に興味があるような気がしてきた。少し考え直さなければならないと思うが、これまでに染み付いた頭の使い方の癖を直すのは並大抵ではなさそうだ。



lundi 17 décembre 2007

寒さのため



一週間ぶりに外に出る。以前の気温はマイナスにはなっていなかったと記憶しているが、今では最低がモワン数度というところ。この数度の違いが大きいのか、体の芯から冷えわたりなかなか温まらない。メトロに入ると少しはよかったのだが、なぜか窓を開けているため上を走っている時は外と全く変わらない。誰もその窓を閉めようとしないから不思議だ。研究所の図書館に向かうが、ここもなぜか非常に寒い。以前から温度設定が低いことには気付いていたのだが、今日はその寒さが厳しく途中からコートを着る。しかし耐えられず予定を繰り上げて家に帰ることにした。そして寒さのため夜の講義を休むことになった。この調子でこれから先、大丈夫だろうか。



dimanche 16 décembre 2007

パリに戻って



わずか1週間ぶりだが、工事中だったメトロの駅が開いているのを見ると時間が経ったことがわかる。旅行中に感じたことに次のようなことがある。パリにあっては自分のアパルトマンがモンテーニュの塔のようになっているような気はしていたが、パリから離れてみるとパリに生活していること自体が塔の中での出来事のように見えていた。それはある意味で、体をなくして頭の中に生きていると言い換えてもよいだろう。ただ、その中に閉じ籠もっているだけではなく、モンテーニュがそうしたように外との接触を保ちながら自らの思索の過程や結果を外に出し、外の世界に参加しながらさらに思索を深めていくことができれば、こういう立場も面白いものになるかもしれない。



samedi 15 décembre 2007

隠居の視点



1週間ほどの不在の後、再びパリに戻ることになった。パリの景色が現実感を取り戻し始めている。この間、毎日 (毎晩が多かったが) いろいろな方にお会いし、積もる話をする機会に恵まれた。仕事をしていた時とは明らかに違い、気分がリラックスしているのと話題が広がり、あるところでは深まりも見せている。いずれの日も、これまでにはない、非常に気持ちのよい、味のある交換になった。ある若い方からは、顔から憑き物が落ちたようですね、などと言われた。

その存在をはっきりと見た記憶もなければどういうものかもよくはわからないが、いわゆる仕事というものを辞め、悠々自適を決め込んでいる御隠居の持つ視点のようなものが少しわかりかけているのだろうか。その囚われのない立場から出てくる話題の豊富さやその話題に身を委ねようとするゆったりとした心持、囚われのない立場だからこそ見えてくるもの、言えることの自在さのようなものを一瞬感じることができた。また、「機微」 という言葉も頭に浮かび、その意味が少し膨らんできているようにも感じた。この世に生きながら、文字通り微妙なところ、ある場合にはどうでもよいことに目をやり、そこに隠れているものや微かに見えてくるズレとか心の揺らぎ (痛みや悦び) のようなものを縦横に語り合う。このような時間がまさに至福をもたらしてくれる宝物のように感じられようとは、、、想像だにできなかった。大切にしたいものである。



lundi 10 décembre 2007

岡本太郎



久しぶりに日本語の本を読む。

岡本太郎の世界にはこれまでも触れている.

いつも他人とは思えないほど通じるものを見出し、楽しんでいる。

今回は人生をともに歩んだ人の熱い視線と出たばかりのエッセイ集を手に取った。





矛盾に満ち満ちた不思議な親子3人の感情生活が克明に語られている。

どこでも矛盾のない家族はないのだろうが、それが極端な形で出ている。

それこそが芸術を生み出す元にあったのではないかと分析している。


若き日のパリでの生活も具体的に語られている。

今回、彼がソルボンヌの哲学科で学んだ時期があることを知る。

当時のパリの町や生活を現在の自分に重ねながら読んでいるところもあった。






dimanche 9 décembre 2007

パリを離れて



いつかわからない将来

日本に戻ったり 別の町に移ったりする日が来た時

それまで住んでいたところはどう見えるのだろうか





パリを離れてパリの景色を見てみると 現実感が全く湧いてこない

それは夢の中の一つの出来事にしか過ぎないかのようだ

祭りの後のような感じさえする





そもそも事を振り返る時はそういうものなのかもしれない

人生の最後にもそう思うのだろうか




samedi 8 décembre 2007

煙草を吸うと



最近出会った煙草の箱を見てみると、この前と違う警告が出ている。いろいろなバージョンがあることを知る。

 Recto (表)
  Fumer nuit gravement à votre santé et à votre entourage.
  「喫煙はあなただけではなく周りの人の健康を著しく害します」
  (tabagisme passif の警告)

 Verso (裏)
  Fumer peut diminuer l'afflux sanguin et provoque l'impuissance.
  「喫煙により充血が減少し、性的不能になることがあります」

 こちらはいかにもフランスならではの警告と言ってよいのか?無視して突き進んでいる。



vendredi 7 décembre 2007

しばらくお休み?



夜シャワーを浴びてゆっくりする時、どこからともなく本を読みたい (昔の人と話をしたい) 衝動が現れ、しかも読み始めると昼間とは違いどんどん中に入ってくることに気付いている。そのまま朝まで読み続けていたくなり困っている。それをやると、もう体が持たないのだが、中途半端にそれをやっているので疲れが溜まってくるようだ。もし大学がなければ、完全にバルザックになってしまいそうな勢いである。それはそれで面白そうではあるが、、。

昨日も朝から研究所の図書館へ行ってから大学へ向かう。しかし、先週と同様先生がまだ体調を崩しているようで休講であった。先週とは違って嬉しいという気分は全くなく、早く良くなってあの重戦車のような迫力のある語りを聞かせてほしいというものであった。

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1週間ほどパリを離れ、科学の世界を覗くことになりました。
どういう反応が生れるのか、楽しみにしているというところでしょうか。



jeudi 6 décembre 2007

そろそろ真剣に



先週末を迎える辺りから、そろそろ真剣にミニメモワールに向き合わなければ、と思い始めている。そのせいか、図書館に篭ることが多くなっている。家にいる時には出てこない考えが時々飛び出すので、たとえ1-2時間でも時間があれば行くようにしている。ほぼ日課と言ってもよいだろう。以前にも触れたが、こちらに来てから仕入れたフランス語用のパソコンを持参している。日本語版ではなかなか進まないものでも、このパソコンに向かうと少しは違うようだ。日本語が消えて、甘えがなくなる。それとタイプが圧倒的にやりやすい。問題は何をそこに叩き込むかということなのだが、まだ固まっていない。やっているうちに突然まとまりがついてくることはないだろうかなどという淡い期待を抱きながら、今のところはとにかく出てきたことを控える作業をしているのだが、、、。

