mardi 24 novembre 2015

沈潜する

23 novembre 2008



こちらに戻ってきて、ほぼ一週間が経とうとしている。

この間、外の世界から内の世界へと移行してきているのがはっきりとわかる。

それまでやや賑やかな地上に上がっていたのが、静かに海の中へでも沈んでいくかのようである。

精神の焦点がこれまでのところに戻ってきたようでもある。

こういう時、中学時代に覚えて しばらく気に入っていたこの言葉が浮かび上がってくる。

思えば、この言葉も長い間どこかに沈んでいた。

しかし、忘却の彼方へとは消えるところまでは行っていなかったようだ。

一年目の生活をとにかく終えることができ、ここ数カ月は解放感のようなものを楽しんでいた。

二年目の課題にもそろそろ取り掛かろうかという気分が生まれてきている。

沈潜という言葉が浮かび上がると同時に。

日本の私から見ると、パリでの生活全体が沈潜の状態にあるのかも知れな い。



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mardi 24 novembre 2015

この記事にあるような観察が、早い時期に生まれていたことに驚く

このところ、こちらの生活を総括する気分になることが多い

パリ生活の全体が内的生活のように見えるというのは、総括の一つの大きな柱になるだろう

つまり、こちらでの生活が内的生活への道を開いてくれたとも言える






dimanche 22 novembre 2015

フランス語で生物の哲学をやるということ、あるいは科学哲学者の役割

22 novembre 2008


昨日のセミナーの演者はイギリスの方なので英語で話し、当然のことながら質疑応答も英語で行われていた。その話を聞きながらいろいろな考えが巡っていた。科学哲学の中には生物学の哲学があるが、この領域はアングロサクソンが優勢のようである。最近出されたアンソロジーの中でも大陸の哲学者は英語圏の哲学にあまり大きな影響を与えていないので著者から除いたとはっきり書かれてある。1年余りの経験でしかないが、英語圏では生物学の中に入り込み、その学問を学び、その上で理論を作り出そうという姿勢が見られるのを強く感じてきた。その意味では科学の一分野と変わらない印象がある。それに対して、フランスの場合にはその伝統から来るのだとは思うが、科学に歴史を絡めて語るところがあるので文系の要素が色濃く表れている。科学(者)に対して深いところで影響を及ぼすことはあるだろうが、科学の進行に対して直接的な効果は少ないだろう。科学の分野に長く身を置いた身としてはそこが魅力になっている。

しかしこれから生物の哲学を本格的にやろうという方の場合には、科学の領域がそうであるようにどうしても英語で発表しなければならない状況にあるようだ。一つにはこの領域の主戦場が英語圏にあると見えるからである。これはどうしようもない現実のようである。M2になり英語の文献が増えてきていることもそれを表しているのかもしれない。昨日のやり取りを聞きながら、この分野でのフランスの存在感が薄く感じられるのはそのスタイルもあるだろうが言葉の問題も大きいような気がしていた。その意味では想像される日本の状況とも変わりないように見える。ただ、フランスの持つ歴史や伝統、それからこの分野に対する極自然な距離感のようなものは大きく違うのだろう。

現時点で考えている科学哲学者の役割としては、実際の科学の中に入り込み、そこで気がついた疑問や新たな理論的枠組みを提示し、その上で科学者を刺激するような歴史的、哲学的考察を加え、科学の活動を生き生きとしたものとし、より深い自然の理解に導くことができれば理想的だろう。つまり、科学の側も哲学の側も自らの土俵に留まって語っているだけでは未来はなく、どこかで対面する必要があるということになる。その意味でも先日の日本での発表は私にとっては大きな一歩になったようである。



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dimanche 22 novembre 2015


言葉の問題は母国語の中にいると気付かないが、一旦外に出ると深刻な問題になる。こちらに来た当初はフランス語の中に浸っていた。何とか慣れようとしていたのだろう。フランス語を始めたのが遅く、しかもそれほど時間が経っていなかったため、いつも自分の体から出ているものではないように感じていたからだ。話をする時はパズルのピースを組み合わせるように文章を作る。どこか別世界にあるものを引っ張り出すという感じだったからである。  

このような時期が5年くらい続いただろうか。その間は恰も繭の中にいるように快適であった。ところが、アングロサクソンの世界に出るとそこは外気に晒される世界のようで、昔アメリカで生活していた時の感覚が蘇って来た。夢の世界から現実の世界に引き戻されるという感じだろうか。それは日本に落ち着いた時にも感じたことではあるのだが。この経験以来、次第に英語が頭の中に侵入し始めたのである。  

この記事で観察しているフランスとアングロサクソンの科学哲学の特徴は、それほど間違っていないのではないかと今でも思っている。ただ、わたしの場合にはこの道で身を立てる訳ではない。自分の感覚に合うもの、自分が求めるものを求めたいと思っているので、フランス的なものには捨て難いものがある。このところ英語でやっていたので、これからフランス語を真面目に学び直さなければならないと改めて思っている。  

それから哲学と科学の関係についても、両者が離れている状況は決して望ましいものではないだろう。哲学の方は科学を見ているが、科学が哲学を見ることは現代では殆どない。現場の科学が細分化され、生存のためのプレッシャーも増していると想像されるため、目が届く範囲が非常に狭くなっている。そこに哲学が入り込むのは至難の業である。ただ、わたしのような立場の科学者が増え、現場の科学を少し離れて眺めた時間軸も長い話が科学者にも届くようになると、状況は少しずつ変わって行くのではないだろうか。この方向性はこれからのミッションのようなものになりそうである。 
             


samedi 21 novembre 2015

モーリン・オマリー氏のセミナーを聴く

21 novembre 2008

Dr. Maureen O'Malley


今日は午後からセミナーがあるため午前中から出かける。はじめ小雨だったのだが途中から激しく降り出したので近くのプレスで雨宿りをする。そこで久しぶりに Le Point や Lire などの雑誌が目に入ったので小降りになるまで読む。メトロをひとつ前で降り、少し歩きカフェで雑誌を読みデジュネをとる。それからおもむろにセミナー会場へ。

今日の講師はイギリスのエクセター大学のモーリン・オマリー 氏。テーマは生物の多様性について。話の大半は、生物をどのように見るのか、生物と無生物の境界はあるのか、という生命の定義に関わる科学的なお話。一般的な生命の定義として、外界との境界がある、代謝をして自己複製能があるなどが言われているが、そのほかの重要な特徴としてcooperationという概念を持ち出して説明していた。進化の過程で起こるcompetitionとは異なるのでどのようなことなのか興味があったが、生物の中でのことなのか、外界との間でのことなのか、いずれの場合でもどのような要素の間で起こることなのかなど、今ひとつよく掴めなかった。それから生命をprocessとして捉えるとのことだが、こちらも理解するところまで行かなかった。これらの問題は、これからさらに解析が必要になりそうである。

彼女の立場は生物と無生物の間に境界はなく、連続して移行しているというものだが、両者の間に位置するとされるminivirusについて質問してみた。セミナー終了後の話の中では、テキサス出身のアメリカ人でデュッセルドルフに落ち着いているWilliam Martinという研究者の存在を教えていただいた。


帰りは普段通らない道を歩いてみた。街にはノエルの雰囲気が出始めている。



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samedi 21 novembre 2015


その後もオマリーさんのお話や活動に触れることがあった

地道に研究をされている様子が伝わってくる

現在はシドニー大学に移られ、アクティブに研究を続けておられる

ホームページは、こちらから

彼女のような姿勢が、特に年齢を重ねた研究者には必要なのかもしれない





vendredi 20 novembre 2015

今日のクールで

20 novembre 2008
 


今朝のENSでのクールが始る前に、MITで経済学を修めてきた学生さんと話す時間があった。私が日本の科学の学会で哲学について触れたことを話すとどのような反応だったのか興味津々で聞いていた。科学者は哲学に触れる機会がほとんどないのでよいことをしたのではないかと言ってくれた。仕事に追われ、研究費獲得のプレッシャーの中にいるのでやりたくてもできないのだと説明すると、そういう状態を表現するフランス語を教えてくれた。自転車のハンドルに頭をつけてまっしぐらに進む姿が浮かぶが、周りには目もくれず突進する様を表しているのだろうか。

 "Ils ont la tête dans le guidon."

