19 octobre 2008
あと2週間ほどすると、日本である国際カンファランスに出席のために帰国することになる。科学の会議なのだが、哲学の視点から話ができないかと考えて異色の抄録を送ったところオーガナイザーのM氏から時間を与えられた。科学の根にある哲学のことを知っているのと知らないのとの差は目に見える形で表れるかどうかはわからない。しかし、科学の文化に属するところで深く静かに効いてきそうな気がしている。主観的にも意外に大きいのではないのか、というのがこれまでの経験からの結論である。現役の時にそのような目を持っていれば科学をする上でよい影響が出ていたのではないか、より深く科学を理解することができたのではないかと感じることが多くなっている。その点について是非話しておきたいという願望が私の中に生まれているようだ。このようなことは海外の学会でも非常に珍しいし、ましてや日本では皆無ではないだろうか。オーガナイザーの判断に敬意を表したい。
ところでどのように話をまとめればよいのだろうか。純粋に哲学的になってしまうと聞いている人は全く興味を示さないだろう。科学とどのように関連をつけて話をするのがよいのか。そろそろ本格的に準備をしなければならないと思い、今日の早いうちはバルコンで、午後には散策ついでに近くのカフェまで行き、資料を読みながら瞑想していた。この営みが出発まで続くだろう。日本人だけの場合には、個人的な経過を交えながら哲学的要素について大雑把に話してから科学との関連へと入っていくことになるのだろう。問題は外国の方である。(科学)哲学についての了解がどの程度なのか、全く想像がつかないのが頭痛の種である。ただ、最近哲学者と科学者の共著論文が一流と言われる科学雑誌に出ていたのを目にしたので、少し状況が変わってきているのではないかという気もしている。いずれにしても私にとっては初めての試みになる。もちろん聞いている方も初めての経験になるだろう。そんな話を聞いて何になるという反応になるのか、少しはためになったということになるのか。今の心境としては、これからにつながるような話ができるように全力を尽くすしかなさそうである。
-------------------------------------------
lundi 19 octobre 2015
こちらに来てすぐの頃は、新しい領域に触れ、これまでわたしが知らなかったことは他の科学者もおそらく知らないのではないかという思い込みのためか、強く知
らせたいという思いに溢れていた。その気持ちは数年に亘って続いたのではないだろうか。この時がその最初の発表だった。
後に関連記事があるかもしれないが、わたしの発表に対してベルギーの方が激しく反応したことを思い出す。科学者はそんなことを考える暇などなく研究に追われている、それができるのはダーウィンのような生活に余裕のある科学者だけだというものだった。確かに、最初に生活があり、その後に哲学というのが古代からの見方である。いつの時代にも変わらないことなのかもしれない、と最近では達観するようになっている。
lundi 19 octobre 2015
dimanche 18 octobre 2015
ストラスブールからの便り
18 octobre 2008
今日はのんびり午後から先週買うことになった眼鏡を引き取りに出かける。期待していたのだが、焦点が合うところが非常に狭く前のものよりは使い難い。お店の人は1ヶ月慣らしてみて状況が変わらないようであれば替えることができますと言っていたが、この調子だと仕事の時は以前のものに頼らざるを得ないだろう。こういうところはいつも脇が甘い。
これまでは夜の散策と言っても、自らの中に篭るような感じのものばかりだったが、今日は外の様子を積極的に見てみましょうという気で散策に出ていた。これは少しだけ余裕が出てきた証拠ではないかと思っていた。今までにはなかったことである。食事やカフェでの思索の後帰ってみると、ストラスブールからメールが届いていた。
この方から最初のメールが入ったのは、一月ほど前のこと。この前のブログ「ハンモック」の日仏版に Araki が乳がんで乳房切除した詩人の宮田美乃里さんの姿を写真に収めた本のことを書いた。もう3年前のことになる。
宮田美乃里 MINORI MIYATA - UNE POETE PURE ET ENTIERE (2005-09-16)
ARAKI - UN PHOTOGRAPHE ROMANTIQUE (15 octobre 2005)
この記事で 「乳房、花なり。」 ("Le sein, c'est la fleur")という Araki の本を知ることになり感謝の言葉が添えられていた。そして、彼はストラスブールの大学で乳がんの治療に当っていて、以前に哲学も勉強し l'Agrégation (大学教授資格)まで取っていると書かれてあった。ストラスブール大学といえば、私がこちらに来る切っ掛けにもなったジョルジュ・カンギレムが若き日に教えていた大学である。そのことと併せて、カンギレムの息子さんも同じ大学で働いていたことも記されていた。
実は私のM1のメモワールのテーマにはカンギレムが深く関わっていることもあり、彼に私のメモワールを読んでもらうことにして、すぐに送った。しかし、音沙汰がないのでお忙しいのかと想像していたところ、今日返事が来たという次第である。ただ、メモワールについてはまだ忙しく目を通す時間がないとのこと。それとは別に、彼の2つの論文を送ってくれた。それは科学論文ではなく、ガンを主題にした医学哲学(歴史も絡めた)の論文である。彼のメールには、あなたは今読書と瞑想の中にいることでしょうから私の論文がその réflexions のためになることを願っていますとの言葉が添えられていた。この文章を読んだ時、自ら歩んだ同じ道を今あなたも、という同志に対する心を感じていた。非常に興味深い内容のようなので、これからじっくり réfléchir しながら読んでみたい。
秋の夜長に相応しいお便りと論文の内容で、外の喧騒から一転、心が静まり返っている。
このエピソードは完全に忘れていたが、読んでいるとスーッと今の出来事に変わる
今日はのんびり午後から先週買うことになった眼鏡を引き取りに出かける。期待していたのだが、焦点が合うところが非常に狭く前のものよりは使い難い。お店の人は1ヶ月慣らしてみて状況が変わらないようであれば替えることができますと言っていたが、この調子だと仕事の時は以前のものに頼らざるを得ないだろう。こういうところはいつも脇が甘い。
これまでは夜の散策と言っても、自らの中に篭るような感じのものばかりだったが、今日は外の様子を積極的に見てみましょうという気で散策に出ていた。これは少しだけ余裕が出てきた証拠ではないかと思っていた。今までにはなかったことである。食事やカフェでの思索の後帰ってみると、ストラスブールからメールが届いていた。
この方から最初のメールが入ったのは、一月ほど前のこと。この前のブログ「ハンモック」の日仏版に Araki が乳がんで乳房切除した詩人の宮田美乃里さんの姿を写真に収めた本のことを書いた。もう3年前のことになる。
宮田美乃里 MINORI MIYATA - UNE POETE PURE ET ENTIERE (2005-09-16)
ARAKI - UN PHOTOGRAPHE ROMANTIQUE (15 octobre 2005)
この記事で 「乳房、花なり。」 ("Le sein, c'est la fleur")という Araki の本を知ることになり感謝の言葉が添えられていた。そして、彼はストラスブールの大学で乳がんの治療に当っていて、以前に哲学も勉強し l'Agrégation (大学教授資格)まで取っていると書かれてあった。ストラスブール大学といえば、私がこちらに来る切っ掛けにもなったジョルジュ・カンギレムが若き日に教えていた大学である。そのことと併せて、カンギレムの息子さんも同じ大学で働いていたことも記されていた。
実は私のM1のメモワールのテーマにはカンギレムが深く関わっていることもあり、彼に私のメモワールを読んでもらうことにして、すぐに送った。しかし、音沙汰がないのでお忙しいのかと想像していたところ、今日返事が来たという次第である。ただ、メモワールについてはまだ忙しく目を通す時間がないとのこと。それとは別に、彼の2つの論文を送ってくれた。それは科学論文ではなく、ガンを主題にした医学哲学(歴史も絡めた)の論文である。彼のメールには、あなたは今読書と瞑想の中にいることでしょうから私の論文がその réflexions のためになることを願っていますとの言葉が添えられていた。この文章を読んだ時、自ら歩んだ同じ道を今あなたも、という同志に対する心を感じていた。非常に興味深い内容のようなので、これからじっくり réfléchir しながら読んでみたい。
秋の夜長に相応しいお便りと論文の内容で、外の喧騒から一転、心が静まり返っている。
----------------------------------------------------
dimanche 18 octobre 2015
dimanche 18 octobre 2015
このエピソードは完全に忘れていたが、読んでいるとスーッと今の出来事に変わる
リンク先のARAKI
についてのフランス語の記事に行ってみた
もう十年前の記事で、フランス語を始めて4年目になる
恐ろしくて読む気にはならないが、よく書いていたものだ
と感心する
努力賞だろう
当時の部屋が写っていて、懐かしい
フランス語を始めてréflexionsという言葉に目覚めたが、それがこの記事によく表れている
それがどういう精神運動なのかは、こちらに来て理解できたと思っている
これこそ哲学の基礎にある運動であることを体得できたのは、幸いであった
当時、その中にすっぽりと入っていたことがよく分かる記事である
ところで、目に合わないメガネを作られて困ったことも覚えている
その後レンズを変えてもらったが相性は良くなく、あまり使わなかったのではないだろうか
vendredi 16 octobre 2015
突き詰めると出会いの一日か
16 octobre 2008
突き詰めると毎日が出会いに溢れていることになるだろう。特にこちらにいると、そのことを強く感じる。今日も朝から不思議なことがあった。・・・やはりアメリ カにお願いのメールを出した方がよいのではないだろうか・・・と考えている時に目が覚めた。しばらくしてメールボックスを開けるとその方からメールが入っていた。朝の5時のことである。
今朝一番のクールへ向かう。9時からなので1時間前に出るが、もう薄暗い季節になっている。この季節は朝でも暗いのでシャッターを開けないことがほとんどだ。下におりると小雨がぱらついていたが、そのまま出かけた。クールの途中、睡魔が襲う。しかし、今日は貴重な言葉を聞くことができた。今考えているテーマについて、モンテーニュやアリストテレスが語っていることを知る。その言葉を聞いた瞬間、一気に目が冴えてきた。こういう時のためにクールに顔を出しているようなところもある。先生にお願いして、詳しい出典を来週教えていただくことにした。
クールの後はカフェで簡単なデジュネを済ませ、最近ご無沙汰していたリブレリーに向かった。今日の写真が階段横に飾られていた。地下には科学関連の本や哲学、科学哲学、心理学、歴史などの本がある。今日は6-7冊飛び込んでくるものがあった。世界の初めの物語から医学の過去、現在、未来を扱ったもの、それに個 とは一体何なのかを探ったものなどを仕入れる。興味深いのは、訪れるお店の雰囲気やテーマの作り方、展示の仕方など、こちらの心身の状態によって飛び込んでくるものが違うことである。その時、その場所でなければ意味を持たないようなものが顔を出す。そして買った時にどのような状況であったのかはよく覚えている。そういう本であれば、どれだけ時間が経っても読む時の精神状態に変わりがないのである。そういう唯一無二の瞬間を楽しみにしながらお店に入る。秋の深まりとともに、書籍を友として過ごそうとしているかのようである。
突き詰めると毎日が出会いに溢れていることになるだろう。特にこちらにいると、そのことを強く感じる。今日も朝から不思議なことがあった。・・・やはりアメリ カにお願いのメールを出した方がよいのではないだろうか・・・と考えている時に目が覚めた。しばらくしてメールボックスを開けるとその方からメールが入っていた。朝の5時のことである。
今朝一番のクールへ向かう。9時からなので1時間前に出るが、もう薄暗い季節になっている。この季節は朝でも暗いのでシャッターを開けないことがほとんどだ。下におりると小雨がぱらついていたが、そのまま出かけた。クールの途中、睡魔が襲う。しかし、今日は貴重な言葉を聞くことができた。今考えているテーマについて、モンテーニュやアリストテレスが語っていることを知る。その言葉を聞いた瞬間、一気に目が冴えてきた。こういう時のためにクールに顔を出しているようなところもある。先生にお願いして、詳しい出典を来週教えていただくことにした。
クールの後はカフェで簡単なデジュネを済ませ、最近ご無沙汰していたリブレリーに向かった。今日の写真が階段横に飾られていた。地下には科学関連の本や哲学、科学哲学、心理学、歴史などの本がある。今日は6-7冊飛び込んでくるものがあった。世界の初めの物語から医学の過去、現在、未来を扱ったもの、それに個 とは一体何なのかを探ったものなどを仕入れる。興味深いのは、訪れるお店の雰囲気やテーマの作り方、展示の仕方など、こちらの心身の状態によって飛び込んでくるものが違うことである。その時、その場所でなければ意味を持たないようなものが顔を出す。そして買った時にどのような状況であったのかはよく覚えている。そういう本であれば、どれだけ時間が経っても読む時の精神状態に変わりがないのである。そういう唯一無二の瞬間を楽しみにしながらお店に入る。秋の深まりとともに、書籍を友として過ごそうとしているかのようである。
--------------------------------------------
jeudi 16 octobre 2015
最初の夢の部分、アメリカのどなたからのメールだったのかは思い出さない
マスターの時の朝のクール
出かける時の町の暗さは今でも思い出す
時には、夜ではないかと間違えるほどのこともあったが、今となっては懐かしい
そして、クールでは言葉に注意していた様子が伝わってくる
自分の記憶を刺激する言葉に出遭った時の悦びは、最初の学生時代にはなかったことである