私の場合、最初から完成された文章を書くというタイプではないことはわかっているので、不完全でもよいから書き進むことが重要なのだが、どこかに完成度の高いものを最初から狙うところがある。その途端に、全く前に進まなくなるということを何度繰り返してきただろうか。未だにその癖は直っていないようだ。


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先日のParis1での講義の前、初めて男子学生が声をかけてきた。一体あなたはどういう人なのか、どこから来たのか、ここにどのくらい住んでいるのか、などという尤もな質問である。全く新しい環境に入った時、特にどこから来たのかと聞かれる時にいつも感じるのは、自分の存在がどんな意味をも持ち得るという、不安定だがある意味で囚われのない感覚である。そこでそれまでの存在を引きずるのか、新たな意味を見出そうとするのかで全く違った展開になるだろう。新たな意味を見出そうとする時、それまで自分でも気付いていなかった自分が顔を出すことがあるので非常に興味深いのだ。

彼はオランダで1年間フランス語を教えた経験があるという。外に出て、ものを見たことのある人や決まり切った道から少しでも外れた経験のある人は知らない人に声をかけるということに余り違和感を感じないようだ。3ヶ月を過ぎたところだと答えると、それは大変でしょうね、という反応であった。自分の中ではもう1年くらいの時間が経ったような印象もあったので、3ヶ月という数字を発して驚いていた。このクラスには、カナダのトロント大学で社会倫理や環境の問題を研究している女性研究者も加わっていた。残念ながらトロントは英語圏なの、とのこと。数週間の滞在予定。


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昨日のENSのクールでは、物理学者シュレディンガー (Erwin Schrödinger) を取り上げ、物理や化学の原理が生物学に応用できるのか、物理学と生物学の違いや共通点などを考察していた。一つの題材として彼の著書 「生命とは何か」 についても話していた。その中に、ライナス・ポーリング (Linus Pauling)、マックス・デルブリュック (Max Delbrück)、マックス・ペルーツ (Max Perutz) などが出てきた。そのペルーツはX線解析による立体構造解析を始めて20年もかかって仕事を仕上げたが、その間、僅か一つの分子 (ヘモグロビン) しか扱っていなかった。彼の精神力にはほとほと感心してしまう。彼らはノーベル賞を貰っている。ポーリングや フレデリック・サンガー (Frederick Sanger) に至っては2回もその栄誉に浴している。皆さんの中にも将来そうなる人がいるかもしれませんね、などと静かに話していた。励ましの言葉なのだろう。それを聞いていても、全く非現実的な感じがしないから不思議だ。どっしりと落ち着いている。



mercredi 5 décembre 2007

シンポジウム 「開放知としての科学と宗教」



シンポジウムのご案内です。科学・哲学・宗教が交錯するお話のようです。

「開放知としての科学と宗教」
日時: 平成19年12月10日(月)・11日(火) 
場所: 日本財団大会議室(溜池山王)


プログラム

2007年12月10日(月)

13:00 開会の辞 東京外国語大学学長 亀山郁夫 ・ 笹川日仏財団理事 関晃典

13:15 開放知と総合人間学 中谷英明(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

13:25 【脳】   モラルの脳科学的基盤   
            ジャン=ピエール・シャンジュー(フランス学士院会員)

14:50 【動物】  動物における「理解」   
            日高敏隆(総合地球環境学研究所前所長)

15:30 【原人】  原人の石器製作能力 ― 35万年前のハンドアックスを観る
            山中一郎(京都大学文学研究科・総合博物館館長)

16:15 【日本】 律令制・天皇制の神話的・宗教的特質
            大津透(東京大学大学院人文社会系研究科)

16:55 【中国】 理気世界観は何を説いたか
            小島毅(東京大学大学院人文社会系研究科)

17:35 【インド】 ブッダが希求した開放知
            中谷英明(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

18:15 レセプション


2007年12月11日(火)

13:00 【イスラーム】「イスラーム的知」をめぐる4つの補助線
            大塚和夫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長)

13:40 【ユダヤ】 タルムード的論証の開放性―偶像崇拝との闘い
            市川裕(東京大学大学院人文社会系研究科)

14:20 【ギリシア】 英知と学知の間 ー 古代ギリシア哲学が求めたもの
            内山勝利(京都大学名誉教授)

15:15 パネルディスカッション グローバル時代の科学と宗教
     モデレーター:宮田満(日経BP社バイオセンター長)

パネリスト: 御子柴克彦(理化学研究所) 中島隆博(東京大学大学院総合文化研究科)
       J.P.シャンジュー 日高敏隆 内山勝利 中谷英明

17:50 閉会の辞  渡辺昌俊(日本パスツール協会会長)


○ すべての講演は英日・日英同時通訳つき
○ 要申込み(先着200名)・入場無料
○ 申込み先 電話申込み:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
   〒183-0003 東京都府中市朝日町3-11-1 TEL : 042-330-5603
  インターネット申込み: http://www.classics.jp/GSH/sympo_application.html
○ その他のお問い合わせ先 
  日本パスツール協会
   〒163-1488 東京都新宿区西新宿3-20-2, 東京オペラシティタワー
   サノフィパスツール気付TEL:03-5358-3465
  笹川日仏財団
   〒107−0052 東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビルTEL : 03-6229-5111



mardi 4 décembre 2007

"L'Homme sans âge" de Francis Ford Coppola



先日触れたコッポラの新作 「歳をなくした男 (原題:若さなき若さ)」 が大学の近くでやっていたので見ることにした (概要はこちらを参照のこと)。

見る前にはかなり期待して行ったが、その期待に押しつぶされるような結果となった。言語の起源の問題、時間や空間などの哲学的問題、さらに愛や歴史との絡みも今ひとつ上滑りの印象が強く、残念ながら私の中にはほとんど入ってこなかった。これは以前から気付いていて書いたこともあるような気がするが、以前であれば素晴らしいと思うような映像にもほとんど反応しなくなっている。感受性が鈍ってきたのではなく、おそらく自分で現実を切り取ることを意識的にやるようになったせいではないかと疑っているが、どうだろうか。それからアメリカ人の見方とフランス人の見方が明らかに異なっており、自分の中のレセプターがアメリカ的なものに反応しなくなってきている可能性もある。アメリカ映画で人間を描く時に人間の上に薄い膜が掛かったように仕上がって見えるようになってきたのである。人間に直に触れることができないのだ。そうできないとしっくり来なくなっている。感じなくなっているようだ。フランス映画で気に入ったものには、その薄いフィルムがないように見えることが多い。

