lundi 31 mars 2008

フーコー、あるいはわかろうとすること、使おうとすること Foucault dit...


ミシェル・フーコーがイタリアでのインタビューで語り、しばしば引用される個所がある。この言葉に力づけられる思いがした。

Dits et Ecrits, 1974
« Prisons et asiles dans le mécanisme du pouvoir. » Entretien en Italie

M. D'Eramo: ...D’une certaine façon, vos livres se créent un public aux frontières de tous ces domaines, un public à part, « à la Foucault ». Aussi, à qui vous adressez-vous?

MF: Comme tous ceux qui écrivent, je suis un malade du langage. Ma maladie personnelle, c’est que je ne sais pas me servir du langage pour communiquer. De plus, je n’ai ni le talent ni le génie nécessaires pour fabriquer des oeuvres d’art avec ce que j’écris. Alors je fabrique --- j’allais dire des machines, mais ce serait trop à la Deleuze --- des instruments, des ustensiles, des armes. Je voudrais que mes livres soient une sorte de tool-box dans lequel les autre puissent aller fouiller pour y trouver un outil avec lequel ils pourraient faire ce que bon leur semble, dans leur domaine. ....

Les Mots et les Choses, au fond, est un livre qui est beaucoup lu, mais peu compris. Il s’addressait aux historiens des sciences et aux scientifiques, c’était un livre pour deux mille personnes. Il a été lu par beaucoup plus de gens, tant pis. Mais, à certains scientifiques comme Jacob, le biologiste pris Nobel, il a servi. Jacob a écrit La Logique du vivant; il y avait des chapitres sur l’histoire de la biologie, sur le fonctionnement du discours biologique, sur la pratique biologique, et il m’a dit qu’il s’est servi de mon livre. Le petit volume que je voudrais écrire sur les systèmes disciplinaires, j'aimerais qu'il puisse servir à un éducateur, à un gardien, à un magistrat, à un objecteur de conscience. Je n’écris pas pour un public, j’écris pour des utilisateurs, non pas pour des lecteurs.

           Dits et Ecrits I, 1954-1975. p.1391-1392 (Gallimard, 2001)


彼の作品は誰に向けて書いているのかと問われて、フーコーは次のように答えている。

「私はコミュニケーションのために言葉を使う術を知らない。その上、芸術作品に仕上げる才能も天才も持ち合わせていない。私は道具や家庭用品や武器を作っていることになる。私の本は各自の領域に利用できる道具を掘り出すことができる材料箱のようなものであることを願っている。・・・・『言葉と物』はよく読まれ たが、理解されたとはいえない本である。この本は科学史家や科学者に向けて書かれたので、2000人のための本であった。残念ながら、それ以上の人に読まれたことになる。しかし、ノーベル賞受賞のジャコブのような科学者の役には立った。彼が書いた 『生命の論理』には生物学の歴史、言説、行為に関する章があるが、そこで私の本を利用したと語ってくれた。私は広い層に向かって書いてはいない。読者ではなく利用者のために書くのである」


この言葉を聞くと彼の作品が非常に近くに感じられてくる。彼の作品の解釈に追われているだけでは彼の心に反するかのようだ。自分のわかる範囲で彼の言葉を自らの思索の材料とし、自らの仕事に使い、自らの生きる糧にしなければ意味がないと言ってくれている。 この態度は彼の作品に限らず、すべての場合に当てはまりそうである。わかろうとするだけではなく、使おうとすること。この二つの心の状態の違いは少し考え ただけでも、途方もなく大きく見えてくる。

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Photo Source: Visages de la philosophie / Foucault (Louis Monier, 17-05-2001)


dimanche 30 mars 2008

バルテュスに接した人々が描いた肖像 "Balthus, portraits privés"


先日のセミナーに向かう時のこと。サンジェルマン通りを歩いていると、以前に入ったこともあるポーランド関連の本屋さんの前に差し掛かった。今回はウィンドウに並んでいる本に惹かれて中に入った。一つはポーランドの画家による作品集で、もう一つは手に入れることになったバルテュスについての新刊。写真と絵がなかなかよいのでつい手が出てしまった。アマゾンなどで手に入れた方が若干お安いのだが、出会った時に湧き上がる感覚のまま手に入れると、その本に対する思い入れが違ってくることを経験しているのでそうなったようである。やはりタイミングが重要な人間の出会いと似ているかもしれな い。

  "Balthus, portraits privés" (Les Editions Noir sur Blanc, Lausanne, 2008)

この本の最後のほうに、ヴィム・ヴェンダース、ドナータ・ヴェンダースの追悼の言葉がある。

  De temps en temps,
  Entre rêve et réveil
  Dans ces limbes entre le sommeil et la réalité,
  Une image apparaît devant votre œil intérieur
  Et vous vous dites:
  « Seul Balthus aurait pu pendere cela ! »

  L'art du vingtième siècle n'a pas connu d'autre rèveur
  éveillé aussi précis et fantastique que lui.