jeudi 15 octobre 2015
インプラントを決断する
しばらくどうしようか考えていたインプラントを入れてもらうことにした。一方の歯だけで噛んでいるとそちらに負担が掛かるような気がするし、口全体で味わっていないように感じられたからでもある。費用が相当かさむが致し方ないと判断して、今朝出かけた。私の場合2本入れるので1時間半ほど掛かった。奥の歯が少し弱っているとのことで何かを詰め固めながら進めていたようで、今回は準備段階のようだ。おそらくそれをしっかり詰めるためか、十数回金属製のもので叩 いていたので頭蓋骨のみならず脳が振動していた。使われていないところが目を覚ましてくれればよいのだが、、、
終った後、Junkuに寄って目に入った新書(13ユーロで少々お高い)を買い、昼食時に1時間ほどで読んでしまった。話しているような調子で書かれている本屋さんに溢れている類の本である。現代人は少し難しい(読みにくい)本を読んでいる閑はないということだろうか。これとは別に最近読んでいる本は必ずどこかで引っ掛かるところがあるので、自分を動員しないとついていけない。そのため自分の中に残ることも増えているように思う。
それから研究所に向かう。昨日のクールについての追加のメールが届いていたので、関連の資料を読む。2-3時間したところで麻酔が切れてきて痛みを覚えたので早めに引上げてきた。インプラントの場合には麻酔が重いようで、いつもより長い時間がかかったようである。
-------------------------------------------
jeudi 15 octobre 2015
こちらに来て1年でインプラントを入れていたことになる
もっと後で決断したのかと思っていた
ということは、あれから7年経つことになるが、お陰様でまだ異変はない様だ
あの時の費用の価値は、これからどれだけの間気持ちよく過ごせるのかによって変わってくる
大事に使いたいものである
それから最近の本の文体についても触れられている
よく売れている本などを立ち読みしていると、すぐに読み終えることができるものが多い
話しかけるような調子で書かれてあるからだ
このような本でなければ、忙しい現代人は読む閑がないのだろうか
折角の時間を使っても思考の深みが増すことにはなりそうもないのだが、、、
mercredi 14 octobre 2015
インタラクティブなM2、そしてまたしてもフランスか・・・
14 octobre 2008
お昼まではよかったが、午後M2でどのクールを取るのかの登録(l'inscription pédagogique)に出かけて大変なことが明らかになった。あなたにはM2の資格がありませんと言うのである。そこで哲学科全体の責任者のところへ行きよくよく聞いてみると、必須のクールが一つ不足しているだけでなく、そもそもメモワールを書いていないことになっている。コンピュータ管理はされているのだが、そこへの入力がされていなければ機能しない。M2の事務は機械的に判断するしかないのでこういう結果になるのだろう。一つにはM1の秘書さんが替わったこともあるのかもしれないが、これもフランスなのだろうか。不足しているクールはParis 1ではなくENSのものだったので、本来であれば事務がその成績を集めなければならないはずだが、、、一応その旨伝えてきたが、M1の新しい秘書さんも列を成している新入生の処理をため息をつきながらやっていたのでどうなるかわからない。今週末にもう一度顔を出してどうなったか確かめることになりそうである。
今でもその前を通ることがあるが、懐かしいという気分にはまだならない。
昨日、前日の徹夜の疲れからか早めに寝ようとしてパソコンを切ろうとしたところ、クールで読む文献が10篇ほど送られてきた。今日のクールでこれからの様子がわかってきた。毎回、数編の論文(と言っても科学のものに比べると一般的に長いものが多い)について誰かがまとめを発表(コント・ランデュ)し、それについて各自がディスカスするというやり方のようである。このようなクールにどれだけ同化できるのか、今は何とも言えない。
今日の中休みには前回同様中年のお医者さんとカフェに向かったが、他にこれまで哲学をやってきたがこれから生物学に進みたいという手巻きのタバコを吸う女子学生と経済をやってきた男子学生が加わった。戻ってみるとホールでは5-6人が何やら話をしているということで、明らかにM1とは雰囲気が違う。このように多様な背景の人が集まり、相互に意見を交わす(闘わすところまで行くことになるか?)ことのできる環境は哲学が呼び込んだものなのか、パリ特有のものなのか、偶然 なのか。いずれにしても私から見ると好ましい状況になっている。
今日の中休みには前回同様中年のお医者さんとカフェに向かったが、他にこれまで哲学をやってきたがこれから生物学に進みたいという手巻きのタバコを吸う女子学生と経済をやってきた男子学生が加わった。戻ってみるとホールでは5-6人が何やら話をしているということで、明らかにM1とは雰囲気が違う。このように多様な背景の人が集まり、相互に意見を交わす(闘わすところまで行くことになるか?)ことのできる環境は哲学が呼び込んだものなのか、パリ特有のものなのか、偶然 なのか。いずれにしても私から見ると好ましい状況になっている。
**************************
お昼まではよかったが、午後M2でどのクールを取るのかの登録(l'inscription pédagogique)に出かけて大変なことが明らかになった。あなたにはM2の資格がありませんと言うのである。そこで哲学科全体の責任者のところへ行きよくよく聞いてみると、必須のクールが一つ不足しているだけでなく、そもそもメモワールを書いていないことになっている。コンピュータ管理はされているのだが、そこへの入力がされていなければ機能しない。M2の事務は機械的に判断するしかないのでこういう結果になるのだろう。一つにはM1の秘書さんが替わったこともあるのかもしれないが、これもフランスなのだろうか。不足しているクールはParis 1ではなくENSのものだったので、本来であれば事務がその成績を集めなければならないはずだが、、、一応その旨伝えてきたが、M1の新しい秘書さんも列を成している新入生の処理をため息をつきながらやっていたのでどうなるかわからない。今週末にもう一度顔を出してどうなったか確かめることになりそうである。
------------------------------------
mercredi 14 octobre 2015
講義の中休みのカフェでの一コマが蘇ってくる。
今でもその前を通ることがあるが、懐かしいという気分にはまだならない。
ただ、あの外科の先生はもういない。
手巻きタバコの女子学生は今何をしているのだろうか。
この記事で、M2の登録の時に問題があったことを思い出した。
焦ってそのあたりを動き回った記憶が蘇ってくる。
遠い昔の出来事として。
mardi 13 octobre 2015
フランス文化の栄光や今何処 La gloire perdue de la culture française
13 octobre 2008

私がフランス文化について話をすると、このような危惧の声を聞くことが多い。先日巡り合ったSさんの友人も、指導教授もよく口にする言葉である。そういうこともあってか、今週末のフィガロ・マガジンで紹介されていた1冊の本に目が行った。
"Que reste-t-il de la culture française ?" par Donald Morrisonet et "Le souci de la grandeur" par Antoine Compagnon (25 septembre 2008)
前半を書いているモリソン氏は5年前にパリに移ってきたアメリカ人ジャーナリストで、コンパニョン氏はコレージュ・ド・フランスの文学教授、兼ニューヨークのコロンビア大学教授である。事の発端は、昨年12月3日号の雑誌Timeのヨーロッパ版で "La mort de la culture française" (フランス文化の死)がカバー・ストーリーになり (残念ながら私は読んでいない)、この記事の著者に怒りの反応が押し寄せたとのこと。これは "French bashing" (casser du Français) だ!というわけである。しかし、モリソン氏はフランス文化は確実に衰退している ("La culture française connaît un déclin inexorable")、フランスの芸術家は市場でも力がなくなり、作家にしてもアメリカで訳されることもなくなっている、サルトルやカミュは一体どこに行ったのか、と手厳しい。
これに対してフランスの文化人も助け舟を出そうとする(à la rescousse)のだが、彼の言っていることに必ずしも誤りがないことを認めざるを得ない状況にある。フランス文化が以前ほど輸出されなくなっているとの認識はコンパニョン氏のものである。お二人の結論は一括りにすると次のようになる。コンパニョン氏は言う。
"Le rayonnement de la culture française, une part essentielle de l'identité de ce pays, a reculé à mesure que reculait l'influence de la France dans le monde."
「この国の重要なアイデンティティの一つであるフランス文化の輝かしさは、世界におけるフランスの影響力の低下に伴なって薄らいだ」
それから文化に対する財政援助と大学での芸術、文学の軽視を批判する。アメリカやイギリスで大切にされている作家のワークショップはフランスではどこに行ったのだろうか。次代の作家を育てるのに重要なのだが、フランスは自己満足の内省に陥っている。フランス人が誇りを持っている映画にしても同様である。少ない予算でサンパではあるが意味のない国内向けの映画に閉じこもっている、とはモリソン氏。そして、おそらくわずかにこの難を逃れているのが建築(ジャン・ヌヴェル氏のお陰!)とクラシック音楽だというのが両氏の一致した観察になる。
フランスの芸術家は内に閉じこもり (自己中心的になる:nombrilisme=自分の臍だけを見る)、世界を夢見なくなったとのご両人の認識。外に目を向けなければ活力が落ち、輝きが失われるということか。耳が痛いが故に参考になる結論かもしれない。
日本の場合は数字で表わすことができ、言葉が必要のないところで影響力を持とうとしているように見受けられるが、逆に日本文化の発信によって世界への影響力を増すことを考えた方がよさそうに思える。その過程で日本人そのものが磨かれていくだろう。常に外を意識した精神の緊張状態(島国ではこれが一番難しい)。思想や哲学の面ではもちろん、それを紡ぐ言葉による表現、人間そのものがものを言う世界で何が重要なのかも理解できるようになるような気がするのだが、、、
ところで、眼鏡屋さんに入って眺めている時に年齢分のパーセントをお値引きしますという札が見えた。100歳であればただになるサービスである。この機会に気分転換もかねて作り替える決断を一瞬のうちにしていた。私の場合には半額以下になる。生年月日を入力した後に年齢を聞いてくるので、普段とは逆に冗談で少し多めに言ってみたがああそーですかで終わりであった。その後で正確な歳を伝えたのは言うまでもないが。日本でこんなサービスがあるのかどうかわからないが、ちょっとした遊び心を刺激するサービスに引っ掛かってしまった。年寄りの懐を狙った戦略と言ってもよいのだろうか。
こちらでの内的状態が私にとって最適であり、外の状況はあまり関係ないと見ていたからである
日本の状況についても昔とは比べられないだろうが、同様の傾向があるように思っている
こちらに来て、フランス語の本が日本語によく訳されていることに驚いている
取り入れることには今でも非常に熱心である
しかし、どれだけ日本文化の目には見えない部分を外に向けて発信しているだろうか
話は変わるが、先日メガネが壊れて修理のため眼鏡屋さんを訪れた
その時、新しい眼鏡を作ってはどうですかと勧められたところだった
7年前に眼鏡を作り替えていたとは・・・何とも面白い

私がフランス文化について話をすると、このような危惧の声を聞くことが多い。先日巡り合ったSさんの友人も、指導教授もよく口にする言葉である。そういうこともあってか、今週末のフィガロ・マガジンで紹介されていた1冊の本に目が行った。
"Que reste-t-il de la culture française ?" par Donald Morrisonet et "Le souci de la grandeur" par Antoine Compagnon (25 septembre 2008)
前半を書いているモリソン氏は5年前にパリに移ってきたアメリカ人ジャーナリストで、コンパニョン氏はコレージュ・ド・フランスの文学教授、兼ニューヨークのコロンビア大学教授である。事の発端は、昨年12月3日号の雑誌Timeのヨーロッパ版で "La mort de la culture française" (フランス文化の死)がカバー・ストーリーになり (残念ながら私は読んでいない)、この記事の著者に怒りの反応が押し寄せたとのこと。これは "French bashing" (casser du Français) だ!というわけである。しかし、モリソン氏はフランス文化は確実に衰退している ("La culture française connaît un déclin inexorable")、フランスの芸術家は市場でも力がなくなり、作家にしてもアメリカで訳されることもなくなっている、サルトルやカミュは一体どこに行ったのか、と手厳しい。
これに対してフランスの文化人も助け舟を出そうとする(à la rescousse)のだが、彼の言っていることに必ずしも誤りがないことを認めざるを得ない状況にある。フランス文化が以前ほど輸出されなくなっているとの認識はコンパニョン氏のものである。お二人の結論は一括りにすると次のようになる。コンパニョン氏は言う。
"Le rayonnement de la culture française, une part essentielle de l'identité de ce pays, a reculé à mesure que reculait l'influence de la France dans le monde."
