dimanche 29 novembre 2015

ある週末

30 novembre 2008
 


ある週末、夜のカルチエ・ラタンを散策する

昼間とは全く違った姿を現わす

久しぶりにその中に身を委ねてみようという気になる

入ってくるものの中に自らと振れ合うものを見出す時、ある喜びが訪れる

満たされたひと時となった


 







この日曜の朝、Magnum 制作のクリップで青春の一頁を覗き見る
 
    "Pop Sixties"  






日常の中の非日常に身を置くと

28 novembre 2008



昨日は睡眠不足で疲れていたのか早めに床に就いた。

そのためか今朝は3時に目が覚めていた。

最近の傾向として、一度目が覚めると再び眠ろうとは思わなくなっている。

以前のように睡眠時間を確保するために眠り続けましょうとはならない。

そういう時に起きると普段気付かないことに気付いたり、思いもしないことが浮かんでくるからだ。

ある意味では何ということはない日常に顔を出す非日常に身を置くことになるからだろうか。

2年前の時差ボケの早朝のこと。
 
私が今抱えているような問題について考える生活に入ってみましょうかなどという想いが浮かんだ。

大げさに言うと決意という形で。

今回も再び寝ようという気にはならず。

ノートやパソコンの中のデータを眺めている時にある考えが浮かんできた。

それはひとつの方向を示すもので、その意味では決意と言えるものかもしれない。

何気ない繰り返しの中からは決意という次元を変えるような心の動きはなかなか現れない。

どんな些細な日常からの逸脱であれ、そこに入った時にそれが顔を出すようだ。



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dimanche 29 novembre 2015

この記事には、こちらに来てからのライフスタイルの芽が書かれてある。

考えることが仕事なり、定時にどこかに行く必要がなくなると、これまでの枠を考えなくても良くなる。

そこにある種の自由がある。

目覚めた時がその日の始まりで、眠くなった時がその日の終わりである。

ただ、実際には眠さも無視して起きていることは稀ではなかったのだが、、。

 
それから、非日常の時間に入った時に何かが現れるということも何度か経験している。

それは何気ない日常に入った亀裂であるため、そこで改めてものを見ようとするのだろう。

それが新しい道に繋がることがある。

それはまさに人生の創造と言っても良いことだろう。





vendredi 27 novembre 2015

メトロのホームも我が書斎?

27 novembre 2008



クールの帰り、丘の上の広場のレストランに入る。

デジュネをそこでとることにした。

なぜか少しだけ贅沢になっているようだ。

座り心地の良い椅子に落ち着き、少し暗めの室内から道行く人の流れを楽しみながら時を過ごす。

どこかにノエルの季節を感じているように見えるのは気のせいだろうか。

2時間ほどしてからそこを出てメトロに向かう。

その道が曲がりくねった下り坂なのが気持ちが良い。

すぐに帰るには早いので周りを見回すと小さなワインバーがある。

中に入る とジャズが流れていて、たまに生演奏もあるようだ。

そこで数時間、昨日買ったばかりの本を読む。


帰りのメトロは混んでいる。

それなら空いたのが来るまでホームで本でも読み続けましょうか。

私にとっては予想もできない行動に出ていた。

とにかく日本では考えも及ばないことである。

こういう時、自らの姿 がホームを住まいとしている人と重なるのだ。



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27 novembre 2015

 この日の最初のレストランは覚えているが、その後のワインバーは記憶の彼方だ

日本にいる時には、電車を待ちましょうなどと考えたことはなかった

こちらではこの時以来、ごく普通のオプションになっている

そして、その時に感じたホームを住まいとしている人と重なるという感覚

これはさらに、古代の哲学者ディオゲネスのライフスタイルと重なることになった





jeudi 26 novembre 2015

クールのある日の楽しみ

25 novembre 2008



昨日はコートなしで出かけたが、研究所からの帰りに冷たい雨に打たれた。
 
今朝の白みかけた空は雨とは縁がなさそうだ。
 
クールに向うためアパルトマンを出る時、いつものように軽い緊張感が襲う。
 
今では新鮮な気持で一日を始めるのになくてはならない感覚になっている。

 
部屋に入り、皆さんと挨拶を交わし雑談するのもその日の準備運動のようになってきた。
 
今日の話は少々込み入っていたようで、来週もう一度詳しくやることになった。
 
それにしても終わった後に変わらず訪れてくれる解放感には何とも言えないものがある。
 
その感覚のままカルチエ・ラタンを当てもなく散策する。
 
完全に根がなくなり、どこか別の世界に迷い込んだようになるから不思議だ。
 
その浮遊感を楽しんでから研究所へ向かった。



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26 novembre 2015

マスターの時に感じていた朝大学に向かう時の緊張感

先日、朝早く大学近くに向かった時にその感覚を思い出した

随分と長い間忘れていたものだ

特に、ドクター3年目辺りからは学生としての生活から離れて行ったように記憶している

それから、以前にも触れているが、クールが終わった後のカルチエ・ラタンの特別な雰囲気

今でもその感じは蘇るが、当時はより強烈だったのではないだろうか

 



mardi 24 novembre 2015

ニーチェの言葉から

24 novembre 2008


昨日の午後、霙まじりの中、街に出かける。 メトロでは、外国人の家族4人が左右の席に座る。 母親はボウイナイフのようなもので肉の塊を切り、家族に与えている。小学生くらいの長男に車内を回らせている。次の駅でその彼は別の車両に移っていった。

場末の雰囲気のあるカフェで数時間、一般向けの哲学の入門書を読む。言っていることがよくわかるようになっている。ただ、哲学とは言葉だけではないはずだ。問題はそれを生きることができるかどうかだろう。さらに寒い雨の中、ウィフィの使えるところに移動して小一時間。そこで遅いデジュネをとる。