                (Wim et Donata Wenders, 2007)

  時として
  夢想と覚醒の間
  まどろみと現実の間の漠とした中
  あなたの内なる目の前に一つのイメージが現れる
  そしてあなたは自らに語りかけるのだ
  「それを描けたのはバルテュスだけだろう」 と

  20世紀の芸術には 彼ほど正確でしかも幻想的な
  覚醒する夢想者はいなかった


彼のことは以前ハンモックでも何度か触れているので、どこかに惹かれるところがあるようだ。どなたかが書いていた 「美の中に暮らす」 ことを実践してきたように見えるからだろうか。あるいは、思索から生まれ出た考えとその生き様の間に溝がないからだろうか。この本は自らが語った像ではな く、多くの人の中に写っていた像が記されている。折々にページを捲り、そこから浮かび上がってくる彼の姿を味わってみたい。

「芸術と脳科学の対話」  BALTHUS OU LA QUETE DE L'ESSENTIEL (2007-06-23)
バルテュスの世界に遊ぶ JOUER DANS L'UNIVERS DE BALTHUS (2006-07-23)


昨日近くの広場まで出かけてみたが、このところ見たこともないほどの人出であった。春が来ているということを実感して帰ってきた。

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パソコンがもう3時過ぎを示している。時間の感覚がそろそろおかしくなってきたかと思って部屋の時計を見ると私の感覚が間違っていないことを教えてくれる。夏時間が今日の2時から始ったようである。午前2時が3時になり、これからどんどん夜が明るくなる。


samedi 29 mars 2008

吉田喜重レトロスペクティブ Kiju Yoshida "Visions de la beauté" au Centre Pompidou


3月26日から5月19日まで吉田喜重監督の作品がポンピドー・センターで紹介されている。

  Kijû Yoshida "Visions de la beauté"

相当大掛かりなレトロスペクティブになっている。彼の作品はまだなので、この機会に少し見ておきたいものである。ポンピドー・センターのページに彼の言葉が出ている。そのタイトルには最近ここでも話題になった他者性を表す altérité が出てくる。彼は映画芸術をそう捉えていたようだ。その最後に、このようなレトロスペクティブは普通であれば作者が死んでから行われるものだが、生きてそ こに参加できる喜びが語られている。

  "Le cinéma comme altérité --- ce qui ne m'appartient pas..."
   (他者性としての映画 --- 私には属さないもの)

詳 しくフォローしているわけではないが、彼の映画自体が日本では余り顧みられなくなっていたようにも感じる中、このような催しが行われるパリ。芸術に対する態度の成熟度とでも言うのだろうか。日本での受容との差を感じざるを得ない。今自分の置かれた立場から見ると、確かに日本では芸術に対するレンズが濁りがちになっていたように感じる。自らの意思とは関係なく、個人を取り巻く社会がどこに価値を置いているのかという基本的なところが、目に見えない形で私の感受性を侵食していたかのようである。忙しさのためばかりではなく、われわれはそこにあるものさえ見えなくなっている可能性がある。

いずれにしても芸術家がこのような形で報われることは喜ばしいことである。


vendredi 28 mars 2008

フィリップ・キッチャーという哲学者 Philip Kitcher, philosophe des sciences


今週のセミナーでこの方が話すというので出かけた。ロンドン生れで、現在はアメリカのコロンビア大学哲学科で John Dewey Professor のポジションにある科学哲学者である。

  Philip Kitcher (né en 1947)

セミナーのタイトルは "Ethics after Darwin"。彼がこの20年ほどの間書き続けているテーマとのこと。ジョン・デューイの言葉に同意し、倫理の問題は一生考え続けなければならない問題で、終わりがないものとして捉えている。まさに生きることは哲学すること、問を発し続けることというここでの営みとその精神を一にする。彼は、遺伝子の選択により人間の行動が進化してきたとするごりごりのダーウィニズムに基づく社会生物学 sociobiology の立場を批判的に捉えているようである。倫理の問題について考えたことがないという状態での聴講になったので、専門家のご教示を仰ぎたいところである。

倫理を取り巻く哲学的問題は歴史の光の下で理解される、との言葉。この世のものすべてに当てはまりそうである。そして、この問題をジョン・スチュアート・ミルが言ったという "experiments of living" を5万年前から辿ってくる。最初は face-to-face のコミュニケーションが可能なグループ (30人くらいとしていた) で生活するようになり、そこで生物学的な利他主義 (自らの繁殖を犠牲にして他の人の繁殖の利益になるように振舞う) の傾向が現れたのではないかと考える。それから心理的な利他主義 (例えば、机の上にケーキがのっていてそこには誰もいない場合には一人ですべて食べてしまうが、他の人がいればすべてを食べることは差し控え、他の人もご相伴に預かれるようにする心理などを生み出すもの) も原始の社会を維持するために必要だったと考えている。

2万年から8千年前になると、その社会も1000人単位になり、社会のために道具を遠くから運んでくるようになり、そのためのネットワークも出来上がっていたのではないか。そこでは、倫理が交通手段などのテクノロジーや共同作業、さらには豊かな人生を味わうという新たな人間的な価値を生み出す動力になり、5千年ほど前にはそれまで 排除されていた異邦人、奴隷、女性などもグループのメンバーとして迎えられ、新しい人間の生活パターンが生れたと想像している。

倫理は人間の基本的なところに由来するもので、利他主義の精神はすでにそこにある。さらに、倫理は人間社会の破綻の危機に反応するために生かされてきたのではないかと考えている。倫理に纏わる問題は、ある原理のようなものに基づいて、例えば人はこうすべきではないとかこうあるべきだ、というように大上段に構えるのではなく、歴史をじっくり観察しながら考えを深めていく対象ではないかという考えの持ち主とお見受けした。すべてを受け入れた上で何が見えてくるのかという柔軟で、しかもそれをやり続けるという執拗な姿勢である。この点では遺伝子の自然選択だけを基に議論する立場とは明らかに異なっている。


実は、このセミナーがあるとの連絡が入った復活祭の休日、ネットをサーフして調べていたところ、科学をテーマにしたインタビューを流している Point of Inquiry というサイトに行き当たった。ここは科学と非科学や宗教との境界、超自然現象、代替医学など、謂わば純科学そのものではなく、その周辺との関連に焦点を合わせて各界の人に考えを聞くという場所のようである。そこに彼のインタビューがあった。

Philip Kitcher - Living with Darwin (July 13, 2007)

