mercredi 31 octobre 2007

ちょっとした触れ合い



大学の近くの本屋でのこと。目に付いた雑誌 Le Magazine littéraire の11月号が Pascal 特集だったので手に取ってみた。Pascal (19 juin 1623, Clermont - 19 août 1662, Paris) は私が初めてフランス語で読んだフランス人哲学者の一人だったので親しみがあったからだろう。シャトーブリアン (Chateaubriand, Saint-Malo, 4 septembre 1768 - Paris, 4 juillet 1848) が彼を評した言葉 « Cet effrayant génie » (この驚くべき天才) をタイトルにした巻頭言を読んでいるうちにこれを買うことにした。caisse の前でさらに読み進んでいると、前で待っていた40代と見える男性がこちらを振り返って、「私もこれを読みました。彼は素晴らしいですね。この号もなかなかいいですよ」 などと目を輝かせて話しかけてきた。私もその話を聞いているうちになぜか嬉しくなってきていた。

教室の前の椅子で講義を待っている時、女子学生が隣に坐ったので話しかけてみる。「昨日の夜も私の前で聞いていましたよね。科学哲学専攻ですか」 という調子である。そうではなくて現代哲学専攻なのだが、この分野に興味があるので聞きに来ているらしい。メモワールのテーマについても話を進める。そのうちに私の祖父は日本人なんですよ、と話し出した。そう言われると仄かにその面影があるようにも見える。国籍はブラジルだが3歳の時からフランスにいるので言葉には全く不自由はない。

やはり話してみないとわからないものである。こちらのシステムはそれぞれが自分の興味でクールを選んで講義を聞くだけで、例えば科学哲学専攻の学生の集まりがあるということはない。そのため、誰が専攻の学生なのか全くわからないという状況である。各自がメモワールを仕上げてこの場を去って行くというあっさりした場所なのだろうか。時間の経過とともに何かが変わっていくのだろうか。積極的に関わっていかないと何も変わらないのかもしれない。

昨日は先日触れた30分重なるクールがあった。ソルボンヌからENSまで歩かなければならないので40分ほど前に出なければならない。前のクールが10人程度なので、断ってはいたものの途中退席はあまりよい気分のものではない。ENSのクールは予想通り今回が4回目だという。幸いなことにこちらは30分開始時間を遅らせたようなので、次回からはそれほど影響が出ないだろう。少しほっとしている。



mardi 30 octobre 2007

文系の、あるいはフランスの?そして何という暴挙



日曜の夜だっただろうか。パソコンの時間が1時間ずれていることに気付き、不思議に思いながらも1時間進めるという訂正をする。冬時間ということも頭の中の遠くにあったが、確かめずにいた。昨日、他を見てもそうなっているのでラジオをつけてみてやっと冬時間であることを確認。パソコンの訂正を元に戻し、自らの時計を1時間遅らせた。10月28日で夏時間が終ったようだ。

ところで講義が始って2週間ほどが過ぎたのだが、今頃あることに気付いた。それはこれまでパワーポイントやスライドを使ったヴィジュアルな講義が一つもなかったことだ。自分で講義する時には使っていたのだが、聞く方の経験があまりなかったことと日本でたまに行っていたフランス語学校の講義と重なっていたせいか、全く不思議に思わなかった。これがフランスのせいなのか、文系の講義のためなのか、日本で文系の講義を受けていないのでわからない。以前にフランスで覗いた文系の学会でもパワーポイントは使われていなかった。文系でも法律や経済となると使いそうな気もするのだが、よくわからない。

どうしてこうなるのか考えていた。理系の場合には図や表、写真として示すことができるような成果が上がっているので、それがわかるような教育手段を用いるし、用いないとまともに講義をしていないということになる。しかし、文系 (特に哲学や文学) の場合にはそれが難しいのではないかと思い当たった。例えば、権利や義務を図にしなさいと言われても困ってしまうが (あるいは図にするという発想がないのかもしれない)、理系の場合には相当に複雑な概念でも図にできることが多い (ただし、それはあくまでも理解を助ける漫画にしか過ぎないのだが)。換言すれば、言葉を聞いただけでそのイメージが湧いてくるようでなければ話をよく理解できないのが文系の領域ではないのかということである (図でも出してくれればもう少しわかったような気になるのに、という思いである)。これまでどんなものを読んでもすぐに眠くなった大きな理由は、そのイメージのようなものの蓄えが著しく貧しいためではないのか、という結論になった。

今回、理系の頭のかなりの部分は具体的なイメージに支えられていることを感じている。文系の場合には、そのイメージが茫漠としていて人によって全く異なってくる可能性もあるのではないだろうか。いずれにしてもこの分野のお話がピンと来るには、言葉を自分の中でイメージのようなものとして蓄え、それを瞬時に引き出すことが求められているようだ。これはある意味で外国語を勉強するのと余り変わらないと言ってもよいだろう。つまり、私のやっていることは、外国に来て、外国語で考え話し、その上さらに別の外国語のようなものをその国の言葉で学ぼうとしていることになる。これが無謀でなくて何であろうか。



lundi 29 octobre 2007

Baldness is a sign of wisdom ?



外に通じる開き戸がこれまでは周りと接触してギーギーと音を立ていて、いずれ不動産屋に言わなければならないと思っていた・・・ところ、最近すんなりと閉まるようになってきた。おそらく寒さのためドアの木が収縮したためではないかと考えている。ここは冬に建てられたのだろうか。いずれにせよ、気分はすっきりしてきた。

こちらに来て2ヶ月だが、髪の毛の前線がどんどん上昇して、その勢いを止められそうにない。頭しか使わない生活のためではないかと勝手に思っているが、それにしても感心している。こちらでは若い人でも見かけるサザエさんのお父さんの髪型に以前から憧れを抱いているのだが、意外に早くその望みを達成できそうである。

  « La calvitie, c'est un signe de sagesse. »

                         なのだろうか。



dimanche 28 octobre 2007

エコールノルマルの壁



週に2度ほどエコールノルマルに講義を受けに行っている。私にとっての最初の講義がそのクールの3回目に当っていたようで、部屋を探すのに一苦労した。案内にあったところとは建物が違ったのだ。ここは10月初めから開講していたので、案内が届かなかったということだろう。その講堂があるところ (こちらでは場所を案内するのに階段の位置で言うことが多いので、例えばエスカリエA, B ,Cの1階何号室というような表現になる) に行くと、これまでに2度ほど写真で紹介しているが、壁の色が深い黄色 (クリーム色) になっている (今日の写真もそうです)。その色はこれまで見たことがないような黄なのである。最初にその深みのある色に接した時には不思議な感動を覚えていた。何と表現してよいのかまだわからないのだが、その色が体の中を洗い流すような爽快さを感じていた。新しい分野の話を聞く前に身が清められるような感覚といえるだろうか。今ではその空間に身を置くのが楽しみになっている。



samedi 27 octobre 2007

ブログについてある発見



ここの前身である 「フランスに揺られながら (愛称:ハンモック)」 を訪ね、あることに気が付いた。私のメモ帳のようなものとして始まり、2年半余りの間に小さな資料室くらいにはなった 「ハンモック」。その管理人が離れて2ヶ月になるが、訪問者数がこれまでと全く変わらないという状況が続いている。このまま行くと、年間7-8万の方の目に触れることになる。もう少し様子を見てみたいが、これが本物だと 「ハンモック」 が命を得たようにも感じて悦ばしい。

  「新しい場所から一言」 (2007-10-27)



vendredi 26 octobre 2007

クールの整理?