彼はまた天井の穴の開いたところを指しながらやや抑えた声で、ボストンでは最新の設備を誇っていたがフランスの最高学府がこの状態なのだ、とフランスの教育環境を憂いていた。私はこういうところが気に入っているのだが、現役の学生にしてみるとやはり政府に何とかしてもらいたい気になるのだろうか。

今日は新しい先生で、テーマはエイズウイルスの発見に纏わる話題。雑誌Scienceに1983年に発表されたアメリカのガロ博士とフランスのモンタニエ博士の論文を読み比べて、そこから何が見えてくるのかを考える試みであった。以前にも読んでいるはずだが、今回20年ぶりに比較してみて面白い(と言うより驚きの)発見があった。少々専門的になるが、ガロ博士の論文では成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)をエイズの原因ウイルスに近いもの、あるいはその原因にもって行こうとする思考の動きを感じたのに対して、モンタニエ氏の方はエイズの原因ウイルスはHTLV-1とは違いがあることを強調しているのがはっきりわかった。

ガロ氏の頭には功を焦るあまりの恣意のようなものを感じたのに対して、モンタニエ氏の方には冷静で謙虚な科学的な思考が見られる。時間が経ってから読み返すと発表当時とは違った印象がある。この辺りは歴史の面白さであると同時に恐ろしさになるのかもしれない。それにしても私の同時代に科学の分野で起こったことが(エイズというインパクトの大きな病気のせいだろうが)もう歴史研究の対象になっていることにも驚く。しかし少し引いて見ると、今や自らを歴史研究の対象にしているところもあるので、それほど驚くことでもないのかもしれない。

クールの途中に大きな警報ベルが鳴り始めた。なかなか止まないので、中断して地上に出た。他の階からも人が出てきていたが、誰も何のためなのかわからない。おそらく避難訓練ではないか、程度の反応で、話をして時間を潰している。日本の避難訓練であれば式次第があり、それに則って厳かに行われ場合によっては反省会などもある。お国柄の違いとは言え、その違いの大きさには驚かざるを得ない。もちろん、これまでの経過からフランス版がお好みであることは推測できるとは思うが、、、

その時の雑談で、今日の先生はアフリカのエイズを研究テーマにしていること、さらに私がいずれ会いたいと思っていた先生が彼のテーズの指導教授だったことなどが明らかになった。


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vendredi 20 novembre 2015

 こちらに来た当初、多くのことに感動し、目を開かされた

その中の一つに、次のような小さな発見があった

自分が研究していたあの時期に別の分野ではこんなことがやられていたのか、という感慨である

同時に、そんな世界があることも知らずにやっていたんだなぁ、という反省のようなものだろうか

 ここに書かれてあるクールでも同じような感慨を持ったはずである


冒頭の学生さんに今あっても認識できなくなっているだろう

この記事を読むまで、記憶の奥にしまい込まれていたからである

 その意味で、ブログは貴重な記憶の貯蔵庫になっていると改めて思う

 その記憶は生きる上でおそらく必須ではないかもしれない

しかし、「自己の調整」とでも言うべき過程に不可欠な役割を担っているような気がしている

 自己の調整という言葉はいま思い付いたものなので、説明は難しい

ただ、自分の全体をぼんやりとイメージし、自らを捉えようとする時に重要になる何か

そこでは、このような些細な記憶を意識できる形にして蓄えておくことが大切になると考えている

新しい概念が浮かんだ雨のパリである






mardi 17 novembre 2015

自らに照らすという作業

19 novembre 2008
 


こちらに帰ってきて体重計に乗ってみる。予想通り数キロの増加。充実した食事と歩く距離の減少がその原因だろう。今では致し方ないと諦めている。

ところで昨日のクールでも改めて感じたことだが、アメリカの文化を見る時にまず自らの文化に照らして見直すという作業が一つ入っている。アメリカのことを知った時、それを自動的に取り入れ自らの考えを作ることをよしとすることにはなっていない。あるいはアメリカのことを知っていてそれを紹介できることが教養人の条件のように考えているところはみられない。これは昨日の教授だけではなく、M1から聞いてきた中でほとんどすべての先生に見られる特徴のように感じてきたことである。そこに落ち着きや教養の成熟のようなものを感じて、こちらもじっくりものを見て考えてみましょうかという気分にさせてくれる。これは日本では感じることが難しく、日本の状況が生み出しているふわふわしたところもこの態度の欠如ではないかと考えられる。インテリと言われる人の教養に重厚さが欠けて見えるのもそこに原因があるのかもしれない。



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mardi 17 novembre 2015


自らに照らす(self-referential)とか振り返る(reflect)という言葉の意味を知ったのは、残念ながらこちらに来てからである。それは意識した結果ではなく、長い間の経験から体得できたと感じるようになったものである。そして、古くから言われている哲学の一つの営みがその中にあることの意味も分かるようになってきた。これは言葉を読んでいるだけでは学び得なかったことである。それだけでもこの滞在はわたしにとって大きな意味があった。

フランス人教授の話を聴く中で、別の方向からそのことを感得できたとも言える。外からの刺激に対して無条件に受け入れるというのは、単に刺激に反応しているだけである。刺激が入った時に一旦自分の中で受け止めて、その刺激を見直すという精神の運動を日常化することが重要になるだろう。それによって、外界は全く違う姿を現すはずである。別のレベルの意見交換が可能になるはずである。






vendredi 13 novembre 2015

科学の会で哲学を話して

15 novembre 2008
 


今回の旅行の目的である会が昨日終った。発表内容のレベルの高さと日本ならではのホスピタリティに海外からの参加者も充分に満足して帰ったのではないだろうか。私は科学をする上での哲学的思考の重要性と哲学が科学に対して何ができるのかという両面からの解析を抄録として送っていたが、オーガナイザーM氏の先見性ある判断により発表する機会を与えられた。このような科学の会議で哲学が話題になることは前代未聞のことなので、どのような反応があるのか不安と期待をもって参加した。もちろん不安の比率が大きく、会で話題になっていることも考慮に入れながら発表直前まで考えを練った。