流 して聞いた印象では、アメリカのような厳しい競争社会では宗教のような人の心に平安を与えるものが必要ではないのか。それが必要のない人にとってはどうでもよい問題かもしれないが、それを必要としている人がいる、またコミュニティにおいてもある役割をしているという認識のようである。この点は以下の 「利己的遺伝子」 の著者リチャード・ドーキンスの話と聞き比べてみると、その違いがはっきりしてくる。アメリカの進化主義に反対する勢力の強硬なことは夙に聞こえてくるが、具体的にどうしたらよいのだろうか。進化主義は無神論に結びつくのか。教室でのダーウィンをどうするのか。彼の考えは、ダーウィニズムは生物学の授業ではなく、社会や歴史の授業で比較社会学、比較宗教学的視点で教えるべきではないのかという。つまり、すべての宗教は同じ考えを持っているものではなく、またダーウィニズムだけが神に抗う ものではないということを教えないとこの問題は解決しないと考えている。彼の発言を聞き、この問題の根が私の想像を超えた深さにあることを思い知らされ る。
  
Richard Dawkins - Science and the New Atheism
(December 7, 2007)

宗教の問題でも倫理の問題でも上から鉈を振り下ろすのではなく、問題を抱え込んで考え続けようとする姿勢に好感を持った。彼がドーキンスやダニエル・デネットなどと相容れないのがよくわかってくる。彼らの売らんかなの姿勢にも批判的なようだ。



jeudi 27 mars 2008

アン・マレー Anne Murray


先日、ネットをサーフしている時に、いつもはうるさく感じる宣伝の中にあったこの絵が目に留まった。その中にあるビデオが流れ出した途端、アメリカ時代によく耳に入っていた彼女の歌声が懐かしく飛び込んできた。頭の中だけでの生活に外から 健全な(?)風がそよいで来たと印象だろうか。最近女性だけによるデュエットのコンピレーション・アルバムを作ったことを知る。

  Anne Murray (born Morna Anne Murray on June 20, 1945 in Springhill, Nova Scotia, Canada)
    CD : "Anne Murray Duets: Friends & Legends"

彼女の歌声には刺激的なところはなく、特に何かの主張を強く訴えるということもなく、自然体で正直な人柄が表れていると感じていた。ただ心地よく耳に入って くるというタイプの歌手ではあるが、意識して聞こうというところまでは行かなかった。彼女のようにゆっくりした歩みを続けている人の中に、残る人が出てくるのかもしれない。以前より声に深みが増し、より魅力的にになっている。若い歌手に大きな影響を与えていることが、宣伝用とは言えそのビデオから伺える。 久しぶりに英語の歌を意識して聞いてみることにした。


mercredi 26 mars 2008

立ち去った後に Après être partie


大学の教室の前の掲示板に新規登録の案内が出ている。それを見た時、こちらに学生として来ることを最終的に決めてからもう1年も経ったのか、という思いが浮かぶ。振り返ってみると、昨年の3月にはこちらに来て模索の日々を過ごしていたことがわかり、ハンモックからは運命の出会いの記事が出てきた。すべての書類を4月15日までに、などという日付を見ると、去年必死に書類を集めていたことも思い出す。早いものである。そして、当時がまるで別世界のように感じられる。そんな時間を過ごしていたなどとは信じられないくらいだ。

以前、ハンモックで寺山修司の次の言葉を引用したことがある。

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 人には 「歴史型」 と 「地理型」 がある。歴史型は一ヶ所に定住して、反復と積みかさねの中で生を検証し、地理型は拠点をかえながら出会いの度数をふやしてゆくことによって生を検証してゆくのであった。
 従来の日本人の魂の鎖国令の中で、春夏秋冬をくりかえす反復性を重んじたが、私はそうした歴史主義を打破して、地理的、対話的に旅をしながら問い、去りながら生成したい、と思ったのである。
 
                     - 旅の詩集 -
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確かに、立ち去った後に見えてくるものがあり、立ち去った後にしか見えてこないものがあるようだ。 「さよならだけが人生」 という言葉に異常に反応した寺山。おそらく身近な意味での 「さよなら」 に対する彼の反応だったのかもしれない。去らなければ見えないものがもしあるとすれば、より広く長い視点からの 「さよならだけが人生」 の中には真理はあるように見えるのだが、、


先日、これからパリで学ぶために準備をしているという20代前半の方から丁寧なメール (お手紙と言った方がよいだろう)をいただいた。数年前からブログ読んでいただいているとのことで、若い方にも通じるものがあることを知りそれだけでも充分な言葉なのに、その上ここにある文章に力付けられることもあったと書かれてある。私の独り言が人を促す力を持っているなどとは想像もしていなかったので、深い満足感が訪れていた。

このところ話題にもなっていた他者との関わり。このブログを書き続けている訳を問い詰められれば、ここで起こる読者とのやり取りの中で誤解を正し、自らを考えさせ、育てたいという想いがあるのではないか、と答えるかもしれない。



mardi 25 mars 2008

イディール Idir とコリューシュ Coluche


メトロにガンジーと並んでこの人の写真が大きく出ている。その顔に馴染みがなかったので、横に坐って待っていた方に聞いてみる。Idir という名前を綴ってくれた。

Idir (1949- ) site officiel

アルジェリアの北部、カビル Kabylie で生れたベルベル人と 紹介されている。ベルベル人としての誇りを持って、その文化を紹介する人生をこれまで送ってきたようだ。同じ出身であるジダンの中にもその誇りを見る思いがする。この芸名はカビル語で « Il vivra » (生き延びる) という意味があるという。今は立派な体躯に恵まれているようだが、生まれた時の状態を想像させる名前である。早速YouTubeを見てみたが、民族色の強 い音楽で懐かしさと底から湧き上がってくるような生命力を感じる。マグレバンへの思慕をさらに強めてくれるかのようだ。