「この国の重要なアイデンティティの一つであるフランス文化の輝かしさは、世界におけるフランスの影響力の低下に伴なって薄らいだ」
それから文化に対する財政援助と大学での芸術、文学の軽視を批判する。アメリカやイギリスで大切にされている作家のワークショップはフランスではどこに行ったのだろうか。次代の作家を育てるのに重要なのだが、フランスは自己満足の内省に陥っている。フランス人が誇りを持っている映画にしても同様である。少ない予算でサンパではあるが意味のない国内向けの映画に閉じこもっている、とはモリソン氏。そして、おそらくわずかにこの難を逃れているのが建築(ジャン・ヌヴェル氏のお陰!)とクラシック音楽だというのが両氏の一致した観察になる。
フランスの芸術家は内に閉じこもり (自己中心的になる:nombrilisme=自分の臍だけを見る)、世界を夢見なくなったとのご両人の認識。外に目を向けなければ活力が落ち、輝きが失われるということか。耳が痛いが故に参考になる結論かもしれない。
日本の場合は数字で表わすことができ、言葉が必要のないところで影響力を持とうとしているように見受けられるが、逆に日本文化の発信によって世界への影響力を増すことを考えた方がよさそうに思える。その過程で日本人そのものが磨かれていくだろう。常に外を意識した精神の緊張状態(島国ではこれが一番難しい)。思想や哲学の面ではもちろん、それを紡ぐ言葉による表現、人間そのものがものを言う世界で何が重要なのかも理解できるようになるような気がするのだが、、、
********************************
ところで、眼鏡屋さんに入って眺めている時に年齢分のパーセントをお値引きしますという札が見えた。100歳であればただになるサービスである。この機会に気分転換もかねて作り替える決断を一瞬のうちにしていた。私の場合には半額以下になる。生年月日を入力した後に年齢を聞いてくるので、普段とは逆に冗談で少し多めに言ってみたがああそーですかで終わりであった。その後で正確な歳を伝えたのは言うまでもないが。日本でこんなサービスがあるのかどうかわからないが、ちょっとした遊び心を刺激するサービスに引っ掛かってしまった。年寄りの懐を狙った戦略と言ってもよいのだろうか。
-----------------------------------------------
mardi 13 octobre 2015
フランスに9年目に入ったが、フランスの状況には無頓着で来た
こちらでの内的状態が私にとって最適であり、外の状況はあまり関係ないと見ていたからである
そのため、こちらに来た当初に書いたこのような観察だけがわたしの判断の基準となっている
日本の状況についても昔とは比べられないだろうが、同様の傾向があるように思っている
こちらに来て、フランス語の本が日本語によく訳されていることに驚いている
取り入れることには今でも非常に熱心である
しかし、どれだけ日本文化の目には見えない部分を外に向けて発信しているだろうか
そのことを考え、創造性を発揮するのが、文系にいる人間の責任になるような気がしている
その意味では、チャレンジングな時代が待っているとも言えそうである
話は変わるが、先日メガネが壊れて修理のため眼鏡屋さんを訪れた
その時、新しい眼鏡を作ってはどうですかと勧められたところだった
7年前に眼鏡を作り替えていたとは・・・何とも面白い
lundi 12 octobre 2015
パスカル、あるいは科学と哲学 Pascal, ou la science et la philosophie
12 octobre 2008

昨日のセミナーで私の質問に対してローゼンバーグ氏が 「・・・をやっても答えは出ないかもしれませんが、、、」 と最後に言った時、これこそ科学と哲学を分けているものではないかという思いが巡った。科学は答えの出る問しか出さない、あるいは答えが出るような問の出し方をするのが優れた科学者と言えるかもしれない。ただ、その守備範囲は非常に狭いものだ。それに対して、哲学はその姿勢として専門を持たないのが特徴である。もちろん、哲学という学問の中にも相当に細かい専門はあるが、基本姿勢としてできるだけ広い範囲に目を向け、世界の全体を理解しようとするところがある。しかし、それゆえに答えに辿り着かないことが多い。ほとんどそうかも知れない。そして彼はこう結んだ。「ただ問い続けなければならないでしょう」 と。この言葉こそ哲学者のものであった。それはすべてを理解しようとする (全的な理解に辿り着こうとする) 者への罰だろうか。いや、むしろそれこそわれわれに生きる力を与えるものではないだろうか。役に立たないと言われている哲学の力が実は計り知れないということを示すものかもしれない。
以前にも触れたパスカルの "tout d'une chose" (ひとつについてすべて) と "peu de tout" (すべてについて少し) の対比にそのすべてが表現されているように思う。パスカルは言う。人間はひとつのことのすべてを知ることができないのだから、すべてについて少しずつ知るべきである。私の場合、結果的にはパスカルの言葉に従ったことになるが、そうすることにより世界が全く変わって見えてきたことも事実である。当然のことながら世界が広がり、そのため受け入れることのできる幅が以前では考えられないほどになっていることに驚く。文化的なものに限らず、人間についてもその見方が変わってきているように感じる。
パスカルに自分を見る S'ENTREVOIR CHEZ PASCAL (2007-02-18)
パスカルは昨日の話題にも通じる次のようなことも言っている。
« Toutes choses étant causées et causantes, aidées et aidantes, médiates et immédiates, et toutes s'entretenant par un lien naturel et insensible qui lie les plus éloignées et les plus diverses, je tiens pour impossible de connaître les parties sans connaître le tout, non plus de connaître le tout sans connaître les parties. » (Pensées)
「すべてのものは引き起こされ引き起こし、助けられ助け、間接的であり直接的であり、すべては最も離れたものや最も多様なものを結びつける自然で感知できない結びつきにより維持されているので、全体を知らずに部分を知ることも、また部分を知らずに全体を知ることもできないと考える」
-----------------------------------------
lundi 12 octobre 2015
日本にいる時にカーテジアンとパスカリアンの違いを知り、それまでは科学者として生きたカーテジアンであったのが、それでは満足できなくなり、人間のすべて を動員して考え生きなければならないと言わばパスカリアンへの転身を心に決めたことを思い出させる。あれから9年が経過することになるが、その決断に誤りはなかったと言えるだろう。それ以降の生活が想像以上に満ちたものになったからである。これは、何事も形が見えるまでには10年という歳月がかかるという ことの証左かもしれない。

昨日のセミナーで私の質問に対してローゼンバーグ氏が 「・・・をやっても答えは出ないかもしれませんが、、、」 と最後に言った時、これこそ科学と哲学を分けているものではないかという思いが巡った。科学は答えの出る問しか出さない、あるいは答えが出るような問の出し方をするのが優れた科学者と言えるかもしれない。ただ、その守備範囲は非常に狭いものだ。それに対して、哲学はその姿勢として専門を持たないのが特徴である。もちろん、哲学という学問の中にも相当に細かい専門はあるが、基本姿勢としてできるだけ広い範囲に目を向け、世界の全体を理解しようとするところがある。しかし、それゆえに答えに辿り着かないことが多い。ほとんどそうかも知れない。そして彼はこう結んだ。「ただ問い続けなければならないでしょう」 と。この言葉こそ哲学者のものであった。それはすべてを理解しようとする (全的な理解に辿り着こうとする) 者への罰だろうか。いや、むしろそれこそわれわれに生きる力を与えるものではないだろうか。役に立たないと言われている哲学の力が実は計り知れないということを示すものかもしれない。
以前にも触れたパスカルの "tout d'une chose" (ひとつについてすべて) と "peu de tout" (すべてについて少し) の対比にそのすべてが表現されているように思う。パスカルは言う。人間はひとつのことのすべてを知ることができないのだから、すべてについて少しずつ知るべきである。私の場合、結果的にはパスカルの言葉に従ったことになるが、そうすることにより世界が全く変わって見えてきたことも事実である。当然のことながら世界が広がり、そのため受け入れることのできる幅が以前では考えられないほどになっていることに驚く。文化的なものに限らず、人間についてもその見方が変わってきているように感じる。
パスカルに自分を見る S'ENTREVOIR CHEZ PASCAL (2007-02-18)
パスカルは昨日の話題にも通じる次のようなことも言っている。
« Toutes choses étant causées et causantes, aidées et aidantes, médiates et immédiates, et toutes s'entretenant par un lien naturel et insensible qui lie les plus éloignées et les plus diverses, je tiens pour impossible de connaître les parties sans connaître le tout, non plus de connaître le tout sans connaître les parties. » (Pensées)
「すべてのものは引き起こされ引き起こし、助けられ助け、間接的であり直接的であり、すべては最も離れたものや最も多様なものを結びつける自然で感知できない結びつきにより維持されているので、全体を知らずに部分を知ることも、また部分を知らずに全体を知ることもできないと考える」
-----------------------------------------
lundi 12 octobre 2015
日本にいる時にカーテジアンとパスカリアンの違いを知り、それまでは科学者として生きたカーテジアンであったのが、それでは満足できなくなり、人間のすべて を動員して考え生きなければならないと言わばパスカリアンへの転身を心に決めたことを思い出させる。あれから9年が経過することになるが、その決断に誤りはなかったと言えるだろう。それ以降の生活が想像以上に満ちたものになったからである。これは、何事も形が見えるまでには10年という歳月がかかるという ことの証左かもしれない。
dimanche 11 octobre 2015
セミナー始る: 還元主義の問題 Alex Rosenberg parle du problème de réductionnisme
11 octobre 2008
今日からセミナーの方も始った。土曜の11時からという時間が丁度よい。ぼんやりしがちな土曜の朝を努めることなく外に誘い出してくれる。このセミナー・シリーズをオーガナイズしていた方(女性の生命哲学者)が先月亡くなったので、1分間のsilenceの後始った。今日の演者はアメリカ、デューク大学のアレックス・ローゼンバーグ氏で、この分野では有名な方である。スライドは英語だったが、フランス語で講演していた。テーマは発生遺伝学における還元主義についての疑義とそれに対する反論についてで、興味深い内容であった。
還元主義の定義を、分子レベルでの解析を重ねてゆくことにより、よりよく物事が理解され、その情報が加われば加わるほど真理に近づくという考え方として議論を進めていた。この考え方は、私も含めてほとんどすべての生命科学者が採っている立場ではないかと思うが、これで本当に全体の理解につながるのかという疑問が出されている。小さな部分の理解はどんどん進むが、それを集めたところで全体の理解につながるのかという疑問である。これはまさに私が経験したことそのものであり、少なくとも一人の科学者の中では到底その目的は達成できいないというのが私の結論であった。それが満たされないということは自らも満たされないことを意味したわけである。質問の最後に、科学哲学者がこの問題に対して何らかの回答を用意できるのかどうか聞いてみたが、これは相当に難しい問題になるだろう。
セミナー後、研究所に向かうメトロで同じM2のクラスにいるParis 7の学生さんに会った。彼もセミナーに出ていて私の質問を聞いて興味を持ったのか、こちらに寄ってきた。話をしてみると、これまで進化生物学について勉強してきたようで、文化(宗教も含む)における進化に興味を持っているようであった。Paris 7ではM2でも前期で4クール、後期3クールを取らなければならないようだ。こちらの場合はそれぞれ2クールなので、大学によってシステムが違うようである。これからも話が通じそうな印象を持った。
研究所のビブリオテクに行ったところ、なぜか閉館。セミナーの後で気分が解放されていたためか、そのまま散策に切り替えた。レンヌ街、ラスパイユ街を歩く。途中、ボサノバが流れていた(下の写真です)。のんびりした土曜の午後となった。

------------------------------------
vendredi 9 octobre 2015
このセミナーで問題になった還元主義の問題は、簡単には片付きそうにない。これまでこの問題はいつもわたしの身近にあったが、そうではない方向性を考えるもののその方法論が見当たらないところがネック。状況は分析できるが解決の方法が見つからないというのが今でも続く現状ではないだろうか。
この記事出てくるParis 7の学生さんだが、その後オックスフォードに1年ほどいた後、オーストラリアで博士課程に進んだ。まだ院生なのか、卒業したのかは分からない。時は確実に流れている。
今日からセミナーの方も始った。土曜の11時からという時間が丁度よい。ぼんやりしがちな土曜の朝を努めることなく外に誘い出してくれる。このセミナー・シリーズをオーガナイズしていた方(女性の生命哲学者)が先月亡くなったので、1分間のsilenceの後始った。今日の演者はアメリカ、デューク大学のアレックス・ローゼンバーグ氏で、この分野では有名な方である。スライドは英語だったが、フランス語で講演していた。テーマは発生遺伝学における還元主義についての疑義とそれに対する反論についてで、興味深い内容であった。
還元主義の定義を、分子レベルでの解析を重ねてゆくことにより、よりよく物事が理解され、その情報が加われば加わるほど真理に近づくという考え方として議論を進めていた。この考え方は、私も含めてほとんどすべての生命科学者が採っている立場ではないかと思うが、これで本当に全体の理解につながるのかという疑問が出されている。小さな部分の理解はどんどん進むが、それを集めたところで全体の理解につながるのかという疑問である。これはまさに私が経験したことそのものであり、少なくとも一人の科学者の中では到底その目的は達成できいないというのが私の結論であった。それが満たされないということは自らも満たされないことを意味したわけである。質問の最後に、科学哲学者がこの問題に対して何らかの回答を用意できるのかどうか聞いてみたが、これは相当に難しい問題になるだろう。
セミナー後、研究所に向かうメトロで同じM2のクラスにいるParis 7の学生さんに会った。彼もセミナーに出ていて私の質問を聞いて興味を持ったのか、こちらに寄ってきた。話をしてみると、これまで進化生物学について勉強してきたようで、文化(宗教も含む)における進化に興味を持っているようであった。Paris 7ではM2でも前期で4クール、後期3クールを取らなければならないようだ。こちらの場合はそれぞれ2クールなので、大学によってシステムが違うようである。これからも話が通じそうな印象を持った。
研究所のビブリオテクに行ったところ、なぜか閉館。セミナーの後で気分が解放されていたためか、そのまま散策に切り替えた。レンヌ街、ラスパイユ街を歩く。途中、ボサノバが流れていた(下の写真です)。のんびりした土曜の午後となった。

今日はラスパイユ街のにぎやかなカフェからアップすることになった。
------------------------------------
vendredi 9 octobre 2015
このセミナーで問題になった還元主義の問題は、簡単には片付きそうにない。これまでこの問題はいつもわたしの身近にあったが、そうではない方向性を考えるもののその方法論が見当たらないところがネック。状況は分析できるが解決の方法が見つからないというのが今でも続く現状ではないだろうか。
この記事出てくるParis 7の学生さんだが、その後オックスフォードに1年ほどいた後、オーストラリアで博士課程に進んだ。まだ院生なのか、卒業したのかは分からない。時は確実に流れている。
vendredi 9 octobre 2015
パスツール研究所のSさんとばったり、 これがパリ?