今回はこれまでに感じたことのない会場との一体感を味わいながら話すという貴重な経験をすることができた。発表がその日の最後でもあったので皆さんをエンタテインしなければならないという思いがあったが、最初から会場が予想通りの反応で答えてくれた。そして話が進むにつれて皆さんの集中から出てくると思われる静寂を感じ取り、はっとした。やがてそれはある種の満たされた気分に繋がって行ったが、これは生まれて初めての経験になる。

話を終えるとベルギーからのMB氏がやや激しい口調で、そんなことを言っても今の科学者は目に見える成果をあげるのに必死にならざるを得ない環境にあり、哲学的思考などしている時間などないのだと心からの叫びを上げると、海外からの参加者が主ではないかと思うが会場から拍手が沸いていた。彼のコメントは私の話に対する批判というよりは、哲学的思考、すなわち自らのやっていることを全体の中(より大きなフレームワーク)に入れ直して考えるという何をする上でも重要なことができなくなっている今の状況に対する彼らの苛立ちではなかったかと思う。あとでドイツの方が話してくれたところによると、特にベルギーとオランダでは研究をする上での資金を得るのが厳しい状況にあるとのことであった。

その他にも何人かの海外からの方から関連する科学的事実についてのコメントや全体の印象を聞くことができた。これから考えを深める上で大いに参考になるだろう。日本の方からも様々なコメントをいただいたが、私の耳に入ったという制限付きで概して好評であった。これからもこのような話を続けて聞きたい、あるいは積極的にいろいろなところで話(全国行脚?)をするべきではないかという予想もしない反応をいただいた。同様の会議はアメリカとヨーロッパでも定期的に開かれているが、日本版は彼らの一周先を行っているのではないかとの言葉まで聞こえた。まさに生身の異分野交流の醍醐味に触れる贅沢を味わった。

すべてが終わり、このような抄録を送ってよかったと思った。心の底から静かに溢れる満足感と同時に、科学発表の時には感じたことのない何かに対する使命感(ミッション)のようなものが芽生えているのを感じていた。それはそのままこれからの歩みを後ろからしっかりと支えてくれるのではないかという淡い期待感に変わっていた。


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vendredi 13 novembre 2015


このような発表の最初の頃のエピソードになるだろう。

MB氏の顔を赤くした批判を今でも思い出す。

私が現役の時に今回の自分の話を聴いたとする。

その場合、それは理想論でしょう程度の反応か、気にも掛けなかったのではないだろうか。

こちらの人たちの「こと」に自ら参加するという性質にはいつも感心する。

そのような参加(アンガジュマン)の態度からしか、新しいものは生まれてこないのではないか。

ただ、日本にどっぷり浸ってしまうとそれは相当のエネルギーを要するだろう。

そのことは自らを振り返ればよく理解できる。


今年はテーズの準備もあり、外に向けての発信は不可能であった。

内に籠る生活が一段落すれば、このような活動を再開したいものである。

と同時に、これまでに蓄積されたものをさらに深める作業にも怠りがあってはならないだろう。

今回纏めたものは、考え着いたことのリストに過ぎないような気がしているからだ。


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当時のコメント欄です


Commented by takako at 2008-11-15 03:59

飛行機で隣だった者です。遅くなりましたが長旅お疲れ様です。もうパリに戻られたようですね。講演はいかがでしたか? あの時の友人のすてきーは空耳ではないです。私も、新たに言語を習得なさろうとする姿勢とかそれをきちんと実現されているのとか、ほんとに素敵だと思いますし心底尊敬します。フランス語ほんとにややこしくて私は何度も挫折してるので… 文法を細かい規則と思っているから覚えられないのでしょうね。とてもいい刺激をもらいました、ありがとうございます。

ブログもこれから楽しみに拝見させていただこうと思います。一度では理解しきれなくて何度も読み返しそうです!

旅行会社の方に11月中旬からパリはクリスマスのイルミネーションが点灯すると聞きました。ちょっとずれてしまい残念です。機会がありましたら写真載せてください!

それでは大学院がんばってください。失礼します。


Commented by paul-paris at 2008-11-15 06:20

takako様 訪問ならびにコメントありがとうございます。

先日はお付き合いいただきありがとうございます。少々話し込みすぎたのではないかと心配しておりましたが、安心しました。旅行中ブログはお休みにするつもりで日々の写真をパリにしていますが、まだ日本です。

最後まで不安が付き纏っていた講演ですが、今日の記事に書いたようにこの会議に参加して本当によかったと思えるものでした。今は開放感で一杯です。

少々回りくどい言い方に溢れているかもしれませんが、これに懲りずにこれからもここを訪問していただければ幸いです。それからノエルのパリの町並みもここに載せてみたいと思います。

では、お勉強がんばってください。
そしてお友達にもよろしくお伝えください。





samedi 7 novembre 2015

東西を哲学する

10 novembre 2008


本屋で立ち読み。「偶然を生きる思想―『日本の情西洋の理」の著者野内良三氏がフランス文学に入るきっかけが偶然にマラルメを知ったことで、そこに至るまでに偶然の重なりを見ているところを読み、私がこの道に入ることになった偶然の重なりと重なったので少し読み進む。


著者は、西洋と東洋の違いについて、単純化、極論だと言われることを覚悟した上でこう言っている。

「西洋人と日本人の一番大きな違いは『目に見えないもの』を信じるか信じないかにある。目に見えないものを西洋人は信じるが、日本人は信じない。いうならば西洋人は観念主義者で、日本人は現実主義者である。
このことを哲学的に捉え返せば、西洋哲学は超自然的原理を設定して、それに依拠して世界を説明してきたということだ」

西洋と日本の随筆のスタイルの違いから、こうも言っている。

「それは『全体』と『部分』に対するスタンスの違いに求められる。西洋人は『全体』あってこその『部分』であると考え、日本人は『部分』あってこその『全体』と考える。いや、『全体』など眼中にないというべきだろう。日本人は『部分』にこだわる。『全体』は後からついてくるものであり、偶然的なものの結果でしかない」

自然や外の世界に対する態度からは次のように。

「・・・日本人、あるいは日本文化には目の前にある現実(世界)を素直に受け容れる傾きがあるということです。世界をあるがままに認めるということは他の世界の可能性を考えないということである。世界を前にしてなぜという問を発しないということである。疑問を感じるよりは、世界を肯定的に受け容れ、むしろ楽しもうとする。無常も偶然も美的次元で受けとめられたわけである。偶然の美学はあるけれども偶然そのものへの問いかけはなかった」

「いま問題にした日本人の特徴は、要するに『こだわりのなさ』という性格に集約できるだろう。偶然性は体系とか法則とか絶対とかを求める心――原理的なものへのこだわり――がないと、どうも深刻な問題として迫ってこないものらしい。言い換えれば、例外的なものを目撃したときに感じる驚きの情が大きくないと、偶然が本当の意味での偶然ではなくなってしまうのだ。日本人は偶然を前にしても余り驚かなかったのかもしれない(ここはむしろ『愕く』あるいは『駭く』を使うべきだろうか)。驚くよりはむしろ感動してしまったのである」