この映画を見ながら、いずれ東欧の雰囲気も味わってみたいと思っていた。



lundi 3 décembre 2007

ある日の小さな出来事



先日のENSでの講義に30分ほど早く着いた。部屋を覗くとピアノを弾いている人がいる。入って聞いてもよいかと尋ねると、その快活な女性はどうぞどうぞ N'hésitez pas ! と言って私を招き入れてくれた。講義が始るまでその演奏を聴いていた。ピアノから出る音は何のこだわりもなく自由奔放にそこら一面に舞い上がるような曲だったので、作曲家を確かめるとプーランク (Francis Poulenc) であった。その名前を聞いて、そう言えばフランスには私がその昔関わった曲を作った人だけでも大勢いるな、と改めて感心する。記憶を手繰ってみると、次のような人が出てきた。

Erik Satie
Georges Bizet
Hector Berlioz
Maurice Ravel
Offenbach
Olivier Messiaen
Gabriel Fauré
Paul Dukas
César Franck
Gounod
Darius Milhaud
André Jolivet
Jacques Ibert
Chausson
Pierre Boulez
Saint-Saëns
François Couperin
Roussel
Henri Tomasi
Vincent d'Indy
Charpentier
Rameau

 私が思いつくだけでもこれだけの作曲家である。今、フランス音楽の現場にもいることを実感。しかし、ラジオで済ませるばかりで、なかなか生の音に触れることができない。


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週末の研究所図書館。持って行ったパソコンを立ち上げ、スクリーンを覗き込んでいる時、後ろから人が来て私の横に立っているような気配を感じた。そんな人がいるとは考えられないので、何かおかしなことでも仕出かしたのかと思ってそちらに顔を向けると、女性がケーキの箱を持ってこちらに差し出している。

  「なぜですか。何かあったのですか」
  「だって残ってしまったんですもの」
  「メルシー」

そう言って、デーニッシュを一つ取った。それからはほんわかした気分で、時間がゆっくり過ぎていった。


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やはり雨の週末の昼下がり。パンを買いに外に出る。意外と横から来る風が強い。ブランジュリーではケーキと目に入ったフィセル・フロマージュを買うことにした。こちらでは初めてになる。

 「このフィセル、半分に切ってもいいですか」
 「雨が降っているからですか」
 「ウィ、ヴォアラ」 (と言って、袋の中に入れてくれた)
 「メルシ、、オルヴォワール」


店を出ると、久しぶりにサラ・ブライトマンの Classics というアルバムを聞きたくなっていた。雨の日の気分にぴったり来るのではないかと思ったからだ。歩き始めると、彼女の歌声が滲み入ってきた。昔の記事を見てみると、年末に聞きたくなるアルバムでもあるようだ。以下にいくつか。 

Winter Light (Preisner)
Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Turandot, opera Nessun Dorma (Giacomo Puccini)
Time to Say Goodbye (Francesco Sartori)



dimanche 2 décembre 2007

理解するとはものを視覚化することである



昨日の記事に対して、冬月様から次のようなコメントを戴いた。

 「『目に見えないものを言語化する』 という作業は、ある種の文明的な行為なのかもしれませんね。明るさを感じます」

最後にある、この行為に 「明るさ」 を感じる、という言葉に触発されて考えたことを以下にメモしたい。

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科学の発展を振り返ると、最初は目に見える物を記載したり、分類したりするところから始まるが、それがある程度進むと目には見えない領域が現れる。そこでは哲学的な思考が重要だったのではないだろうか。また科学がかなり発展した段階で出てくる目に見えない領域に対して何かを言う人は想像力のある天才なのだろう。しかしその目に見えない物を見ようとする人間の意志が技術を生み、やがてそれが見えるようになるという経過が科学の歴史ではないだろうか (現段階での見方だが)。言い換えれば、科学は物をこの目で見ようとする人間の試みのような気がしている。現代において、もし哲学が科学に何かできるとすれば、その目には見えないことについて発言することなのかもしれない。しかしそれは並大抵のことではなさそうだ。

   「科学とは、物を見ようとする試みである」
   "La science, c'est un essai de voir des choses."

一方、科学との比較で文系の領域を眺めると、最後まで目には見えない 「もの」 (物ではなく) を扱っているような気がしてくる。これまでこちらの講義で powerpoint が使われていないことに触れてきたが、目に見えないものを言語化し、それを自らの頭の中で視覚化できないとこの領域のお話は通じないことになる。つまり、それができる人を対象に講義が行われているだけに過ぎないのかもしれない。

   「理解するとは、ものを視覚化することである」
   "Comprendre, c'est visualiser des choses."



samedi 1 décembre 2007

なぜフランス語が (II)



この疑問について以前に触れたことがあり、昨日のお話とも関連する。未だに謎なのだが、先日のS先生との会話の断片が浮かんできたので書き留めておきたい。ルクセンブルグ公園を歩きながらであったか、食事をしながらのことであったか、もう判然としないのだが、改めてなぜ哲学なのか、なぜフランスなのか、という質問に答えている時だった。その時にこんなことを言っていたのを思い出したのだ。

フランスのものを読んでいる時、どうしてこんな何の役にも立たないようなことに (もちろん、それまで私が持っていた基準によれば、ということだが) 疑問を持つのか、考えるのか、という反応が生れていたこと、それはそのまま人間の精神の中で繰り広げられていること、すなわち目には見えないものを言葉にしようして人生を送っている人、送った人たちが山ほどいるということをはっきり意識することにつながり、このようなことになったのではないか。さらに、それまで読んでいた英語の世界では、より科学的なものを感じたり、その精神のどこかに、何かの役に立つ、という要素が見え隠れしていて、私にとって面白みに欠けるものだった、というようなことを話していた。

この発言を見ながら、この世の枠組みはできるだけ取り払ったところから見えてくる何かに、ひょっとするとその何かにしか私は興味がないのではないかという想いが湧いていた。これはある意味で、坐りながら味わったカルチャー・ショックの結果で、深く静かに進行する性質を持っていたようである。


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早いものでもう師走である。このまま行くと、知らないうちにすべてが終ってしまいそうなスピードである。



vendredi 30 novembre 2007

お歳のようですが



昨日も研究所で読んでから大学に出かける。しかし先生が病気なので休講との連絡が入る。先生には早く回復していただきたいが、なぜか嬉しい気分であった。その気分を反映してか、学生さん (法哲学専攻とのこと) と話をしていた。教室から外の通りに出るまでの間。