大学もやっと2週目を終えたところである。未だ入ってくるものをどのように処理したらよいのか、手探りの状況である。まだリズムが生れていない。少し集中するために auditeur libre で聴講していたクールを来週から止めようかとも考えている。聞いているとのめり込んでしまい、それでなくても処理能力を超えているのに益々本業をやっている時間と体力がなくなるという状態に陥っているからだ。これらのクールはいずれ余裕ができた時に聞くということでもよいのではないか、と思うことにした。そう考えることができるようになると、気分的に非常に楽になる。ただ、これらのクールを聞いているからこそ大学生 (undergraduate) の生活を再び味わっているような嬉しい気分でいたのだが、それがなくなるとこれまでと変わらず研究者の心構えになり、落ち着くのだが少々寂しい (ou つまらない) ところもある。なかなか難しい。



jeudi 25 octobre 2007

成り行き任せ



今日は食い違いの一日になった。まず先日調整済みのはずのクールの選択にまた問題が出てきたという。これまでプログラムの不備で選択できるクールがないので別のクールで代替していたのだが、それが認められないという。数日前に大学の最終登録が完了してコンピュータが機械的に判断したところ、それはできませんということになったのだと勝手に思っているのだが。他に選択の余地がないので、前の講義と30分重なるENSのクールをとることになった。来週からこちらにも顔を出すのだが、ENSは10月初めから始っている可能性が高く、すでに3-4回は終っているかもしれない。何ともお粗末なお話である。

ついでにもうひとつ。先週の今日はメトロのストで講義がお休みだったので、今日が初めてというクールを楽しみにしながらメトロに向かう。ところが乗り換えの駅で、その先が動いていないという。またタクシーをつかまえようとするがなかなかできない。メトロの2-3駅を歩きやっとつかまえることができた。大学に着くと講義が始って数分のところであった。中に入ると超満員。こんなことは今までにはない。この講義は現代哲学で、専攻外からの選択が義務づけられているのでこれを選んだのだが、これほど人気があるとは思わなかった。学生は30-40人くらいで、5-6人の学生が床に坐り、立って聞いている学生もいる。私は生れて初めて床に坐って2時間の講義を聞いた。これはこれでなかなか捨てがたい経験であったが、登録の段階で何とか調整はできないのだろうか。同じようなことはフランス語のクールでもあり、こちらの方はどうしようもなくなり、クラスを半分に分け、3時間の講義が1時間半になってしまった。フランス語の先生に、これはまさにフランスですね、と言うと、そうかもしれませんとの答えが返ってきた。




ところで先週と今週はタクシーでパリの景色を眺めながらの通学となったが、これがなかなかの味であることを発見。その時間を思い出して、行き違いの一日を忘れようとしている。まだ旅行者気分が完全には抜けていないようだ。



mercredi 24 octobre 2007

一回限り



夜、荷物の中に入っていたスピーカをパソコンにつけてみる。そうすると、今まではラジオから流れるものに身を任せていたが、自分のものを何か聞きたくなっていた。iTunes に入っているものを適当にオンにする。何と 「ツァラトゥストラはかく語りき」 (Also sprach Zarathustra>) のフランス語版 "Ainsi parlait Zarathoustra" の朗読が始った。それがなかなかよい。どんどん中に入ってきてついに3時間ほど聞いてしまった。日本では聞く機会がなかったものだ。

昨日哲学科の秘書から電話が入り、手違いでディプロムの番号を間違えたので、登録修正のためもう一度 Tolbiac に行ってほしいとのこと。11時の予定で、今朝出かける。本来10時から始るはずなのだがオフィスには人がいない。列の前で待っていた学生が怒り出して係の人に文句を言っている。彼は社会人のようではっきりものが言えたようだが、本当にその通り。周りの学生さんが全く反応しないので、Vous aviez raison ! と声をかけてあげた。手続がすんなり終了し、これで本当の哲学科の学生になった。

講義に向かう途中にFNACがあったので入る。5-6冊仕入れる。講義が終ってから4-5冊仕入れた。その意欲にだけは感心させられる。

昨日の朝。大学に向かう時、一人一人の先生との出会いが本当にこの世で1回限りのものであることを感じ、その話を聞けることに悦びを感じなければ、などと考えていた。これは日本で言えば、一期一会だろう。これまではそんなことを聞いても右から左であったが、よくよく考えるとこれは凄い言葉だと感じながらメトロに向かっていた。先生に限らない。この世の一瞬一瞬がまさにその時しかないということである。時間が濃く流れるはずである。こういう感じ方をするのは生れて初めてである。



mardi 23 octobre 2007

DNAを見る



こちらの街を歩いている時、以前のように観光地を歩くという感覚はなくなっている。自分の生活空間を歩いているように感じ始めている。そうなると、特に感動はしなくなるが、それにしても気持ちはよい。どうも今見えている景色だけではなく、そこに埋まっている歴史を感じようとしている節もある。こちらの人と接する時、もちろんその人そのものとのやり取りはあるのだが、彼らの中に長い歴史を経て溜まっているものを感じようとしているかのようである。そこに現れていることが、歴史の痕跡として埋め込まれているどのような出来事に支配されているのか、そういうことを探ろうとしているように感じている。したがって、目に見えるものは単にそのためのほんの小さなヒントにしか過ぎない、という感覚である。そういう視点に立つと、尽きることのない興味が湧いてくる。この視点をもう少し広げると、それはそのまま自分にもつながる遠い過去にまで想いが及ぶことになる。

ところで昨日から大学の第2週目が始った。こちらの方も旅行者気分が抜けて、講義を聞きまとめるという学生本来の仕事に向かわなければならないと思い始めているようだ。このブログもこれからは時間を見ながら、ということになるかもしれない。



lundi 22 octobre 2007

日本では哲学は不可能か



昨日、残りの荷をすべて解いた。予想外に早く済ませることができ、すっきりしている。一気にやるのではなく、出てきたメモや本を読みながらだったからできたのだろう。その中で興味を惹いた一冊があった。

 中村雄二郎著 「哲学の五十年」 (青土社、1999年11月15日出版)

今日のお題になった言葉がその帯にあったからだろう。購入日を見てみると1999年10月23日となっているのでもう8年も前である。日付から見ると、出てすぐに本屋に積まれているものを買ってきたものと思われる。読んだ記憶はない。ページを開いてみると四分の一くらいには目を通していた形跡が見つかった。線を引いてあったり、書き込みが見つかったからだ。改めて読んで見ると、哲学に対する捉え方に通じるものがある。著者は哲学の三つの要素として、第一に好奇心、第二にドラマ (これは生き様ということになるのか)、そして第三はリズムだとしている。 最後のリズムについては、空海も 「五大にみな響きあり」 と言っているようだ。五大とは、地・水・火・風・空の五大要素のこと。この宇宙のすべてにリズムがあり、それらが響きあっている。そこに身を晒して感じ取りなさいとでも言いたいのだろうか。空海はさらに識 (知ること) を加えて六大にしたという。この壮大な頭の中をいずれ歩いてみなければならないだろう。

中村氏は大学を出た後、5年ほど文化放送に勤務。この経験がその後の歩みによい効果を及ぼしたと考えている。5年では短すぎるのではないかとも思えるが、まさに 「生きた後に哲学を」 なのだろう。どうもこれは真実のようだ。以下に下線を引いてあった部分から。

