vendredi 11 décembre 2015

ハーマン・マラーという科学者 Un scientifique qui s'appelle Hermann Muller

11 décembre 2008


今日は朝からクールに出かける。この季節の朝は30分違うとその景色が別物になり、気分も変わってくる。昨日は会の開始が9時半だったので、出たのは8時半。早朝の街を歩く感じだったが、今朝は9時開始なので8時に出たので夕方とあまり変わらない街を歩いていた。ただ空気の新しさはそこにあるが、、

先週取り上げたトーマス・モーガンの最も優秀な弟子にして最も師に逆らったハーマン・J・マラーHermann Joseph Muller, December 21, 1890 – April 5, 1967)。X線による変異の研究により1946年にノーベル賞を貰っている。この研究の過程で、遺伝子を想像上の概念と考えている人が少なかった時代において、そこには物質的基盤があることを信じるようになる。ウィキで見るとその人生は大きく揺れ、複雑である。その一つの側面に次のようなものがある。

遺伝子や遺伝という現象を扱うとそれを使って人類に対する貢献をしたいという考えが生まれるのだろうか。彼の師のモーガンに見られた優生学的思想が、彼の中ではさらにはっきりした形になってくる。例えば、精神病を持つ家系の不妊手術を勧めている。彼の場合は共産主義に共感を持っており、ナチがやったような人種差別思想に基づくものではなく、むしろ理想主義の色彩を持ったものであった。しかし、彼の1940年代の講演を読むと、教養の程度と子供の数が逆相関するというような表現が出てくる。不妊手術により家族の苦痛を和らげようという考えがあったのだろうか。この考えを実行に移すために、スターリンともコンタクトを取っていたようである。この時期は、優生学的に劣っているとされる人を減らそうとする、ある意味ではネガティブな態度であった。しかし、第二次大戦後はその態度を完全否定するのではなく、ポジティブな態度への転向を図った。ナチのように身体的に優れた人種を創るという考えではなく、利他主義や他人への関心を示す心を持った道徳的に優れた人種を創れないかと考えたようである。その流れの中で精子バンクを提唱したのだろう。

このような歴史を見ていると、科学の進歩により生まれる概念的、技術的な新たな可能性を前にした時にどのように対処しなければならないかの教訓が含まれているように感じる。科学の成果を瞬時の熱狂だけで受け止めるだけでよいのだろうか。その中に含まれる数々の問題を、冷静に、幅広く、深く、科学精神を以って考えることが求められるのだろう。これからの科学の発展にはわれわれが考えなければならない大きな問題が内在することが多くなるように思われる。先日も触れたある枠を離れてものを見直すという哲学的な態度がここでも必要になるのだろう。

街にはノエルの飾り付けが溢れている。商売をしている所だけではなく、市役所でも郵便局でも公園でも家々の周りでも。軒を連ねた小さなお店が広場や教会の近くに現れている。そこに流れる空気を味わっている。



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