9 octobre 2008
------------------------------------------
vendredi 9 octobre 2015
あれからもう7年といういつもの感慨が湧いてくる。
Sさんとはこの時以来お会いしていない。
Sさんと知り合いになったのはわたしの友人MDの研究室でのこと。
その彼も数年前に研究所を定年になった。
彼はその後1年だけソルボンヌで哲学をやったが、水が合わなかったのだろうか。
今は研究の方に戻っているようだ。
2回目のクールが終わり、コレージュ・ド・フランスの科学関連のコロックに向かうがお昼休みだった。プログラムを見るとそれほど興味を惹かなかったので昼食後リブレリーに入る。入門者用の哲学書が目に入ったので2冊ほど手に入れ、研究所に向かった。4時間ほど比較的集中して仕事ができた。それから少し歩いて馴染みのカフェに入り、今日のまとめをしようとしたその時に声が掛かった。今日の写真の左の方である。パスツール研究所を3年ほど前に訪れた時、研究室の秘書をしていたが1年ほど前に研究所でばったり会った時に別のセクションに移ったことを知った。
今日は写真右の友人と前の通りでこちらもばったり会ったので、今シャンパンで乾杯している、一緒に話をしないかとのお誘いであった。3年前に訪問して以来まだ数回しか会っていないがいつもこういうパターンである。彼女も不思議がっていた。いろいろな話が出た。Sさんの友人にこれまでの経過と私が感じているフランス文化(特に、哲学関係)の特徴について話をする。そうすると彼女は私の考えを訊いてきた。そういう道を歩んでいるということはあなたの意志が導いたものなのか、この世に自由意志はあると思うか、自分でないとしたら一体誰がそれを決めているのか、その誰かはどうやったらわかるのか、などなど。さらに、あなたはフランス文化に何らかの魅力を見つけているようだが、昔こそ豊かなものがフランスにもあったが、今はどうでしょう、悲観的に見ているとのご意見。
Sさんには数日前の快挙について聞いてみると、フランソワーズ・バレ・シヌシさんに今日会ったが晴れ晴れとした笑顔だったとのこと。"être sur un petit nuage" (現実が遠くにあるような、夢の中にいるような) 気分でいる、そして一夜にして別世界に住むことになってしまったと言っていたようである。お二人の知り合いや身内には日本に滞在したことのある人から来月日本女性と結婚して日本に永住することになっている人までいるとのこと。1時間ほどたっぷり話をして、こういうことがあるのがパリですね、と素晴らしい笑顔のSさん。再会を期して別れた。
------------------------------------------
vendredi 9 octobre 2015
あれからもう7年といういつもの感慨が湧いてくる。
Sさんとはこの時以来お会いしていない。
Sさんと知り合いになったのはわたしの友人MDの研究室でのこと。
その彼も数年前に研究所を定年になった。
彼はその後1年だけソルボンヌで哲学をやったが、水が合わなかったのだろうか。
今は研究の方に戻っているようだ。
jeudi 8 octobre 2015
下村脩氏ノーベル化学賞受賞で想う
8 octobre 2008

不思議である。どうも数日前の夢は正夢だったようだ。今日受賞が発表になった化学賞の業績は、生命科学に関わっている人であればどこかでその恩恵に与っているはずの仕事である。その貢献度を選考委員会が高く評価したのだろう。Shimomura氏は、グリーン・フロレセント蛋白(GFP: la protéine fluorescente verte)という蛍光物質を発見精製した方である。結局、これまでのところ日本人が日本人と考える人が4人も(うち1人はアメリカ人)ノーベル賞を受賞している。この世界が遠くの出来事ではなく身近なものに感じられるということは、これからの人にとってはよいだろう。到底歯も立たないと思われていた大リーグに野茂が道を開き、それ以後はそれなりの人であれば充分に活躍できることが示されることになった。われわれは同じ人間である。精神的な壁を取り払うことができれば、東も西を恐れるに足らずということになるかもしれない。精神が体を動かし、頭脳をも動かしていると想像されるからである。
昨日の物理学賞の日本人お二人は、この機会に文化勲章に推薦されるようである。今回も日本人独自の評価ができていないということになるのだろうか。日本自らが日本人の仕事を正当に評価できるようになるにはまだ時間がかかりそうである。そこには濁りのない目で真理を見極めようとする精神のあり方が必要になるのだろう。外から日本を見ていると、余計なものがいろいろなところに纏わりついているように見える。真理に絶対的な価値を置く科学精神こそわれわれが必要としているものではないだろうか。いろいろな功罪が言われているノーベル賞であるが、何が本質的に大切なのかという視点を示してくれるところはあるようだ。われわれがその視点で仕事を評価し遇することができるようになるまでは必要な賞かもしれない。
Osamu Shimomura (1928-)
-----------------------------------
(9 octobre 2008)
今日ある方から下村氏の国籍は日本だと本人が話していましたとの話を聞く。ノーベル財団のページからアメリカ人研究者としたが、その部分を変更した。
-----------------------------------
(11 octobre 2008)
コメントとして書いた中に、タイトルの「・・・想う」にぴったりするところがあるので、ここに転載したい。
<9 octobre 2008>
ご指摘の精神的余裕の大切さは、こちらに来ると強く感じます。日本の学生さんと比べると落ち着いて見えます。自分の周りを取り巻く空間が見えるようにも感じます。逆に日本の状況を思い出してみたり、今遠くから現状を眺めてみると、すべてが浮き足立って見えてきます。姑息になり、深い哲学(時間軸の長い考え方)がなかなか生まれないようにも感じます。それはおそらくは伝統が生み出す精神の成熟と言うべきものの差かもしれません。まだ1年程度の観察でしかありませんが、、、
科学の分野もその例外ではないと思います。今やグローバリゼーションの影響でどの国も科学のやり方が変わってきていますが、日本の場合は反射的に方向を変えたのではないかとさえ思えるくらい、アメリカの思想がそのままの形で入ってきています。何がよい研究なのかという議論や哲学がないまま、影響力のある雑誌に発表することが目的化している状況です。これは以前にも触れたと思いますが、ある結論に至る条件にその結論が来ているという論理矛盾に陥っているようです。どんな研究が素晴らしいのかという問を考えることなく、何処何処の雑誌に出ることがよい研究の証であると論理が逆転しているのが現状になっています。そこには溌剌とした将来に結びつく科学は生まれないように感じていますが、ほとんどの研究者がこの商業主義に毒されているようです。自ら評価する必要がないという点では楽なのかもしれませんが、落ち着きや余裕につながる真の科学文化はなかなか育ってこないように思います。
詳しくはわかりませんが、今回ノーベル賞を受賞された日本の研究者を取り巻く環境や考え方は今とは大きく異なっていたのではないかと思わせるものがあります。仕事をする時の前提が今とは違っていた(上述の論理矛盾のない状態だった)のではないかと想像していますが、、、
<10 octobre 2008>
今回受賞された方の映像を見る機会がありませんので感触は掴めないのですが、記事を読む限りでは私の頭にある古き日本人を思わせるものがありました。ノーベル賞の後にはダグラス・プラッシャーさんのような悲喜こもごものお話が出てくることがあるようです。かなり前になりますが、ボストンで乗ったタクシーの運転手がMITで学位をとった人で、職がなかったのでと言っていました。
今回の受賞(特に下村博士の)を見て、今の日本の研究費の配分方法が本当にこれでよいのかというこれまでの疑問が強い疑念に変わっていました。すぐに結果が出そうなところに膨大な資金をつぎ込むというやり方ですが、そこからは一時凌ぎのそれらしい成果は出るかもしれませんが、10年20年先につながるものが出ることは稀ではないかと思います。それよりは、もっと広く、もう少し篤く配分していろいろな芽を育てることの方が結果的には豊かなものをわれわれにもたらしてくれるのではないか、研究者の社会ももう少し潤いのあるものになるのではないか、などと考えておりました。
------------------------------------
jeudi 8 octobre 2015
7年後の物理学賞が発表になり、日本人の梶田隆章さんが受賞。昨日発表になった化学賞には日本人はいなかった。その日の新聞は「化学賞には日本人なし」というような記事を出していた。一昔前でさえ考えられなかったことである。世界の情勢が急激に変わっていることを示す一例だろう。
われわれの人生の晩年についても、今や同様の急激な変化が訪れているように見える。今想像していることとは全く違う人生がこれから待っている可能性がある。わたしの若い頃、将来を想像することはなかったが、70歳と言えばよぼよぼという感じでいた。それと同じように感じるのは、今では90歳代になるのではないだろう か。
先のことを考えてもあまり意味がないということを示す一例になるのだろうか。
ただ只管、今に打ち込むのが良策のようである。

不思議である。どうも数日前の夢は正夢だったようだ。今日受賞が発表になった化学賞の業績は、生命科学に関わっている人であればどこかでその恩恵に与っているはずの仕事である。その貢献度を選考委員会が高く評価したのだろう。Shimomura氏は、グリーン・フロレセント蛋白(GFP: la protéine fluorescente verte)という蛍光物質を発見精製した方である。結局、これまでのところ日本人が日本人と考える人が4人も(うち1人はアメリカ人)ノーベル賞を受賞している。この世界が遠くの出来事ではなく身近なものに感じられるということは、これからの人にとってはよいだろう。到底歯も立たないと思われていた大リーグに野茂が道を開き、それ以後はそれなりの人であれば充分に活躍できることが示されることになった。われわれは同じ人間である。精神的な壁を取り払うことができれば、東も西を恐れるに足らずということになるかもしれない。精神が体を動かし、頭脳をも動かしていると想像されるからである。
昨日の物理学賞の日本人お二人は、この機会に文化勲章に推薦されるようである。今回も日本人独自の評価ができていないということになるのだろうか。日本自らが日本人の仕事を正当に評価できるようになるにはまだ時間がかかりそうである。そこには濁りのない目で真理を見極めようとする精神のあり方が必要になるのだろう。外から日本を見ていると、余計なものがいろいろなところに纏わりついているように見える。真理に絶対的な価値を置く科学精神こそわれわれが必要としているものではないだろうか。いろいろな功罪が言われているノーベル賞であるが、何が本質的に大切なのかという視点を示してくれるところはあるようだ。われわれがその視点で仕事を評価し遇することができるようになるまでは必要な賞かもしれない。
Osamu Shimomura (1928-)
-----------------------------------
(9 octobre 2008)
今日ある方から下村氏の国籍は日本だと本人が話していましたとの話を聞く。ノーベル財団のページからアメリカ人研究者としたが、その部分を変更した。
-----------------------------------
(11 octobre 2008)
コメントとして書いた中に、タイトルの「・・・想う」にぴったりするところがあるので、ここに転載したい。
<9 octobre 2008>
ご指摘の精神的余裕の大切さは、こちらに来ると強く感じます。日本の学生さんと比べると落ち着いて見えます。自分の周りを取り巻く空間が見えるようにも感じます。逆に日本の状況を思い出してみたり、今遠くから現状を眺めてみると、すべてが浮き足立って見えてきます。姑息になり、深い哲学(時間軸の長い考え方)がなかなか生まれないようにも感じます。それはおそらくは伝統が生み出す精神の成熟と言うべきものの差かもしれません。まだ1年程度の観察でしかありませんが、、、
科学の分野もその例外ではないと思います。今やグローバリゼーションの影響でどの国も科学のやり方が変わってきていますが、日本の場合は反射的に方向を変えたのではないかとさえ思えるくらい、アメリカの思想がそのままの形で入ってきています。何がよい研究なのかという議論や哲学がないまま、影響力のある雑誌に発表することが目的化している状況です。これは以前にも触れたと思いますが、ある結論に至る条件にその結論が来ているという論理矛盾に陥っているようです。どんな研究が素晴らしいのかという問を考えることなく、何処何処の雑誌に出ることがよい研究の証であると論理が逆転しているのが現状になっています。そこには溌剌とした将来に結びつく科学は生まれないように感じていますが、ほとんどの研究者がこの商業主義に毒されているようです。自ら評価する必要がないという点では楽なのかもしれませんが、落ち着きや余裕につながる真の科学文化はなかなか育ってこないように思います。
詳しくはわかりませんが、今回ノーベル賞を受賞された日本の研究者を取り巻く環境や考え方は今とは大きく異なっていたのではないかと思わせるものがあります。仕事をする時の前提が今とは違っていた(上述の論理矛盾のない状態だった)のではないかと想像していますが、、、
<10 octobre 2008>
今回受賞された方の映像を見る機会がありませんので感触は掴めないのですが、記事を読む限りでは私の頭にある古き日本人を思わせるものがありました。ノーベル賞の後にはダグラス・プラッシャーさんのような悲喜こもごものお話が出てくることがあるようです。かなり前になりますが、ボストンで乗ったタクシーの運転手がMITで学位をとった人で、職がなかったのでと言っていました。
今回の受賞(特に下村博士の)を見て、今の日本の研究費の配分方法が本当にこれでよいのかというこれまでの疑問が強い疑念に変わっていました。すぐに結果が出そうなところに膨大な資金をつぎ込むというやり方ですが、そこからは一時凌ぎのそれらしい成果は出るかもしれませんが、10年20年先につながるものが出ることは稀ではないかと思います。それよりは、もっと広く、もう少し篤く配分していろいろな芽を育てることの方が結果的には豊かなものをわれわれにもたらしてくれるのではないか、研究者の社会ももう少し潤いのあるものになるのではないか、などと考えておりました。
------------------------------------
jeudi 8 octobre 2015