 「このクールの評価はどのようにするのですか」
 「このクールのテーマに関連することについて小論文にすればいいようです」
 「筆記試験はあるのですか」
 「ないです。ただ小論文がいやな人には口頭試問があります」
 「筆記がないのでほっとしました。口頭試問はもっと難しそうなので、小論文にしようと思います」
 「ところで私よりもお歳のようですが」
 「それどころかほとんどの教授より年上でしょう」
 「一体どうしてここに」
 「よく聞いてくれました。これまで科学の分野にいて・・・(と、ここまでの道を説明)・・・という訳なのです」
 「フランス語・フランス文化によってあなたの頭のどこかが弾けてしまったのね (épanouir という音が聞こえてきた)」
 「そうかもしれません」
 「ここで哲学を学ぶ、ただそれだけのためにパリにいるのですか」
 「そうです」
 「そういう人生もあるのですね」
 「なぜかそうなってしまったのです。おそらくフランスはこれからも私の中にあり続けるような気がします」
 「最後の最後まで」
 「そうだと思います」
 「それじゃ、また!」
 「ボンジュルネ!」

口には出さないものの、学生の皆さん、何か不思議に思っていたのかもしれない。その疑問を聞いたような気がした。歳のことをはっきり言われたのは、今回が初めてになる。


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法哲学専攻とのことだったので、気になっていた Powerpoint の使用について彼女にも聞いてみた。やはり、ほとんど (全く) 使わないようだ。それを、ここは très classique なの、と表現していた。黒板とチョーク、それに文字を消すのに布切れを使うやり方。それはそれで何とも言えずよいのだ。



jeudi 29 novembre 2007

前期の終わりを意識して



昨日はこちらに来て初めて試験のようなものがあった。FLE (Français langue etrangère) と呼ばれる外国人学生用のクールでの中間試験である。始る前に法科の学生さんに聞いてみたところ、期末試験と同じ重みがあるという (50%+50%)。今朝カフェに寄ってノートに目を通しただけだったのでどうなることやら、という感じで試験になってしまった。問題は言語についてのエッセイ300語とこれまでに習った論理的な話の展開に必要となる表現についての問が4題ほどで、1時間半。準備の有無は余り影響のない問題であった。

今、目の前に立ちはだかっているのが、前期のまとめになるミニ・メモワール。自分の中での提出期限は年内だったが、確かめてみるとクリスマス休暇が終ってから、つまり新年の講義が始ってからでよいとの話を聞き、一気に気分が晴れてきた。これまでの蓄積がなく、まだ2ヶ月の段階でまとめなければならないというのは、大変なことである。しかも、あるクールでは担当の先生が途中で替わり、そのクールには2人の担当教官がいることが判明。つまり、そのクールでは2つのまとめをしなければならないことを知ったばかりなので尚更である。いずれにしてもこれから焦点を絞り、ゆっくりと書き始めなければならない。この世界の第一歩を歩み始めているところと言ってよいのだろう。

昼、サンミシェル通りを歩いている時、クールの場所が急遽変わったという電話が秘書から入る。始る10分前である。急いで新しい場所に向かう。入ると女子学生が2人しかいない。そのうちのひとりが、先生には連絡が行っているのでしょうね、などと話していたので少しだけ言葉を交わす。ミニメモワールのこと、講義のやり方などなど。以前から気なっていた Powerpoint (フランス語では 「プワポイント」 と発音するようだ) を使わないことについても話題にしてみたが、他の人文系でもあまり使わないようだ。また、この先生は英語の論文しか読まないのだから英語でメモワールを書いたら、などと元気付けてくれる。なぜかわからないが、2人とも私が質問すると頬を赤く染めていた。

夜、少し遅れてENSのクールに向かう時、ボンソワールという声が横から聞こえる。前回も遅れてきて私のノートを見せてくれと言ってきた学生であった (少しは為になったのだろうか)。自分が最後のひとりでなくてよかったと言って、これまでと違う通路を教えてくれた。彼は講義を聞きながらその内容を素早くパソコンに打ち込んでいく集中力の持ち主である。どんなことでも声を掛け合うと自分の中にある変化が起こる。幸いなことに、これまでのところはすべてがポジティブなものである。

夜のクールでこれまで使っていたノートが終わりを向かえ、2冊目に入った。こうして訳のわからない文字で溢れているそのノートを眺めていると、掛け替えのない宝物のような愛おしさを感じるから不思議だ。こんな感情が湧いてくるのも生れて初めてのことかもしれない。そこには歴史に埋もれた (より正確には私の意識には上っていなかった) 人びとの歩みが鏤められている。その道に人生を賭けている方々からの生の声が、これから過去を掘り起こしていく上での貴重な道標として詰まっているということをはっきりと感じているからこそ生れる感情なのかもしれない。



mercredi 28 novembre 2007

pied-de-coq



orange のニュースから

クレアモンフェランの元料理シェフ96歳が88歳の元パティシエとめでたく結婚。
二人はこの町に35年暮らしている。
女性は67歳になる息子の母で今は未亡人だが男性は初婚。

この日女性が着ていたのがこの模様のveste。
pied-de-coq, noire et blanche
「雄鶏の足跡」 なのだが、日本語が見つからない。

似たような模様に 「雌鳥の足跡」 が出てきた。
pied-de-poule 千鳥格子

千鳥格子には詳しく見るといくつか種類があるということなのだろうか?
なお、彼女の髪型は cheveux blancs coupés au carré だったとのこと。
この記事のタイトルが "Insolite (=bizarre)" となっていた (少し礼を欠くのでは?)。
死ぬまで何が起こるかわからないというニュースでもあった。



mardi 27 novembre 2007

Shiina Yutaka Trio in Paris

Fabien Marcoz, Yutaka Shiina, Lionel Boccara


昨日は研究所で科学関係の総説を英語で読んでから大学へ向かう。しかし、こちらの話はなかなか入って来てくれない。先日のS先生との話ではないが、まだ私の脳にはネットワークができていないので準備運動をしておかないと駄目のようだ。私の思うようになるのはおそらくまだまだ先のことだろう。それも運がよければ、という予感がする。

この状態に気付くと体が冷えてきたので、気分転換に以前に連絡をいただいていた椎名豊トリオのコンサートに行くことにした。会場はセルビア文化センターで、丁度ポンピドーセンターの裏手になる。そこの日本式には2階のこじんまりした部屋であった。窓からはポンピドーセンターの明かりも見える。誠実な人柄が滲み出るいつもの演奏を聴いているうちに、体の芯から暖かくなるのを感じ、満足して帰って来た。このコンサートは Festival Jazzycolors 2007 と銘打ったシリーズに組み込まれていたためか、無料であった。

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Programme
1. Joy of spring (Yutaka Shiina)
2. II BS (Charles Mingus)
3. Glow of the sunset (Y. S.)
4. Strike up the band (George Gershwin)
5. The river (Y. S.)
6. Walking on the cloud (Y. S.)
7. Summer mist (Y. S.)
8. In the dusk (Y. S.)
9. Tuck away (Y. S.)

