vendredi 28 mars 2008

フィリップ・キッチャーという哲学者 Philip Kitcher, philosophe des sciences


今週のセミナーでこの方が話すというので出かけた。ロンドン生れで、現在はアメリカのコロンビア大学哲学科で John Dewey Professor のポジションにある科学哲学者である。

  Philip Kitcher (né en 1947)

セミナーのタイトルは "Ethics after Darwin"。彼がこの20年ほどの間書き続けているテーマとのこと。ジョン・デューイの言葉に同意し、倫理の問題は一生考え続けなければならない問題で、終わりがないものとして捉えている。まさに生きることは哲学すること、問を発し続けることというここでの営みとその精神を一にする。彼は、遺伝子の選択により人間の行動が進化してきたとするごりごりのダーウィニズムに基づく社会生物学 sociobiology の立場を批判的に捉えているようである。倫理の問題について考えたことがないという状態での聴講になったので、専門家のご教示を仰ぎたいところである。

倫理を取り巻く哲学的問題は歴史の光の下で理解される、との言葉。この世のものすべてに当てはまりそうである。そして、この問題をジョン・スチュアート・ミルが言ったという "experiments of living" を5万年前から辿ってくる。最初は face-to-face のコミュニケーションが可能なグループ (30人くらいとしていた) で生活するようになり、そこで生物学的な利他主義 (自らの繁殖を犠牲にして他の人の繁殖の利益になるように振舞う) の傾向が現れたのではないかと考える。それから心理的な利他主義 (例えば、机の上にケーキがのっていてそこには誰もいない場合には一人ですべて食べてしまうが、他の人がいればすべてを食べることは差し控え、他の人もご相伴に預かれるようにする心理などを生み出すもの) も原始の社会を維持するために必要だったと考えている。

2万年から8千年前になると、その社会も1000人単位になり、社会のために道具を遠くから運んでくるようになり、そのためのネットワークも出来上がっていたのではないか。そこでは、倫理が交通手段などのテクノロジーや共同作業、さらには豊かな人生を味わうという新たな人間的な価値を生み出す動力になり、5千年ほど前にはそれまで 排除されていた異邦人、奴隷、女性などもグループのメンバーとして迎えられ、新しい人間の生活パターンが生れたと想像している。

倫理は人間の基本的なところに由来するもので、利他主義の精神はすでにそこにある。さらに、倫理は人間社会の破綻の危機に反応するために生かされてきたのではないかと考えている。倫理に纏わる問題は、ある原理のようなものに基づいて、例えば人はこうすべきではないとかこうあるべきだ、というように大上段に構えるのではなく、歴史をじっくり観察しながら考えを深めていく対象ではないかという考えの持ち主とお見受けした。すべてを受け入れた上で何が見えてくるのかという柔軟で、しかもそれをやり続けるという執拗な姿勢である。この点では遺伝子の自然選択だけを基に議論する立場とは明らかに異なっている。


実は、このセミナーがあるとの連絡が入った復活祭の休日、ネットをサーフして調べていたところ、科学をテーマにしたインタビューを流している Point of Inquiry というサイトに行き当たった。ここは科学と非科学や宗教との境界、超自然現象、代替医学など、謂わば純科学そのものではなく、その周辺との関連に焦点を合わせて各界の人に考えを聞くという場所のようである。そこに彼のインタビューがあった。

Philip Kitcher - Living with Darwin (July 13, 2007)

流 して聞いた印象では、アメリカのような厳しい競争社会では宗教のような人の心に平安を与えるものが必要ではないのか。それが必要のない人にとってはどうでもよい問題かもしれないが、それを必要としている人がいる、またコミュニティにおいてもある役割をしているという認識のようである。この点は以下の 「利己的遺伝子」 の著者リチャード・ドーキンスの話と聞き比べてみると、その違いがはっきりしてくる。アメリカの進化主義に反対する勢力の強硬なことは夙に聞こえてくるが、具体的にどうしたらよいのだろうか。進化主義は無神論に結びつくのか。教室でのダーウィンをどうするのか。彼の考えは、ダーウィニズムは生物学の授業ではなく、社会や歴史の授業で比較社会学、比較宗教学的視点で教えるべきではないのかという。つまり、すべての宗教は同じ考えを持っているものではなく、またダーウィニズムだけが神に抗う ものではないということを教えないとこの問題は解決しないと考えている。彼の発言を聞き、この問題の根が私の想像を超えた深さにあることを思い知らされ る。
  
Richard Dawkins - Science and the New Atheism
(December 7, 2007)

宗教の問題でも倫理の問題でも上から鉈を振り下ろすのではなく、問題を抱え込んで考え続けようとする姿勢に好感を持った。彼がドーキンスやダニエル・デネットなどと相容れないのがよくわかってくる。彼らの売らんかなの姿勢にも批判的なようだ。



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