7年後の物理学賞が発表になり、日本人の梶田隆章さんが受賞。昨日発表になった化学賞には日本人はいなかった。その日の新聞は「化学賞には日本人なし」というような記事を出していた。一昔前でさえ考えられなかったことである。世界の情勢が急激に変わっていることを示す一例だろう。
われわれの人生の晩年についても、今や同様の急激な変化が訪れているように見える。今想像していることとは全く違う人生がこれから待っている可能性がある。わたしの若い頃、将来を想像することはなかったが、70歳と言えばよぼよぼという感じでいた。それと同じように感じるのは、今では90歳代になるのではないだろう か。
先のことを考えてもあまり意味がないということを示す一例になるのだろうか。
ただ只管、今に打ち込むのが良策のようである。
mercredi 7 octobre 2015
本格始動
カルチエラタンのある書店にて
新しい季節が本格的に始った。今朝9時からのクールに向かう。今回も改めて皆さんの自己紹介から始った。M1とは明らかに異なり、研究の面が強調されてい
る。と同時に、M1では所謂大学生と同じような雰囲気が残っていて、それはそれで懐かしい雰囲気があり嫌いではなかったが、単に教室に顔を出すだけで物足
りないものがあった。しかし、M2では学生間のやりとりが日常的に起こりうる雰囲気が漂っていて、日本での生活に近いものがある。今日の中休みには、内科
のお医者さんと一緒に近くのカフェでお話をした。彼は今も病院に勤めているが、時間を見て哲学を始めることにしたという。もともとはテーズから入りたかっ
たのだが、先生からまずM2で周りの様子を見るように助言されたという。私の道とも重なりそうな方で、これからもコンタクトを取ることになるだろう。高校
で哲学の先生をやっている方がいたので、いずれこちらの様子を聞いてみたい。それから、M1では18世紀、特にディドロを研究してきたという女子学生とも
話をしたが、彼女も言葉を交わし始めると頬を染めていた。これまで話をした女子学生はほとんど例外なくこのような反応を示したが、未だになぜかわからな
い。
クールのやり方は、毎週4-5編の文献を教授が送ってくるのでそれのレジュメを作り、ディスカッションする。前期の終わりには15 ページ程度のエッセイと前もって与えられた12のテキストについての口頭試問(20分)があるという。それから最初の説明会で話のあったメモワールについ てのエクスポゼ(30分程度か)が来春に予定されている。仕事をしている人もいるためか、毎週最低でも5-6時間は読むための時間を確保するようにとの指 示もあったが、私の場合にはこれではとても足りないだろう。
今日のクールを聞きながら教授の一言一言に納得して(?)くすくす笑いながら 聞いている学生がいたが、なかなかよい。このような反応は日本人では見たことがない。同時に、話を聞く態度がリラックスしているように感じる。教える方も ある事実を語っているのだが、上から授けるという姿勢や力みが全く感じられない。自らの思索の過程を自らが楽しんで語っているのがわかり、好感が持てる。 歴史的な考察が主であったが、歴史と寄り添うような姿勢や昔の人の頭の中を感じながら話しているような印象があり、非常に落ち着いて見える。また宗教関連 のことも日常感覚で話しているのだが、残念ながらその感覚はわからない。
朝の3時間のクールを終え、カルチエ・ラタンを歩いてい つものカフェに向かう時の気分は何とも言えないものがある。新しい世界に触れた興奮と心が開いていく満足感を引き摺りながら、これから動き始めようとして いる町の新鮮な空気の中を通り抜けて行く。全身が洗われる瞬間である。
クールのやり方は、毎週4-5編の文献を教授が送ってくるのでそれのレジュメを作り、ディスカッションする。前期の終わりには15 ページ程度のエッセイと前もって与えられた12のテキストについての口頭試問(20分)があるという。それから最初の説明会で話のあったメモワールについ てのエクスポゼ(30分程度か)が来春に予定されている。仕事をしている人もいるためか、毎週最低でも5-6時間は読むための時間を確保するようにとの指 示もあったが、私の場合にはこれではとても足りないだろう。
今日のクールを聞きながら教授の一言一言に納得して(?)くすくす笑いながら 聞いている学生がいたが、なかなかよい。このような反応は日本人では見たことがない。同時に、話を聞く態度がリラックスしているように感じる。教える方も ある事実を語っているのだが、上から授けるという姿勢や力みが全く感じられない。自らの思索の過程を自らが楽しんで語っているのがわかり、好感が持てる。 歴史的な考察が主であったが、歴史と寄り添うような姿勢や昔の人の頭の中を感じながら話しているような印象があり、非常に落ち着いて見える。また宗教関連 のことも日常感覚で話しているのだが、残念ながらその感覚はわからない。
朝の3時間のクールを終え、カルチエ・ラタンを歩いてい つものカフェに向かう時の気分は何とも言えないものがある。新しい世界に触れた興奮と心が開いていく満足感を引き摺りながら、これから動き始めようとして いる町の新鮮な空気の中を通り抜けて行く。全身が洗われる瞬間である。
--------------------------------------
mercredi 7 octobre 2015
講義を聞くだけでは物足りなさも感じていたとあるが、M2のインタラクティブなクールは非常なストレスだったことも確かである。それは最後まで続いた。
あれから7年経ったことが分かるのは、ここに登場しているお医者さんはこの何年か後に急死された。そして、頬を赤らめていた女子学生は今やその面影はなく、逞しい若手になっている。
細かいクールの課題まで書かれているが、フランス語を始めて7年目、フランス2年目でよくやったものである。教授連中の語りの中に、言葉に対する細心の注意と彼らの中にある歴史感覚の違いを感じていたが、その頃の記事になるだろう。
それから、クールの後にカルチエラタンに出た時に感じる、未だにどう形容してよいのか分からないが、心がこれまでになかったような空気で満たされる時間が非常に新鮮であり、刺激的であった。それは純粋に新しいところに向かって進む力を与えてくれていたように思う。こちらで初めて体得した「そのものだけのために学ぶ」という心は、このような経験の積み重ねの中でを生まれてきたのではないだろうか。今改めて、そう感じる。
mercredi 7 octobre 2015
講義を聞くだけでは物足りなさも感じていたとあるが、M2のインタラクティブなクールは非常なストレスだったことも確かである。それは最後まで続いた。
あれから7年経ったことが分かるのは、ここに登場しているお医者さんはこの何年か後に急死された。そして、頬を赤らめていた女子学生は今やその面影はなく、逞しい若手になっている。
細かいクールの課題まで書かれているが、フランス語を始めて7年目、フランス2年目でよくやったものである。教授連中の語りの中に、言葉に対する細心の注意と彼らの中にある歴史感覚の違いを感じていたが、その頃の記事になるだろう。
それから、クールの後にカルチエラタンに出た時に感じる、未だにどう形容してよいのか分からないが、心がこれまでになかったような空気で満たされる時間が非常に新鮮であり、刺激的であった。それは純粋に新しいところに向かって進む力を与えてくれていたように思う。こちらで初めて体得した「そのものだけのために学ぶ」という心は、このような経験の積み重ねの中でを生まれてきたのではないだろうか。今改めて、そう感じる。
mardi 6 octobre 2015
ノーベル賞週間始る リュック・モンタニエ氏医学賞受賞
6 octobre 2008
今朝、なぜか私がバーゼルにいて日本からの研究者を迎えており、その方がもし日本人がノーベル賞を貰うと・・・などと話をしているところで目が覚めた。そしてお昼のラジオでこのニュースを聞いた。いずれもパスツール研究所に縁のあるリュック・モンタニエ氏とフランソワーズ・バレ・シヌシ氏がエイズウイルスHIV発見の功績により今年のノーベル生理学医学賞を受賞した。同時に、ハイデルベルグにあるドイツがんセンターのハラルト・ツアハウゼン氏(Harald zur Hausen, 1936- )が子宮頸がんの原因になるパピローマウイルスを発見した功績で受賞している。彼のもとには私の同級生も行っていたので、少なからぬ日本人が指導を受けているものと思われる。
ノーベル財団のページ。今朝見たときには写真は全くなく、それからツアハウゼン氏とモンタニエ氏のものが加わり、最後にバレ・シヌシ氏のものが加わっている。余談だが、モンタニエ氏の最初の写真は暗い、物想うご老人の顔であったが、今見ると生気溢れる満面の笑みのものに変わっている。クレームが入ったのかもしれない。
Françoise Barré-Sinoussi (1947-) video
Luc Montagnier (1932-)
リュック・モンタニエ氏については、これまで何度か触れている(こちらです)が、バレ・シヌシ氏については今回初めて聞く名前だった。モンタニエ氏と一緒にやりながらHIVの発見に関わり、研究を発展させてきた方と理解してい る。その分野では有名な方ではないかと想像する。最近の傾向として、発見に重要な役割を果たした若手の研究者もそのボスと同時受賞するようになっている。 数年前のリチャード・アクセル氏の時のリンダ・バック氏や古くは1984年のモノクローナル抗体のミルシュタインとケーラー氏の組み合わせなど。フランス との関連では、マイケル・ビショップ、ハロルド・ヴァーマス両氏が貰った時の仕事はフランス人ポスドクのシュテーラン氏(Dominique Stehelin)が自らやったものだとして異議を唱えたこともあった。選考委員会がその実態を詳細に調べるようになっているということかもしれない。若い人にとっては刺激になるのではないだろうか。
記憶に新しいと思うが、エイズウイルス発見についてはアメリカのロバート・ギャロ氏との間でどろどろとした先陣争いが行われた。モンタニエ氏のウイルスをガロ氏が借用して発表したとされる話があったり、時のレーガン大統領とフランスのシラク大 統領が政治的解決に出たこともあったが、ノーベル財団はモンタニエ氏のプライオリティをはっきり認めたことになる。おそらく、それは正しい判断であろう。 しかもウイルス発見25周年、パスツール研究所創立120周年という記念すべき年に賞を授けるとはノーベル財団も粋な計らいをしたものである。私もよく顔 を出す研究所だが、活気が増しているかもしれない。
ル・モンドによると、物理学賞は明日火曜日、化学賞は水曜日、文学賞は木曜日、平和賞は金曜日に授与される。来週月曜の経済学賞で今年のノーベル賞シーズンは終るようである。
------------------------------------------
mardi 6 octobre 2015
7年後のノーベル賞は日本人の大村智博士に授与されたとのニュースを昨日読んだ。
役に立つ研究が評価される科学を象徴する出来事である。
メカニズムが分かることと人の役に立つことのどちらを取るのか。
そう問われたとき、どう答えるのか。
勿論、両方の条件を満たすに越したことはない。
しかし、それが患者さんに効果があるとなれば、使う方に走るところが医学にはある。
メカニズムは後回しになるのである。
理解よりは効用なのである。
これからも日本人の受賞が増えてくる可能性がある。
科学の基準にやすやすと乗ってしまうと、日本の文系は悲惨な状況になりかねない。
落ち着いた思考の世界を維持したいものである
1984年、パスツール研究所の研究室で
©AFP/MICHEL CLEMENT
リュック・モンタニエ氏(左)とフランソワーズ・バレ・シヌシ氏(右)
リュック・モンタニエ氏(左)とフランソワーズ・バレ・シヌシ氏(右)
今朝、なぜか私がバーゼルにいて日本からの研究者を迎えており、その方がもし日本人がノーベル賞を貰うと・・・などと話をしているところで目が覚めた。そしてお昼のラジオでこのニュースを聞いた。いずれもパスツール研究所に縁のあるリュック・モンタニエ氏とフランソワーズ・バレ・シヌシ氏がエイズウイルスHIV発見の功績により今年のノーベル生理学医学賞を受賞した。同時に、ハイデルベルグにあるドイツがんセンターのハラルト・ツアハウゼン氏(Harald zur Hausen, 1936- )が子宮頸がんの原因になるパピローマウイルスを発見した功績で受賞している。彼のもとには私の同級生も行っていたので、少なからぬ日本人が指導を受けているものと思われる。
ノーベル財団のページ。今朝見たときには写真は全くなく、それからツアハウゼン氏とモンタニエ氏のものが加わり、最後にバレ・シヌシ氏のものが加わっている。余談だが、モンタニエ氏の最初の写真は暗い、物想うご老人の顔であったが、今見ると生気溢れる満面の笑みのものに変わっている。クレームが入ったのかもしれない。
Françoise Barré-Sinoussi (1947-) video
Luc Montagnier (1932-)
リュック・モンタニエ氏については、これまで何度か触れている(こちらです)が、バレ・シヌシ氏については今回初めて聞く名前だった。モンタニエ氏と一緒にやりながらHIVの発見に関わり、研究を発展させてきた方と理解してい る。その分野では有名な方ではないかと想像する。最近の傾向として、発見に重要な役割を果たした若手の研究者もそのボスと同時受賞するようになっている。 数年前のリチャード・アクセル氏の時のリンダ・バック氏や古くは1984年のモノクローナル抗体のミルシュタインとケーラー氏の組み合わせなど。フランス との関連では、マイケル・ビショップ、ハロルド・ヴァーマス両氏が貰った時の仕事はフランス人ポスドクのシュテーラン氏(Dominique Stehelin)が自らやったものだとして異議を唱えたこともあった。選考委員会がその実態を詳細に調べるようになっているということかもしれない。若い人にとっては刺激になるのではないだろうか。
記憶に新しいと思うが、エイズウイルス発見についてはアメリカのロバート・ギャロ氏との間でどろどろとした先陣争いが行われた。モンタニエ氏のウイルスをガロ氏が借用して発表したとされる話があったり、時のレーガン大統領とフランスのシラク大 統領が政治的解決に出たこともあったが、ノーベル財団はモンタニエ氏のプライオリティをはっきり認めたことになる。おそらく、それは正しい判断であろう。 しかもウイルス発見25周年、パスツール研究所創立120周年という記念すべき年に賞を授けるとはノーベル財団も粋な計らいをしたものである。私もよく顔 を出す研究所だが、活気が増しているかもしれない。
ル・モンドによると、物理学賞は明日火曜日、化学賞は水曜日、文学賞は木曜日、平和賞は金曜日に授与される。来週月曜の経済学賞で今年のノーベル賞シーズンは終るようである。
------------------------------------------
mardi 6 octobre 2015
7年後のノーベル賞は日本人の大村智博士に授与されたとのニュースを昨日読んだ。
役に立つ研究が評価される科学を象徴する出来事である。
メカニズムが分かることと人の役に立つことのどちらを取るのか。