今日は、以前に読んだシュテファン・ツヴァイクの本からニーチェの言葉を少しだけ。

"Récolter la plus grand jouissance de l'existence, c'est vivre dangereusement."
(人間存在の最大の悦びを収穫すること、それは危険に生きることだ)

amor fati, "la formule de la grandeur de l'homme"
(運命を愛すること:「人間の偉大さのフォルミュール」)

"Ô vonlonté de mon âme, que j'appelle destin, tois qui es en moi, tois qui es au-dessus de moi, conserve-moi et préserve-moi pour un grand destin."
(おお、私が運命と言うところのわが精神の意志よ。私の中にある君、私の上にある君、偉大なる運命のために私を保ち、守り給え)

"Ce qui ne me tue pas, me rend plus fort."
(私を殺さないものは、私をより強くする)

"Ce qui importe, c'est l'éternelle vivacité et non pas la vie éternelle."
(重要なことは、永遠の生ではなく、永遠の活力である)

"Il n'y a pour toi qu'une seul commandement : sois pur."
(君にとっての戒律は一つしかない。純粋であれ)

"Être grand, c'est donner une direction."
(偉大であること、それは方向を示すことだ)





沈潜する

23 novembre 2008



こちらに戻ってきて、ほぼ一週間が経とうとしている。

この間、外の世界から内の世界へと移行してきているのがはっきりとわかる。

それまでやや賑やかな地上に上がっていたのが、静かに海の中へでも沈んでいくかのようである。

精神の焦点がこれまでのところに戻ってきたようでもある。

こういう時、中学時代に覚えて しばらく気に入っていたこの言葉が浮かび上がってくる。

思えば、この言葉も長い間どこかに沈んでいた。

しかし、忘却の彼方へとは消えるところまでは行っていなかったようだ。

一年目の生活をとにかく終えることができ、ここ数カ月は解放感のようなものを楽しんでいた。

二年目の課題にもそろそろ取り掛かろうかという気分が生まれてきている。

沈潜という言葉が浮かび上がると同時に。

日本の私から見ると、パリでの生活全体が沈潜の状態にあるのかも知れな い。



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mardi 24 novembre 2015

この記事にあるような観察が、早い時期に生まれていたことに驚く

このところ、こちらの生活を総括する気分になることが多い

パリ生活の全体が内的生活のように見えるというのは、総括の一つの大きな柱になるだろう

つまり、こちらでの生活が内的生活への道を開いてくれたとも言える






dimanche 22 novembre 2015

フランス語で生物の哲学をやるということ、あるいは科学哲学者の役割

22 novembre 2008


昨日のセミナーの演者はイギリスの方なので英語で話し、当然のことながら質疑応答も英語で行われていた。その話を聞きながらいろいろな考えが巡っていた。科学哲学の中には生物学の哲学があるが、この領域はアングロサクソンが優勢のようである。最近出されたアンソロジーの中でも大陸の哲学者は英語圏の哲学にあまり大きな影響を与えていないので著者から除いたとはっきり書かれてある。1年余りの経験でしかないが、英語圏では生物学の中に入り込み、その学問を学び、その上で理論を作り出そうという姿勢が見られるのを強く感じてきた。その意味では科学の一分野と変わらない印象がある。それに対して、フランスの場合にはその伝統から来るのだとは思うが、科学に歴史を絡めて語るところがあるので文系の要素が色濃く表れている。科学(者)に対して深いところで影響を及ぼすことはあるだろうが、科学の進行に対して直接的な効果は少ないだろう。科学の分野に長く身を置いた身としてはそこが魅力になっている。

しかしこれから生物の哲学を本格的にやろうという方の場合には、科学の領域がそうであるようにどうしても英語で発表しなければならない状況にあるようだ。一つにはこの領域の主戦場が英語圏にあると見えるからである。これはどうしようもない現実のようである。M2になり英語の文献が増えてきていることもそれを表しているのかもしれない。昨日のやり取りを聞きながら、この分野でのフランスの存在感が薄く感じられるのはそのスタイルもあるだろうが言葉の問題も大きいような気がしていた。その意味では想像される日本の状況とも変わりないように見える。ただ、フランスの持つ歴史や伝統、それからこの分野に対する極自然な距離感のようなものは大きく違うのだろう。

現時点で考えている科学哲学者の役割としては、実際の科学の中に入り込み、そこで気がついた疑問や新たな理論的枠組みを提示し、その上で科学者を刺激するような歴史的、哲学的考察を加え、科学の活動を生き生きとしたものとし、より深い自然の理解に導くことができれば理想的だろう。つまり、科学の側も哲学の側も自らの土俵に留まって語っているだけでは未来はなく、どこかで対面する必要があるということになる。その意味でも先日の日本での発表は私にとっては大きな一歩になったようである。



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dimanche 22 novembre 2015


言葉の問題は母国語の中にいると気付かないが、一旦外に出ると深刻な問題になる。こちらに来た当初はフランス語の中に浸っていた。何とか慣れようとしていたのだろう。フランス語を始めたのが遅く、しかもそれほど時間が経っていなかったため、いつも自分の体から出ているものではないように感じていたからだ。話をする時はパズルのピースを組み合わせるように文章を作る。どこか別世界にあるものを引っ張り出すという感じだったからである。  

このような時期が5年くらい続いただろうか。その間は恰も繭の中にいるように快適であった。ところが、アングロサクソンの世界に出るとそこは外気に晒される世界のようで、昔アメリカで生活していた時の感覚が蘇って来た。夢の世界から現実の世界に引き戻されるという感じだろうか。それは日本に落ち着いた時にも感じたことではあるのだが。この経験以来、次第に英語が頭の中に侵入し始めたのである。  

この記事で観察しているフランスとアングロサクソンの科学哲学の特徴は、それほど間違っていないのではないかと今でも思っている。ただ、わたしの場合にはこの道で身を立てる訳ではない。自分の感覚に合うもの、自分が求めるものを求めたいと思っているので、フランス的なものには捨て難いものがある。このところ英語でやっていたので、これからフランス語を真面目に学び直さなければならないと改めて思っている。  