メンバーはいつものボカラさんとベースは新しくマルコズさんが加わっていた。
Yutaka Shiina (piano)
Lionel Boccara (batterie)
Fabien Marcoz (contrebasse)

昨年の12月にもパリで椎名トリオを聞いているので、年末の恒例行事になりそうである。椎名さんのお話では、今週パリで演奏した後ロンドンに渡るとのことでした。



lundi 26 novembre 2007

Barbara - Ma plus belle histoire d'amour




1年ほど前にバルバラBarbara, 9 juin 1930 - 24 novembre 1997) を発見した。
リベラシオンでバルバラが亡くなってこの24日で10年になったことを知る。
気に入った曲をいくつか聞いてみることにした。




 Ma plus belle histoire d'amour (les paroles)




samedi 24 novembre 2007

S 先生との再会


今日は、私が日本を出る前にお話する機会のあったS先生がパリを訪問され、是非とのことで午後からご一緒させていただいた。まず今日の写真のジュゼッペ・アルチンボルド (Giuseppe Arcimboldo, Milan, 1527 - Milan, 1593) の展覧会を目指したが、長蛇の列ですぐに諦めルクセンブルグ公園周辺を散策した後、近くのカフェで身を暖める。パリの町が美しいこととこのような街を構想した力に感心されていた。それから先生思い出のレストランに向かったが、まだ始まっていないようだったので別のところでの夕食となった。

先生とは人生に対する捉え方で共通するところが多く、話がよく咬み合う。今回もなぜ哲学をするのか、究極の狙いは何か、本来はすべての学問の根にあるべき哲学が日本では蔑ろにされているが、哲学という訳もよろしくないのではないか、日本の哲学で使われる言葉 (訳語など) も人を遠ざける原因になっているのではないか、自然科学に技術が必須なように哲学をするためにもテクニックが必要なはずで、まずそれを学ぶことが先決ではないのか、それを突き抜けたところに何か開けるものがあるのか、などなど話が延々と続いた。そして最後は、なぜわれわれはここにいるのか、その意味は何か、それを知ることが究極の問いなのだろうというところに行く。

しかし、それは答えが出る問いとは思えない。この行為は一見何の役にも立たないように見える。役に立たないという判断はある立場からのものでしかないのだが、、。しかし、それをすることによって得られるものの大きさもまた想像を絶するような気がする。それこそ、この世に生を受けたもののすることではないのか。こんなところが今日のまとめということになるのだろうか。私の方の視界が晴れ、もう少し広がった時にまた意見を交えるということでお別れをした。充実した一日となった。



vendredi 23 novembre 2007

スト終了



今日は研究所の図書館に出かける。ここ来るのは科学関係の本が充実していることとフランスの科学についての歴史的資料が豊富にあるので、大学を補完するような意味合いからである。またここには個室 (carrel と言われている) があり、仕事が非常にやりやすくなっているのでありがたい。今回は、まだ整理が終っていなかった日本からの資料の画像処理をやることも兼ねていた。どうしようか困っているところだったが、こちらで活躍されているI氏に装置の使用を快諾していただいたのでありがたく使わせていただいた。2週続けて何から何までお世話になった。感謝感謝である。ここの図書館が定期的に使えるようになったので、一週間のリズムができつつある。

帰りにメトロに入ると、今朝とは違い活気がある。ちゃんとチケットを入れて下さいというアナウンスがあり、ストが終ったことを知る。人の動きも生き生きとしているように感じた。



コンビニの親爺



私の住まいの近くにあるコンビニ。つい最近までは若夫婦がやっていた。奥さんの方がケスに立っている時、"Vous êtes bien japonais ?" と声をかけ、「ゆみ」 というのは日本人の名前でしょう、どういう意味ですか、ベトナムにも同じような名前があるんですよ、私はアジアのファースト・ネームがかわいらしくて好きなんです、と立て続けに話し掛けてきた。そしてある日突然、今の中年の夫婦に替わった。最初は連休のため彼らの親が手伝いにでも来ているのかと思っていたが、そうではなさそうだ。

こちらの夫婦は奥さんがにこりともしない立派な態度で、いつも客のお相手をしている。たまに亭主を顎で使っている (ようだ)。亭主の方はぶつぶつ言いながらも従っている。その日は棚卸のためお休み。シャッターを半分だけ開けて、亭主は外でタバコをふかしていた。声をかけるとにっこりと子供のような笑顔をつくる。その日は暗い空だったが、気分が一変に晴れてきた。別のお店に行き、小雨の中をバゲットを抱えて帰って来た。



jeudi 22 novembre 2007

昨日のクール



ストは相変わらずである (RATPの情報)。昨日は Sabotage も見られたという (Télézapping)。

私のところからは乗り継ぎがうまくつながることが多く、1時間ちょっとで大学まで着く (普段より20-30分ほどかかる)。クールは先週のスト中もやっていたようだ。学生は少なかった可能性はあるが、、。いずれの先生も、この交通事情にもかかわらず出席してくれてありがとうという言葉を発していた。エコルノルマルではチュービンゲン大学の先生が来て話していた。やはり外国人のフランス語は親しみやすい。講義はドイツ語と英語が混じったいかにもヨーロッパというもので充分に楽しむことができた。その上、ドイツの先生だからだろうか、哲学ではありながらパワーポイントを使っていた。わからないことには変わりないのだが、少しはわかったような気になるから不思議だ。最後に何語でもよいから質問を、とのことだったので、フランス語のレベルが酷いのでと断った上で英語で質問してみた。やはり参加すると講義を聴講しているという姿勢から実際の学生の一人になったという気になる。周りの方も、これまでは変な親爺がいるなと思っていたのが、何を考えているのか少しだけわかってきたという印象に変わったのではないだろうか。

この講義はコロックとして外に宣伝していたようで、こちらに来て初めて教室の中での最年長者の立場から引き摺り下ろされた。



mercredi 21 novembre 2007

久しぶりの大学




昨日は1週間ぶりの大学。比較的短い間隔で動いている路線を選んで遠回りで向かった。家を出る時にはまだメールが来ていなかったため、大学に着いて驚いた。閉鎖されている。講義の場所が変わっていると思いそちらに向かう。その途中に今日の写真の場面に出会った。こういう時は本当にはっとして嬉しくなる。それから蹄の音が何とも言えずよい。gendarme と書いた車が後ろから来ていたので、騎馬隊 (警察?軍隊?) ということになるのか。それにしても絵になる。大学にでも向かうところだったのだろうか。