そう問われたとき、どう答えるのか。
勿論、両方の条件を満たすに越したことはない。
しかし、それが患者さんに効果があるとなれば、使う方に走るところが医学にはある。
メカニズムは後回しになるのである。
理解よりは効用なのである。
これからも日本人の受賞が増えてくる可能性がある。
科学の基準にやすやすと乗ってしまうと、日本の文系は悲惨な状況になりかねない。
落ち着いた思考の世界を維持したいものである
lundi 5 octobre 2015
夜のカフェ
5 octobre 2008
今日は風が強く、枯葉が一気に散っていた。
夜、この秋初めてコートを着て外に出る。
これまで長い間置いたままになっていた仕事を片付けるためである。
外に 出ると吹き溜まりに黄色い葉の山ができている。
カフェに入り、その論文を見直す。
左には若い女性3人組のフランス語が弾んでいる。
右隣には最初英語かと 思ったがよく聞くと北欧のどこかの国のカップルが話し込んでいる。
このバックグラウンド・ミュージックの心地よさの中、1時間ほどのうちにすべてがまとま りを見せてくれた。
わが町の夜のカフェもなかなか味がある。
アパルトマンに近づくと雨が降り出したが、パリジャンを気取ったのは言うまでもない。
今日は風が強く、枯葉が一気に散っていた。
夜、この秋初めてコートを着て外に出る。
これまで長い間置いたままになっていた仕事を片付けるためである。
外に 出ると吹き溜まりに黄色い葉の山ができている。
カフェに入り、その論文を見直す。
左には若い女性3人組のフランス語が弾んでいる。
右隣には最初英語かと 思ったがよく聞くと北欧のどこかの国のカップルが話し込んでいる。
このバックグラウンド・ミュージックの心地よさの中、1時間ほどのうちにすべてがまとま りを見せてくれた。
わが町の夜のカフェもなかなか味がある。
アパルトマンに近づくと雨が降り出したが、パリジャンを気取ったのは言うまでもない。
----------------------------------------
lundi 5 octobre 2015
このシーンは覚えているが、それがどこのカフェだったのかは思い出さない。
これからはカフェの名前も残しておいた方が良いのだろうか。
いや、その必要はないだろう。
2008年のこの時期にはもうコートを着たとある。
今年はまだそこまでの寒さにはなっていないようだ。
lundi 5 octobre 2015
このシーンは覚えているが、それがどこのカフェだったのかは思い出さない。
これからはカフェの名前も残しておいた方が良いのだろうか。
いや、その必要はないだろう。
2008年のこの時期にはもうコートを着たとある。
今年はまだそこまでの寒さにはなっていないようだ。
dimanche 4 octobre 2015
ジョン・テンプルトン、あるいは宗教と科学 John Templeton, ou la religion et la science
4 octobre 2008
昨日、そう言えばまだM2の授業料を払っていなかったな、手続きについて聞かなければならないなどと思っていたところ、今朝その手続きについての郵便が来ていた。非常にタイミングがよい。2年目の場合には大学本部まで出向く必要がなく、ネットで手続情報を得て郵送で片付くようだ。ありがたいことに、相変わらず230ユーロというところで値上がりはしていない。去年はじっくり見ていなかったが、その内訳は以下のようになっている。
--------------------------------------------
dimanche 4 octobre 2015
今日のお話は実に興味深く読んだ。
まず、DAさんとはこの翌年、ケンブリッジであったダーウィン2009という『種の起源』出版50年、ダーウィン生誕100年の会があった時、わたしは彼が講演することを知らなかったので聞き逃してしまったが、直接話をする時間があった。その時、彼の講演を聴いたと思われるオーストラリアのご婦人が神の存在の証明に悩みを持っていると言って、彼に話しかけてきた。それを聞いていて驚いたのは、神の存在を徹底した論理で最後まで考えている姿だった。われわれとは根本から違うと感じたことを思い出した。
それから、彼が宗教と科学との対立について寛容さをもって対応すべきではないかと主張していることについて。この記事では、宗教と哲学を入れ替えれば、彼と私がやっていることは同じことになると書いている。今回纏めたテーズでは、科学と哲学はもっと深い関係になる必要があるという主張を展開したので、7年前の観察は正しかったと言えそうである。また、わたしの考えは当時より具体的に固まってきたように思う。その意味では、感慨深いものがある。
昨日、そう言えばまだM2の授業料を払っていなかったな、手続きについて聞かなければならないなどと思っていたところ、今朝その手続きについての郵便が来ていた。非常にタイミングがよい。2年目の場合には大学本部まで出向く必要がなく、ネットで手続情報を得て郵送で片付くようだ。ありがたいことに、相変わらず230ユーロというところで値上がりはしていない。去年はじっくり見ていなかったが、その内訳は以下のようになっている。
授業料 184 ユーロ
図書館 29 ユーロ
検診 5 ユーロ
学生生活 13 ユーロ
午後から久しぶりに研究所へ。現役時代には同じ領域で同じ分子について研究していたイギリス人のDAさんが宗教と科学についてNature誌にコメントしているのを見る。彼の研究室とは交流があり、人が実際に行き来したこともあった。多くは語らなかったが(話が通じないと思っていたかもしれない)、彼は以前からこの問題に興味を持っていたようで、確か関連の本も物しているはずである。研究所を定年の後、科学の分野にも足を残しながら、科学と宗教をテーマとしたケンブリッジの研究所の所長として研究を続けている。宗教を哲学に置き換えると、どこか私の歩みとも共通したところがありそうだ。意識の中ではイギリスというとまだ遠いところにあるような気がしていたが、海峡を渡るとすぐである。ひょっとすると、これまでとは違う新しい領域で再びディスカッションの機会が訪れるかもしれない。
ところで、外に出ていると、このような人との接触に要する物理的・精神的なエネルギーは日本にいる時とは比べものにならないくらい少なくて済む。これは大きな利点だろう。日本では異種との接触が大仰なものになるか、面倒になり諦めてしまうことになりがちである。日常的な感覚での交流が可能になるのが嬉しい。
話はずれたが、彼のコメントに至る流れは次のようなものである。ジョン・テンプルトン財団の主、ジョン・テンプルトンが今年亡くなった時に、宗教や精神的なことについて科学研究をしている人を援助する財団の行動についてNature誌が論じたことに始るようだ。そこでは、もちろん注視しなければならないが、これまでまともな科学者がはなから拒絶していた宗教や精神の問題について科学研究するということ自体を全否定することはないのではないのか、という論調だったと思う。
それに対して、そうではなく科学が宗教によって汚染される危険性があるというようなコメントが雑誌に寄せられ、それに対してDAさんが改めて、宗教が科学に与える影響をネガティブに捉えるのではなく、時に科学の発展に重要な役割を果たす存在として積極的な評価をしたいというコメントを出したという経過になる。私自身、宗教と科学の関係について深く見ているわけではないが、前向きで明るさのある彼の受け止め方は、今私が漠然と感じていることに近い。引き続き考えて行きたい問題である。
それに対して、そうではなく科学が宗教によって汚染される危険性があるというようなコメントが雑誌に寄せられ、それに対してDAさんが改めて、宗教が科学に与える影響をネガティブに捉えるのではなく、時に科学の発展に重要な役割を果たす存在として積極的な評価をしたいというコメントを出したという経過になる。私自身、宗教と科学の関係について深く見ているわけではないが、前向きで明るさのある彼の受け止め方は、今私が漠然と感じていることに近い。引き続き考えて行きたい問題である。
dimanche 4 octobre 2015
今日のお話は実に興味深く読んだ。
まず、DAさんとはこの翌年、ケンブリッジであったダーウィン2009という『種の起源』出版50年、ダーウィン生誕100年の会があった時、わたしは彼が講演することを知らなかったので聞き逃してしまったが、直接話をする時間があった。その時、彼の講演を聴いたと思われるオーストラリアのご婦人が神の存在の証明に悩みを持っていると言って、彼に話しかけてきた。それを聞いていて驚いたのは、神の存在を徹底した論理で最後まで考えている姿だった。われわれとは根本から違うと感じたことを思い出した。
それから、彼が宗教と科学との対立について寛容さをもって対応すべきではないかと主張していることについて。この記事では、宗教と哲学を入れ替えれば、彼と私がやっていることは同じことになると書いている。今回纏めたテーズでは、科学と哲学はもっと深い関係になる必要があるという主張を展開したので、7年前の観察は正しかったと言えそうである。また、わたしの考えは当時より具体的に固まってきたように思う。その意味では、感慨深いものがある。
グランタ グランタ グランタ プティタ プティタ プティタ
3 octobre 2008
今朝は、昨日の自己紹介の時にこういう表現を使えばよかったという文章が浮かんで目が覚めた。やはり自らが人の前で話す機会が増えないと言葉はなかなか身につかないのかもしれない。M2はM1よりは学生相互のインタラクションがありそうな印象を持ったので、これから楽しみにしたい。そして、昨日のクールで聞いた今日の表題の音のことが思い出された。
これを昨年の秋、最初に聞いた時には何を言っているのか全くわからなかった。少ししてからピンと来たのだが、、、
何のことはない、 ”AA Aa aa” である。
昨日のメンデルのクールで優性、劣性の性質が遺伝する様を説明するところでこの音が飛び出し、昨年の驚きを懐かしく思い出していた。このように音を聞いてもすぐに目に浮かばないことが多い。しかし、それがごく当たり前のものであることを発見した時に何とも言えない悦びが込み上げるという不思議な感性があるようだ。その意外性に対する反応だろう。
*****************************
ル・モンドに行ってみると、フランス経済はリセッションに入ったとある。
" L'économie française est entrée en récession "
しかし、政府の関係者はこの言葉を嫌っているようだ。
ニュースで彼らの苛立ちが見える (Télézapping)。
これまで恨みがましく思っていたユーロと円の関係を見てみると、1ユーロ、145円代まで落ち込んでいる。こちらに来た時はユーロが最も強かった時期で、168円くらいではなかっただろうか。23円も違うとその影響は甚大である。この点だけで言えば、今の時期に来ていた方が学生生活はもう少し楽になっていたことは間違いない。
------------------------------------
dimanche 4 octobre 2015
このところ英語の世界にいたので、フランス語が浮かんで目覚めるなどということは想像できない。最初の4-5年はフランス語に包まれた世界で足掻きながらやっていたのだろう。6-7年経ったころから、繭の中のようなその世界から徐々に抜け出てきたように思う。ある意味では、繭の中のような守られた世界ではなく、生き馬の目を抜く英語の世界に戻って来たと言えるだろう。それはそれで不可避のことなのかもしれない。
経済には全くと言ってよいほど興味がない。いろいろな人がいろいろなことを言っている。このような状況は科学では少ない。それが起こるのは、まだ定説がない混沌とした領域である。全くの素人考えだが、経済もそのようなものではないかと勝手に思っている。
今朝は、昨日の自己紹介の時にこういう表現を使えばよかったという文章が浮かんで目が覚めた。やはり自らが人の前で話す機会が増えないと言葉はなかなか身につかないのかもしれない。M2はM1よりは学生相互のインタラクションがありそうな印象を持ったので、これから楽しみにしたい。そして、昨日のクールで聞いた今日の表題の音のことが思い出された。
これを昨年の秋、最初に聞いた時には何を言っているのか全くわからなかった。少ししてからピンと来たのだが、、、
何のことはない、 ”AA Aa aa” である。
昨日のメンデルのクールで優性、劣性の性質が遺伝する様を説明するところでこの音が飛び出し、昨年の驚きを懐かしく思い出していた。このように音を聞いてもすぐに目に浮かばないことが多い。しかし、それがごく当たり前のものであることを発見した時に何とも言えない悦びが込み上げるという不思議な感性があるようだ。その意外性に対する反応だろう。
*****************************
ル・モンドに行ってみると、フランス経済はリセッションに入ったとある。
" L'économie française est entrée en récession "
しかし、政府の関係者はこの言葉を嫌っているようだ。
ニュースで彼らの苛立ちが見える (Télézapping)。
これまで恨みがましく思っていたユーロと円の関係を見てみると、1ユーロ、145円代まで落ち込んでいる。こちらに来た時はユーロが最も強かった時期で、168円くらいではなかっただろうか。23円も違うとその影響は甚大である。この点だけで言えば、今の時期に来ていた方が学生生活はもう少し楽になっていたことは間違いない。
------------------------------------
dimanche 4 octobre 2015
このところ英語の世界にいたので、フランス語が浮かんで目覚めるなどということは想像できない。最初の4-5年はフランス語に包まれた世界で足掻きながらやっていたのだろう。6-7年経ったころから、繭の中のようなその世界から徐々に抜け出てきたように思う。ある意味では、繭の中のような守られた世界ではなく、生き馬の目を抜く英語の世界に戻って来たと言えるだろう。それはそれで不可避のことなのかもしれない。
経済には全くと言ってよいほど興味がない。いろいろな人がいろいろなことを言っている。このような状況は科学では少ない。それが起こるのは、まだ定説がない混沌とした領域である。全くの素人考えだが、経済もそのようなものではないかと勝手に思っている。
マスター2年目の初日は盛りだくさん La première journée de Master 2
2 octobre 2008
ロベルト・アラーニャ ROBERTO ALAGNA (2007-01-18)
-------------------------------------
dimanche 4 octobre 2015
いよいよ新学期が始まるという緊張感が伝わって来た。