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samedi 7 novembre 2015 


日本人が細部に拘ることは、例えば、NHKの「プロフェッショナル」という番組を観ていて感じたことでもある。あの番組に登場する人で全体について考えている人は皆無に近かったのではないだろうか。それから、同じテーマについて話をする場合でも、東西では違いがあるように感じている。それは話の分かりやすさである。日本人の話はこまごまとしたことが並べられる傾向があり、全体の構造が見えにくいため、西の人の話の方が分かりやすいのである。ベルクソンは「最初に全体がなければならない」と言っていたという。そして、「その上で部分に当たらなければならない」とも。この言葉に西の考え方が表れてい るのかもしれない。

科学の道に入った当初は原理的なものを求めていた。しかし、時が経つにつれ、そのことは忘れられ、部分の解析に終始することになった。それが現代科学の方法論であったとしても、ベースのところに原理の追究がなければならないのだろうが、やはり根本は日本的な精神だったのだろうか。

自然に対する日本人の態度に関連したエピソードを思い出した。それは、日本が地震大国であるにもかかわらず、日本人からは地震学が生まれなかったということ。地震を対象として見たのは明治のお雇い外国人だったとどこかで読んだ記憶がある。よく言われることだが、日本人は自然の中に入り一体になる傾向が強いとすれば、このことも理解できる。

東西の思考に関して、今はこう考えている。最初から日本人はこういうものの考え方をするとしてそこに安住して西洋の思考を学ばないという道は取るべきではないということ。残念ながら世界を動かしているのは西の考え方であるからだ。西洋を突き抜けて東洋に至るという方向性が必要なのではないだろうか。その時初めて、東洋が西洋に通じる道が見えてくるような気がしている。これも「言うは易く行うは難し」になるのだろうが、、。 


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以下に当時のコメント欄を転載したい


Commented by ひらめきハート at 2008-11-10 21:11

何という偶然なのだろう? この所の私に起こった出来事が・・・偶然の二文字を何か見えない力に依るものだと思わざる得ないものでした。

偶然に・・・ということが、ある時から私にはよく起こるのですが・・。
目に見えない何かの力が、私を動かすと感じます。

西洋がその、目に見えない力、超常現象と言えるものを信じ説明して来たのですか?文学などでは確かにそんな感じがあるかしら・・。日本では・・信じない? のですか?確かに、視野が狭いと感じることが多いですけれども。スケールが小さいというか・・・。部分を見て全体が見えない・・ まるで政治の世界がそのような感じ・・。現代文学も・・・かな?
久々にコメントします~。
何故かしら? 本当に、偶然が偶然を呼ぶのです。

Commented by paul-paris at 2008-11-11 05:06

パリでの何気ない会話の中にも抽象的な概念を表現する言葉がよく出てくることが多く、そういういわば目に見えないものを自在に操って思考することに慣れているような印象を持っていましたので、この著者の観察に同意するところ大でした。また全体を見るところ、全体を構築するところ、壮大な構想力とでも言うものも弱いように感じていました。そう感じたのは第一には自分との比較になりますが、ひょっとすると広く日本人に当てはまることなのかもしれません。そうではない考え方が日本にはあり、そこから生まれてくるのが独特な日本文化になるのでしょうか。そういう視点からも西洋の文化をもう少し体感してみたいと思っているところです。

Commented by 冬月 at 2008-11-20 01:02

■ お久しぶりです。最近、感じていることと重なり、コメントしたくなりました。日本では、存在論と認識論は、いわば表裏一体で、見えないものは存在しませんし、それが当たり前と思っていますが、西欧は、認識論と存在論が分化しており、未だ認識できていない本質がある、というところから議論が出発する気がします。つまり、はじめから二元論的な世界です。ここから、真理に歴史性が付与され、哲学的な運動にダイナミズムが生まれてくるように思うのです。自然科学も資本主義も、このダイナミズムが生みだしたひとつのアウトプットではないでしょうか。元を糺せば、西欧世界が神を生みだしたときに世界が二元論化され、哲学的な運動が開始されたのではないかと、ぼくは感じています。二元論は、光と影の二元論でもあり、なかなか簡単に評価できませんが、少なくとも言えるのは、西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っているという点です。今後も、非西欧の生んだ果実を確かめながら、西欧世界のダイナミズムをモニタリングしてみたいと思っています。

Commented by paul-paris at 2008-11-20 10:12

東と西の問題は以前からずーっと私の中にあった疑問で、これを体で感じてみたいという欲求が今回こちらに来ることになった背景のどこかにあったようです。科学の活動に対しても彼らの精神の働きは明らかにわれわれとは違っているのを長い間観察してきています。同じ脳のはずがどうしてこうも違うのかというのが素朴な疑問でした。人間を取り巻く文化がそこに絡んでいるのは言うまでもないと思いますが、その辺りを少しずつ眺めて行きたいと考えています。この記事に取 り上げたところは一つのヒントを与えてくれているように感じています。

ところでコメントの中にあった
>西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っている・・・
ここがよくわからなかったのですが、、、

Commented by 冬月 at 2008-11-20 12:11

■>西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っている・・
どうも説明不足で失礼しました。

ひとつは、経済的な意味で、地上の人間の生き死にを握っています。今度の金融危機ではっきりしたように、市場は世界的につながっており、米国の信用危機は世界中に拡大し、市民レベルでは、倒産、失業、就職困難といった形で、ダメージを与えています。こうした現象は、グローバリゼーションと表裏一体で、資本主義や社会の近代化(先進国の場合には、後期近代化)とも関わってきます。これらを生みだした技術やシステム、制度、思想は、西欧から出て、全世界に広がってきたものです。

もうひとつは、生活のスタイルとの関わりです。端的に言うと、生活世界の「散文化」ということが言えるように思います。日本では、明治期以来、社会の西欧化をさまざまな分野で進めてきましたが、もともと、日本語には、散文的な思考やスタイルがありませんでしたから、翻訳しながら、文体を開発してきました。大江健三郎も村上春樹でもそうです。これは、文学の分野に限らず、社会的な領域(企業、官庁、学校、学界など)でも言えます。生活世界の散文化は、生活世界の合理化とも言いかえることができ、自然に対しては支配統御、社会の成員に対しては、管理、といった形で進行しています。こうした人間と人間の関係、人間と自然の関係の基本モデルは近代以降の西欧世界のものです(もちろん、日本的なバリエーションは加わっていますが)。

西欧世界から発生したモデルネに飲み込まれつつ、地上で多様な反発力と推進力のぶつかり合いが生じている。その中核に位置するのが西欧世界。そんな風にぼくは見ています。

Commented by paul-paris at 2008-11-20 21:40

詳細な説明ありがとうございます。ここでも西欧世界の全体を見る力、構成力に秀でたところがはっきりと表れているように見えます。一方、日本からは世界を先導するような思想や制度が編み出されていないので、常に外を見て対応するということになっているのでしょうか。