変更になった場所はこの3月に私が訪ねたところで、講義を聞かせていただいたところでもある。偶然にもその時と同じ椅子で聞くことができた。感傷に浸る閑はなく、必死に聞いていた。それにしても流れてくるフランス語がどうしてこうも特異な文型を使っているのだろうか。まだまだ掴みきれていない。終った後、先生とミニメモワールについて話をする。途中、英語で!などといわれながらも、建設的なディスカッションになった。この手の話し合いは非常に重要であることを再確認。やはり家に篭ってやるのとは違い、大きな刺激を得る。人間のやること、人と交わるのが大切のようである。これからは積極的に出かけていきたいものだ。



mardi 20 novembre 2007

いつまで続く・・・どこまで拡がる



メトロは相変わらず、très perturbé である。新しいスト情報 (Télézapping)。

このストは今や大学だけではなく、小・中・高校にまで拡がりつつあるようだ。大学の先生から届いたメールでは、念のため場所を変えて講義する可能性もあるのでこれからのメールに注意とのこと。anarchie という言葉も見える。私としては場所が変わると次の講義への移動が大変になるので困るのだが、、、

メトロのホームに溢れている映像を見ると、仕事を持っている人は何としても出勤しなければならないので大変だろう。その点、学生は気楽ではある。講義が行われているのかどうか、それはわからないのだが、、。いずれにしても職住近接の方は羨ましい。ストがいつまで続き、どこまで拡がるのか。この状態、何の根拠もないがそう簡単には収まらないような予感もする。今まさにフランスで生活している。



大学スト情報



メトロはかなりよくなっているが、どういう訳か私が必要としているリーニュが動いていないという情報。夜歩いての帰宅もいやなので、昨日も休みになった (した)。大学の方は6連休である。

大学入学時に学生にメールアドレスが与えられたが、最初に登録して以来触れていなかった。昨日開けてみたところ、今回の大学封鎖の情報がほぼ毎日届いていた。主にリサンスの学生が通うトルビアックの校舎 (Le centre Pierre Mendès France) は結構封鎖されていたようだ。しかし学長室からの最新メールによると、この月曜から正常に機能するとのこと。学長が改めて登校時には妨害しないように訴えている。

"Tous les centres seront normalement ouverts demain, lundi 19 novembre. La présidence appelle à nouveau au respect de la liberté d'accès aux locaux universitaires et aux enseignements."

メトロが完全に戻るのはいつになるのだろうか。


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さらに新しいメールではトルビアックが本日また閉鎖になるようだ。私のところには影響はなさそうなので、メトロを少し遠回りしながら何とか大学まで行く予定である。ほぼ1週間ぶりになる。

"Le centre Pierre Mendès France sera fermé demain, mardi 20 novembre.
Tous les autres centres de l'université seront ouverts."



lundi 19 novembre 2007

自由人とは



ラテン語について日本語のサイトをサーフしていたところ、教養の基礎としてラテン語を修められた方のエッセイに出くわした。そこで語られていることは私の想いと通じるものがあり、しかもその考えを実践されていることに感銘を受けていた。山下太郎氏の以下のエッセイである。

  「学びの山道を照らすもの―自由人の教育を求めて



dimanche 18 novembre 2007

夜のパリ散策



昨日はストの中、研究所の図書館へ出かける。家にいてラジオを聞き始めると終日そうしても全く飽きることがないのと、一度聞き始めるとスイッチをオフにすることが非常に難しいこともあり外に出ることにした。メトロは50分に1本ですという案内と très fortement perturbé という放送が流れていた。丁度注文していた本が届き、それを持ったまま出かけたので何時間でも待つつもりでいた。実際には予想よりは早く来てくれたので1時間ちょっとで目的地に辿り着くことができた。問題は帰りに待っていた。メトロが全く走っていないのだ。タクシーもつかまらないので、思い切って歩いて帰ることにした。方向音痴の私としては途中で凍死しても様にならないので、地図片手にほぼ2時間のパリ散策となった。途中エッフェル塔が何度か目に入った (今日の写真もそのひとつです)。久しぶりのよい運動になったが、なぜ行きはよいよい帰りは怖い、になるのか理解できない。ストの時は家に留まるべし、という教訓だろうか。次回から積極的に生かしたい。

帰ってメールを開けると、合わせて200ページにもなろうかという来週のクールの文献が添付されているものを見つける。この先生の資料はすべて英語なのだが、内容が内容だけに並大抵ではない。しかもそれをフランス語で起こさなければならない。今週も暗い週末になりそうである。



samedi 17 novembre 2007

基の基から



昨日もストは続いていたが、私のところは20分に1本の割で動いていてタイミングよく乗ることができた。予想とは異なり、落ち着いた朝であった。

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大学の図書館に行って、大学生、大学院生と一緒に机を並べている時、まさに自分の中にある知識や教養と言われるものを根っこから見直しているように感じる。これが私のこれまでの専門分野の研究所に行って同じようなことをしてもそういう印象は生れてこない。そこでは基礎のところはとうの昔に整っているものとして片付け、その上の専門のところを問題にしているためだろうか、自分の芯に迫ってくるという感じが全くしないのだ。そこが大学にいる時と大きく違う。大学では人間そのものの持っているものが問われ、自分というものに向き合わざるを得なくなる。大学が人の背骨、基の基を作るところなのだという実感が湧いてくる。その視点で自らに目をやると、そこが如何にふにゃふにゃしているのかも見えてくる。今まさにその基本に返って鍛え直そうとしているかのようだ。リベラル・アーツという響きに対する遠い憧れを追いかけているのかもしれない。



vendredi 16 novembre 2007

"L'Homme sans âge" de Francis Ford Coppola



メトロのストが続いている。 昨日は3-4本に1本くらいの割合で動いているかもしれないと楽観して出かけてみたが、私が必要としているところは Service nul であった。仕方ないので快晴の街を少し散策してから帰ることにした。いつものように講義はないものと決めてかかっている。これで今週は5連休という何ともありがたい?ことになりそうである。

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スト情報を知るために Le Figaro をサーフしている時に、フランシス・フォード・コッポラインタビュー記事に出くわした。読んでみると、私の標的にぴったりの映画を10年ぶりに作ったことを知る。しかもこの映画の元になったのは、この3月モンマルトル散策の折にFから紹介された作家・宗教学者ミルチャ・エリアーデ Mircea Eliade (9 mars 1907 à Bucarest - 22 avril 1986 à Chicago) の作品であるという。何という仄かなつながり。

