vendredi 21 mars 2008

自分を語るということ Parler de soi-même


前の記事にヨーロッパの国々が陸続きにあると書いたことが頭に残っていたのか、朝起き掛けに島国に生きるということとの関連を考えていた。言葉の上では特に新しいことではないと思うが、実感しているので書いてみたい。

以前にどこかに書いた記憶もあるが、私が最初にアメリカに行って困ったことは、言葉の問題を超えて自分のことを彼らにうまく紹介できないということだった。 全く自分の背景を知らない人に対してどのように説明したらよいのか、そのやり方を知らなかったのだ。それまで日本で生きる中で自己紹介のようなことはして いたと思われるが、それでは到底理解されないということに気付いたのだ。同時にそれは、全くの他者という存在を考えずにそれまで生きてきたことを意味している。それが島国に生きることの意味なのかとも考えた。そして、他者に対して自らを語る術を覚えると、急速に世界が広がってきたことを思い出す。その術とは、この広い他者に溢れる世界の中に自分を置き直しその存在を考える、言い換えれば自分をこの世界に存在する他者として見直すという作業になるのだろう。

翻っ てこちらの若者の様子を見ているとそれがすでにできていて、心を開く術(自分を他者として見ることから始るか?)を知っているように見える。そこが大きく違っているようだ。おそらく、今こちらに来ている日本の若者も私と同じような経験をしているのではないかと想像している。そこで再び内向きになり(日本の 目に戻り)彼らに対するのではなく、自らを外に開くような視点が得られると素晴らしいと私からは見えるのだが、いかがだろうか。これは若者だけの問題ではなく、われわれすべての問題、延いては今の日本にも顕れている問題なのだろうが、、。


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