---------------------------------------------------

 1901年に中江兆民が書いた 「一年有半」 (喉頭がんで余命1年余りという宣告を受けた病床で書かれた二十世紀への遺書ともいうべき書:p-p注) のなかの 「日本に哲学なし」 ですが、彼は、こういうことを言っています。「我日本古より今に至る迄哲学無し」。本居宣長平田篤胤のような国学者はいた。しかし、これらの人びとは単なる 「考古家」 ― 古いことを調べている人たち ― であって、哲学者ではない。また、たしかに、伊藤仁斎荻生徂徠などは儒書に即して新説を生み出したが、彼らは儒学者つまり一種の道徳家にすぎない。哲学というのは単に道徳論や倫理学にとどまるものではない。

 さて次に、これは東京大学に大いに関係するのですが、明治以後になると、西洋の哲学を導入した加藤弘之井上哲次郎がいます。しかし、兆民によれば、彼らはみずから 「哲学家」 を標榜しているが、実はただ西洋の学説をあれこれと 「輸入」 して折衷しただけのことで、「哲学者と称するに足ら」 ない。

  兆民に言わせると、哲学というものは決して抽象的なものではない。一見、「貿易の順逆」 (入超と出超)、「金融の緩慢」、「工商業の振不振等」 とは何ら関係ないように見える。だが、哲学は 「無用の用」 をなすものと言うべく、「哲学無き人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れ」 ない。

 このように言ってから、兆民は 「総ての病根此に在り」 として、次のように述べています。われわれ日本人は世界各国の国民と比較してみてもものわかりがよく、時の流れによく順応して、「頑固」 なところがない。西洋諸国のような 「悲惨にして愚冥」 な宗教上の争いがなかったのもそのためだし、明治維新がほとんど血を流さずに行われたのもそのためである。また、旧来の風習を洋風に一変して顧みないのもそのためである。しかし 「其浮躁軽薄の大病根」 も、まさにそこにある。「其独造の哲学無く、政治に於いて主義無く、党争に於て継続無」 い原因も、そこにある。だから 「一種小怜悧、小巧智」 であって 「偉業」 を立てるには不適当である。― こういうことばを聞いていると、つくづく、今もあまり変わっていないという気がします。

---------------------------------------------------

この問題は、古代ギリシャに立ち返らなければ見えてこないかもしれない。なぜギリシャで哲学が、そして科学が人類の精神に舞い降り、日本ではそれが起こらなかったのか。これが問になるべきなのだろう。



dimanche 21 octobre 2007

時間が寄り添う ― 科学とは



大学での講義が始って1週間。コースの外に目をやると、これまでになく快適である。最近感じ始めていること、それが今日のタイトルになった (ショーペンハウアーから酷評されそうなフランス語の影響を受けた日本語か)。時間に寄り添うのではない。時間の方から寄り添ってきてくれるという感覚である。そのお陰で時間の流れを時間とともに感じながら歩んでいるようで、日々の流れが非常に濃く感じられる。そして、あるいはそれなのに時間があっという間に過ぎていく。時間に乗っているのがはっきりわかり、密な関係にありながら、あるいはそれゆえに気がつくとひと日が終っているという感覚。日本で感じていた時の流れが速い、という感覚とは明らかに違うのである。まだその違いを旨く説明できない。

昨日、荷をいくつか開いた。やはり送ってよかったというものが多い。すべてを忘れて新たに始めるという可能性も考えたが、それには忍びなかった。この1-2週間ほど、文科系の人の気晴らしは何になるのか考えていた。昼間は関連の文献を読み、夜も同じようなことをしなければならないのでは耐えられない、と思ったからだ。理系であれば、私のような生命科学の場合には昼間は全く別の世界で過ごすことができ、それが故に仕事を離れ文系の本を読むと気晴らしになり、人生について考えることもあった。しかし文系の場合にはその境目がないのではないかという疑問である。この疑問に少しだけ答えが見つかりつつあるように感じている。これは私の短い経験からのもので、後に修正を余儀なくされるものだとは思うが、今の印象を書いてみたい。

講義が始り、読まなければならない本が山盛りである。少しずつ始めているのだが、読んでもすんなりと入ってくるものはなかなかない。読みながらいちいち意味を探らなければならないのである。その過程で気付いたのだが、これはある意味で私がこれまでやってきた科学論文を読むのと余り変わらない頭の使い方をしなければ理解できないからではないのか、ということである。私がこれまで閑を見つけて読んでいた文学のようなものとは明らかに異なる文章が並んでいる。その前提になっている事実を知らなければならないのはもちろん、書かれている文章の中にある概念の意味、論理のつながりなどを批判的に見ながら読み進まないとすんなり入ってこないのである。哲学をする前に、まず学習が必要だということだろう。この分野がなぜ人文科学、社会科学などとわざわざ 「科学」 と銘打っているのかが少しだけ体でわかりつつある。

確かに、夜これまで読んでいたようなものに触れるとほっとする。最初の問に戻ると、人文科学系の人も昼は自然科学系の人と同じような頭の使い方をしているので、全く心配には及びません、ということになるのだろうか。専門家のお話を聞きたいところである。ところで、「そもそも科学とは?」 という問題は依然私の前に大きく横たわっている。



samedi 20 octobre 2007

最初の一週間



昨日もメトロは fortement perturbé であった。前日よりは待っている人は多いものの、おそらく来ないだろうと決め込み外に出る。ところがタクシーもつかまらない。大学に電話しても出ない。結局今日もお休みと勝手に判断して、歩いていて行き当たったパリ第5大学のビブリオテクで今日予定されていた本を読む。異分野のせいか、全く頭に入ってこない。こちらに来てやっていることは、今まで使われていなかった頭の筋肉を解すことのようだが、本当に解れるのだろうか。

今週の出来事である。その日、教室の外で講義を待っていた私は、中から学生が出てきたので中に入った。しばらくして老教授が入ってきて話を始めた。劇場で芝居を演じているようなその話し方に感心して聞き入っていた。哲学者とはこうあらなければならないなどと思いながら。ところがいくら経ってもその老教授の言っていることがわからない。自分の選考するコースであれば、半分くらいはわかると思っていたのだが、ここでの話は全くわからないのである。聞いていると、カントの 「純粋理性批判」 を例に引いたりしている。10分くらいしてから、これはひょっとするとどこかに迷い込んでしまったのではないかと気付き後ろの女子学生に聞いてみると、やはり全く関係のないコースであった。30分早く教室に入ったことに気付いたのは、その講義が終わってからであった。

それにしても分野が違うとこうもわからないものかと、ほとほと感心していた。アメリカに最初に行った時、英語が速いのと日本で聞いていたのとは全く違う英語が話されているという印象を持ったことを思い出した。今まさに、日本で聞いていたフランス語とは全く違う言葉が話されていると感じている。アメリカでの経験では、これが解消されるには4年掛かった。フランス語のこれまでの経験と年齢を考慮に入れると、それが何年になるのか想像もできない。言葉のことを考えると、早く時が経ってほしいという気持ちが強いが、こればっかりはじっくり待つしかなさそうだ。

今日休んだせいか (まだ講義があったのかどうかわからない、いつものように自分で決め込んでいる) 何とも後味が悪いのだが、専門が始って1週間が経過した。率直な印象は、処理能力を超えた情報が流れ込んでくる。処理能力を超えたものに目を通さなければならない。本当にありがたい環境に身を置かせていただいている。髪が抜け、目が飛び出すくらいであればよいが、体が壊れないことを祈るばかりである。week-end がなぜあるのか、身に沁みてわかるようになっている。