 "Youth without youth" (仏題: L'Homme sans âge) 
  (このサイトの Gallery で昔のブカレストが見られます)

 Directed by Francis Ford Coppola (April 7, 1939 -)
 Cast: Tim Roth, Alexandra Maria Lara, Bruno Ganz

俳優のブルーノ・ガンツについてもこのリンクでわかるように、昨年春に初めて知ることになった人である。

あらすじを読んでみると、次のようなことになる。

1938 年のルーマニア、言語学の老教授が雷に打たれ、奇跡的に生還し30歳も若返る。彼の頭脳は10倍の能力を持つようになり (ses facultés mentales décuplées)、人生の目標であった言語の起源についての研究に打ち込む。しかし、このことによりナチやアメリカから目をつけられ、彼は身分を変え国から国へと逃亡。その中で永久の愛 (son amour de toujours) を見つけることになるのだが、、、

コッポラはインタビューの中で次のようなことを言っている。

"Rêver, penser, c’est le sujet même du film. La manière dont nous voyons nos vies est probablement fausse : nous sommes prisonniers de nos façons de penser. L’Homme sans âge est une fable, une parabole qui permet de s’interroger sur notre rapport au réel."

 (夢見る、考える。それがこの映画のテーマでもあります。われわれが人生を見る時、その見方は間違っているかもしれない。それは自らの考え方の虜になっているから。この映画は現実との関係を自省するための寓話のようなものです)

LE FIGARO: Il est question de réincarnation. Vous y croyez ?
 (この映画は転生を扱っていますが、あなたは信じますか)

"Pas particulièrement et je n’en ai a ucune expérience. Mais je pense qu’on n’a pas les yeux pour voir toute la réalité. Je ne crois pas à la réalité matérielle. On s’en contente le plus souvent parce que c’est pratique : il y a le jour et la nuit, le passé et le présent, le bien et le mal. Mais c’est une apparence. Je crois davantage à une certaine unité de temps et d’émotions. Le temps et la conscience m’ont toujours passionné, parce que ce sont des questions que pose le cinéma. Maintenant, je pense que le temps est une invention de la conscience. Et la conscience est déterminée par le langage, qui donne forme à notre pensée. Il y a tout cela dans L’Homme sans âge."

 (特に信じていませんし、そのような経験 は全くありません。しかし、すべての現実を見るためにこの目があるとは思っていません。物質的な現実を私は信じないのです。昼と夜、過去と現在、善と悪など、それは便宜的なものとしてほとんどの場合済ませていていますが、それは一つの見掛けです。私はむしろ時間と感情の統一を信じています。時間と意識にはいつも熱中してきました。それはこの映画が問いかけている問題でもあるからです。今のところ、時間は意識が発明したものであると考えています。そして意識はわれわれの考えに形を与える言語によって決定されます。この映画にはそのすべてがあります)

このところ Radio Classique で、コッポラの映画音楽がドイツ・グラムホンから出ます、という宣伝がその印象的な音楽を背景に流れているのには気付いていた。今、耳を澄ますと確かに "L'Homme sans âge" と言っているのが聞こえる。この映画を通していくつかの断片がつながり、嬉しい気分である。フランスでの上映状況を見てみると始ったばかり。彼の言葉や音 楽を聞いていると期待が膨らんでくるが、それが満たされるのかどうか、近いうちに見てみたい。

予告編はここで見ることができます。




jeudi 15 novembre 2007

中国のルネサンスマン ― 徐光啓



このところ交通機関と大学が揺れている。"Les grèves, une belle invention française !" (ストはフランスの素晴らしい発明!) などという見出しも踊っている。昨日は再び交通機関のストがあり、大学はお休みになった(と思っている)。その前日は講義の最中から外が騒がしくなり、帰りに外に出てみると学生がたむろし、警官隊の車が7-8台大学前に停まっているという状況。大学が封鎖されるところ blocage までは行かなかったようだ。このような状況が日本で起こると大変な騒ぎになるだろうが、こちらで見るとそれほどの違和感はない。ということで、昨日は部屋での仕事になった。

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新しく届いたアメリカの科学雑誌 Science に興味を惹く記事が出ていた。中国最高のルネサンスマン Polymath で、東西の科学交流を最初にやった明朝末期の科学者の業績を振り返る行事が先月上海で行われたという。

 徐光啓 Xu Guangqi (1562–1633)

1562年に生れた徐は官吏になるように育てられたが、1600年に運命の時 (a watershed moment) が訪れる。中国に最初に居住が許された最初の西洋人でイエズス会のイタリア人学者マテオ・リッチ Matteo Ricci (October 6, 1552 - May 11, 1610) に会い、彼の虜になったのである。それから2人の交流が始る。それは2人の個人の交流でもあるが、同時に東西の交流にもなった。彼はリッチの助けを借りて、彼が 「幾何」 の名前を付けたユークリッド幾何学を訳している (今日の写真)。リッチも同様に孔子をラテン語に訳している。これらの経験から、徐は西洋の考え方に学ぶことの大切さ、さらに突き詰めると科学的にものを見ることの重要性を説くようになる。

1604年に学位をとった後は順調に出世している。彼の興味の中心は農業の改善で、中国を飢饉から救い、ダムや灌漑、食料政策の改善に努めた。それだけではなく、中国暦をより正確なものした。正式にその成果が取り入れられてのは彼の死後、1633年のことであった。このように幅広い領域に興味を示すところがあり、レオナルド・ダビンチ、あるいはフランシス・ベーコンと比肩される。

中国政府は全く触れていないが、リッチに対する感謝の気持ちからなのか、彼は1603年にローマカトリックに改宗し、Paul Xu Guangqi として洗礼を受けている。敬虔なクリスチャンではあったが、同時に孔子の思想にも心酔していたと言われている。



mercredi 14 novembre 2007

ひと段落?そしてメモワール



先日少し触れたが、日本の宿題にやっと手を付けようという気になっている。今でもこちらの情報処理に追われていることには変りないが、少しだけ精神的な余裕が出てきたのだろう。これは日本にいる時の状態に近くなったというのではなく、別のレベルで安定した状態に入りつつあるということだと思っている。今の自分ではそれを評価できないが、おそらく新たなステージに移りつつあるのだと思いたい。