自らを省みても、日本にいる時には世界を上から見るような視点は得られませんでしたが、一歩外に出ると少し様子が違ってきているようにも感じている今日この頃です。日本人に内在する特質と言うよりは日本の位置する物理的な条件が大きいような気もしています。それだけに難しい問題なのかもしれません。






vendredi 6 novembre 2015

機内での出来事

6 novembre 2008
 


CDGでは食事券を使った後にロビーでこれからの準備をする。

時間が迫ってくると気分的にも盛り上がってくるようだ。

これが相手に届くかどうかはその時までわからないのだが、、、


機内では女子大生と一緒になった。

フランス文学と法律を勉強しているというおしゃれな二人組。

パリ観光の帰りというところだろうか。

私のこともお話しすると、空耳かもしれないが 「すてきー」 と聞こえたような気がした。

そのためだろうか、気分よくお話をすることができた。

フランス文学のコースには中年の方がいて一番熱心な学生のようである。

学習意欲は普通の学生に勝るとも劣らないというのはわかるような気がする。

フランスの考え方について私の1年余りの印象を話す。

法学専攻の方もアメリカの考え方は目的指向の傾向が強いことを感じている様子だった。

やはり話しかけてみるものである。

お陰で楽しい飛行となった。


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vendredi 6 novembre 2015


前段の「これからの準備」とは何を言っているのか分からない

書いている時には分かっているのだろうが、時間が経つと駄目である

ここまで書いた時、それは日本で話をする内容についての準備であることが見えてきた

この時期はこちらに来て1年ほど経過したに過ぎない

物珍しく世界を観ていたのではないだろうか

それはそのまま目の前に現れる人に対しても向かっていたと思われる

今では考え難いが、いろいろな人に話しかけていたのだろう

その精神状態は決して悪いものではない

逆に今はマネリズムが入り込み、精神が硬直化している可能背もある





jeudi 5 novembre 2015

波乱の予感

5 novembre 2008
 


CDGに向かうメトロの中。前の御婦人が私の方を見上げるようにしている。

余り近くに寄っ てくるので不快に思っているのだろうか。

それにしても何かを伝えたいような視線である。

堪りかねて英語で話しかけてきた。

あなたのサックのチャックが開いていますよ、というのだ。

下ろして見てみると外側のポケットが完全に開いている。

全く感じなかったが・・・。

彼女は私の後ろにいる中年の外国人女性を指して教えてくれた。

ポケットを調べていたのがその人で、周りを子供5-6人が囲んで見えないようにしていた。

それが彼らの手口だと説明してくれた。

その御婦人の視線に気付いて、彼らは止めたのだという。

チャックを開けたと思われる人にあなたですか、と聞いてみた。

その女性は否定して次の駅で降り、一団を引き連れて別の車両に移って行った。

今回はスーツケースを持っていたので旅行者と思われたことと混んでいたのでこうなったのだろう。

パリでは初めての経験になる。


問題はそれだけではなかった。

空港に着いてチェックインする。

何と出発が6時間遅れで真夜中の出発になった。

予定が1日完全に狂ってしまった。

見事な幸先の旅立ちとなった。

これからに期待したいものである。


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jeudi 5 novembre 2015

メトロでの経験は最初で最後のものであった

まだパリ生活が終わったわけではないのだが

そして、このように調子が狂うことが続くことがある

これはこちらに来てからの特徴だが、このような出来事に遭遇しても殆ど動じることがない

これは日本にいた時のことを思い出すと、驚くべき変化である

そこにはいろいろな原因があると分析しているが、今日は深入りしない








mercredi 4 novembre 2015

ゼミで汗をかき、しばらくのお休み?

4 novembre 2008
 


今日のクールはある程度読んで準備ができたと思って出かけた。学生による発表が終った後、いつものようにディスカッションになった。今回は話している途中に嫌悪感が襲っていた。その場で頭の中でまとめようとすると相当に酷いことになり、自分でもほとほといやになっていた。問題に思った点については予め考えをまとめておかなければ準備をしたことにはならないということだろう。暑いわけでもないのに汗が噴き出していた。それでも終った後の解放感は何とも言えないものがある。

ところで今日はブラジルから経済を修めた女子学生が加わっていた。大きく受け入れてくれそうな雰囲気がある。クラスには他にも経済出身の人がいるのでどうしてなのか聞いてみたところ、経済学の中に科学哲学的なものが組み込まれているという返事であった。時間がなかったので詳しく聞けなかったが、自分の中では一番遠いところにある経済と科学哲学との繋がりがどういうことなのか興味深い。進化論との絡みなのだろうか、専門家のご意見を伺いたいところである。


明日からしばらくお休みを取る予定です。
何か面白いことが出てくれば再び浮上するかもしれませんが、、、


夜8時過ぎだろうか。しばらく見納めになるパリの夜空を眺めるべく木枯らし吹き込むバルコンに出る。いつものようにエッフェル塔からのサーチライトが回っているのが見える。上に目をやると薄曇の空にぼんやりとした白い玉状の明かりが3つ、自在に泳ぎ回っている。今までには見たことのない光景である。下から誰かが光を当てているのだろうか。古代人になって空だけを見ていると実に不思議な眺めであった。



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mercredi 4 novembre 2015


M2のクールでの冷汗は、この日だけではなかったのではないだろうか。

勿論、入 学説明会で額から静かに降りてきた脂汗?は別格ではあるのだが、、。

しかし、そのような状況に入るという経験は何事にも代え難いものだろう。

これは画面を通して学ぶこととの大きな違いになる。

単に知識を得るのとは違う別次元の体験がそこに加わっているところが貴重なものに見える。


 
エッフェル塔の昼と夜は、もうお馴染みの景色になってしまった。

感動は薄れているが、時にその形と光に見入ることがある。






mardi 3 novembre 2015

イフ・ブライエ展を覗く L'Exposition Yves Brayer

3 novembre 2008

 Yves Brayer (1907-1990)


ヴェルサイユに生まれた彼は20歳の時に奨学金でスペインに向かう。その時にプラド美術館で会った巨匠が大きな影響を与える。その後モロッコに滞在したりイタリアの生活に身を任せたりする。 27歳で一旦パリに戻る。33歳の時にはコルド・シュル・シエル (Cordes sur Ciel: このサイトのスライドショーが素晴らしい) に落ち着く。1960年には市庁舎の美術館に彼のための展示室が設けられている。それから世界中を旅している。メキシコ、エジプト、イラン、ギリシャ、ロシア、アメリカ、そして日本など。カマルグプロバンスに魅せられ、最後は年に数ヶ月をその地で過ごすという生活をしたようである。

会場で係の人(同年代か)に写真撮影はどうか聞いてみたところ、もちろん禁止されていますとの予想通りの答え。ここにある言葉のパネルだけでも駄目ですかと 聞き直したところ、写真は急いで目立たないように撮ってくださいと言って姿を消した。昨年夏のフランスに着いたばかりの日の経験を思い出した(2007-08-30)。こういうところは何とも言えず好きである。


「ここにひとりの芸術家がいる。彼はその一生を根源的に自分自身のままでいることを心得ていた。<モダン>であることなど一切気に掛けず。われわれの20世紀の芸術の世界で花開いた多くの流れを無視した。・・・イフ・ブライエはそれらに頓着することなく、人を驚かせ、スキャンダルを起こす芸術を本能的に無視したのだ」 (アンドレ・デュノワイエ・ド・セゴンザック)
「詩的で絵画的な私の宇宙を創造するためには、自然と常に接している必要があります。想像では何も作り出せません。浜辺に打ち上げられた木の幹、空、石、鳥は尽きることのない辞典です。私は太陽の光の前のようにそこに謙虚に身を預け、幸せを味わいます。アルベール・カミュは書いています。『思考が止んだところ、そこから表現が始るのだ』 と」 (1963年9月、イフ・ブライエ)



