vendredi 25 septembre 2015

旅人を癒す会話、そしてパリの町を書斎に

25 septembre 2008



今日は明日に備えるため、外に出ることにした。Nationでメトロを降りる。少し歩くとテントを張ったマルシェが10軒ほど出ている。その中でソーセージ を売っているところを2-3軒眺め、その店の主と言葉を交わす。2軒目で今日の写真の方に出会った。最初は写真をしつこく撮っている私の方を胡散臭そうに見ていたが、最後はこの笑顔になっていた。

どれも硬そうですね、と話しかけると、ソーセージは古くなり硬くなったものほどよいのだと言う。水分が抜け、味が出てくるというのだ。それはまさに人間と同じですね、と返すと、彼が大きく笑い出した。話が通じるとでも思ったのだろうか、心を開いてくれたようだ。そして、人間では sagesse も出てくるし、などと答えて、それから話が進んだ。どこから来たのか、から始まり、今何をしているのか、に行き、それじゃよい滞在になりますように、で終るその会話の中でいろいろと教えられた。

私が哲学の国フランスで哲学を勉強したいと思ってやってきたと言うと、哲学者や作家のことを話し始めた。例えば、16世紀の「ガルガンチュア物語」などは、書かれている中に作者の哲学が溢れているので面白い、いいですよ、と言う。私が、「あー、それはラブレーの」と言うと、いや違う「ラブレーの」だと答えていたので、Rの発音がまだできていないようだ。そう言えば、この夏のヴァカンスで入った学生時代の書庫でこの本を見つけたことを思い出した。おそらく、筑摩書房の世界文学全集?のようなもので、読んだ形跡があった。それからディドロに始まり、モリエールコルネイユラシーヌ、フランソワ・ヴィヨン、最近ではセリーヌなどがいいと薦めてくれ、フランスには哲学者だけでも多いのに、文学者の中にも哲学的なのがいるので、誰を選ぶかが大変だろうと心配してくれていた。何気ないところでこういう会話ができることは嬉しいものである。そこを離れて歩いている時、これは旅人を慰め和ませてくれる会話ではなかったかと思っていた。それからカフェを2軒梯子して明日の準備をした。もちろん、終るところまでは行かなかったのだが。

最近固まってきたかに見える観察に、次のよう なものがある。具体的な手作業をするのではなく、考えが浮かぶのを待ったり、出てきた考えを羽ばたかせたり、収斂させて形にしようとする時、机に坐っているよりは外で人の動きを見たり、景色を眺めながらの時間の方が捗ることが多い。毎回、気分に任せて場所を選び、このような活動に苦しみと悦びを見出すには、パリの町は持って来いのところのように感じる。ある意味では、パリの町全体を書斎にしているような生活と言えるかもしれない。



 Le saucisson nature roulé dans la cendre de bois. La cendre donne un goût légèrement poivré
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彼の店には30種ほどのソーセージが並んでいた。一応、写真にはすべて収めてきたが、その中で注意を惹いたのがこの「サンドレ」。通の方であればどうと言う こともないのかもしれないが、あれっと思った。木の灰の中で回して作るようで、その灰が微かに胡椒の味を齎してくれるとの説明がある。



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mercredi 23 septembre 2015

パリに来た当初からカフェとの相性が良い。ここにあるように、カフェはわたしが省察とか瞑想という精神運動をやる時に最高の空間を提供してくれた。カフェがなければ、これほど豊かな滞在にはならなかったのではないか。これまでを振り返れば、パリの街自体を書斎としてやってきたことが分かる。

脳のベースラインの活動として、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)というものが見つかっている。この活動は外からの刺激に対応するというタイプ (task-positive network)ではなく、何の目的もなくぼんやりしている時に起こるもので、これが瞑想などと関連があるという話も出ている。さらに、それは人間の想像力や創造性にも良い影響を与えている可能性があるという記述も見られる。

デフォルト・モード・ネットワークとは DMN: Default Mode Network
(2010-02-28)

わたしがパリにやって来たのは、実はぼんやりするためだったと総括することもできそうである。






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