------------------------------------------
先日、カラープリンタに手を焼いているという話を書いたが、まさにお金をどぶに投げているような気がしてきて、街を歩いている時に白黒のレーザープリンタを仕入れることにした。いつもの咄嗟の出来事であった。これとカラーを使い分けるということで自分を納得させている。少し気分がすっきりしている。



vendredi 19 octobre 2007

初めてのスト




パリのスト初体験である。私がフランスに触れるようになって最初に驚いたのが、衛星放送で見たストであった。日本の状況に埋もれていたせいか、普通の大人がこれほど頻繁にデモやストをやっていることに、率直に目を開かされたのだ。彼らが政治を近いものとして受け取り、時にはっきりとした態度で示すという姿勢を持っているのではないかと感じた。数日前には若い医師のストがあり、講義が終って外に出ると大学前広場にも若い医療関係者が溢れていた。その中の一人のインターンと話してみたが、自らを取り巻く状況を真剣な目で語ってくれた。

そして、昨日は交通機関のストである。先日のフランス語のコースで、先生が自虐的にこお言っていた。それが日常となると感慨も変わってくるのだろうか。

  "Grêve, c'est un sport national. C'est un plaisir culturel."
   (スト、それは国民的スポーツであり、文化的楽しみである)

ストを理由に授業をサボるのもどうかと思い、一応メトロに行ってみる。案内を見てみると全く動いていない路線もあるが、私のところは fortement perturbé とあるので、他の人はそれは全くサービスがないことだと言っていなくなったが、一つだけ通れる入口からホームに向かった。ホームでは数人が待っている。そこでアナウンスがあったのだが、最後が聞き取れない。横にいるフランス人に聞いてみたが、わからないという。それから10分ほどして同じアナウンスがあった。それでもわからない。今度は通りかかった人に聞いてみた。それでやっと、"le service est annulé" ということがわかる。仕方なしにタクシーで大学まで向かった。

教室の前に行っても人がいない。通りかかった女子学生がどの講義を待っているのか声をかけてきた。少し話してみると現代哲学に興味を持っているようだ。おっとりしていて感じがよい。日本から来たばかりだと自己紹介すると、今パリ第一の Lapoujade 先生 (Bergson と Deleuze の専門家とのこと) がカンファランスのため日本に行っていると教えてくれた。そして、今日はストだから授業はないんじゃない、と言っていなくなった。秘書室も閉まっている。しかし哲学科の図書室は満員なので、諦めて大学前のカフェで明日予定されている本 (原著は英語) をフランス語訳とともに読む。なかなか捗らない。疲れてきたところで出ることにした。

問題は帰りをどうするかであったが、まず歩けるところまで歩くことにした。途中、何気なく入った本屋が気に入り1時間ほど立ち読みをする。結局何かの縁があると思い、読んでいた2冊を手元に置くことにした。さらに歩みを進めたが、三分の一くらいのところからタクシーのお世話になった。運転手はポルトガルから7年前に来たという青年。私が何をやっているのか聞いていた。観光客、ビジネスマン、ジャーナリスト、、、、まさか学生だとは思わなかったようだ。それは第二の青春でいいですねと言う。道すがら哲学と科学の話やフランス語とポルトガル語についてなどなど、ずーっと話してきた。彼によると、ポルトガル語では言い方が一つしかなく直接的な場合でも、フランス語ではいくつかの言い方があり、込み入っていると感じているようだった。

ところで、パリ交通公団 RATP (Résie Autonome des Transports Parisiens) というのがあり、これが今回ストに絡んでいる。件のフランス語の先生のお話では、この公団はこうも言われているという。このユーモアは Wiki にも出ていたので、広く知られているのだろう。

  RATP = Rentre avec tes pieds (あなたの足でお帰りなさい)

人それぞれだろうが、ストのお陰で新鮮な一日を味わわせていただいた。



jeudi 18 octobre 2007

通りでばったり



先週は思わぬ出会いがあった。突然の再会である。最初の方はほぼ1年前にパリでお会いしている。こちらの研究所で活躍されている日本人研究者で、私が本を探しに来た図書館から出たところであった。その後、お忙しい中お食事をご一緒させていただいた。もう一人の方は昨年2度ほどお会いしているフランス人作家で、ハンモックで記事にしたことがある。この方とは大学を出たところで、本当にどうしてここにいるのかというタイミングで向こうから歩いて来られ、一瞬目を疑った。お連れがいたのでほんの一言二言交わしただけであったが、本当に驚いてしまった。不思議なことが起こるものである。



mercredi 17 octobre 2007

引越し荷物届く

Lien

日本の暑い夏に汗みどろになりながら荷造りした荷物が九月上旬に日本を出て、やっとこちらに届いた。6-7週間くらい掛かった。着いた荷物を見ると荷造りした当時が嘘のように何もなかったかのような姿である。荷造りの時には少し多過ぎたかという思いもしたが、こちらでみると何とか収まりそうな量なので、当時の心に従ったことが良かったと思っている。

早速食器などの身の回りの品を開けてみたが、どうしてこういうものまで送ったのかというものもある。こちらは食器も完全装備の家具付なのでほとんど送る必要がなかったのだ。特に、お猪口がこんなにたくさんあるとは。日本酒など飲むはずもないのに送っていた。しかし、小さな見慣れた品々を見ているうちに、この空間が誰かの家にお邪魔しているという感覚から、少しずつ自分の家に変わりつつあるように感じている。この家の壁をよく見ると、小さなフックがいくつもある。日本から送った小さな品をそこに架けると益々その観が強くなる。これからすこしずつ開けていくのかと考えると少々憂鬱になるが、それが終ると一つの区切りがついたように感じるのだろうか。いつ頃になるのかはまだわからない。



mardi 16 octobre 2007

L'université sans tabac



新しい本格的な週が始り、早朝から出かけた。先週よりは先生の速さに慣れてきているようだ。ただ、わからないことには変わりがない。中休みに隣の学生さんと話をする。彼女はアリストテレスについての博士論文を書いている。というから、同じ哲学科の学生さんである。アリストテレスの作品はギリシャ語でほとんど読んでいるという。博士課程は講義がないので、ラテン語についても知りたくなり今回このコースを取ったようだ。

私の事を聞いていた。いつからパリにいるのか、哲学はリサンスで取っていたのか、フランス語はどうやって勉強したのか、などなど。私の答えを聞いて驚いていた。よくぞ、そんな大胆なことができたものだ、という反応である。私もこちらに来て、ほぼ同様の感想を抱くようになっている。これまでこのような無謀なことをやった人はいるのだろうか。スウェーデン女王クリスチーナに呼ばれ秋にストックホルムに向かい、年が明けてからは朝の5時からご進講申し上げていたところ風邪をこじらせ彼の地で亡くなったデカルトのことを思い出している。