それから哲学と科学の関係についても、両者が離れている状況は決して望ましいものではないだろう。哲学の方は科学を見ているが、科学が哲学を見ることは現代では殆どない。現場の科学が細分化され、生存のためのプレッシャーも増していると想像されるため、目が届く範囲が非常に狭くなっている。そこに哲学が入り込むのは至難の業である。ただ、わたしのような立場の科学者が増え、現場の科学を少し離れて眺めた時間軸も長い話が科学者にも届くようになると、状況は少しずつ変わって行くのではないだろうか。この方向性はこれからのミッションのようなものになりそうである。 
             


samedi 21 novembre 2015

モーリン・オマリー氏のセミナーを聴く

21 novembre 2008

Dr. Maureen O'Malley


今日は午後からセミナーがあるため午前中から出かける。はじめ小雨だったのだが途中から激しく降り出したので近くのプレスで雨宿りをする。そこで久しぶりに Le Point や Lire などの雑誌が目に入ったので小降りになるまで読む。メトロをひとつ前で降り、少し歩きカフェで雑誌を読みデジュネをとる。それからおもむろにセミナー会場へ。

今日の講師はイギリスのエクセター大学のモーリン・オマリー 氏。テーマは生物の多様性について。話の大半は、生物をどのように見るのか、生物と無生物の境界はあるのか、という生命の定義に関わる科学的なお話。一般的な生命の定義として、外界との境界がある、代謝をして自己複製能があるなどが言われているが、そのほかの重要な特徴としてcooperationという概念を持ち出して説明していた。進化の過程で起こるcompetitionとは異なるのでどのようなことなのか興味があったが、生物の中でのことなのか、外界との間でのことなのか、いずれの場合でもどのような要素の間で起こることなのかなど、今ひとつよく掴めなかった。それから生命をprocessとして捉えるとのことだが、こちらも理解するところまで行かなかった。これらの問題は、これからさらに解析が必要になりそうである。

彼女の立場は生物と無生物の間に境界はなく、連続して移行しているというものだが、両者の間に位置するとされるminivirusについて質問してみた。セミナー終了後の話の中では、テキサス出身のアメリカ人でデュッセルドルフに落ち着いているWilliam Martinという研究者の存在を教えていただいた。


帰りは普段通らない道を歩いてみた。街にはノエルの雰囲気が出始めている。



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samedi 21 novembre 2015


その後もオマリーさんのお話や活動に触れることがあった

地道に研究をされている様子が伝わってくる

現在はシドニー大学に移られ、アクティブに研究を続けておられる

ホームページは、こちらから

彼女のような姿勢が、特に年齢を重ねた研究者には必要なのかもしれない





vendredi 20 novembre 2015

今日のクールで

20 novembre 2008
 


今朝のENSでのクールが始る前に、MITで経済学を修めてきた学生さんと話す時間があった。私が日本の科学の学会で哲学について触れたことを話すとどのような反応だったのか興味津々で聞いていた。科学者は哲学に触れる機会がほとんどないのでよいことをしたのではないかと言ってくれた。仕事に追われ、研究費獲得のプレッシャーの中にいるのでやりたくてもできないのだと説明すると、そういう状態を表現するフランス語を教えてくれた。自転車のハンドルに頭をつけてまっしぐらに進む姿が浮かぶが、周りには目もくれず突進する様を表しているのだろうか。

 "Ils ont la tête dans le guidon."

彼はまた天井の穴の開いたところを指しながらやや抑えた声で、ボストンでは最新の設備を誇っていたがフランスの最高学府がこの状態なのだ、とフランスの教育環境を憂いていた。私はこういうところが気に入っているのだが、現役の学生にしてみるとやはり政府に何とかしてもらいたい気になるのだろうか。

今日は新しい先生で、テーマはエイズウイルスの発見に纏わる話題。雑誌Scienceに1983年に発表されたアメリカのガロ博士とフランスのモンタニエ博士の論文を読み比べて、そこから何が見えてくるのかを考える試みであった。以前にも読んでいるはずだが、今回20年ぶりに比較してみて面白い(と言うより驚きの)発見があった。少々専門的になるが、ガロ博士の論文では成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)をエイズの原因ウイルスに近いもの、あるいはその原因にもって行こうとする思考の動きを感じたのに対して、モンタニエ氏の方はエイズの原因ウイルスはHTLV-1とは違いがあることを強調しているのがはっきりわかった。

ガロ氏の頭には功を焦るあまりの恣意のようなものを感じたのに対して、モンタニエ氏の方には冷静で謙虚な科学的な思考が見られる。時間が経ってから読み返すと発表当時とは違った印象がある。この辺りは歴史の面白さであると同時に恐ろしさになるのかもしれない。それにしても私の同時代に科学の分野で起こったことが(エイズというインパクトの大きな病気のせいだろうが)もう歴史研究の対象になっていることにも驚く。しかし少し引いて見ると、今や自らを歴史研究の対象にしているところもあるので、それほど驚くことでもないのかもしれない。

クールの途中に大きな警報ベルが鳴り始めた。なかなか止まないので、中断して地上に出た。他の階からも人が出てきていたが、誰も何のためなのかわからない。おそらく避難訓練ではないか、程度の反応で、話をして時間を潰している。日本の避難訓練であれば式次第があり、それに則って厳かに行われ場合によっては反省会などもある。お国柄の違いとは言え、その違いの大きさには驚かざるを得ない。もちろん、これまでの経過からフランス版がお好みであることは推測できるとは思うが、、、

その時の雑談で、今日の先生はアフリカのエイズを研究テーマにしていること、さらに私がいずれ会いたいと思っていた先生が彼のテーズの指導教授だったことなどが明らかになった。


