mercredi 12 mars 2008

この私とは



昨日の記事に書いた私が学生時代に言っていたという 「私は良い日本語を研究しているのです」 が私の中に波紋を作っている。 私自身には全く身に覚えのなかった言葉なので、それを見た時には驚いた。一体、何歳の時で、その時何を考え、何をやっていたのか、興味が沸いていた。と同時に、そこに私の知らない、私が忘れた私を見る思いで、何とも言えない不思議な感覚が襲っていた。この感覚は、ブログを始めて注意深く観察するようになり何度か経験しているが、私の好きな感覚の一つである。

この経験はこの私とは何なのか、ということを考えさせてくれる。この世に存在している私は、街中で見られる街路樹や建物や路上の石などと同じく、物として他の人の目に曝されている。しかし今回のような経験は、それを見る人がそれぞれの中で全く異なる像を結んでいることを教えてくれる。自分の中でぼんやりと描いている自画像とはかけ離れた姿が、それぞれの中に存在しているはずである。自画像にどれだけの真実があるのだろうか。私の接触した方々の頭の中にあるものをこの空に描いてもらい、それを眺めてみたいものである。怖いもの見たさの心境だろう。

この経験は、この世の真実、真理とは何なのかについても教えてくれているようだ。そこにある街路樹や建物や石がどのようなものなのか、人により、その時により、大きく変わっているはずである。このことは写真を意識して撮るようになってからも感じていることである。写真の中に作者がこの世をどう見ているのかが表れていて、その姿が如何に人様々であることか。真理を究めることの意味を考えさせられる小さな出会いであった。



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