メンデルのお話も印象深いものがあった。このような歴史のお話は科学の「今、現場」というところには直接関係はないかもしれないが、科学者の教養とも言えるベースになるだろう。わたしの場合、心が落ち着く効果があったと書いてある。それ以後も同様の経験をしているが、それはものを考える上で重要な効果を齎してくれることがある。考えるためにはこのような作業は必須だということである。
害虫駆除は毎年恒例だが、今年は1週間前に来たところだ。これも大袈裟に言えば歴史である。ああ、7年前も今頃だったのかということを確認するだけで心が落ち着く、腑に落ちるという感覚が生まれる。それは茫洋とした中に在るわれわれを一つの繋がりの中に置いてくれるからなのだろうか。
今日は朝9時からM2最初のクールがあるのでENSまで出かけた。まだM2になっているのかどうかわからなかったのだが。メンデルが遺伝の法則を明らかにした1865年の歴史的なドイツ語で書かれた論文の仏訳(Recherches sur des hybrides végétaux)を読みながら、いろいろ想いを巡らせていた。
修道院の僧侶が庭に作った菜園で、5-10年という今では考えられない時間をかけて研究を重ねていた。論文の語り口に人間臭さが出ており、機械的で無機質な現代の科学論文とは大きく異なっていて興味深い。それと確率や統計の手法がしっかりと使われ、その結果を説明するための様式が込み入っているので、当時そちらの素養がない人はついていけなかっただろう。発表時には全く注目されなかった理由もわかろうというものだ。ご存知のように、35年後の1900年にドイツ、オランダ、オーストリアの3人の学者がメンデルの仕事を再発見するまでは埋もれた論文であった。それにしても、歴史に残る仕事というのはしっかりしている。改めて感じ入る。
これまでの私の中でのメンデルのイメージは本当に漠としたものに過ぎず、ブルノ Brno という町の修道院で一生を送った修道僧がよくぞこのようなことをやる気になり、それが大発見にまでつながったものだ、という程度の恥ずかしいものであった。しかし、今日のクールを聞きながら、目が開かされていた。当時の修道僧の仕事は研究と教育であることを知る。彼は修道院の中に閉じこもり、埋もれていたわけではなく、行動し、移動し、活発に活動していたことを知る。
ブルノの町もウイーンから100キロ程度しか離れていないので、文化的に隔離されていたわけでもなかった。実際、彼はそのウィーンに出て、植物学、昆虫学、物理学(ドップラー効果で有名なドップラーの講義を受けている)を修め、細胞学説の大病理学者ウィルヒョーの話も聞いていたという。科学者としての基礎をしっかりと身に付けていたことがわかる。論文を読んでいると、法則を見出そうとして目の前で起こっていることをただただ正確に記録し、その結果を説明しようとしている様が伝わってくる。そこには邪心が全くないかのようでもある。
ブルノの町もウイーンから100キロ程度しか離れていないので、文化的に隔離されていたわけでもなかった。実際、彼はそのウィーンに出て、植物学、昆虫学、物理学(ドップラー効果で有名なドップラーの講義を受けている)を修め、細胞学説の大病理学者ウィルヒョーの話も聞いていたという。科学者としての基礎をしっかりと身に付けていたことがわかる。論文を読んでいると、法則を見出そうとして目の前で起こっていることをただただ正確に記録し、その結果を説明しようとしている様が伝わってくる。そこには邪心が全くないかのようでもある。
このような歴史を知ることに一体どのような意味があるのだろうか。私の場合には、例えば今日のクールが終った後、非常に落ち着いた気分になっていた。それを知らない時とは確かに違う落ち着きである。なぜかはわからないが、自らの現在が過去とのつながりの中にあることを確認できたということだろうか。自らの根の一部に触れたということだろうか。
これまでは無意識のうちに、家の、土地の、国の、そして学問の歴史を無視してきたところがある。そして光り輝いて見える現在に生き、歴史はこれから始ると考えていたのだ。振り返ると、それはアメリカで芽生え、私の中に根を張って行った。その目から見ると、歴史を抱えながらゆっくりと歩んでいるかに見えるヨーロッパは暗く、くすんで見えたのである。そこまで徹底した視点になっていた。そして、おそらくその徹底さ故に、数年前に飛び込んできた意味を探りたいという欲求は、当然のようにヨーロッパの歴史へと同じ徹底さをもって私を導くことになったのだろう。
これまでは無意識のうちに、家の、土地の、国の、そして学問の歴史を無視してきたところがある。そして光り輝いて見える現在に生き、歴史はこれから始ると考えていたのだ。振り返ると、それはアメリカで芽生え、私の中に根を張って行った。その目から見ると、歴史を抱えながらゆっくりと歩んでいるかに見えるヨーロッパは暗く、くすんで見えたのである。そこまで徹底した視点になっていた。そして、おそらくその徹底さ故に、数年前に飛び込んできた意味を探りたいという欲求は、当然のようにヨーロッパの歴史へと同じ徹底さをもって私を導くことになったのだろう。
午後に害虫駆除の処理をするというので、一旦アパルトマンに帰ることにした。担当者が入ってきた時にクラシックが流れていたので、彼はオーケストラやオペラは好きかと聞いてきた。その問に肯定で答えると、さらにロベルト・アラーニャを知っているかと問を続けた。もちろん(下の記事参照)、と答えると、ロベルト・アラーニャは私の従兄弟だと言って、携帯に入った一緒に撮った写真とアラーニャが彼の家で歌っている動画を見せてくれた。本当に世界は狭いものである。それにしてもイタリアの血は陽気で、人生を謳歌しているように見える。
ロベルト・アラーニャ ROBERTO ALAGNA (2007-01-18)
夕方、M2の合格者の発表が大学であるというので出かける。壁に張られた紙には、幸いにも私の名前があり、その横に admis と書かれてあった。これで2年目としてさらに研究が続けられることになった。そして直ちに2時間に及ぶプログラムの説明会が始った。Paris 1では大体20数名がこのプログラムに入るようである。このプログラムはParis 4、Paris 7、ENSとの共同なので、全体で80人前後ということになるのだろうか。
M1の時とは違い、会の初めにM2でのプロジェについても触れながら自己紹介するようにとの指示があった。その中でM1と比べ学生の多様性が増していることがわかった。例えば、大学を終えた先生や学校の先生を途中で辞めた人、年配のお医者さんがいたりするので、私もほとんど普通の学生の範疇に入るようになった。M1で一緒だったのは一人だけになっている。それぞれが別の道に進んだのだろう。それから当然のことながら、専門色が強くなっている。必須のクールが二つに減り、プログラム途中にそれぞれの研究についてエクスポゼが課せられ、最後のメモワールはM1の2倍の100ページと決められている。そして先日あったばかりのsoutenanceを通過して終わりとなる。研究職の前段階という色合いが濃くなっているようだ。来週から本格始動する2年目が一体どのようなものになるのか、今は予想もできない。ただはっきり言えるのは、私のような背景の者はM1から始めて正解だったということだろう。あの苦しみの中で大量の髪を失いながらもM2に向けての準備運動をさせられていたように感じるからである。
今朝、ENSに向かう道すがら撮っておいた写真が冒頭にあるもので、そこには馬が彫られていた。そのことはすっかり忘れていたが、帰りにメトロでこの写真が目に飛び込んできた。しかもその中のコピーに 「歴史の中に入るために」 という言葉が見える。
-------------------------------------
dimanche 4 octobre 2015
いよいよ新学期が始まるという緊張感が伝わって来た。
メンデルのお話も印象深いものがあった。このような歴史のお話は科学の「今、現場」というところには直接関係はないかもしれないが、科学者の教養とも言えるベースになるだろう。わたしの場合、心が落ち着く効果があったと書いてある。それ以後も同様の経験をしているが、それはものを考える上で重要な効果を齎してくれることがある。考えるためにはこのような作業は必須だということである。
害虫駆除は毎年恒例だが、今年は1週間前に来たところだ。これも大袈裟に言えば歴史である。ああ、7年前も今頃だったのかということを確認するだけで心が落ち着く、腑に落ちるという感覚が生まれる。それは茫洋とした中に在るわれわれを一つの繋がりの中に置いてくれるからなのだろうか。
samedi 3 octobre 2015
ミシェル・オンフレ 「旅の理論」 "Théorie du voyage" de Michel Onfray
1 octobre 2008
われわれの中にある2つの極性。
nomade vs. sédentaire
amateur de flux, de transports, de déplacements vs. passionné de statisme, d'immobilisme, de racines
cosmopolitisme des voyageurs vs. nationalisme des paysans
--------------------------------------
samedi 3 octobre 2015
ノマド的な性質と定住を求める心とのバランスは永遠の課題だ。いつも交錯を続けているが、わたしの場合は前者の勢いが強いようだ。それは定住型の共同体に違和感を覚えるからなのか。できるだけ多くの世界を観てからこの世を去りたいという願望のためなのか。その一方で、親子代々生活を共にするという空間に対する憧れのようなものもある。しかし、それは所詮空想の中でのことに過ぎないのかもしれない。いずれにせよ、その人間の持てるものを十全に生かすことができる場所を選ぶことが大切になるのだろう。そのような選択は誰にでもできることではないのかもしれないが、、。
Michel Onfray
いよいよ10月の声を聞くことになった。少し身が引き締まる感じがする。今日は午後から雨が降る変わりやすい天気で風も強かったが、いつもの寒さは感じなかった。昼から仕事をするために外に出る。早足で30-40分歩くと汗ばんできた。カフェに入り3時間ほど原稿の校正と先日読んだエドガール・モラン (Edgar Morin) さんの考えにネットで触れる。帰ってから、これも最近触れたミシェル・オンフレ (Michel Onfray) 氏の「旅の理論」を読み返しながら瞑想する。
われわれの中にある2つの極性。
nomade vs. sédentaire
amateur de flux, de transports, de déplacements vs. passionné de statisme, d'immobilisme, de racines
cosmopolitisme des voyageurs vs. nationalisme des paysans
動きたい、場所を変えたいという思いと自らの根に愛着を持ち、一所に留まっていたい、静かな生活がしたいという思いが交錯する。これまでもその繰り返しだったようにも見える。今はノマドの衝動が働いた後に、再び僅かばかりの静を求めている時期なのかもしれない。個人の中ではこのような動きしか見せないが、歴史の中では政治的な対立にも発展してきた。
羊飼いが広大な原野を行く時、そこには政治的な心配はない。もちろん、仲間内の簡単な決まりはあるだろうが、それは些細なものだ。しかし、農民はどうだろう。一ヶ所に落ち着き、畑を耕し家を建て、村を作り、町を作り、そして社会を、国を作ることになる。そこには厳然たる法が顔を出すことになり、牢屋が生まれる。この新しい秩序に逆らう者は反社会的だとして牢屋に送り込まれる。制御不能になる可能性のあるノマドは権力者の不安の種であり、恐れを抱かせる存在だったのだ。権力者のイデオロギーは必然的にノマドを支配することになり、時にそのための暴力をも容認してきた。権力者はまず移動を禁じようとするのだ。共産圏の国がそうであり、そうであったように。そして、ナチズムが定住する、根を持った、国を持った民族を礼賛し、そうではないユダヤ人、ジプシーを敵と見なした。フランスのペタン主義も土着の愛国的で国家主義的な定住者を祝福し、生け贄を用意した。 今日の資本主義はどうだろう。家を、定職を持たない人間を排除し、嫌悪する。市場が動かす社会に適応できないからか。
旅行者は動きを愛し、変化を求め、移動を激しく欲する。共同体とともに歩む本能的な難しさ、自立への執着、自由の崇拝、わずかな事実や身振りの即興への熱中などが彼の中にある。そして、文明が生み出した勤勉な予定表を拒否し、創意に富む悦びに満ちた時間を選ぶのだ。
遊牧の民を真似て旅に出ること、それは汎神論の世界を経験すること、古代の神の跡を発見することを意味する。幸運と運命と陶酔と豊穣と悦楽の交差するところに現れる神、コミュニケーションと自然と宿命と必然がもたらす道行きの神を見出すことになるのだ。
今まさにその道行きの只中にある。ノマドの論理が生きる力を生み出してくれているようにも感じる。
--------------------------------------
samedi 3 octobre 2015
ノマド的な性質と定住を求める心とのバランスは永遠の課題だ。いつも交錯を続けているが、わたしの場合は前者の勢いが強いようだ。それは定住型の共同体に違和感を覚えるからなのか。できるだけ多くの世界を観てからこの世を去りたいという願望のためなのか。その一方で、親子代々生活を共にするという空間に対する憧れのようなものもある。しかし、それは所詮空想の中でのことに過ぎないのかもしれない。いずれにせよ、その人間の持てるものを十全に生かすことができる場所を選ぶことが大切になるのだろう。そのような選択は誰にでもできることではないのかもしれないが、、。
ヒポクラテスの観察、あるいは "Poétiques du corps" de Jackie Pigeaud
30 septembre 2008
soutenance があった9月26日の午後、ル・モンドの中で出会った。古代に住んでいるというジャッキー・ピジョーさんはジェルファニョンさんのような方である。彼の著作の中で医学の起源という言葉が出ている本が紹介されていたので読んでみることにした。
Poétiques du corps. Aux origines de la médecine
(Les Belles Lettres, "L'Âge d'or", 2008, 706 p)
その最初の方にヨーロッパとアジアの違いが書かれている。しかも、その点についてすでにヒポクラテスも語っていたことを知る。
***********************************
ヨーロッパとアジアは違う。それは明らかなことである。それは旅行する医者によって確認されている。ヨーロッパが根本的に他と異なっているのは、違いのある国だという点である。・・・
差異の国、それがヨーロッパである。ヨーロッパに住んでいる者はアジア人とは異なっている。ヨーロッパ人の中に差異があるのだ。そしてアジアは類似の国で、ヨーロッパは差異の国。しかし、何がよいのだろうか?
