lundi 22 octobre 2007
日本では哲学は不可能か
昨日、残りの荷をすべて解いた。予想外に早く済ませることができ、すっきりしている。一気にやるのではなく、出てきたメモや本を読みながらだったからできたのだろう。その中で興味を惹いた一冊があった。
中村雄二郎著 「哲学の五十年」 (青土社、1999年11月15日出版)
今日のお題になった言葉がその帯にあったからだろう。購入日を見てみると1999年10月23日となっているのでもう8年も前である。日付から見ると、出てすぐに本屋に積まれているものを買ってきたものと思われる。読んだ記憶はない。ページを開いてみると四分の一くらいには目を通していた形跡が見つかった。線を引いてあったり、書き込みが見つかったからだ。改めて読んで見ると、哲学に対する捉え方に通じるものがある。著者は哲学の三つの要素として、第一に好奇心、第二にドラマ (これは生き様ということになるのか)、そして第三はリズムだとしている。 最後のリズムについては、空海も 「五大にみな響きあり」 と言っているようだ。五大とは、地・水・火・風・空の五大要素のこと。この宇宙のすべてにリズムがあり、それらが響きあっている。そこに身を晒して感じ取りなさいとでも言いたいのだろうか。空海はさらに識 (知ること) を加えて六大にしたという。この壮大な頭の中をいずれ歩いてみなければならないだろう。
中村氏は大学を出た後、5年ほど文化放送に勤務。この経験がその後の歩みによい効果を及ぼしたと考えている。5年では短すぎるのではないかとも思えるが、まさに 「生きた後に哲学を」 なのだろう。どうもこれは真実のようだ。以下に下線を引いてあった部分から。
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1901年に中江兆民が書いた 「一年有半」 (喉頭がんで余命1年余りという宣告を受けた病床で書かれた二十世紀への遺書ともいうべき書:p-p注) のなかの 「日本に哲学なし」 ですが、彼は、こういうことを言っています。「我日本古より今に至る迄哲学無し」。本居宣長や平田篤胤のような国学者はいた。しかし、これらの人びとは単なる 「考古家」 ― 古いことを調べている人たち ― であって、哲学者ではない。また、たしかに、伊藤仁斎や荻生徂徠などは儒書に即して新説を生み出したが、彼らは儒学者つまり一種の道徳家にすぎない。哲学というのは単に道徳論や倫理学にとどまるものではない。
さて次に、これは東京大学に大いに関係するのですが、明治以後になると、西洋の哲学を導入した加藤弘之や井上哲次郎がいます。しかし、兆民によれば、彼らはみずから 「哲学家」 を標榜しているが、実はただ西洋の学説をあれこれと 「輸入」 して折衷しただけのことで、「哲学者と称するに足ら」 ない。
兆民に言わせると、哲学というものは決して抽象的なものではない。一見、「貿易の順逆」 (入超と出超)、「金融の緩慢」、「工商業の振不振等」 とは何ら関係ないように見える。だが、哲学は 「無用の用」 をなすものと言うべく、「哲学無き人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れ」 ない。
このように言ってから、兆民は 「総ての病根此に在り」 として、次のように述べています。われわれ日本人は世界各国の国民と比較してみてもものわかりがよく、時の流れによく順応して、「頑固」 なところがない。西洋諸国のような 「悲惨にして愚冥」 な宗教上の争いがなかったのもそのためだし、明治維新がほとんど血を流さずに行われたのもそのためである。また、旧来の風習を洋風に一変して顧みないのもそのためである。しかし 「其浮躁軽薄の大病根」 も、まさにそこにある。「其独造の哲学無く、政治に於いて主義無く、党争に於て継続無」 い原因も、そこにある。だから 「一種小怜悧、小巧智」 であって 「偉業」 を立てるには不適当である。― こういうことばを聞いていると、つくづく、今もあまり変わっていないという気がします。
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この問題は、古代ギリシャに立ち返らなければ見えてこないかもしれない。なぜギリシャで哲学が、そして科学が人類の精神に舞い降り、日本ではそれが起こらなかったのか。これが問になるべきなのだろう。
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