YouTube : 1, 2, 3

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この話にはその後が待っていた。賢犬様からこの写真の人物は喜劇役者のコリューシュColucheではないのかとのコメントが入ったからだ。私も実際にイディールさんの映像を見て違和感を持っていたが、いつもの癖でそのままにしておいた。今しがた明日の写真を選ぼうとしてファイルを見ていると、このポス ターを撮った時のものがいくつかあり、その中に彼のことを説明している文章が写っているのが見つかった。写真の主は賢犬様のご指摘の方と言って間違いなさ そうである。フランス人であれば知らない人がいないと言われている方のようなので、私が聞いた相手はひょっとするとフランス人ではなかったかもしれない。 先日の論理学の話ではないが、一人からの情報だけでは真実に辿り着かないことがあるという教訓だろうか。いずれにしても賢犬様のお陰で私の方もすっきり し、しかも新たに二人の方を知ることになった。

  Coluche (28 octobre 1944 - 19 juin 1986)

wiki によると、下劣・野卑にはならないぎりぎりの芸で社会のタブーやモラルを攻撃した挑発者だったようだ。1970-80年代には映画にも出演するようにな り、1984年にはセザール賞の最優秀男優賞を受賞。1981年の大統領選にも出馬したが、側近が暗殺され選挙戦から退く。その年の暮れには離婚。酒と薬に溺れ、鬱が襲うようになる。

彼をさらに有名にしたものに、貧しい人に食事をという Les Restos du Cœur (心のレストラン) の運動がある。彼の言葉、« Je ne suis pas un nouveau riche, je suis un ancien pauvre » (私は成金ではなく、元貧乏なのだ) にその根を忘れない気持ちが表れているようだ。その立ち上げをした数ヵ月後にカンヌ近くでバイク事故のため亡くなっている。41歳の若さであった。



lundi 24 mars 2008

存在と沼?  "l'être et l'étang" ?


先週の論理学のクールでのこと。

  「これまでに見た (1-->n 羽の) コルボーはすべて黒い」

ここから 「n+1 番目のコルボーも黒い」、あるいは 「すべてのコルボーは黒い」 と言えるか、という典型的な帰納 induction の問題を話している時だった。学生の一人が、その例は余り適切ではないのではないかとコメントを発した。その理由を聞いて、先生はじめ学生の皆さんがにんまり。この例はすでに知っていたので、私もその中に入っていた。

彼は corbeau (烏) を corps beau (美しい体) と解釈していたのだ。これを聞いた時、フランス人でも聞き間違えがあるのだと思い少し嬉しくなっていた。その理由を聞いた先生は、それはハイデッガーにこう聞くのに似ていますね、と言って今日のお題の例を出した。

ハイデッガーに 「存在 (Sein)」 と 「存在するもの・存在事象 (Seinde)」 という概念があるらしい。それを 「存在」 と 「沼」 だと思い、それは一体何のことですかと聞くのに似ているというのだ。

 "l'être et l'étant" --> "l'être et l'étang"

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先日の Lunettes rouges 氏と若い学生に混じっての生活について話している時、彼らが奇怪な動物 animal bizzare でも覗き込むようにして見ないかと聞いてきたことを思い出した。これは以前にMDからも聞いていたので、同年代の人はまずそういう疑問を持つようだ。彼らの心の中はわからないが、外からはそういう様子は感じ取られないというのが私のいつもの答えになっている。

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その後、質問の主はスペインからの留学生であることがわかった。わたしの耳には外国人のフランス語には聞こえなかったということで、そのレベルが明らかになった。



dimanche 23 mars 2008

なぜ人を殺してはいけないのか Pourquoi ne faut-il pas tuer l'homme ?


朝起きて部屋を歩いている時に、何年か前にマスコミで頻繁に取り上げられていたこの問のことが頭に浮かんでいた。詳しくフォローしていたわけではないので大雑把にしか言えないが、私の中では子供が発したこの問に対して大人は誰も答えられない、というような流れではなかったかと思う(詳細をご存知の方には訂正をお願いしたい)。それが浮かんだ訳を考えてみると、このところいろいろな方にお会いして自分がよくわかるようになり、あるいは違った側面が見えてきていて、大きく言うと人間として存在する時にそのことが非常に貴重に思えたことと関係があるのではないか、とすぐに思い至った。つまり、お題の問に対する一つの答えがそこにあるように思った。

われわれが生きていく上で、さらに言えばより善く生きるためには他者が必要であるということを意味していると考えた。われわれは他者の中に、あるいは他者の中にしか自分を見出せないのではないだろうか。最近も触れたが、 自分の姿は自分では見えないか、自分の見ていると思っている姿が必ずしもそのすべてではない可能性があり、常に他者の鏡を必要としていると言うことかもし れない。われわれはそこに映る自分を眺めて、初めて自分の新たな一面を確認することになる。したがって、よく映る鏡を沢山持っている方がよいだろう。サル トルの言葉を待つまでもなく、他者はわれわれの善き教師ということになる。ある意味では自分自身と言ってもよいだろう。考えがそこに至ると、他者の消滅は自らを消滅させることと同義になりはしないだろうか。


そんなことを考えながら、朝から前期の先生から連絡のあったセミナーに出かける。テーマは宗教的経験、神秘主義(神秘体験)についてで、講師はアメリカの大学で現象学を研究している Anthony Steinbock さん。フランス語で話していたが、込み入った議論になると英語に移っていた。神秘体験については、われわれが普段生活している世界を水平な (horizontal) 世界とし、そこから垂直に別の状態に移行する、あるいは落ちる (chute という言葉を使っていた) 過程として、verticalité という概念を持ち出していた。またこの精神状態が正常なのか病的なのかという問題もあるようで、興味深く聞いた。