ところで、講義が終って外に出る時、今日のお題になった標語が扉に貼ってあるのを見つける。そして外に出ると、石と一体になりあたかも模様のように見えているため先週は気付かなかったが、一面が今日の写真である。扉の外には警告は及ばないようだ。



lundi 15 octobre 2007

洗濯機その後



この前、洗濯機の開 始のやり方がわかったので早速使ってみた。プログラムを適当に選びスタートしたが、いつまで経っても終了の知らせがない。この洗濯機はこちらでよく見かけ る横型で、見ると動きは止まっているが水がまだ残っている。中のものを取り出すために仕方なしに扉を開ける。当然のことながら一気に水が溢れ出してきた。後始末に一苦労。それからいろいろなところをいじっていると予想もしないところからプログラムの説明 (表示された頭文字が何を意味するのか) が書かれた小さな紙切れが出てきた。この洗濯機は全自動ではなく、洗い終わったら脱水、排水とプログラムを選び直さなければならない代物のようである。辞書を引いてみるとそれに対応するものが出てきた。そして脱水プログラムをスタートさせるとそのような動きをしてくれる。毎回サンタクロースのように外に洗濯に出なければならないのかと憂鬱になっていたところだったので一安心。やっと気持ちよく洗濯できそうである。

出てきたフランス語:
 prélavage : 下洗い
 lavage : 洗い
 eau de Javel : très sale の時に使う塩素系漂白剤 (次亜塩素酸ナトリウム
 assouplissant : 柔軟剤
 rinçage : すすぎ洗い
 essorage : 脱水
 vidange : 排水



dimanche 14 octobre 2007

ある週末



この週末、ソファに横になりゆっくりと radio classique を聞いていた。曲が日本にいる時とは違って聞こえてくるので気持ちがよい。さらに、フランス語の音について以前に感じたことを再確認していた。途中の説明で聞こえてくる作曲家や曲名、演奏家やオーケストラの名前がこれまでと違って聞こえる。フランス語で発せられるこれらの音に異常に反応している。この感じがなかなかよいのである。どういうことなのか、少し考えてみたいと思っている。

先々週の週末、お昼の散策に出る。モンテーニュではないが、ゆっくりした足取りの中にも頭が動き始める。歩いていると突然、乗馬クラブが視野に入ってくる。住宅地の一角に設けられたその場所では中央に先生がいていろいろな指示を出し、それに合わせて5-6人 (ほとんど女性) が先生の周りを回っている、という景色である。こういう予想もしない景色が現れる時、いつも新鮮な空気が私の頭の中を通り過ぎる。そして先週末の夕方には、突然 marché aux puces がいろいろな通りに現れてくれ、再び清々しい空気が流れた。



samedi 13 octobre 2007

アンドレ・コント・スポンヴィルさんを聴く André Compte-Sponville



小冊子の広告を見て、彼の話を聞きに出かける。

André Comte-Sponville
(né en 1952)

彼の本は以前に Présentations de la philosophie を読み、その他にもいくつか手元にあるので、どんな人なのかを感じるために夜8時半からの会に出かけた。1時間半に及んだその会は、最近出した La vie humaine という彼の奥さんの?(クレヨン画)との共同作業のプロモーションのようなものであった。始る前に司会者の女性が会場で質問していたが、彼の本を読んだことのある人はほとんどいなかった。この会場も年配の人がほとんど。そういう観察をしている本人はその中に入らないとこれまで勝手に思っていたが、まさにその中の一人であることに今日気付く。

彼の書いているところから想像していた人とは全く異なり、世俗の匂いがぷんぷんするエネルギッシュな人という印象を持った。Wikiによると1998年までパリ第一大学で教えていたようだ。会は司会者が本の短い引用をした後、彼の考えを誘導するというかたちで行われた。今回の本はやさしく書いた一般受けを狙った本である。しかし、哲学書にはその難易によってヒエラルキーがあるということはない、と注意を喚起していた。この本は彼の人生を振り返り、自身の哲学を語ったもののようである。若い時はキリスト教徒で、作家、小説家を目指していたらしいが、17‐8歳で哲学がずっと面白いと思い、進路を変える。最近の本にもあるが今は無信仰とのこと。彼にとってはギリシャ哲学がよき母であり、真理こそが悦びをもたらすと考えている。このブログの頭にも掲げているスピノザの考えにも通じる。彼の母親は悦びを見出せずに自殺したと話していた。生、幼年期、愛、家庭、仕事、子供、死というようなテーマが取り上げられているようだ。

一緒にいること、一緒に何かをすることは悦びをもたらす。しかし、誰も自分のためには生きてくれない、楽しんでくれない、苦しんでくれない、死んでくれない。

 On vit, jouit, suffre, meurt tout seul.
 Personne ne peut vivre, jouir, suffrir, mourir à votre place.

ただ、solitude と isolement とは区別しなければならない。前者は他者との関係を持っているが、後者はそれを絶ってしまうことになるからである。seul でいながら、vivre ensemble できること。deux solitudes mais vivre ensemble。それほど新しいことではないと思うが、これが最後のポイントであった。



vendredi 12 octobre 2007

本格始動



先日講義の選択がうまく行かないところがあると書いたが、昨日その調整が終わった。そのお陰で専攻の講義が来週からではなく、今日から始ることになった。やっとと言うか、いよいよと言うか、新しい生活が始る。これまでの夏休みモードから学生の1週間のペースを掴めるようになるにはどのくらいかかるのだろうか。今日の夜には体調が許せば聞いてみたいと思っている講演会もある。興味を惹く内容であればいずれまとめてみたい。



jeudi 11 octobre 2007

友人訪問 ― Alain Prochiantz を聞く



先日、こちらに来た挨拶を兼ね、P研究所のMを訪ねる。まずこちらに来てからの私の奮闘の様子を話した後、近くのレストランで昼食。そこに向かう途中に、それまで彼の秘書をやっていたSと遭遇。彼女の人懐こい笑顔が私を迎えてくれた。本当によくぞここまで来たという感慨があったようだ。今は研究所の各セクションの連携を担当しているという。レストランでの話はいつものように多岐に渡った。まず彼の趣味である彫刻について。去年、今年とギリシャに行って彫刻をやったようだが、彼にとっては空 vide に至るプロセスだと言う。また、実験をする時と頭の使い方が似ているという。これは実際にやってみないとなかなか理解するところまでは行かないだろう。それから私の大学での研究のこと。どのようなテーマになるのかわからないし、どのようなことになるのかも全く闇の中だと言うと、励ましの言葉をかけてくれ た。また、周りの学生が変なやつがいるという目で見ないかと聞いてきたが、少なくとも私の中では何も感じないと答えておいた。お前の行動は少し羨ましいところもあるが、なかなかできないという。彼のように責任を負っているとそういう決断には至らないというのはよく理解できる。東洋の果てから、言葉もおぼつ かないおじ(い)さんがよりによって哲学の勉強に来たということがわかったのか、横のお客さんが話に乗ってきて "Bienvenue en France" と声をかけてきてくれた。