ところで、もう前期のまとめとなるミニ・メモワールの課題を決めなければならない時期に入っている。まだ始って1月ほどしか経っていないが、来年の1月初めには前期が終ることになるので、予定通りなのだろう。しかし私にとっては何とも早すぎる。中には12月上旬が論文の締め切りというものもある。マスターの前期の評価はほとんどがこのミニ・メモワールによる方式で、大体15-20ページくらいにまとめることになる。私の場合、4-5クールについてこれをやらなければならないが、どうなるのか全く予想もできない。こちらに来てからフランス語を勉強しましょうなどと考えていた私のような者にとっては、この上筆記試験が加わるとお手上げだろう。いずれにしても、失うものが何もない身。こういう機会を与えられていることに感謝しながら、全身で向かうしかないと覚悟している。



mardi 13 novembre 2007

なぜフランス語が



こちらのクールの資料に英語のものも出てくる。英語の本もフランス語訳で読まなければならない中、英語の論文しか読まない先生がいるからだ。しかし、それを読んでもこれから哲学を勉強しましょうという気には全くならない。逆に何でこんな面倒くさいことをやらなければならないのか、という感想しか湧いてこない。フランス語で読んだ時にはあれほど好奇心がそそられ、こういうことになってしまったのに、である。これまでずーっと抱いていた疑問。なぜフランス語が私を刺激したのか、そして私を開いていったのか。英語の論文を読むたびに考えてしまう。以前に、ポールさんの前世はフランスですよ、というコメントをいただいたことがあるが、未だに大きな謎である。



lundi 12 novembre 2007

退職後


日本から便りがいくつか入り、私の知り合いのこれからが書かれてあった。例えば、今まで勤めていた会社あるいは関連会社で嘱託・再雇用で残りさらに働く人、定年を前に病院勤めや開業をやめて、沖縄やオーストラリアに移住する人、あるいは別の大学で教職を続ける人など様々である。定年がまだの人もいるので、これからいろいろなニュースが飛び込んでくるのだろう。とんでもないことをする人がいないかと今から楽しみにしている。



dimanche 11 novembre 2007

ヒトラー ある怪物の幼少期 Hitler, l'enfance d'un monstre



Le Point 10月4日号の13ページに及ぶ特集から。ノーマン・メイラーがアドルフ・ヒトラーの若い時を想像力を働かせて問い直した小説の翻訳がPlon社から10月11日に発売になるのを先取りしてのものだ。

 « Un château en forêt » Norman Mailer (né le 31 janvier 1923 à Long Branch, New Jersey)

アメリカ文学界の聖なる怪物が歴史上最悪の怪物に挑む。これこそ大事件だろう。三部作の第一巻 (450ページ) で84歳の作家が書いたものとは。

どのようにして絶対悪が子供に無垢な性質を与え得るのか。どのようにしてぱっとしない幼年期と安息のない青年期が何十年後にあの死体の山に辿り着くことになるのか。ディーノ・ブッツァーティ Dino Buzzati (16 octobre 1906 - 28 janvier 1972) からエリク・エマニュエル・シュミット Eric-Emmanuel Schmitt (né le 28 mars 1960 à Lyon) に至る人たちがこの危険なテーマに挑んでいるが、ナチの総統が出現することになるところをメイラーほど深く切り込んだ者はいない。そこには近親相姦、喪失と悲しみ、挫折、劣等感、あらゆる種類の欲求不満がある。メイラーは1900年代のオーストリア・ハンガリー帝国の一家庭に降り立ち、ヒトラーの汚い寝具に愉悦の中で寝転ぶ。そこはタバコの匂いを発し、姦淫し、自慰し、排便する。しばしば恐怖から。

この淀んだ沼地で若く目立たない (effacé) 寝小便をするような ("pisse-au-lit") アドルフ (メイラーはこの小説で "Adi" と呼んでいる) は自然選択思想の洗礼を受け、兄弟や仲間を受難に遭わせることにより恐怖を克服していく。 ・・・・


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今、ノーマン・メイラーのことをサーフしていて11月10日に亡くなったばかりであることを知る。
NY Times Obituary Slideshow
BBC Obituary: Norman Mailer


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(15 novembre 2007)

NY Times の追悼記事より

He was the most transparently ambitious writer of his era, seeing himself in competition not just with his contemporaries but with the likes of Tolstoy and Dostoyevsky.
 (彼は彼の同時代人だけではなく、トルストイやドストエフスキーに対抗するというはっきりとした野心を持っていた)

“Bellow and myself and a couple of others were very much smaller than Faulkner and Hemingway,” he conceded early in the decade, but he never backed off from the claim that among his contemporaries he was the heavyweight champion.
 (「ベローや私、それから他の数人はフォークナーやヘミングウェーに比べると大分小さかった」 と90年代初めに認めたが、同時代人の中では重量級のチャンピオンであることを決して譲らなかった)




samedi 10 novembre 2007

Inventaire


Geoff Levitus (1951 Sydney - )


私のアパートは家具・食器付きになっていることはすでに触れた。今頃になって不動産屋からアパートに入っている家具、食器などのリストを作ってくれという書類が届いた。目録作成である。項目を見ていると辞書のお世話にならなければならないものがほとんど。辞書と首っ引きでアパートの中を見回る (それほど広くはないが、そんな感じになった)。その過程で、こんなところにこんなものがあったのかと再発見し、感心することしきり。以下に身の回りのフランス語を少々。

pare-douche シャワーの水除け
porte savon 石鹸置き
porte goblet コップ受け
armoirette 整理棚
étandage 物干し
balai (brosse) wc トイレ掃除ブラシ

matelas マットレス
sommier マットレス台 
chevet ベッドサイド (枕元の) テーブル
lampe de chevet ベッドサイドランプ
radio réveil 目覚ましラジオ

logia ロジア (ガラスなどで囲まれたバルコニー)
rangement bas 下部収納スペース

tabouret 椅子 (背なし)
porte manteau コート架け

cafetière コーヒーメーカー
combiné cuisson 加熱調理台 (レンジ・皿洗い機などと組み合わせたもの)
réfrigérateur 冷蔵庫
lave vaisselle 皿洗い機
machine à laver 洗濯機 (前にも触れたが横型)

fourcette フォーク
cuillère à soupe スープスプーン
cuillère à café コーヒースプーン
louche 柄杓

assiette plate 平皿
assiette à dessert デザート皿/小平皿
assiette creuse 深皿
plat 大皿
bol 大きなカップ
tasse カップ
sous tasse カップ皿
saladier サラダボール

casserole カセロール、片手鍋
cocotte ココット、両手鍋
poële フライパン
planche à decouper 俎板

clic clac ソファベッド
lampadaire フロアスタンド
triangle 三角テーブル
verre à pied 足付きグラス
coupe 広口グラス (シャンパン、アイスクリーム)
cendrier 灰皿