「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れることです。その選択はほとんど瞬時に行われ、尽きることがないように見えます。もちろん、記憶や想像から描くことも知っています。しかし、わたしには源泉への回帰、新たな視点(理解)を生み出す刺激剤とでも言うべき自然との接触が必要なのです」 (1984年2月9日、イフ・ブライエ)


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lundi 2 novembre 2015

 
タイトルだけではピンと来なかったが、内容を見てこじんまりした展覧会が蘇って来た。全く知らない画家だったが、獲物を追うように生活していた中で興味が次々に移り、記憶の彼方に去って行ったのだろう。今こうして読み直すことで、すぐ横に蘇ってきてくれた。イフ・ブライエさんの最後の言葉に「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れること」とあるが、これをブログを書くことに置き換えても当て嵌まりそうである。書くことによっても実に多くのものを手に入れることができた。

そして、自然に向き合うことが不可欠だという。これも「この世界に身を晒すこと」を心掛けで来た身にとって、よく分かる。この世界とは、自然であり、過去の遺産であり、人の話であったりする。それらに向き合うことで何かが生まれてきたのではないか。今こうして過去の記事に向き合っていることもその一つになるだろう。それは何かを改めて理解していることになっているはずである。

カミュの「思考が止んだところ、そこから表現が始る」というところもいろいろに解釈できそうだ。先日のテーズを纏めている時、筆が進まず長い間苦しんでいた。そして、最後の数時間で不可能と思われた纏めに一気に向かって行き、自分でも信じられない経験をした。ひょっとすると、最後の数時間まで考えていたのかもしれない。さらに時間軸を長く取ると、フランス生活8年の内、最初の7年ほどはこの世界に身を晒し、カミュの言葉で言えば思考していた。そこではどんなに努力しても表現には至らなかった。わたしの言葉で言えば、まだ体験すべきものがあると感じていたからだろう。そして、最後の1年で思考が一つの閾値に達し、そこから表現に向かって行ったようにも見える。

世界の流れ、流行に惑わされることなく自分自身を追求したイフ・ブライエさんを讃えるデュノワイエ・ド・セゴンザックさんの「一生を根源的に自分自身のままでいる術を知っていた」という言葉も示唆に富む。これが実行できれば、それだけで創造的な存在になることができるはずである。しかし、言うは易く行うは難しであることは、この身を振り返ればよく分かることである。

それから、この画家が世界を歩き回っていたことにも何かを感じていたはずである。






lundi 2 novembre 2015

晩秋のパリ

2 novembre 2008
 






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lundi 2 novembre 2015


この季節は枯葉が目に入るが、今年も2日前のブログ写真が枯葉と落ち葉になった。
 

さっぱり進歩のない視点ではある。
 

これから新たな変容はあるのだろうか。






dimanche 1 novembre 2015

ジャクソン・ポロック Jackson Pollock

1er novembre 2008


ついに11月に入ってしまった。

こちらはToussaint (万聖節)。 

昨年の今頃の記事を読み直してみたが、もうあれから1年も経つのかという思い。

光陰矢のごとしとはよく言ったものである。

昔の人の言葉の意味が身に沁みる ことが多くなっている。

最近は昔の人の言葉の海に身を浸している。

そのためか、何気ない言葉も投げやりにできないようになっているようだ。

これまで拒否していたかに見える昔と繋がるところにしか「意味」に至る鍵はない。

そうとでも思い始めているのだろうか。


ジャクソン・ポロック Jackson Pollock (1912–1956)



"Jackson Pollock et le chamanisme"
du 15 octobre 2008 au 15 février 2009
À la Pinacothèque de Paris

National Gallery of Art, Washington, DC



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dimanche 1er novembre 2015

 なぜこのタイトルなのかピンと来なかったが、おそらくどこかでポスターを見たのだろう。
 

ただ、この展覧会に行った記憶はない。
 

シャーマニズムの影響に焦点を当ててポロックを読み直そうという企画のようだ。
 

今、見直してみたが、彼の作品よりはシャーマニズムの方に惹かれるところがある。





samedi 31 octobre 2015

予定を変更して

31 octobre 2008
 


今日は研究所に行くつもりで出たが、メトロの中で気分が変わっていた。

結局、République で降り、歩いているとリブレリーが目に入ったので覗いてみることにした。

店内の写真撮影もOKとのことで気分よく見て回る。

先日ブルターニュのPさんから紹介された小説もあった。

他にも目に付いたものがあったので一緒に仕入れる。

少し歩いたところでカフェに入り、いつものように早速読み始める。

Pさんは日本の文学に造詣が深いこともあり、サンパウロが舞台のお勧めも日本と関係がある。

彼女のサイト ASHITA はこちらになる。


人文科学の研究者の息抜きについて去年不思議に思っていた。

しかし、小説などはその中に入ってくるのかもしれない。

まだそれだけの余裕もないのだが、気が向いた時に読むことになるだろう。

リブレリーで目に入ってきた景色をいくつか。







1 novembre 2008

同じ写真を仏版にも出したところ、Pinson氏からコメントが入った。

どの写真にも共通して見られる視線について触れている。

これは自分でも気付かなかった。



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samedi 31 octobre 2015

この界隈には、今でもたまに出かける

このリブレリーは、何年か前に火災に遭ったが、今は持ち直している

こちらに来てそれぞれのリブレリーが持つ特徴に目が行くようになった

何気ない本の置き方に美しさを感じたが、それは今でも消えていない





vendredi 30 octobre 2015

インタビューの翌日に、そしてパリで chic なこと

30 octobre 2015
 


昨日のインタビューは調べ物をしながら本を読んでいる人が周りにいる中で行われた。この様子を見ながら、日本ではノーベル賞受賞者のインタビューをこのような状況ではしないだろうという思いでいた。大仰にならず、何気なく事を進めてしまう彼らのやり方や事に対する感じ方はやはりよい。

ところでフランソワーズ・バレ・シヌシさんの話を聞きながら、余り感動しなくなっている自分を確認していた。確かに一つの病気の原因に迫る研究成果は素晴らしいものがあるが、体全体が震えないのである。現役の研究者から確実に退きつつあることを感じていた。そして、インタビューの受け答えを聞きながら、この感覚はおそらく彼女も共有しているのではないかという印象を持った。確かに賞を貰いある満足は得られたのかもしれないが、それで死んでもよいというほどのものではないだろう。今の私から見ると20-30年というのはそれほど前には感じないのだが、彼女にとってはかなり昔のような話し振りで、当時の感触(感激)を今のものとすることが難しくなっているように感じた。さらにエイズの問題は全く解決していないということもあるだろう。彼女の場合には患者さんのもとに下りて社会とのつながりを意識したような研究や社会的活動により深い満足を求めようとしているのではないかと想像していた。結局、人は人間全体を使うようなところでしか満たされないのではないだろうか。そして科学は一つの大きな入り口ではあるだろうが、人間活動のほんの一部にしかなりえないような印象がある。ただ、科学の世界がすべてだと思える人は幸せなのかもしれないという思いでもいた。