その日は6時からのコレージュ・ド・フランス Collège de France のコースを聴く。広場には以前 「ハンモック」 でも少しだけ触れたことがあるジャン・フランソワ・シャンポリオンの像がある (今日の写真)。講師はアラン・プロシアンツさん (Alain Prochiantz, 1948- )。彼とは数年前の日本の会でご一緒したことがあるので、興味を持って出かけた。この方は非常に幅広い興味を持っていて、科学の歴史のみならず文学・哲学は言うに及ばず、演劇の分野にも実際に参加している。謂わば、flamboyant なパーソナリティの持ち主である。その前日の Le Monde では一面を割いたインタビュー記事が載っていた。会場の雰囲気は、皆さんが科学と非常に近い関係を持っているような、科学を支えているというような印象を持つ。 非常に主観的だが、会場の空気が落ち着いていて濃い。開講のお話だったせいもあるだろうが、よく本を読む人らしく時間と空間を自由に羽ばたく引用が多く、 科学と芸術が彼の頭の中で渾然一体になっているのがわかる。もちろん彼自身の個人的な奥行きなのだろうが、フランスには同様の傾向を持つ科学者がいることを知っているので、それを生み出す何かがあるような気がする。それが科学の伝統の違いなのだろうか。またその辺りにもアメリカの科学者と違いがあるように感じる。日本ではこのような講演を聞いたことはない。



mercredi 10 octobre 2007

選択科目提出



本日、これから取るコースを提出した。科学哲学の他に哲学科で行われている他のコースも取るように指定されている。私は現代哲学のコースを取ることにした。また以前にも触れたように、このプログラムは4大学が参加して出来上がっているので (spécialité cohabilité)、パリ第4大学と高等師範 (Ecole normale sup) のものもそれぞれ一つずつ取ることにした。ところで、コースを選んでいる時、どうしてもその期間にやっているものが見つけられないことが判明。その旨を伝えておいた。今年から新しい趣向も取り入れているようなお話であったので、ひょっとするとどこかで手違いがあったのかもしれない。講義は来週から始るのだが、、確認した結果を秘書の方が知らせてくれることになっている。

この選択をしている間、この前感じた視線の高さの変化を再び確認していた。9月初めにプログラムを眺 めている時には、古代から現代までの哲学や芸術・宗教哲学についても広く聞いてみたいと漠然と思っていた。それだけ興味を惹くテーマに溢れていたからだ。しかし、時間が経つにつれてそれは難しいことに気付いてくる。視線が下に下りてくると、再び身の回りのことが非常に大きくなってくるのだ。小さい範囲について深く知らなければならなくなるからである。特に大学院は研究が主体である。全体を広く浅く知りたいという場合にはリサンスに行かなければならないのだろう。リサンスを経てさらに深めたいという人が来るのが大学院であることを考えれば、当然と言えば当然である。という訳で、これからその焦点を定めなければならないのだが、今は難しいような気がしている。私のように蓄えがない場合には、これからある方向性をもって試行錯誤を繰り返し行く中で、面白そうな鉱脈に出くわすことができればよいのだが、という山師的発想にならざるを得ない。指導教官のご意見もこれから聞くことになるのだが、、、相変わらずの海図のない航海である。

昼食を大学近くのカフェでとっている時、3月にこちらに来た時に偶然その講義を聴くことになった先生の顔を見つける。その聴講に至る過程やそこのオフィスでのやり取りが今につながっていることが思い出され、不思議な感慨を持って先生のお顔を眺めていた。



mardi 9 octobre 2007

本日第一講



この写真はパリの夕暮れではない。大学の教室から見たパリの夜明けである。今朝、8時から始る講義のために6時起床で、6時半には漆黒の街に乗り出す。朝のメトロは静かで快適である。読み始めた本に目を通すがよく入ってくる。1時間ほどで目的地に着く。メトロを出ると空には上弦の月と明けの明星が輝いている。大学に着いて空いている教室から撮ったのが、今日の写真。大変なことをしているなと思いながら。

今セメストル最初の講義はラテン語である。何も知らない人用のコースと銘打っていたので、のんびりと出かけた。教室の雰囲気には全く違和感を感じなかった。おそらく、これまでに閑を見て通っていたフランス語の学校とほとんど同じ雰囲気だからではないかと考えていた。このコースはパリ第一大学の学生対象だが、専門はまちまちである。中に同年代?の男性がいたので話してみると、歴史学のリサンスを取るのだという。いろいろと力づけてくれた。他はバリバリの学生である。全体で20人くらいだろうか。先生は機関銃のようにイタリア訛りのフランス語を繰り出す。ラテン語の発音はフランス語よりイタリア語がより近いらしい。この先生の横顔を見ている時、初めてのような気がしなかった。私がその昔ボストンにいる時に一緒だったフェローのJKと全く同じプロフィルなのである。彼の名前は講義の後街を歩いている時にやっと出てきた。これは余談だが、radio classique で曲を紹介してくれる男性の声を聞いて、私がアメリカにいた当時スポーツキャスターをしていた人 (NBC?にいた後、ESPNに移ったような気がしているのだが、、、もう亡くなっているかもしれない) を思い出した。声質が全く同じなのである。その名前が2週間経ってもまだ出てこないが、是非思い出したいと思っている。

講義はこんな具合に進められた。まず、ラテン語とはどういうものか、その歴史を含めて説明する (文章を読んでいた)。周りではそれを書き取っていたようだ。それから文字と発音を説明。それが終ると、いきなり格 (le cas) が出てきてびっくりする。

Nominatif
Vocatif
Accusatif
Génitif
Datif
Ablatif

しばらく何のことかわからない。予想と全く違う大荒れの展開になった。この説明を少しだけした後、フランス語の文章1ページを渡され、学生がそれを一文ずつ読み、先生の言う単語がどの格にあたるのかを、次々に答えさせられる。フランス語の意味を理解する閑がない位の (全員フランス人なのでその必要はない) 非常によいテンポでやられるので、答えるのは大変である。変な舌を持ったやつが混じっているなと思われたことは必定だろう。これをやっている間、5-6回私に順番が回って来た。

これが終ると、今度はラテン語を黒板に書き、それについて先生が同様の説明をした後、ラテン語のプリントが回ってきて、それをフランス語に訳すと同時に、各単語の格を言わされる。学生さんの中にはりセでラテン語をやってきた人もいて、皆さんすらすらとやっていたようだ。私に言わせていただければ、泳ぎ方を知らないのにいきなり海に放り投げられ、さあ泳いであがって来い、という感じの強烈なトレーニングであった。講義が終ると横の女子学生がわからないことがあったら何でも聞いてくださいね、という優しい言葉をかけてくれた。3時間休むことなく話し続けた (中休み10分ほどあったが) 先生の方は、11月初めにはラテン語のフランス語訳、ならびにフランス語のラテン語訳の中間試験をしますから、と非常に元気がよい。

これだけのハードな講義の後、なぜか非常にすっきりしていた。一種のカタルシスだろうか。先生お勧めの教科書を仕入れに本屋に入った。あるのは古本だけ。もう出版されていない本ではないかという。そうだとすれば酷い話である。仕方ないので、ページの補強のためにテープが張ってあり、書き込みやメモ用紙まで残っている生々しい本を買うことにした。新品の6割の値段がついていたので、このぼろぼろの状態では半分以下の値段じゃないと駄目でしょうと店員に話しかけると、何を思ったのか彼は値段のシールを剥がし、私の言い値を打ち出した新しいシールを貼ってくれた。言ってみるものである。Gilbert Josephでのことであった。

-----------------------------------
その日のうちに書いておかないと、初日も何事もなかったかのように後で思うことは間違いないので、最初の印象を記憶に留めるために今日敢えて書いてみた。



lundi 8 octobre 2007

フランス語の環境で



こちらで時間が経つと、ある違和感を感じるようになっていた。これまでは日本語の環境でネットをやっていたが、どうも日本の周りを取り囲んでいる壁に開いた穴から眺めているような気がしてきて、窮屈に感じ始めていたのだ。この際思い切ってフランス語の環境に切り替えるのがよいのではないかと思い、新しいパソコンを仕入れた。これからフランス語でのメールや文章作成の機会が増えてくると思っての発作的な決断であった。フランス語のアクサンの文字化けにはいつも驚くし、文字を入力するのにも一苦労していた。フランス語方式の入力にしてタイプするというやり方もあったが使うことはなかった。