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vendredi 20 novembre 2015

 こちらに来た当初、多くのことに感動し、目を開かされた

その中の一つに、次のような小さな発見があった

自分が研究していたあの時期に別の分野ではこんなことがやられていたのか、という感慨である

同時に、そんな世界があることも知らずにやっていたんだなぁ、という反省のようなものだろうか

 ここに書かれてあるクールでも同じような感慨を持ったはずである


冒頭の学生さんに今あっても認識できなくなっているだろう

この記事を読むまで、記憶の奥にしまい込まれていたからである

 その意味で、ブログは貴重な記憶の貯蔵庫になっていると改めて思う

 その記憶は生きる上でおそらく必須ではないかもしれない

しかし、「自己の調整」とでも言うべき過程に不可欠な役割を担っているような気がしている

 自己の調整という言葉はいま思い付いたものなので、説明は難しい

ただ、自分の全体をぼんやりとイメージし、自らを捉えようとする時に重要になる何か

そこでは、このような些細な記憶を意識できる形にして蓄えておくことが大切になると考えている

新しい概念が浮かんだ雨のパリである






mardi 17 novembre 2015

自らに照らすという作業

19 novembre 2008
 


こちらに帰ってきて体重計に乗ってみる。予想通り数キロの増加。充実した食事と歩く距離の減少がその原因だろう。今では致し方ないと諦めている。

ところで昨日のクールでも改めて感じたことだが、アメリカの文化を見る時にまず自らの文化に照らして見直すという作業が一つ入っている。アメリカのことを知った時、それを自動的に取り入れ自らの考えを作ることをよしとすることにはなっていない。あるいはアメリカのことを知っていてそれを紹介できることが教養人の条件のように考えているところはみられない。これは昨日の教授だけではなく、M1から聞いてきた中でほとんどすべての先生に見られる特徴のように感じてきたことである。そこに落ち着きや教養の成熟のようなものを感じて、こちらもじっくりものを見て考えてみましょうかという気分にさせてくれる。これは日本では感じることが難しく、日本の状況が生み出しているふわふわしたところもこの態度の欠如ではないかと考えられる。インテリと言われる人の教養に重厚さが欠けて見えるのもそこに原因があるのかもしれない。



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mardi 17 novembre 2015


自らに照らす(self-referential)とか振り返る(reflect)という言葉の意味を知ったのは、残念ながらこちらに来てからである。それは意識した結果ではなく、長い間の経験から体得できたと感じるようになったものである。そして、古くから言われている哲学の一つの営みがその中にあることの意味も分かるようになってきた。これは言葉を読んでいるだけでは学び得なかったことである。それだけでもこの滞在はわたしにとって大きな意味があった。

フランス人教授の話を聴く中で、別の方向からそのことを感得できたとも言える。外からの刺激に対して無条件に受け入れるというのは、単に刺激に反応しているだけである。刺激が入った時に一旦自分の中で受け止めて、その刺激を見直すという精神の運動を日常化することが重要になるだろう。それによって、外界は全く違う姿を現すはずである。別のレベルの意見交換が可能になるはずである。






vendredi 13 novembre 2015

科学の会で哲学を話して

15 novembre 2008
 


今回の旅行の目的である会が昨日終った。発表内容のレベルの高さと日本ならではのホスピタリティに海外からの参加者も充分に満足して帰ったのではないだろうか。私は科学をする上での哲学的思考の重要性と哲学が科学に対して何ができるのかという両面からの解析を抄録として送っていたが、オーガナイザーM氏の先見性ある判断により発表する機会を与えられた。このような科学の会議で哲学が話題になることは前代未聞のことなので、どのような反応があるのか不安と期待をもって参加した。もちろん不安の比率が大きく、会で話題になっていることも考慮に入れながら発表直前まで考えを練った。

今回はこれまでに感じたことのない会場との一体感を味わいながら話すという貴重な経験をすることができた。発表がその日の最後でもあったので皆さんをエンタテインしなければならないという思いがあったが、最初から会場が予想通りの反応で答えてくれた。そして話が進むにつれて皆さんの集中から出てくると思われる静寂を感じ取り、はっとした。やがてそれはある種の満たされた気分に繋がって行ったが、これは生まれて初めての経験になる。

話を終えるとベルギーからのMB氏がやや激しい口調で、そんなことを言っても今の科学者は目に見える成果をあげるのに必死にならざるを得ない環境にあり、哲学的思考などしている時間などないのだと心からの叫びを上げると、海外からの参加者が主ではないかと思うが会場から拍手が沸いていた。彼のコメントは私の話に対する批判というよりは、哲学的思考、すなわち自らのやっていることを全体の中(より大きなフレームワーク)に入れ直して考えるという何をする上でも重要なことができなくなっている今の状況に対する彼らの苛立ちではなかったかと思う。あとでドイツの方が話してくれたところによると、特にベルギーとオランダでは研究をする上での資金を得るのが厳しい状況にあるとのことであった。

その他にも何人かの海外からの方から関連する科学的事実についてのコメントや全体の印象を聞くことができた。これから考えを深める上で大いに参考になるだろう。日本の方からも様々なコメントをいただいたが、私の耳に入ったという制限付きで概して好評であった。これからもこのような話を続けて聞きたい、あるいは積極的にいろいろなところで話(全国行脚?)をするべきではないかという予想もしない反応をいただいた。同様の会議はアメリカとヨーロッパでも定期的に開かれているが、日本版は彼らの一周先を行っているのではないかとの言葉まで聞こえた。まさに生身の異分野交流の醍醐味に触れる贅沢を味わった。

すべてが終わり、このような抄録を送ってよかったと思った。心の底から静かに溢れる満足感と同時に、科学発表の時には感じたことのない何かに対する使命感(ミッション)のようなものが芽生えているのを感じていた。それはそのままこれからの歩みを後ろからしっかりと支えてくれるのではないかという淡い期待感に変わっていた。