今日のENSでのクールは新しい先生(40代前半か)が担当。頭を短く刈っているためか仏教の僧侶の風貌がある。学生がなかなか集まらないので、こんなことを言っていた。パリでは5-6分遅れてくることが chic なんでしょうかね。こういう言葉が出てくるのを興味深く聞いていた。そして18世紀フランスの数学者にして生物学者、博物学者であるのみならず、ヴォルテール、モンテスキュー、ルソーとともに18世紀の四大文章家としても名を馳せたこの人の話を始めた。パリ15区、パスツール研究所の近くには彼の名を冠したリセがあり、しばしばその前にたむろする学生さんを掻き分けて通り過ぎる。


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vendredi 30 octobre 2015


この記事では、かなり本質的な指摘がされている。
 

それは現在のわたしの認識にも近いものがある。
 

当時の観察が7年の間に確信に近いものに変容してきたとも言えるだろう。

それは、科学だけで人はどれだけ満足を得られるのか、という問題である。
 

ノーベル賞と言えども一つの賞にしか過ぎない。
 

それで人類の問題を解決することなど不可能だろう。
 

一見解決したかに見える発見でもその後に新たな問題を生み出している。
 

例えば、ペニシリンの発見などはその中に入るだろう。
 

エイズウイルスの発見にしても入口に立ったにしか過ぎないことが明らかになっている。
 

同様の例がいくつも浮かんでくる。

 

それでは何が人間に幸福を与えるのだろうか。
 

その解はあるのだろうか。
 

今は分からない。
 

しかし、科学が人間を幸福にするとは考え難いという感触だけは確かなものになりつつある。







jeudi 29 octobre 2015

フランソワーズ・バレ・シヌシ博士のインタビューに同席する

29 octobre 2008


Dr. Françoise Barré-Sinoussi, Prix Nobel 2008

 
ノマドが巡り会う道行きの神の仕業だろうか。二日続けての嬉しい出会いとなった。

今日も午後から研究所に出かける。しばらくするとビブリオテクの人が数人を連れて現れた。お連れの方に聞いてみると、ノーベル財団の仕事で受賞者のインタビューを制作しているアメリカの3人組。1時間後に私の目の前で今年のノーベル賞を受賞したバレ・シヌシさんのインタビューが始まるという。彼らの仕事振りを見ていると、熟達の人たちという印象で気持ちがよい。貴重な経験なので今日も予定を変更せざるを得なくなった。

インタビューが始まる前、バレ・シヌシさんはまだ新人なので "very nervous" であると言っていた。インタビューで出ていた質問は次のようなことである。

ウイルスとは何か
レトロウイルスとは何か
ウィルス学を定義するとどうなるか
ウイルスの研究のどこが面白いのか
30年の研究生活は楽しいものだったのか
どのようなきっかけでエイズの研究に入ることになったのか
これがエイズの原因だとわかった時の興奮とはどんなものだったのか
当初世界的に感染が広がると予想していたか
エイズウイルス発見から20年以上経つがまだ有効なワクチンも開発されていないが何が問題なのか
アフリカやカンボジア、ベトナムではどのようなことをされているのか
モンタニエ博士との共同研究はどのようなものだったのか
ノーベル賞受賞はどのような状況で聞いたのか
あなたの研究は基礎から臨床へと進んでいった点で満たされるものがあるのではないか
人を助けていることの喜びとはどのようなものなのか

彼女がエイズにレトロウイルスが関係していることを明らかにした時の状態は、興奮というよりいかにして世界を納得させるのかが問題だったので、やることが山のようにあったとのこと。彼女の研究はどこにでもある(ルティーンの)手法で行われたものであること、それから多くの専門の異なる人たちの智慧の結集であること、したがって今回の受賞も二人だけのものではないということを強調していた。

彼女は以前からアフリカやカンボジア、ベトナムで共同研究や研究指導などを行っている。受賞の知らせを聞いたのは、そのカンボジアでのミーティングで発表している時。フランスのラジオ局の人からの電話で知ったそうだが、全く信じられなかったとのこと。エイズウイルスの研究がノーベル賞を貰うとしても自分がその中に入るとは思っていなかったようである。その後カンボジアの病院を訪ねた時に、若い女性のエイズ患者が彼女にキスをしてこう言ったという。「あなたは本当に素晴らしいことをしてくれました、あなたのお陰で私はこのように治療を受けていますが、まだその恩恵に与っていない人がたくさんいます」。そして、お互い抱き合いながら泣いたらしいが、素晴らしい瞬間だったと数週間前の出来事を語っていた。これは常に病める人のいるところに出かけて行って研究を考えるというパスツールの基本姿勢を実践していることになるのだろう。こういうところにもパスツールの伝統が息づいているという印象を強く持った。


インタビューは数ヵ月後にはノーベル財団のサイトで見ることができるとのこと。
今日は一足早く味わった直後のアップとなった。


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jeudi 29 octobre 2015

このような場面に単独で出会うことができるということは、日本では想像ができない。
 
先日のアンジェ美術館でもすべてを独り占めにするという経験をした。
 
美術館での同様の経験は、こちらでは稀ではない。
 
対象との垣根の低さを感じる経験と言っても良いのだろうが、有難いことである。








mercredi 28 octobre 2015

パトリック・フォルテール博士、微生物を語る Patrick Forterre parle des microbes

28 octobre 2008
 


先週、度が合っておらず、しかも焦点の範囲が狭いレンズを使っていた眼鏡を作り直してもらうことにした。出来上がる日だったので出かける。レンズは手元に届いているがまだフレームに入れていないのでもう少ししてから来てくださいとのことで時間を潰す。これ以上範囲の広いものはあるのか聞いてみたが、これが最高だと言う。諦めの気持ちで戻ってみると前回よりは明らかに良くなっているが、これまでの方が見やすい。ただ、頭痛と眩暈がしそうな前回のものと違って慣れると何とかなりそうな印象である。今日から使ってみることにした。

午後から研究所へ。入り口にあった案内で1時間ほどで講演会が始ることを知る。今年の2月にあった 「生命を定義する」 というコロックで話を聞き興味を持ったフォルテールさんが「微生物:友か敵か」という題で話をするという。予定を変更して聞きに行くことにした。

非常に面白い話であった。彼の話は時間軸が永遠に近いほど長く、生命の歴史を感じるので気持ちが良い。微生物が友か敵かという二分法では答えが出ないことがわかる。前回も聞いたことだが、目に見える動物、植物、カビの類は恰も地球の主役のような顔をしているが、微生物こそ圧倒的に多いのである。微生物こそ主役で、それ以外は添え物だと今回も主張していた。現に微生物はわれわれの外だけではなく内にも溢れている。外のものはしばしば悪さをするが、内のものは普段はわれわれのためになっている。さらに、微生物がないと気分を晴らしてくれるわれわれ(私)の偶の楽しみも味わえなくなるだろう。植物を合法化でもしないとならないかもしれない。彼らが先に生まれているせいもあるのだろうが、われわれの遺伝子の80%くらいはウイルス由来である。この世界の出来事はその善悪を直ちに決め付けるのではなく、まずあるがままの姿を見て、理解しようとすることが大切なのだろう。