彼が最初に話していた中で、すべての神秘体験は宗教体験だが、すべての宗教体験が神秘体験というわけではなく、人様々なものを見ると言っていたので、もし神秘体験が病的状態だとすると論理的には宗教体験のある部分 (神秘体験が占めている部分) は病理現象になるのではないかと聞いてみたが、その点には気付いていなかったようだった。彼はむしろ神秘体験をポジティブに捉えていて、正常の範囲を逸脱 したものだが正常を超えるもの hypernorme であると言っていた。それを聞いて、カンギレムの「正常と病理」の底にある考え方 (例えば、正常と病理の境界の問題、病的状態に入るということは新たな、以前よりもよい状態に至ることを意味している) を思い出していた。


2 時間に及ぶセミナーの後、研究所に向かうもPâques(復活祭、イースター)の休日でお休み。過去に生きていると現世のことに疎くなるようだ。帰ってく る途中、Presse の看板のある店で雑誌に目を通していると、朝考えていたテーマを扱っている人文科学の雑誌が見つかる。このところ、こういう繋がりがよく目に付くように なっている。そこでの哲学的問は "A-t-on besoin d'autrui ?" (われわれは他者を必要としているか) というもので、昨日話題になった他者性 altérité とも関連し、本日の問とは同質のものだろう。その中によく知られた逸話が紹介されている。この例は、現象としては生れてから野性の中で生きていた人間がど のようになるかを示しているが、さらにわれわれは他者をモデルとして初めて人間になることができることを教えてくれる。ルネ・スピッツ René Spitz という人の研究によると、言葉と愛情を奪われた子供は歩くこと、話すことができないのは言うに及ばず、しばしば死ぬにまかせるところまで行ってしまうという恐るべき結果が出されているという。

この記事の最後にモンテーニュの言葉が引用されている。朝考えていたことを的確に捉えてくれていると感じ、嬉しくなっていた。

"Si on me presse de dire pourquoi je l'aimais, je sens que cele ne se peut exprimer, qu'en répondant : 'Parce que c'était lui ; parce que c'était moi."

(私がなぜ彼(女)を愛していたのかを問い質されれば、次のように言うしかないように感じる。「なぜならそれが彼(女)であったからであり、それは取りも直さず私であったからです」 と。)




samedi 22 mars 2008

3年振りの再会、あるいはミロスラフ・ティッシー Retrouvailles avec Lunette rouges ou Miroslav Tichý


今年の2月初めのことになるだろうか。3年ほど前にこちらに来た時に不思議な糸に導かれるようにして会うことになった、ル・モンドで Amateur d'art という芸術ブログをやっている Lunettes Rouges 氏からメールが入った。私の仏版ブログを見たものと思われるが、パリで学生をやっているのだったら、また一杯やりませんか (on reprend un verre ?) というものだ。当時はメモワールで忙しかったので、それが終ってからであれば問題ありませんと返事を出しておいた。そして、ほとんど忘れかけていた今週初め、街を歩いている時に携帯が鳴り、昨日セーヌ沿いのカフェで会うことになった。

話し始めてすぐに学生生活の話になったが、何と彼も今はマスターの1年目だというので驚いてしまった。2年ほど前にロンドンでやっていた仕事を止め、1年間聴講生をした後にその先を模索している時にブログで知り合ったパリの大学院大学の教授の助言で芸術史を学ぶことにしたという。今は私と同じように、分野違いのことをやる楽しさについて、昔と変わらない早口で話していた。彼の場合、もともとエコル・ポリテクニクで理系の教育を受けた後、MITで経済の勉強をしているので文系の素養もあると思った。しかし、経済は科学と余り変わらない頭の使い方をするようで、芸術関係はほとんど素人に近いと見ているようだ。具体的には写真について興味があり、テーズを書くところまで行きたいとのこと。その話の中で、チェコの写真家を紹介していただいた。

ミロスラフ・ティッシー Miroslav Tichý (né le 20 novembre 1926 à Nětčice, Moravie)

とにかく、波乱の人生を送っている人のようで、プラハの芸術大学で絵画を学び将来を約束されていたが、入ってきた共産主義に抵抗。監獄で8年ほど暮らす。その後、アルコールに溺れたりして社会から遠ざかるようになる。そして彼独自のカメラを隠し持って街を歩き、人間と言ってもほとんど女性 (femmes dans la rue と言っていた) を撮ることになる。その写真が最近になり評価されるようになっているという。ティッシーの展覧会が6月24日からポンピドゥー・センターで開かれる予定 で、彼はその責任者とのこと。さらに、それにあわせて出る本の一章も書いているとのことで、すでにテーズの題材は揃っているようだ。

彼はティッシーのことを「この世から引き篭もった隠遁する遊歩者」 (flâneur retiré du monde) と表現するのがよいと考えていたが、このキーワードは私が求めている姿にも近いので驚きながら聞いていた。それはさておき、今しがたティッシーの写真を眺めていたが、何とすんなりと入ってくることか。是非ポンピドゥー・センターには足を運んでみたいと思わせてくれた。彼の話では日本でも展覧会がやられたとのことだったので調べてみると、昨年秋に東京で開かれている。

ミロスラフ・ティッシー展

ところで、私を10歳以上若く見ていた彼に、3年前のランデブー以後に起こったことを話したが、ほとんど完全に理解できるという反応だった。よくよく聞い てみると、そのランデブーに前後して病気になり、人生を別の視点から考え直したという。終わりを意識すると哲学的になるようである。彼の場合、仕事が終ったら綺麗さっぱりそこから去り、全く新しいことをやりたいと五十になった辺りから考えていたようだが、その点は私とは異なっている。そして、これまでしっ かり働いたので、これからはそれをすべて使うだけだ!という計画。私の住処を聞いて、郊外などに住んでいないで街の真ん中に出てこないか、とでも言いたげな様子であった。たっぷりエネルギーをいただいた嬉しい再会になった。