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vendredi 13 novembre 2015


このような発表の最初の頃のエピソードになるだろう。

MB氏の顔を赤くした批判を今でも思い出す。

私が現役の時に今回の自分の話を聴いたとする。

その場合、それは理想論でしょう程度の反応か、気にも掛けなかったのではないだろうか。

こちらの人たちの「こと」に自ら参加するという性質にはいつも感心する。

そのような参加(アンガジュマン)の態度からしか、新しいものは生まれてこないのではないか。

ただ、日本にどっぷり浸ってしまうとそれは相当のエネルギーを要するだろう。

そのことは自らを振り返ればよく理解できる。


今年はテーズの準備もあり、外に向けての発信は不可能であった。

内に籠る生活が一段落すれば、このような活動を再開したいものである。

と同時に、これまでに蓄積されたものをさらに深める作業にも怠りがあってはならないだろう。

今回纏めたものは、考え着いたことのリストに過ぎないような気がしているからだ。


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当時のコメント欄です


Commented by takako at 2008-11-15 03:59

飛行機で隣だった者です。遅くなりましたが長旅お疲れ様です。もうパリに戻られたようですね。講演はいかがでしたか? あの時の友人のすてきーは空耳ではないです。私も、新たに言語を習得なさろうとする姿勢とかそれをきちんと実現されているのとか、ほんとに素敵だと思いますし心底尊敬します。フランス語ほんとにややこしくて私は何度も挫折してるので… 文法を細かい規則と思っているから覚えられないのでしょうね。とてもいい刺激をもらいました、ありがとうございます。

ブログもこれから楽しみに拝見させていただこうと思います。一度では理解しきれなくて何度も読み返しそうです!

旅行会社の方に11月中旬からパリはクリスマスのイルミネーションが点灯すると聞きました。ちょっとずれてしまい残念です。機会がありましたら写真載せてください!

それでは大学院がんばってください。失礼します。


Commented by paul-paris at 2008-11-15 06:20

takako様 訪問ならびにコメントありがとうございます。

先日はお付き合いいただきありがとうございます。少々話し込みすぎたのではないかと心配しておりましたが、安心しました。旅行中ブログはお休みにするつもりで日々の写真をパリにしていますが、まだ日本です。

最後まで不安が付き纏っていた講演ですが、今日の記事に書いたようにこの会議に参加して本当によかったと思えるものでした。今は開放感で一杯です。

少々回りくどい言い方に溢れているかもしれませんが、これに懲りずにこれからもここを訪問していただければ幸いです。それからノエルのパリの町並みもここに載せてみたいと思います。

では、お勉強がんばってください。
そしてお友達にもよろしくお伝えください。





samedi 7 novembre 2015

東西を哲学する

10 novembre 2008


本屋で立ち読み。「偶然を生きる思想―『日本の情西洋の理」の著者野内良三氏がフランス文学に入るきっかけが偶然にマラルメを知ったことで、そこに至るまでに偶然の重なりを見ているところを読み、私がこの道に入ることになった偶然の重なりと重なったので少し読み進む。


著者は、西洋と東洋の違いについて、単純化、極論だと言われることを覚悟した上でこう言っている。

「西洋人と日本人の一番大きな違いは『目に見えないもの』を信じるか信じないかにある。目に見えないものを西洋人は信じるが、日本人は信じない。いうならば西洋人は観念主義者で、日本人は現実主義者である。
このことを哲学的に捉え返せば、西洋哲学は超自然的原理を設定して、それに依拠して世界を説明してきたということだ」

西洋と日本の随筆のスタイルの違いから、こうも言っている。

「それは『全体』と『部分』に対するスタンスの違いに求められる。西洋人は『全体』あってこその『部分』であると考え、日本人は『部分』あってこその『全体』と考える。いや、『全体』など眼中にないというべきだろう。日本人は『部分』にこだわる。『全体』は後からついてくるものであり、偶然的なものの結果でしかない」

自然や外の世界に対する態度からは次のように。

「・・・日本人、あるいは日本文化には目の前にある現実(世界)を素直に受け容れる傾きがあるということです。世界をあるがままに認めるということは他の世界の可能性を考えないということである。世界を前にしてなぜという問を発しないということである。疑問を感じるよりは、世界を肯定的に受け容れ、むしろ楽しもうとする。無常も偶然も美的次元で受けとめられたわけである。偶然の美学はあるけれども偶然そのものへの問いかけはなかった」

「いま問題にした日本人の特徴は、要するに『こだわりのなさ』という性格に集約できるだろう。偶然性は体系とか法則とか絶対とかを求める心――原理的なものへのこだわり――がないと、どうも深刻な問題として迫ってこないものらしい。言い換えれば、例外的なものを目撃したときに感じる驚きの情が大きくないと、偶然が本当の意味での偶然ではなくなってしまうのだ。日本人は偶然を前にしても余り驚かなかったのかもしれない(ここはむしろ『愕く』あるいは『駭く』を使うべきだろうか)。驚くよりはむしろ感動してしまったのである」



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samedi 7 novembre 2015 


日本人が細部に拘ることは、例えば、NHKの「プロフェッショナル」という番組を観ていて感じたことでもある。あの番組に登場する人で全体について考えている人は皆無に近かったのではないだろうか。それから、同じテーマについて話をする場合でも、東西では違いがあるように感じている。それは話の分かりやすさである。日本人の話はこまごまとしたことが並べられる傾向があり、全体の構造が見えにくいため、西の人の話の方が分かりやすいのである。ベルクソンは「最初に全体がなければならない」と言っていたという。そして、「その上で部分に当たらなければならない」とも。この言葉に西の考え方が表れてい るのかもしれない。

科学の道に入った当初は原理的なものを求めていた。しかし、時が経つにつれ、そのことは忘れられ、部分の解析に終始することになった。それが現代科学の方法論であったとしても、ベースのところに原理の追究がなければならないのだろうが、やはり根本は日本的な精神だったのだろうか。

自然に対する日本人の態度に関連したエピソードを思い出した。それは、日本が地震大国であるにもかかわらず、日本人からは地震学が生まれなかったということ。地震を対象として見たのは明治のお雇い外国人だったとどこかで読んだ記憶がある。よく言われることだが、日本人は自然の中に入り一体になる傾向が強いとすれば、このことも理解できる。