今回の話の中に私が考えている問題の重要なヒントになりそうなことが隠されているように感じたが、まだどうつながるのかはわからない。それから興味深い科学者が数人紹介されていた。これから少しずつ調べて行きたい。会場は外に向けての講演会だったようで、年配の方が多かった。講演終了後、英語訛りや外国語訛りも混じった質問が続出していた。フォルテールさんの方がこの辺で止めましょうと言って会は終った。終了後頭の中がシャッフルされたようになり、当初の予定が手につかなくなっていた。

閉館後、外に出ると雨。いつものようにそのまま歩く。いつからこれが気にならなくなってきたのだろうか。アパルトマンにつく頃には雨は上がっていた。



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mercredi 28 octobre 2015

ここにも書かれている通り、フォルテール博士の話は科学的にも興味深く、時に挑戦的なことも話すので面白い。今思い当ったのだが、表情はどこかテリー伊藤さんに似ていないこともない。今回書いたテーズにも微生物が重要なところで出てくるが、多くの示唆を与えてくれた。この中にある「微生物がないと気分を晴らしてくれるわれわれ(私)の偶の楽しみ」が何を指しているのか暫くの間よく分からなかったが、眺めているうちにお酒のことを言っているのかもしれないと思い当った。






mardi 27 octobre 2015

日曜の午後、街に出て散策と読書

27 octobre 2008



昨日、シオランを味わった後、少し内省的な気分になる。午後をどのように使おうか考えている時、普段ほとんど使われていない古いメールボックスに日本からのお付き合いになるブルターニュのPさんからメールが入っているのに気付く。最近彼女について触れた仏版ブログの記事を目にしたのか、近況報告と共にいくつかお勧めの本が書かれてあった。また、別のボックスには日本のY氏から私が日本の学会のニュースレターに書いたエッセイについて熱のこもった (passionnant) なコメントを寄せてくれた。このような反応には本当に生気を与えてくれる力がある(revigorant, vivifiant とでも言うのだろうか)。ということで、午後からPさんに紹介された本などを探すために街に出ることにした。シャトレの辺りを中心に散策する予定で。

ところが出掛けに手にしたドイツのヴァイツゼッカー(ヴィクトール・フォン)の日本語訳文庫本をメトロで読み始めると面白くなっていた。まず人間が複雑である。その上、ナチとの関係、学会との関係、フロイトとの関係なども一筋縄では行かない。その人間像と彼の考えを知りたくなり、リブレリー巡りを諦めシャトレのカフェで数時間過ごす。日曜の午後、普段読むことがなくなっている日本語の本をパリの街中で読むのも悪くないな、という思いが湧いていた。それから周辺の町並みを鑑賞しながらゆっくりと散策し、セーヌを渡ってオデオンまで出た。パリの町は切り取るところが至るところに転がっているという印象である。

それにしても今頃冬時間に移行したことに気付くとは。
去年と同様にパソコン時間より部屋の時計が1時間進んでいることでわかる。
狐につままれたような時間は今年は非常に短かった。
時の経つのは本当に速い。


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mardi 27 octobre 2015

この記事にある「出掛けに手にした」本が意外に強い印象を残すことにその後気付くことになった。限られた時間、立ったまま読むことが集中力を増しているのではないかと想像しているのだが、、。出口近くの本棚を眺め、適当に本を取り出し、その場で少し読み、よく入ってくるものをそのまま持って外に出るのである。そこには日本語の本が多いため、持ち出す本もほとんどの場合日本語の本である。 つい先日のアンジェに向かう前には、トルストイの『人生論』を持ち出し、多くの発見をした。

今年はこの日曜から冬時間が始まった。最近は1日前から時計を調整するようになっている。それだけ生活に余裕が出てきたということだろう。





lundi 26 octobre 2015

Documentaire Emil Cioran - Roumanie -

26 octobre 2008


今週火曜が休講になったので塊の休みをもらったような気分。

今日も天候が冴えない。

もう一日のんびりしてみようという気になってくる。

昨日の余韻が残っているようだ。

シオランの人生と言葉を見ることにした。






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lundi 26 octobre 2015

前日のブログで、それ以来シオランには触れていないのではないかと書いたばかりだった。

早速、裏切られた格好だ。

記憶が如何に当てにならないのかが分かる。

これ以後も読んでいた可能性は十分にありそうだ。

残念ながら、7年前に見たビデオは削除されていた。





dimanche 25 octobre 2015

エミール・シオランの言葉 Cioran dit...

25 octobre 2008
 


彼のことを知ったのは、2年ほど前の真夏の夜のカフェ。フランス人Fとの会話の中であった (2006-08-04)。それ以来、どこかで引っ掛かる存在になっている。

Émile Michel Cioran (8 avril 1911 en Roumanie - 20 juin 1995 à Paris)

外は曇り空。予定を変更して、アパルトマンで物憂い土曜の午後を過ごすことにした。その時、彼が浮かび上がってきた。彼の「生誕の災厄」のページをぱらぱらと捲ってみる。


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Je ne fais rien, c'est entendu. Mais je vois les heures passer ---- ce qui vaut mieux qu'essayer de les remplir.

私は何もしない。よくわかっている。しかし、時が過ぎ去るのを見ているのだ ・・・ その時を埋めようとするのがよいだろう。


Chez certains, tout, absolument tout, relève de la physiologie : leur corps est leur pensée, leur pensée est leur corps.

ある人においてはすべてが、まさにそのすべてが生理により支えられている。つまり、彼らの体が思想であり、彼らの思想が体なのだ。


À regarder les choses selon la nature, l'homme a été fait pour vivre tourné l'extérieur. S'il veut voir en lui-même, il lui faut fermer les yeux, renoncer à entreprendre, sortir du courant. Ce qu'on appelle « vie intérieure » est un phénomène tardif qui n'a été possible que par un ralentissement de nos activités vitales, « l'âme » n"ayant pu émerger ni s'épanouir qu'aux dépens du bon fonctionnement des organes.

自然に応じて物を見るために、人は外に向かって生きるように創られた。もし自らの中を見ようとするのであれば、目を閉じ、物事を始めることをやめ、流れから抜け出さなければならない。内的生活と言われるものは、われわれの生命にとって必須な活動を減速することによってのみ可能になった遅れてあらわれた現象であり、臓器の健全な機能の犠牲の上にしか精神が顔を出すこともそれが開花することもなかったのだ。


Que faites-vous du matin au soir ?
― Je me subis.

― あなたは朝から晩まで何をしていますか?
― 私に耐えています。


Je n'ai pas rencontré un seul esprit intéressant qui n'ait été largement pourvu en déficiences inavouables.

「口には出せないような欠陥のない興味深い精神には私は一度たりとも出会ったことはなかった」


Ce que je sais à soixante, je le savais aussi bien à vingt. Quarante ans d'un long, d'un superflu travail de vérification...

「私が六十で知っていることは、二十歳でもしっかりと知っていた。40年という長い無駄な検証作業 ・・・」


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« De l'inconvénient d'être né » (「生誕の災厄」)




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dimanche 25 octobre 2015

これ以来、シオランを読むことはなかったのではないだろうか。

ただ、ここにある言葉が蘇ってきたことがある。

2009年、イスラエルのホテルで自らの体を見た時、一番長い引用が突然浮かんできたのだ。

そのことはあるエッセイでも取り上げたことがある。

これから先、シオランを読むことはあるだろうか。