dimanche 9 mars 2008

どこか危険なもの



国際女性デーの昨日は、2年ほど前に初めてお会いした方と何ヶ月ぶりかのディネとなった。鄙びたセーヌを望む (と言っても暗くてよく見えないのだが) レストランで、気がつくと5時間にも及ぼうかという時間が経過していた。前回もそうだったが、この方と話しているとなぜか時間の流れが消えるようである。今回は私の生き方 (私という人間) が完全に日本の枠組みの外にある、あるいは少しずれているとはっきり指摘していただいた。もう少し詳しく説明していただくと、こういうことらしい。普通はベルの形をした正規分布を意識し、できるだけその中央に入ろうとするのだが、その正規分布を意識している気配さえ感じられないというのだ。まともだと思っているのはどうも本人だけらしいということがわかりつつある。ここ数年薄々感じていたようだが、こうもはっきり断言されるとそうなのかと思うしかない。同時にそれは、私の中に全く別の正規分布が存在していることの裏返しかもしれない。

こう書きながら思い出したことがある。それは、学生時代から卒業後しばらくの間にかけて父親が口を酸っぱくして言っていた、簡単に言ってしまえば、お前のようにやっていては日本では生きていけないよ、というものだ。なぜそうなのかをいくら言われても理解できなかった。今よりももっと理論的に考えていたはずなので、そこにはそうだからそうなのだ、という程度の理屈しかなかったのではないかと思うが、、。日本社会の中でしっかり生きた父親が私の中に見ていたどこか危険なものの正体はわからないが、振り返るとそれは私のなかでは生きる上でのモーターのようなものではなかったのだろうか。そして、そのモーターが非常に貴重なものに思えてくるこの日曜の朝である。

今日は予想もしないところに落ち着いてしまった。



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