東西の思考に関して、今はこう考えている。最初から日本人はこういうものの考え方をするとしてそこに安住して西洋の思考を学ばないという道は取るべきではないということ。残念ながら世界を動かしているのは西の考え方であるからだ。西洋を突き抜けて東洋に至るという方向性が必要なのではないだろうか。その時初めて、東洋が西洋に通じる道が見えてくるような気がしている。これも「言うは易く行うは難し」になるのだろうが、、。 


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以下に当時のコメント欄を転載したい


Commented by ひらめきハート at 2008-11-10 21:11

何という偶然なのだろう? この所の私に起こった出来事が・・・偶然の二文字を何か見えない力に依るものだと思わざる得ないものでした。

偶然に・・・ということが、ある時から私にはよく起こるのですが・・。
目に見えない何かの力が、私を動かすと感じます。

西洋がその、目に見えない力、超常現象と言えるものを信じ説明して来たのですか?文学などでは確かにそんな感じがあるかしら・・。日本では・・信じない? のですか?確かに、視野が狭いと感じることが多いですけれども。スケールが小さいというか・・・。部分を見て全体が見えない・・ まるで政治の世界がそのような感じ・・。現代文学も・・・かな?
久々にコメントします~。
何故かしら? 本当に、偶然が偶然を呼ぶのです。

Commented by paul-paris at 2008-11-11 05:06

パリでの何気ない会話の中にも抽象的な概念を表現する言葉がよく出てくることが多く、そういういわば目に見えないものを自在に操って思考することに慣れているような印象を持っていましたので、この著者の観察に同意するところ大でした。また全体を見るところ、全体を構築するところ、壮大な構想力とでも言うものも弱いように感じていました。そう感じたのは第一には自分との比較になりますが、ひょっとすると広く日本人に当てはまることなのかもしれません。そうではない考え方が日本にはあり、そこから生まれてくるのが独特な日本文化になるのでしょうか。そういう視点からも西洋の文化をもう少し体感してみたいと思っているところです。

Commented by 冬月 at 2008-11-20 01:02

■ お久しぶりです。最近、感じていることと重なり、コメントしたくなりました。日本では、存在論と認識論は、いわば表裏一体で、見えないものは存在しませんし、それが当たり前と思っていますが、西欧は、認識論と存在論が分化しており、未だ認識できていない本質がある、というところから議論が出発する気がします。つまり、はじめから二元論的な世界です。ここから、真理に歴史性が付与され、哲学的な運動にダイナミズムが生まれてくるように思うのです。自然科学も資本主義も、このダイナミズムが生みだしたひとつのアウトプットではないでしょうか。元を糺せば、西欧世界が神を生みだしたときに世界が二元論化され、哲学的な運動が開始されたのではないかと、ぼくは感じています。二元論は、光と影の二元論でもあり、なかなか簡単に評価できませんが、少なくとも言えるのは、西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っているという点です。今後も、非西欧の生んだ果実を確かめながら、西欧世界のダイナミズムをモニタリングしてみたいと思っています。

Commented by paul-paris at 2008-11-20 10:12

東と西の問題は以前からずーっと私の中にあった疑問で、これを体で感じてみたいという欲求が今回こちらに来ることになった背景のどこかにあったようです。科学の活動に対しても彼らの精神の働きは明らかにわれわれとは違っているのを長い間観察してきています。同じ脳のはずがどうしてこうも違うのかというのが素朴な疑問でした。人間を取り巻く文化がそこに絡んでいるのは言うまでもないと思いますが、その辺りを少しずつ眺めて行きたいと考えています。この記事に取 り上げたところは一つのヒントを与えてくれているように感じています。

ところでコメントの中にあった
>西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っている・・・
ここがよくわからなかったのですが、、、

Commented by 冬月 at 2008-11-20 12:11

■>西欧世界は、地上の人間の生き死にを確実に握っている・・
どうも説明不足で失礼しました。

ひとつは、経済的な意味で、地上の人間の生き死にを握っています。今度の金融危機ではっきりしたように、市場は世界的につながっており、米国の信用危機は世界中に拡大し、市民レベルでは、倒産、失業、就職困難といった形で、ダメージを与えています。こうした現象は、グローバリゼーションと表裏一体で、資本主義や社会の近代化(先進国の場合には、後期近代化)とも関わってきます。これらを生みだした技術やシステム、制度、思想は、西欧から出て、全世界に広がってきたものです。

もうひとつは、生活のスタイルとの関わりです。端的に言うと、生活世界の「散文化」ということが言えるように思います。日本では、明治期以来、社会の西欧化をさまざまな分野で進めてきましたが、もともと、日本語には、散文的な思考やスタイルがありませんでしたから、翻訳しながら、文体を開発してきました。大江健三郎も村上春樹でもそうです。これは、文学の分野に限らず、社会的な領域(企業、官庁、学校、学界など)でも言えます。生活世界の散文化は、生活世界の合理化とも言いかえることができ、自然に対しては支配統御、社会の成員に対しては、管理、といった形で進行しています。こうした人間と人間の関係、人間と自然の関係の基本モデルは近代以降の西欧世界のものです(もちろん、日本的なバリエーションは加わっていますが)。

西欧世界から発生したモデルネに飲み込まれつつ、地上で多様な反発力と推進力のぶつかり合いが生じている。その中核に位置するのが西欧世界。そんな風にぼくは見ています。

Commented by paul-paris at 2008-11-20 21:40

詳細な説明ありがとうございます。ここでも西欧世界の全体を見る力、構成力に秀でたところがはっきりと表れているように見えます。一方、日本からは世界を先導するような思想や制度が編み出されていないので、常に外を見て対応するということになっているのでしょうか。