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(23 mars 2008)
昨日、彼がカフェに入ってきた時、3年前とは別人に見えたので一瞬確信が持てなかったことを思い出した。向こうが私を確認しているようだったので、初めて分かったのである。彼の話によれば、当時は手術をした後だったかもしれないとのこと。昨日の生命漲る姿をやや弱々しく見えるハンモックの記事に掲げた写真と比較すると、やはり別人の印象がある。病気を経て新たな段階に入ったのではないかと想像していた。





vendredi 21 mars 2008

自分を語るということ Parler de soi-même


前の記事にヨーロッパの国々が陸続きにあると書いたことが頭に残っていたのか、朝起き掛けに島国に生きるということとの関連を考えていた。言葉の上では特に新しいことではないと思うが、実感しているので書いてみたい。

以前にどこかに書いた記憶もあるが、私が最初にアメリカに行って困ったことは、言葉の問題を超えて自分のことを彼らにうまく紹介できないということだった。 全く自分の背景を知らない人に対してどのように説明したらよいのか、そのやり方を知らなかったのだ。それまで日本で生きる中で自己紹介のようなことはして いたと思われるが、それでは到底理解されないということに気付いたのだ。同時にそれは、全くの他者という存在を考えずにそれまで生きてきたことを意味している。それが島国に生きることの意味なのかとも考えた。そして、他者に対して自らを語る術を覚えると、急速に世界が広がってきたことを思い出す。その術とは、この広い他者に溢れる世界の中に自分を置き直しその存在を考える、言い換えれば自分をこの世界に存在する他者として見直すという作業になるのだろう。

翻っ てこちらの若者の様子を見ているとそれがすでにできていて、心を開く術(自分を他者として見ることから始るか?)を知っているように見える。そこが大きく違っているようだ。おそらく、今こちらに来ている日本の若者も私と同じような経験をしているのではないかと想像している。そこで再び内向きになり(日本の 目に戻り)彼らに対するのではなく、自らを外に開くような視点が得られると素晴らしいと私からは見えるのだが、いかがだろうか。これは若者だけの問題ではなく、われわれすべての問題、延いては今の日本にも顕れている問題なのだろうが、、。


エクスポゼ始まる


フランス語のクールでエクスポゼとディスカッションの時間が始った。現在この世界で起こっている問題についてそれぞれが10分間、毎週3-5人が発表し、討論するというもの。

普段頼りなさそうにしていたり、冗談ばかり言っていたりする彼らが、急に見違えるようになる。中にはやや頬を赤らめながら発表している者もいるが、皆さん立 派で、世界の問題を身近な問題として考えようとする姿勢がはっきり見える。われわれには想像できない、他国が陸つながりにあるという感覚。ヨーロッパにい るとそれが実感でき、頭の中がわれわれと明らかに違うことがわかる。さらに、自らの主張をしっかりと言い、それ通そうとする姿勢がはっきり出ている。彼らの存在そのものがそこに顔を出す。この辺りが日本の学生との大きな違いになるだろう。日本の場合には、それを知っていればいいのでしょうとでも言うのか、 知識の所有を教養と考えている節があり、それを体で生かそうとする姿勢に乏しいように感じている。これはわれわれも含めた日本人全体に共通する問題で、それが単に若い人に顕れているだけなのかもしれない。類似のことを先日の日仏会議でも感じていたが、こういうところにもヨーロッパ精神なるものの一端を見る思いでいた。さらに好感を持てたのは、形には余りこだわらず素直な気持ちが前面に出ている点で、アメリカとの違いのように感じながら聞いていた。

哲学の方でもエクスポゼをやらせるクールが出てきている。こちらはもっと専門的な、落ち着いた香りがする。昨日は一人で30分というところを1時間たっぷり やっていた。なかなかしっかりして、内容の新規性はわからないが発表のやり方はプロと変わりがなかった。皆さんがこの程度できるわけではないだろうと思う が。中休みに話したところによると、彼は哲学を天職にしようと考えているようだ。先生にとってはエクスポゼは比較的リラックスできる楽しい時間なのかもし れない。


Radio Classique では、私も日本で一度だけ聞いたことがある鈴木雅明氏率いる Bach Collegium Japan の特集が流れている。



jeudi 20 mars 2008

初めての歯科


このところ2月の方が暖かいと思われるくらい冷たい風が吹いている。昨日は紹介していただいた歯医者さんに出かけた。日本にいる時に描いていたフランスの歯科のイメージは、なぜか旧式の機械や道具を未だに使っているというもので、できれば日本で治療したいと思っていたのだ。しかし、以前に治療してもらった歯が崩れてきたので、思い切って見てもらうことにした。

メトロを乗り継いで出かける。こちらでよく見かける住所の番号がつながっていない建物だったので困っていた。そこに、私もよくはわからないのですが、と言ってご婦人が話しかけてきて、目的地に着くことができた。これもよくあることだが、外見は古い建物だが中は趣のある作りになっていて機具も最新式、非常に気持ちよく受診できた。虫歯が悪くなりつつあるのでしっかりやってしまいましょう、そうすれば歯をきっちり磨くだけで一生歯科に来る必要がなくなります、との非常に楽観的なご宣託をいただいた。来月再度出かけて治療方針と見積もりを見比べることになった。

昼から研究所へ。何かの拍子にサンテグジュペリの飛行機を撃ち落としたという元ドイツ兵の本が出るとのニュースを数日遅 れで目にする。数時間過ごした後、夕方のクールへ出かける。 クールの後、台湾からの留学生と一緒になり、メトロまで話してきた。彼女はリサンスから来ていて今年で2年目になるが、いずれはドクターまで行きたいようであった。大学近くの映画館でやっている溝口健二の 「祇園の姉妹」 を見てから帰るとのこと。大学生活を楽しんでいる様子が伝わってきた。