まずこちらのキーボードの並びが違い、なかなかうまく打てない。またイライラの種が増えたことになる。ただ、これに慣れるとフランス語は楽になるという感触はある。問題はそれがいつになるのか。ひょっとするとイライラを引きずったまま終らないとも限らない。

新しい環境でネットを歩き回ると、こうも世界の見え方が変わるのかと思うくらい、今までとは別世界に感じられる。この変化を日本では楽しもうという気になかなかならなかった。こちらではそれが自然にできる。そういえば、日本ではご無沙汰していた Le Monde などの新聞・雑誌のページにも努めることなく立ち寄ることができるようになっている。日本では避けていた、このてかてか光る画面にも少しずつ慣れてきているようだ。これらは場所を替えることによって初めて可能になったことだろう。

これからフランス語の世界が始るわけだが、若い頃に比べると言葉に対する必死さは失われているような気もしていた。・・・・が、これから始る大学生活を思うとそんなことは言っていられないだろう。私の好きなマイペースでは前に進めないことは想像に難くない。問題はこの世界にどのくらい浸りきることができるのかで、そこに注目している。



dimanche 7 octobre 2007

シャワーの調整など



今日は日頃の小さなイライラを少しだけ。このアパートに入った時にエクスパートの人が入居前状態をチェックしたが、その時にお風呂のシャワーのつなぎ目から水が漏れていることを指摘されていた。これまで放置していたが気になり出していた。先日、スーパーを歩いている時に偶然目に入り新しいものに交換した。・・・が、まだ漏れてくる。これはゴム・パッキングに問題があると思い、新しいパッキングを二つ入れると漏れが治まってくれた。・・・ように見えた。しかし、今度は驚くべきことに蛇腹のようになっている金属製のホースの途中から水が噴出してきて前より酷くなっている。スーパーのフレキシーブルが不良品だったようだ。交換してもらおうにも、最早証拠は残っていない。仕方なく専門店に出かける。30年保証のものがありますよ、とのことだったが、自らを保証できないので10年物を仕入れ装着したところ、やっとのことで一件落着。すっきりとシャワーを浴びることができるようになった。

役に立った単語として以下のものがある。
 flexible de douche (シャワーのホース?)
 joint de raccord (接合部パッキング)
 joint caoutchouc (ジュワン・カウチュ=ゴム・パッキング)
 joint de robinet (蛇口パッキング)
 clapet (バルブ)

こちらに来てカラー・プリンタを仕入れた。エプソン製である。このプリンタに手を焼いている。とにかくインクの減り方が早いのである。それだけならよいのだが、インクがなくなったという表示が出ると動かなくなるようなのだ (何かトリックがあるのではと疑っているので、ようなのだ、とした)。日本で使っていたものも相当前のエプソン製だが、インクの警告ランプが点こうが動くことは動いていた。一つのインクが10ユーロもするので、馬鹿にならない。少し立派なレーザ・プリンタの方がよかったかもしれない、などと考えている。学生になると細かいことが気になり出すようだ。

日本やアメリカに出す郵便は以前にも触れたが85サンチームだと思っていた。ところが近くのPresseで頼むといつも86サンチームの切手を出してくる。最初は私の記憶違いだと思っていたが、調べて見るとポストでは確かに85サンチームで間違いはない。再度Presseに行っても同じなので聞いてみたら、85サンチームがよければポストに行ったら、とつれない。一体どうなっているのだろうか。お知恵を拝借したい。



samedi 6 octobre 2007

ある依頼メール



先日のことである。姉妹版ブログ 「ハンモック」 にメールが入った。こちらは今やジャンクメールが来るだけだったのでオートマティックに削除しようとしたところ、NHKの文字が見える。読んでみると、本当のNHKのラジオ番組担当者からのものであった。その番組では国内でがんばっている外国人や外国で活躍している日本人を電話でつないで紹介しているという。私のブログを読み、是非国内でがんばっている人として出演していただけないかという依頼のメールであった。一瞬の私の読み間違いかと思ったが、どう読み返してもそう書いてある。どうも私の名前と顔写真を見て、日本語に堪能な外国人と誤解された可能性が高い。その旨のメールを出すと、やはりそうであった。相当必死に候補者を探したにもかかわらず見つからず、とにかく飛び込んできたという印象である。仕事とはいえ担当者に同情を禁じえなかった。それにしてもいろいろなことが起こる。こういう時は、今まさにこの世を歩いているという気にさせられる。



vendredi 5 octobre 2007

フランス人の死因



昨日のお話とも関連するが、1980年から2004年までのフランスにおける死因についての報告を読む。(Bulletin épidémiologique hebdomadaire des « Causes médicales de décès en France en 2004 et leur évolution depuis 1980-2004 »)

2004年には、フランス都市部で50万9804 人の死亡が登録されている (recensé)。10万人につき750人が亡くなったことになるが、男性が1012人、女性は565人である。

死亡の30%は癌で、肺癌、大腸癌、白血病 (les leucémies) の順である。これに続いて29%を占めるのが心血管系の病気 (心筋梗塞 infarctus、脳血管発作 accident vasculaire cérébral)、事故 5%、自殺 2%、糖尿病 2%、アルツハイマー病 (maladie d'Alzheimer) 2% となっている。

2000年に比べ2004年は死亡が10%減少している。最新の平均余命 (l'espérance de vie) は女性84歳、男性77歳。

2004年には15歳以下で4420人が亡くなっている。その約半分は先天性奇形 (les anomalies congénitales) と周産期の疾患で1歳以下で亡くなっている。無視できないのは腫瘍や避けることのできた事故死である。
15-24歳では、3824人が亡くなっているが、1382人は事故、621人は自殺、337人が癌である。
25-44歳: 男性は自殺、女性は癌が最も多い。
45-64歳: 男性は肺癌 (80%は喫煙が原因)、女性は乳癌が第一の死因。
65歳以上: 心血管系の疾患が第一に、すぐに続いて癌となっている (talonnées de près par les cancers)。

2000-2004年では、死因の順位は変わらないが、すべてにおいて減少傾向にある。ただ、アルツハイマー病による死亡は37%の増加がみられ、女性では肺癌が21% (過去30年の女性喫煙 tabagisme féminin の増加による)、アルツハイマー病が34%増えている。

死亡率の減少は、今後65歳以下の避けられる死をどれだけ抑えることができるかにかかっている。



jeudi 4 octobre 2007

タバコの警告を見て



シガーの箱の表に "Fumer tue" (喫煙は死因になります) とある。これは以前にも見ていたが、裏を見てみると別の表示があった。

 "Fumer peut entraîner une mort lente et douloureuse"
  (喫煙はゆっくりと苦痛を伴う死へと導くことがある)

読んでいて、こうも置き換えられると思った。

 "Vivre entraîne une mort lente et peut-être douloureuse"
  (生きることはゆっくりと時に苦痛を伴う死へ導く)



mercredi 3 octobre 2007

正式の学生に



今週から大学が始った。la rentrée である。大学に向かう時、先日の説明会で覚えた先生の顔を道ゆく人の中に認める。街を少しだけ近く感じるようになっている。構内には活気が溢れていた。中には、日本人の親御さん付き添いの学生さんも見かける。月曜には学科に行って登録に必要となる情報と研究計画を提出。私の提案がテーマとして成立しうるのか、後でディスカッションが必要になるだろう。どのコースを取るのかを登録する inscription pédagogique が来週に予定されている。興味があるコースがいくつもあるのでそれらを聞くことができるのかと聞いてみたが、どうもそれは難しいような反応であった。おそらく始ってみると自分の専門でそれどころではないという状態になるのだろう。