自らを省みても、日本にいる時には世界を上から見るような視点は得られませんでしたが、一歩外に出ると少し様子が違ってきているようにも感じている今日この頃です。日本人に内在する特質と言うよりは日本の位置する物理的な条件が大きいような気もしています。それだけに難しい問題なのかもしれません。






vendredi 6 novembre 2015

機内での出来事

6 novembre 2008
 


CDGでは食事券を使った後にロビーでこれからの準備をする。

時間が迫ってくると気分的にも盛り上がってくるようだ。

これが相手に届くかどうかはその時までわからないのだが、、、


機内では女子大生と一緒になった。

フランス文学と法律を勉強しているというおしゃれな二人組。

パリ観光の帰りというところだろうか。

私のこともお話しすると、空耳かもしれないが 「すてきー」 と聞こえたような気がした。

そのためだろうか、気分よくお話をすることができた。

フランス文学のコースには中年の方がいて一番熱心な学生のようである。

学習意欲は普通の学生に勝るとも劣らないというのはわかるような気がする。

フランスの考え方について私の1年余りの印象を話す。

法学専攻の方もアメリカの考え方は目的指向の傾向が強いことを感じている様子だった。

やはり話しかけてみるものである。

お陰で楽しい飛行となった。


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vendredi 6 novembre 2015


前段の「これからの準備」とは何を言っているのか分からない

書いている時には分かっているのだろうが、時間が経つと駄目である

ここまで書いた時、それは日本で話をする内容についての準備であることが見えてきた

この時期はこちらに来て1年ほど経過したに過ぎない

物珍しく世界を観ていたのではないだろうか

それはそのまま目の前に現れる人に対しても向かっていたと思われる

今では考え難いが、いろいろな人に話しかけていたのだろう

その精神状態は決して悪いものではない

逆に今はマネリズムが入り込み、精神が硬直化している可能背もある





jeudi 5 novembre 2015

波乱の予感

5 novembre 2008
 


CDGに向かうメトロの中。前の御婦人が私の方を見上げるようにしている。

余り近くに寄っ てくるので不快に思っているのだろうか。

それにしても何かを伝えたいような視線である。

堪りかねて英語で話しかけてきた。

あなたのサックのチャックが開いていますよ、というのだ。

下ろして見てみると外側のポケットが完全に開いている。

全く感じなかったが・・・。

彼女は私の後ろにいる中年の外国人女性を指して教えてくれた。

ポケットを調べていたのがその人で、周りを子供5-6人が囲んで見えないようにしていた。

それが彼らの手口だと説明してくれた。

その御婦人の視線に気付いて、彼らは止めたのだという。

チャックを開けたと思われる人にあなたですか、と聞いてみた。

その女性は否定して次の駅で降り、一団を引き連れて別の車両に移って行った。

今回はスーツケースを持っていたので旅行者と思われたことと混んでいたのでこうなったのだろう。

パリでは初めての経験になる。


問題はそれだけではなかった。

空港に着いてチェックインする。

何と出発が6時間遅れで真夜中の出発になった。

予定が1日完全に狂ってしまった。

見事な幸先の旅立ちとなった。

これからに期待したいものである。


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jeudi 5 novembre 2015

メトロでの経験は最初で最後のものであった

まだパリ生活が終わったわけではないのだが

そして、このように調子が狂うことが続くことがある

これはこちらに来てからの特徴だが、このような出来事に遭遇しても殆ど動じることがない

これは日本にいた時のことを思い出すと、驚くべき変化である

そこにはいろいろな原因があると分析しているが、今日は深入りしない








mercredi 4 novembre 2015

ゼミで汗をかき、しばらくのお休み?

4 novembre 2008
 


今日のクールはある程度読んで準備ができたと思って出かけた。学生による発表が終った後、いつものようにディスカッションになった。今回は話している途中に嫌悪感が襲っていた。その場で頭の中でまとめようとすると相当に酷いことになり、自分でもほとほといやになっていた。問題に思った点については予め考えをまとめておかなければ準備をしたことにはならないということだろう。暑いわけでもないのに汗が噴き出していた。それでも終った後の解放感は何とも言えないものがある。

ところで今日はブラジルから経済を修めた女子学生が加わっていた。大きく受け入れてくれそうな雰囲気がある。クラスには他にも経済出身の人がいるのでどうしてなのか聞いてみたところ、経済学の中に科学哲学的なものが組み込まれているという返事であった。時間がなかったので詳しく聞けなかったが、自分の中では一番遠いところにある経済と科学哲学との繋がりがどういうことなのか興味深い。進化論との絡みなのだろうか、専門家のご意見を伺いたいところである。


明日からしばらくお休みを取る予定です。
何か面白いことが出てくれば再び浮上するかもしれませんが、、、


夜8時過ぎだろうか。しばらく見納めになるパリの夜空を眺めるべく木枯らし吹き込むバルコンに出る。いつものようにエッフェル塔からのサーチライトが回っているのが見える。上に目をやると薄曇の空にぼんやりとした白い玉状の明かりが3つ、自在に泳ぎ回っている。今までには見たことのない光景である。下から誰かが光を当てているのだろうか。古代人になって空だけを見ていると実に不思議な眺めであった。



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mercredi 4 novembre 2015


M2のクールでの冷汗は、この日だけではなかったのではないだろうか。

勿論、入 学説明会で額から静かに降りてきた脂汗?は別格ではあるのだが、、。

しかし、そのような状況に入るという経験は何事にも代え難いものだろう。

これは画面を通して学ぶこととの大きな違いになる。

単に知識を得るのとは違う別次元の体験がそこに加わっているところが貴重なものに見える。


 
エッフェル塔の昼と夜は、もうお馴染みの景色になってしまった。

感動は薄れているが、時にその形と光に見入ることがある。






mardi 3 novembre 2015

イフ・ブライエ展を覗く L'Exposition Yves Brayer

3 novembre 2008

 Yves Brayer (1907-1990)