*Saint-Exupéry abattu par l’un de ses lecteurs (彼の読者に撃墜されたサンテグジュペリ)
*Horst Rippert, l'homme qui a abattu Saint Exupéry raconte pour la première fois, le secret du Petit Prince dévoilé... (ホルスト・リッペルト、サンテグジュペリを撃墜した男が初めて星の王子さまの秘密を明かす・・・)


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(14 mai 2015)

この歯医者さんには今でもお世話になっている

確かに、この時に治したところは問題がない

しかし、それ以外にも沢山ある

時の経過が齎すものは、受け入れなければならないのだろう

これからもお世話になりそうである






mercredi 19 mars 2008

遠くを想う熱


この週末、ハンモック (このブログの前身 「フランスに揺られながら」) の記事を読み直すことがよくあるのに、このブログを読み直そうという気には全くならないことに気付く。現在進行中のものなので、振り返る余裕がないという ことなのだろうか。まだ振り返るだけの歴史がないということも一因だろう。ハンモックでは遠くを想いながら熱く語っている印象が強いが、このブログではその遠くが現実になり、再び 「現在」 だけに目が行っていることを意味しているのかもしれない。AVFP を読み返そうなどと思うのは、おそらく時間が経ち精神的に余裕が出てきた時、あるいは次の段階に入った頃になるのだろう (そういう時があればの話だが)。ところで、未だハンモックを訪れる方が後を絶たない状態が続いている。遠くを想う、その熱のようなものが表れているのだろうか。あるいは単に Google/Yahoo のお陰なのか。いずれにしても命を紡いでくれていることは嬉しいことである。

バルコンに出てみると、鳥の囀りに混じってどこからともなくトランペットを練習する音が流れきて、懐かしさを誘う。かなりの腕前のようである。


mardi 18 mars 2008

長崎からのお客様


昨日は、長崎大学のM先生がこちらの研究所との共同研究のために来られたのでお会いすることになった。いつからお知り合いになったのかわからなくなっていたのでお尋ねしたところ、8年ほど前に福岡であったシンポジウムで言葉を交わしたのが始まりとのことであった。先生が10年ほど滞在されたアメリカから帰国 されてまもなくの頃ではないかと思う。それから私が所属していた研究所でも超満員の講堂で講演していただいたことがある。それ以来ということになるから不思議なご縁である。

今回はホテルで推薦されたレストランがお休みだったため、思い切ってカルチエ・ラタンまで出て、1906年開店という由緒あるレストランに辿り着くことができた。日本では年度末で忙しい時期でもあるためか、こちらの時間がゆったり流れているのに感激されていた。また、こちらの人の応対を見ていて、人当たりが優しい、柔らかい感じがするという印象を持たれたようで、アメリカよりは日本人に合うのではないかとの観察。私もこの観察には同意したい。

忙しい日本では哲学的な思索に時間が取れないので、今回のようにその場を離れる時間が貴重であるとのお話であった。長崎は西洋との接触が古く、学問的にも古い資料が沢山あるのではないかと期待していたが、大学が爆心地にあったためほとんど残っていないようだ。大学での教育、例えば最近興味が沸いている医学の歴史や倫理が教育されているのか、されている場合にはどのように行われているのか伺ってみたところ、歴史などは大学に入ってすぐ、倫理の面はその後も週に一コマ程度の時間は割いているとのお話であった。帰国した折には是非とのお話であったので、現場で直接お話を 伺ってみたいという希望が芽生えていた。

今回は遠路日本酒を持参していただいたので、やっと日本から持参したお猪口が使えることになった。次回は長崎でワインの乾杯をしたいものである。

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今朝、メトロの中でフランス語のクールの資料にあった、特にBRIC (Brésil, Russie, Inde, Chine) への投資に関するル・モンドの記事を読んでいる時、長崎という土地柄もあり、中国や韓国とも連携を深めているという話の中で、あの広い中国に時差がないと いうことが指摘されていたことを思い出した。北京は時間の流れまでもコントロールしているということだろうか。




lundi 17 mars 2008

最も美しいもの

  
 

 日曜の午後、近くのビブリオテクに紛れ込む

そこで開いた一冊の中からこの言葉が飛び込んできた

17世紀デンマーク生れの解剖学者にして地質学者の言葉としてあった


« Beau est ce que l'on voit;
      
plus beau est ce que l'on sait;

et de loin le plus beau : ce qui demeure impénétrable. »
             

Discours sur l'Anatomie (1673)
Nicolas Sténon (1638-1686)



「美しいもの、それは目に見えるもの
        
それより美しいもの、それは理解しているもの

そして圧倒的に美しいもの、それは説明不能であり続けるもの」

                      ニコラウス・ステノ
                             『解剖学講義』 (1673年)



dimanche 16 mars 2008

ウィリアム・シーリー・ゴセット William Sealy Gosset

ウイリアム・シーリー・ゴセット
William Sealy Gosset, 1876-1937


ENSのクールの中で出会った。その日、2つの実験群の平均値間の有意差を検定するためにこれまでの研究生活で使っていた Student t test が彼の作品であることを初めて知ることになり、新鮮な風が頭の中を駆け抜けていった。

彼はオックスフォード大学で化学と数学を学んだ後、1899年にギネスビール社のダブリン醸造所に就職。統計学を醸造と大麦の改良などに応用しながら研究を重ねる。1906年から1907年にかけてカール・ピアソンの研究室で研究し、1908年に少ないサンプルについて正確な答えを得るための方法を "The probable error of a mean" (平均値の誤差の確率分布) という論文にする。それが有用なのは、次のような理由による。まず必ずしも多くのサンプルが得られるとは限らない実験がある。その場合、ある集団の代表で はなく外れのところを見ている可能性が出てくるため、同じく少ないサンプルからはじき出した他の集団の平均と比較しても、それが二つの集団の間の真の差を 意味する保証がない。そのため、その意味を明らかにする方法が必要になるということになる。

