samedi 22 mars 2008

3年振りの再会、あるいはミロスラフ・ティッシー Retrouvailles avec Lunette rouges ou Miroslav Tichý


今年の2月初めのことになるだろうか。3年ほど前にこちらに来た時に不思議な糸に導かれるようにして会うことになった、ル・モンドで Amateur d'art という芸術ブログをやっている Lunettes Rouges 氏からメールが入った。私の仏版ブログを見たものと思われるが、パリで学生をやっているのだったら、また一杯やりませんか (on reprend un verre ?) というものだ。当時はメモワールで忙しかったので、それが終ってからであれば問題ありませんと返事を出しておいた。そして、ほとんど忘れかけていた今週初め、街を歩いている時に携帯が鳴り、昨日セーヌ沿いのカフェで会うことになった。

話し始めてすぐに学生生活の話になったが、何と彼も今はマスターの1年目だというので驚いてしまった。2年ほど前にロンドンでやっていた仕事を止め、1年間聴講生をした後にその先を模索している時にブログで知り合ったパリの大学院大学の教授の助言で芸術史を学ぶことにしたという。今は私と同じように、分野違いのことをやる楽しさについて、昔と変わらない早口で話していた。彼の場合、もともとエコル・ポリテクニクで理系の教育を受けた後、MITで経済の勉強をしているので文系の素養もあると思った。しかし、経済は科学と余り変わらない頭の使い方をするようで、芸術関係はほとんど素人に近いと見ているようだ。具体的には写真について興味があり、テーズを書くところまで行きたいとのこと。その話の中で、チェコの写真家を紹介していただいた。

ミロスラフ・ティッシー Miroslav Tichý (né le 20 novembre 1926 à Nětčice, Moravie)

とにかく、波乱の人生を送っている人のようで、プラハの芸術大学で絵画を学び将来を約束されていたが、入ってきた共産主義に抵抗。監獄で8年ほど暮らす。その後、アルコールに溺れたりして社会から遠ざかるようになる。そして彼独自のカメラを隠し持って街を歩き、人間と言ってもほとんど女性 (femmes dans la rue と言っていた) を撮ることになる。その写真が最近になり評価されるようになっているという。ティッシーの展覧会が6月24日からポンピドゥー・センターで開かれる予定 で、彼はその責任者とのこと。さらに、それにあわせて出る本の一章も書いているとのことで、すでにテーズの題材は揃っているようだ。

彼はティッシーのことを「この世から引き篭もった隠遁する遊歩者」 (flâneur retiré du monde) と表現するのがよいと考えていたが、このキーワードは私が求めている姿にも近いので驚きながら聞いていた。それはさておき、今しがたティッシーの写真を眺めていたが、何とすんなりと入ってくることか。是非ポンピドゥー・センターには足を運んでみたいと思わせてくれた。彼の話では日本でも展覧会がやられたとのことだったので調べてみると、昨年秋に東京で開かれている。

ミロスラフ・ティッシー展

ところで、私を10歳以上若く見ていた彼に、3年前のランデブー以後に起こったことを話したが、ほとんど完全に理解できるという反応だった。よくよく聞い てみると、そのランデブーに前後して病気になり、人生を別の視点から考え直したという。終わりを意識すると哲学的になるようである。彼の場合、仕事が終ったら綺麗さっぱりそこから去り、全く新しいことをやりたいと五十になった辺りから考えていたようだが、その点は私とは異なっている。そして、これまでしっ かり働いたので、これからはそれをすべて使うだけだ!という計画。私の住処を聞いて、郊外などに住んでいないで街の真ん中に出てこないか、とでも言いたげな様子であった。たっぷりエネルギーをいただいた嬉しい再会になった。


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(23 mars 2008)
昨日、彼がカフェに入ってきた時、3年前とは別人に見えたので一瞬確信が持てなかったことを思い出した。向こうが私を確認しているようだったので、初めて分かったのである。彼の話によれば、当時は手術をした後だったかもしれないとのこと。昨日の生命漲る姿をやや弱々しく見えるハンモックの記事に掲げた写真と比較すると、やはり別人の印象がある。病気を経て新たな段階に入ったのではないかと想像していた。





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