ヴェルサイユに生まれた彼は20歳の時に奨学金でスペインに向かう。その時にプラド美術館で会った巨匠が大きな影響を与える。その後モロッコに滞在したりイタリアの生活に身を任せたりする。 27歳で一旦パリに戻る。33歳の時にはコルド・シュル・シエル (Cordes sur Ciel: このサイトのスライドショーが素晴らしい) に落ち着く。1960年には市庁舎の美術館に彼のための展示室が設けられている。それから世界中を旅している。メキシコ、エジプト、イラン、ギリシャ、ロシア、アメリカ、そして日本など。カマルグプロバンスに魅せられ、最後は年に数ヶ月をその地で過ごすという生活をしたようである。

会場で係の人(同年代か)に写真撮影はどうか聞いてみたところ、もちろん禁止されていますとの予想通りの答え。ここにある言葉のパネルだけでも駄目ですかと 聞き直したところ、写真は急いで目立たないように撮ってくださいと言って姿を消した。昨年夏のフランスに着いたばかりの日の経験を思い出した(2007-08-30)。こういうところは何とも言えず好きである。


「ここにひとりの芸術家がいる。彼はその一生を根源的に自分自身のままでいることを心得ていた。<モダン>であることなど一切気に掛けず。われわれの20世紀の芸術の世界で花開いた多くの流れを無視した。・・・イフ・ブライエはそれらに頓着することなく、人を驚かせ、スキャンダルを起こす芸術を本能的に無視したのだ」 (アンドレ・デュノワイエ・ド・セゴンザック)
「詩的で絵画的な私の宇宙を創造するためには、自然と常に接している必要があります。想像では何も作り出せません。浜辺に打ち上げられた木の幹、空、石、鳥は尽きることのない辞典です。私は太陽の光の前のようにそこに謙虚に身を預け、幸せを味わいます。アルベール・カミュは書いています。『思考が止んだところ、そこから表現が始るのだ』 と」 (1963年9月、イフ・ブライエ)



「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れることです。その選択はほとんど瞬時に行われ、尽きることがないように見えます。もちろん、記憶や想像から描くことも知っています。しかし、わたしには源泉への回帰、新たな視点(理解)を生み出す刺激剤とでも言うべき自然との接触が必要なのです」 (1984年2月9日、イフ・ブライエ)


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lundi 2 novembre 2015

 
タイトルだけではピンと来なかったが、内容を見てこじんまりした展覧会が蘇って来た。全く知らない画家だったが、獲物を追うように生活していた中で興味が次々に移り、記憶の彼方に去って行ったのだろう。今こうして読み直すことで、すぐ横に蘇ってきてくれた。イフ・ブライエさんの最後の言葉に「絵を描くということは、私の視線を釘付けにするものを手に入れること」とあるが、これをブログを書くことに置き換えても当て嵌まりそうである。書くことによっても実に多くのものを手に入れることができた。

そして、自然に向き合うことが不可欠だという。これも「この世界に身を晒すこと」を心掛けで来た身にとって、よく分かる。この世界とは、自然であり、過去の遺産であり、人の話であったりする。それらに向き合うことで何かが生まれてきたのではないか。今こうして過去の記事に向き合っていることもその一つになるだろう。それは何かを改めて理解していることになっているはずである。

カミュの「思考が止んだところ、そこから表現が始る」というところもいろいろに解釈できそうだ。先日のテーズを纏めている時、筆が進まず長い間苦しんでいた。そして、最後の数時間で不可能と思われた纏めに一気に向かって行き、自分でも信じられない経験をした。ひょっとすると、最後の数時間まで考えていたのかもしれない。さらに時間軸を長く取ると、フランス生活8年の内、最初の7年ほどはこの世界に身を晒し、カミュの言葉で言えば思考していた。そこではどんなに努力しても表現には至らなかった。わたしの言葉で言えば、まだ体験すべきものがあると感じていたからだろう。そして、最後の1年で思考が一つの閾値に達し、そこから表現に向かって行ったようにも見える。

世界の流れ、流行に惑わされることなく自分自身を追求したイフ・ブライエさんを讃えるデュノワイエ・ド・セゴンザックさんの「一生を根源的に自分自身のままでいる術を知っていた」という言葉も示唆に富む。これが実行できれば、それだけで創造的な存在になることができるはずである。しかし、言うは易く行うは難しであることは、この身を振り返ればよく分かることである。

それから、この画家が世界を歩き回っていたことにも何かを感じていたはずである。






lundi 2 novembre 2015

晩秋のパリ

2 novembre 2008
 






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lundi 2 novembre 2015


この季節は枯葉が目に入るが、今年も2日前のブログ写真が枯葉と落ち葉になった。
 

さっぱり進歩のない視点ではある。
 

これから新たな変容はあるのだろうか。






dimanche 1 novembre 2015

ジャクソン・ポロック Jackson Pollock

1er novembre 2008


ついに11月に入ってしまった。

こちらはToussaint (万聖節)。 

昨年の今頃の記事を読み直してみたが、もうあれから1年も経つのかという思い。

光陰矢のごとしとはよく言ったものである。

昔の人の言葉の意味が身に沁みる ことが多くなっている。

最近は昔の人の言葉の海に身を浸している。

そのためか、何気ない言葉も投げやりにできないようになっているようだ。

これまで拒否していたかに見える昔と繋がるところにしか「意味」に至る鍵はない。

そうとでも思い始めているのだろうか。


ジャクソン・ポロック Jackson Pollock (1912–1956)



"Jackson Pollock et le chamanisme"
du 15 octobre 2008 au 15 février 2009
À la Pinacothèque de Paris

National Gallery of Art, Washington, DC



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dimanche 1er novembre 2015

 なぜこのタイトルなのかピンと来なかったが、おそらくどこかでポスターを見たのだろう。
 

ただ、この展覧会に行った記憶はない。
 

シャーマニズムの影響に焦点を当ててポロックを読み直そうという企画のようだ。
 

今、見直してみたが、彼の作品よりはシャーマニズムの方に惹かれるところがある。