秘書のオフィスの前で順番を待っている時、同じ学年になると思われる4人組みの女子学生が床に坐り話し込んでいる。その中の一人がインド哲学の勉強のためか、自らの修養のためかカーマ・スートラ Kâmasûtra の研究書を読んでいる。そして、なぜかこちらを見上げてにっこり。面白い学生がいるかもしれない。終ってから近くの本屋を2-3軒はしごして数冊仕入れた。




昨日は大学の学生としての登録 (inscription administrative) をするために Tolbiac に出かける。そちらに向かう時、昨年暮にこのあたりを手探りで歩いたことが蘇ってきた。受付は昨年訪れたところとは通りを隔てたところになる。こちらは学生時代を思い出させるような雰囲気で、長蛇の列。30分ほど待たされた。最初は立っているが、オフィス近くになると廊下に椅子が並べてあり、順番に席を進めていく。受付書類に社会保険の番号を記入する欄があるので、右の女子学生に聞いてみた。私もないし問題なんじゃない、という落ち着いた回答。左の女子学生は必死の形相でその番号を誰かに携帯で聞いている。ひと様々で面白い。

順番が来て中に入る。担当者に聞かれた質問は以下の3つ。
1) これまでフランスの大学で勉強したことがあるか。
2) 今は働いているか。
3) 奨学金をもらっているか。

最後の質問には、この年で奨学金もないでしょうと言うと苦笑いして頬を赤らめていた。先日の Maison Internationale と言い、どうも年の話をすると頬を赤らめる傾向があるようだ (まだ2回の経験しかないのだが)。それで終わり。1分もかからなかった。それから興味を持っていた学費の支払いだが、220ユーロ弱であった。これまでの情報の確かさを改めて確認。丁度、先日 Maison Internationale で会ったルクセンブルグの学生のひとりを見かけたのでそのことを話すと、本当に安い、ただ他の大学では高いところもあるらしいですよ、とのことであった。そして最後に学生証の発行。これも非常に手際よく、持って行った写真をコンピュータに取り込み学生証に打ち出して終わりである。待ち時間は長かったが、最後が流れるようで気持ちよくそこを後にした。

それから外国語の講義の登録はこのキャンパスが受付になっていたので、その会場に向かう。後で変更は可能とのことだったので私の場合は FLE (français langue étrangère) の中級で提出。週に1回、3時間くらいの予定である。場合によっては、これが朝8時からの授業になりそうだ。語学に関しては来週から授業が始るはずであ る。ところで、こちらの順番を待っている時、前にいた学生に話しかけてみた。これからやろうとしている方向性を話すと、スペイン語を選択する彼は、今や科学が哲学の要素を求め、哲学の方は科学の基礎を取り入れようとしているので面白いのでは、などとあっさり言ってのける。それを聞いて、ここでは面白いことがありそうだという予感を感じる。

とにかく長い道のりではあったが、やっとのことで学生となることができた。始る前からエネルギーの半分くらいを使ってしまった感じがする。



mardi 2 octobre 2007

Café Philo を覗く



昨日の話と少しはつながるだろうか。先週末、あるカフェ・フィロに顔を出してみた。名前は以前から聞いたことがあるが、どのようなものかを知るためである。予定時間の少し前に会場のカフェの奥のスペースに辿り着く。すでに20人ほどの人が坐って待っている。ほとんど女性ですべて中年以上の方々である。この日のテーマは、われわれの欲望 (nos désirs) は現実 (la réalité) によって満たされるか?であった。ディスカッション・リーダーのような方が2人いて、それぞれが5分程度のイントロをしてから、参加者に意見を請うというやり方であった。

もちろんすべてを理解するところまでは行かないのだが、ある印象を残した。参加者が話を始めると実に矍鑠 (かくしゃく) となり、自らの考えをはっきりとした言葉で発表する。抽象的な概念をごく自然に操るのである。このことにある意味で驚き、感心していた。彼らが 「哲学お宅」 なのか、普通のフランス人を代表しているのかはわからないが、日本ではそうないかないのではないかという思いがあったからだ。頭の枠組みがわれわれと明らかに違うことを実感する。彼らの枠組みで哲学的な話ができる日本人 (哲学者でも) は極めて少ないのではないかと率直に思っていた。しかし、これは以前にも触れたヴァレリーによるヨーロッパ精神の分析を思い出すと、その一つの発露にしか過ぎないのかもしれない。

欲望はあくまでも未来に関するもので、まだそこにはないものに向かう性質があり、その意味では projet (私が以前に感じたことのある言葉) に近いだろう。それをこの日のテーマになっている現実と絡めると直ちにパラドックスに陥ってしまうという指摘があった。

話の中にスピノザがよく出てきていたが、先日彼について読んでいたので、欲望は否定すべきものではなく、われわれを突き動かすモーター (le moteur) であり、存在を十全にする (la pléinitude de l'être) ところに導くものであるという主張には改めて同意していた。最後に次のテーマを参加者に募っていた。出された中では例えば、

 Etre, c'est appartenir. (存在すること、それは帰属すること)
 A qoui sert d'aimer ? (愛することは何になる?)
 Qu'est-ce qui nous relie ? (われわれを結び付けているものは?)

などが耳に入った。挙手により、最初のテーマに決まったようだ。このようなカフェはパリのいろいろなところで開かれていると思うが、その場所柄や参加者の構成によって雰囲気はかなり違ったものになりうるのではないかという印象を持った。いずれにしてもいろいろなことを考えさせてくれた1時間半であった。






lundi 1 octobre 2007

洗濯機調整で



備え付けの machine à laver の使い方がわからない。どこにスイッチがあるのか、水はどうなっているのか。少し見てみたが全くわからない。壊してもいけないと思い、管理人に来てもらった。先日のことである。彼女も最初はこれは古いものなのでよくわからないと言って嫌がっていた。備え付けのものは不動産屋の管理になるので、そっちに連絡するようになどと匙を投げるようなことも言っていた。そう言いながらいろいろといじくり回している。そこにあるボタンやスイッチなど、手が付けられるものを可能な限りの組み合わせで動かしたり、横にある調理用ホット・プレート?が付いた台ごと強引に手前に持ってきて後ろがどうなっているのか調べたり、私であれば躊躇するようなことを次から次に繰り出す。そうこうしているうちに、あるボタンを手前に引くとスタート・ランプが点灯した。これだっ!というわけで、一件落着。

彼女の姿を見ていて、日本の彼女と同年代の人があのようなやり方をするだろうか、と思っていた。同時に、最初にアメリカに行った時に、彼らが車を体の一部のように扱っていると感じたことが蘇ってきた。車を大切にして磨き上げるという感覚とは違い、例えばエンジンルームを気軽に開けていろいろと調整するような姿をあちこちで見ているうちに、車を自分の道具として扱う、あるいは機械と非常に近い意識を持っているのではないかと感じたのだ。これは欧米人に共通する特徴なのだろうか。ヨーロッパ精神の表れなのだろうか。それとも単に私とは違う特質というだけなのだろうか。どうもそうとは思えないのだが、、、