この論文は、ギネス社が企業秘密の問題で社員が論文を出すことを禁止していたため、Student というペンネームで発表された。ピアソンはその意義に気付かなかったようだが、統計学の大家ロナルド・フィッシャーがその重要性を認識し現在の形にした。しかし、この本質はゴセットが見出したものとして彼の名前が付けられ、スチューデントのt検定(Student's t-test)として現在でも広く使われている。



再び険しい山々が


近くまで買い物に出る前にボワットー・レットゥルを開けると、注文していた本の包みが2つ見つかる。それを持ったまま出かける。目的の店が閉まっ ていたので、お昼の散策に切り替える。これまで行ったことのない道に入り、小さな緑の場所にあったバンクに坐り、先ほどの本に目を通す。図書館よりは外で読む方がよく頭に入ってくるようだ。おまけに声に出して読んでも誰からもお咎めがない。気持ちよい小一時間を過ごす。

帰ってから、週末にたまに触るだけの大学からもらった学生用のメール・ボックスを開けてみると、哲学科のオフィスからメールが入っている。マスター1年目のメモワールの締め切りが5月中旬とあるのを見て驚く。後期のミニメモワールはこの時期でも、メモワールの方は6月か9月くらいではないかと高を括っていたからだ。再び険しい山々が眼前に現れてしまった。しかも2ヶ月でこのすべてを登らなければならないことになる。徹底的にお勉強させられるという印象だ。その山を登り終わると素晴らしい景色が見えるのだろうか。とりあえず、学生の場合には3ヶ月に及ぶ夏休みが待っているという仕掛けなのだろう。しかし、まだテーマも決まって いない今度の登山は落石や転落も覚悟の上で行くしかなさそうな予感がする。



samedi 15 mars 2008

アドルフ・ケトレーと平均人


不思議なつながりを感じることがある。先週土曜にランデブーがあり、その時に私の生き方がいわゆる正規分布から外れるものであることを指摘されて、妙に納得したことについてはすでに触れている (2008-03-09)。ところで、今週最初のクールがその話から始ることになるとは、誰が予想したであろうか。そのクールのテーマは計量的研究で、その中にケトレーという統計学的な手法を持ち込んだベルギーの研究者が颯爽と登場してくるのである。

アドルフ・ケトレー Adolphe Quételet (7 février 1796 à Gand - 17 février 1874 à Bruxelles) 

彼は当時天文学に用いられていた統計学を社会科学に持ち込み、「社会物理学」 を提唱している。この手法で集団におけるある現象の分布状態を明らかにし、その正規分布の中央に来る平均的な人間について "l'homme moyen" 「平均人」 なる概念を持ち出している。この概念を中心に、結婚、犯罪、自殺、社会における行動規範のようなものを解析しようとした。集団を解析する彼の方法は医学の分野にも影響を与えたとあるが、より広く人間の考え方に大きな影響を残しているように感じられる。私から見るとそれは管理する側の発想で、一人ひとりに とっては悪い影響があるとしか思えないのだが ・・・ もちろん、ほとんど聞こえないような声で独り言を囁くように講義するそのフランス人教授 (今までに見たことがないタイプ) も私と同じ考えを持っているように受け取った。しかし、先週のお話ではどうもほとんどの人 (少なくとも日本人?) はそうは考えないようである。

彼の業績に身近に触れることができるのは、体重 (kg) を身長 (m) を2乗した数字で割って計算する BMI (Body Mass Index; Indice de masse corporelle) だろう。日本語ウィキには彼の名前は出てこないが、ケトレー指数 (l'indice de Quételet; Quetelet index) とも言われているもので、太り過ぎ・痩せ過ぎを数値で私たちに教えてくれる。


同じこの日、これまでの研究生活で使っていた、2つのグループの平均値の間に有意差があるのかどうかを検定するための Student t test という方法に出てくる "Student" の背景を知ることになり、あの嬉しい感覚が再び訪れた。ひょとすると、「・・・とは実はこういうことだったのか」 とわかった時に訪れる爽快な感覚を味わうために今歩んでいるような気もしてくる。

Student = イギリスの統計学者 William Sealy Gosset (June 13, 1876–October 16, 1937) のペンネーム。詳しくはこちらを。



vendredi 14 mars 2008

サンテックスと私



ある時が経ってから思い出されることが最近よくある。

先週土曜のランデブーで話題にしたことを思い出した。


先日トルビアックのクールを受 けた後、近くのFNACを散策する。そしていつものように哲学コーナーに入った時、「星の王子様」 を哲学するというようなタイトルの本を見つけ、この本が哲学の対象になっていること知る。まだ原作に触れていないのでこの有様である。サンテックスについては、2年ほど前にハンモックに記事を書いている。その記事を読み直してみると次のような言葉が見つかった。
« Dans la vie il n'y a pas de solutions ; il y a des forces en marche : il faut les créer et les solutions suivent. »
 
「人生に答はない。あるのは前に進む力だけだ。その力を生み出すのだ。そうすれば答は後からついてくる。」
これはハンモックでも触れ、ここでも最近も触れた、 私が若い時から意識していた 「モーター」 のことではないかと気付くと、急に彼のことが近く感じられるようになってきた。最近コメントにも書いたが、マグレブを訪れるという以前からの願望も年内には実現したいと思っている。またこちらに来た遠い理由の一つに、この北アフリカの地を日常感覚で訪れてみたいということがあったようにも感じている。

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私のように "Le Petit Prince" が未だの方は、Wikilivres で。
  
video はこちらです。