もしアジア人が美しく温和であるとしたならば、その代償があるだろう。ヒポクラテスは書いている。
『男性的な勇気も、疲労の中での忍耐も、労働での根気も、道徳的気力も同類の人間の中では育ち得なかった。土着、外来に関わらず、どんな人種においても。そして必ず快楽が他のすべてに勝るのである。・・・それがエジプト人であり、リビヤ人である』
***********************************
紀元前4-5世紀ですでにこのような違いの観察があることに驚いていた。この記述によるアジアはアフリカを指していたようだが、東の方でも同じだったのだろうか。なぜこのような違いが生まれたのか、興味深い。諸説はあるのだろうが、自らも調べてみたいものである。
---------------------------------------
samedi 3 octobre 2015
科学から哲学に入って1年が経った頃。フランス語の世界にのめり込み、古代人の声を直接聞いているような錯覚に陥るこのような瞬間は甘美な時であった。これまでは名前だけで眠っていた人がすっくと立ち上がり語り始めるのである。
ジェルファニョンさん同様、ピジョーさんも古代に生きていて、それで満足しているのだろう。昔は想像もできなかったが、今はそれが理解できるようになっているだけではなく、そのような人生でも悔いは残らないだろうというくらいにまでなっている。
ピジョーさんの本で、ヒポクラテスが動き回っていたこと、そしてヨーロッパを差異の存在として捉え、それが生み出す人間的特質をこのように分析していたことを知った。それは、嬉しい出遭いであった。
Jackie Pigeaud (Né en 1937)
professeur émérite de littérature latine à l'université de Nantes
soutenance があった9月26日の午後、ル・モンドの中で出会った。古代に住んでいるというジャッキー・ピジョーさんはジェルファニョンさんのような方である。彼の著作の中で医学の起源という言葉が出ている本が紹介されていたので読んでみることにした。
Poétiques du corps. Aux origines de la médecine
(Les Belles Lettres, "L'Âge d'or", 2008, 706 p)
その最初の方にヨーロッパとアジアの違いが書かれている。しかも、その点についてすでにヒポクラテスも語っていたことを知る。
***********************************
ヨーロッパとアジアは違う。それは明らかなことである。それは旅行する医者によって確認されている。ヨーロッパが根本的に他と異なっているのは、違いのある国だという点である。・・・
差異の国、それがヨーロッパである。ヨーロッパに住んでいる者はアジア人とは異なっている。ヨーロッパ人の中に差異があるのだ。そしてアジアは類似の国で、ヨーロッパは差異の国。しかし、何がよいのだろうか?
もしアジア人が美しく温和であるとしたならば、その代償があるだろう。ヒポクラテスは書いている。
『男性的な勇気も、疲労の中での忍耐も、労働での根気も、道徳的気力も同類の人間の中では育ち得なかった。土着、外来に関わらず、どんな人種においても。そして必ず快楽が他のすべてに勝るのである。・・・それがエジプト人であり、リビヤ人である』
***********************************
紀元前4-5世紀ですでにこのような違いの観察があることに驚いていた。この記述によるアジアはアフリカを指していたようだが、東の方でも同じだったのだろうか。なぜこのような違いが生まれたのか、興味深い。諸説はあるのだろうが、自らも調べてみたいものである。
---------------------------------------
samedi 3 octobre 2015
科学から哲学に入って1年が経った頃。フランス語の世界にのめり込み、古代人の声を直接聞いているような錯覚に陥るこのような瞬間は甘美な時であった。これまでは名前だけで眠っていた人がすっくと立ち上がり語り始めるのである。
ジェルファニョンさん同様、ピジョーさんも古代に生きていて、それで満足しているのだろう。昔は想像もできなかったが、今はそれが理解できるようになっているだけではなく、そのような人生でも悔いは残らないだろうというくらいにまでなっている。
ピジョーさんの本で、ヒポクラテスが動き回っていたこと、そしてヨーロッパを差異の存在として捉え、それが生み出す人間的特質をこのように分析していたことを知った。それは、嬉しい出遭いであった。
vendredi 2 octobre 2015
浴槽の修理でエピクテトスを知る
29 septembre 2008
数日前からドゥーシュの後に水が漏れてくることに気付き、今日 plombier に電話して来てもらった。すぐ行きますという蕎麦屋の出前で、1時間遅れで若い男が現れた。診断をしてもらうと、目に見えない皹が浴槽に入っているのだという。周りのものを剥がして浴槽の下に粘土のような接着剤?を付けていた。それから排水が詰まり気味とのことで、綺麗にしてもらった。出張料、診断料など 〆て450ユーロ。こちらの責任ではないので、何とかしてもらわなければならないだろう。
彼のフランス語は早くて、おそらく口語表現に溢れているのだろう、付いていけなかった。雑談になり、日本から来たことを知った彼は、中国や台湾に比べて日本はキッチュだから好きだという。どのあたりのことを言っているのかは確かめなかったが、、。また部屋に本が散らかっているので、作家か?と訊いてきた。そう訊かれたのは初めてである。いや、哲学をやっていると答えると、自分も寝る前にタバコを吸うと頭が回りだして浮かんだ考えを書き写すという。そして、いつも持ち歩いて問題に突き当たると参考にし ている本だと言って、エピクテトス (Épictète: 50-125 ou 130) の言葉を弟子のアリアノス (Arrien: 95-175) が書き写した本を紹介してくれた。
Manuel d'Epictète (引用文はこちらから)
昨日辺りからクシャミが出るようになっている。こちらに来てから初めてのような気もする。これまでの睡眠不足と、M1が終わり(おそらく)、気が緩んできて いるためかもしれない。静かに休んで一日を終えることにしたい。外を見ると、これまで緑だったのが真っ赤になっている(今日の写真です)。秋は確実に深く なっている。
--------------------------------------------
vendredi 2 octobre 2015
この記憶ははっきりと残っている。フランスでは修理屋さんでも哲学が身近にあるのかと感心したことを思い出す。実は、バスタブの修理はその後もやってもらっ たように記憶しているが、最終的には替えたばかりのシャワーカーテンの横から水が漏れただけのことだった。それらしくやってお代は頂戴という彼らの姿勢が 分かった時にはすでに遅し、ということであった。問題に気付かないこちらの精神状態も普通ではなかったということになる。それから、「作家ですか?」と訊かれたことがその後一度だけある。ガーディアンからであった。
ところで、紹介されたエピクテトスの名前を聞いたのは、この時が初めてだった。その後は記憶の底に沈んでいたが、最近この哲学者が浮かび上がり、次回のカフェフィロPAWLで取り上げては、というアイディアが浮かんだところだった。
そして、不思議なことがまだ続く。7年後も全く同じ28日からクシャミと鼻水が出て止まらなくなっている。当時も睡眠不足とメモワールやスートゥナンスの疲れがあったのだろうが、7年後も全く同じで、テーズの纏めのための睡眠不足が原因だろう。不思議な感じである。
数日前からドゥーシュの後に水が漏れてくることに気付き、今日 plombier に電話して来てもらった。すぐ行きますという蕎麦屋の出前で、1時間遅れで若い男が現れた。診断をしてもらうと、目に見えない皹が浴槽に入っているのだという。周りのものを剥がして浴槽の下に粘土のような接着剤?を付けていた。それから排水が詰まり気味とのことで、綺麗にしてもらった。出張料、診断料など 〆て450ユーロ。こちらの責任ではないので、何とかしてもらわなければならないだろう。
彼のフランス語は早くて、おそらく口語表現に溢れているのだろう、付いていけなかった。雑談になり、日本から来たことを知った彼は、中国や台湾に比べて日本はキッチュだから好きだという。どのあたりのことを言っているのかは確かめなかったが、、。また部屋に本が散らかっているので、作家か?と訊いてきた。そう訊かれたのは初めてである。いや、哲学をやっていると答えると、自分も寝る前にタバコを吸うと頭が回りだして浮かんだ考えを書き写すという。そして、いつも持ち歩いて問題に突き当たると参考にし ている本だと言って、エピクテトス (Épictète: 50-125 ou 130) の言葉を弟子のアリアノス (Arrien: 95-175) が書き写した本を紹介してくれた。
Manuel d'Epictète (引用文はこちらから)
昨日辺りからクシャミが出るようになっている。こちらに来てから初めてのような気もする。これまでの睡眠不足と、M1が終わり(おそらく)、気が緩んできて いるためかもしれない。静かに休んで一日を終えることにしたい。外を見ると、これまで緑だったのが真っ赤になっている(今日の写真です)。秋は確実に深く なっている。
--------------------------------------------
vendredi 2 octobre 2015
この記憶ははっきりと残っている。フランスでは修理屋さんでも哲学が身近にあるのかと感心したことを思い出す。実は、バスタブの修理はその後もやってもらっ たように記憶しているが、最終的には替えたばかりのシャワーカーテンの横から水が漏れただけのことだった。それらしくやってお代は頂戴という彼らの姿勢が 分かった時にはすでに遅し、ということであった。問題に気付かないこちらの精神状態も普通ではなかったということになる。それから、「作家ですか?」と訊かれたことがその後一度だけある。ガーディアンからであった。
ところで、紹介されたエピクテトスの名前を聞いたのは、この時が初めてだった。その後は記憶の底に沈んでいたが、最近この哲学者が浮かび上がり、次回のカフェフィロPAWLで取り上げては、というアイディアが浮かんだところだった。
そして、不思議なことがまだ続く。7年後も全く同じ28日からクシャミと鼻水が出て止まらなくなっている。当時も睡眠不足とメモワールやスートゥナンスの疲れがあったのだろうが、7年後も全く同じで、テーズの纏めのための睡眠不足が原因だろう。不思議な感じである。
ジャック・ヴェルジェス、あるいは 「恐怖の弁護士」 Jacques Vergès « L’avocat de la terreur »
28 septembre 2008
------------------------------------
vendredi 2 octobre 2015
このブログを読み直し始めて感じていること。
一つは当然なのだろうが、その記憶がすぐ横にあるものと、暫くして浮かび上がってくるものがあること。そして、いずれの場合も読み直しているうちに、書かれ ていることが今ここの出来事に変わっていくことだ。過去に現在の視点が加わることで、一つの体験に複雑な陰影が加わり、新たな経験として記憶に残っていくように感じる。特に、このブログの記事はほぼ毎日書いているだけではなく、この時期はこちらの世界を体験することに追われていたようなところがあるため、振り返る余裕がなかった。その意味では、今のような時が訪れたことには大きな意味があるだろう。
この記事にあるマグレバンには未だ足を踏み入れていない。その時は訪れるのだろうか。
数日前の写真はトルビアックを歩いている時に、そのシガーが気になり撮っておいたものだ。そしてそこに写っているジャック・ヴェルジェスという方が一体どんな人物なのかはよくわからなかった。しかし、ウィキを読んでみると、相当激しい考えの持ち主で、いつも論争を巻き起こし、謎の多い波乱の人生を送っていることがわかり興味を持った。今年で83歳になる。
Jacques Vergès (avocat français et anticolonialiste, né d'un père réunionnais et d'une mère vietnamienne le 5 mars 1925 en Thaïlande)
この中にあった記載で、彼を追ったドキュメンタリー「恐怖の弁護士」が去年のカンヌ映画祭で "Un Certain Regard" のカテゴリーに選ばれ、今年のセザール賞ドキュメンタリー部門最優秀に輝いていることを知り見てみることにした。
« L’avocat de la terreur »
上にもあるように、彼はベトナム人の母とレユニオン島出身の父の間にタイで生まれている。子供の頃は色が黒く、ヨーロッパ人(白人)の中にいることに違和感を抱いていたようだ。若い時の姿には決然としたところがある。17歳の時(1941年)、レジスタンスに加わるためにレユニオン島を去り、アルジェリア、モロッコ、イタリア、フランスで戦い、何度か栄誉を得ている。彼はド・ゴールの人物に深く惹かれ、「ド・ゴール共産主義」(gaullo-communisme)を語っているという。その後2度訪問した以外はレユニオン島には戻っていない。
1945年には共産党員となり、1950年にはプラハに派遣され、54年まで留まっている。若き反植民地主義を唱える弁護士になった彼は、アルジェリア問題に興味を持つ。その中で、アルジェリアの反植民地主義の象徴であった女性(Djamila Bouhired)が爆弾テロの罪で捉えられ、拷問を受け、死刑を言い渡されたことを知り、彼女の弁護を買って出る。1965年には彼女と結婚し子供2人を授かっているが、1970年から8年間に亘る謎の失踪をする時に彼女から去っている。アルジェリアでは彼女の方が有名で、ジャミラの夫とされるのに辟易したのではないかと言っている人もいたが、真実はわからない。
これまでに弁護した人は右から左までのいわく付きの人が多い。私が聞いたことのある人では、「リヨンの屠殺屋」と言われたナチのゲシュタポ、クラウス・バルビー(Klaus Barbie)、国際テロリストのカルロス(Carlos the Jackal)。その他、シャンゼリゼでのテロに関わった3人の弁護も行っており、セルビアのミロシェヴィッチの弁護も申し出たが断られている。毛沢東にも会い、ポルポトとの関係も囁かれている。
カルロスの妻であったドイツ人女性(Magdalena Kopp)が爆弾テロで捕まるが、この時ヴェルジェスが彼女に差し入れをしている。当時一緒にいた女性によると、差し入れするものを買いに行かされ、面会時間も長いので気に入らなかったが(私は単なる運転手か?!)、ヴェルジェスは彼女のことを気に入っていたのだ、と断言し、最初の妻にも見られる向こう見ずな勇敢さのある女性に惹かれるのだと結論している。この女性は英語で話していたが、勇敢な女性は "téméraire" と訳されていた。それに答えるように彼のために獄中で編んだセーターをその女性が示すシーンがあった。
彼のことを長年追っているジャーナリストによると、彼は怒りの中で生まれ、偶然弁護士をやっているに過ぎないと評している。つまり、その怒りを解決することが第一で、弁護士が最も有効だと考えただけということになるのだろうか。自信満々で、時に挑発的でもあり、少し人を食ったようなところもある。先日の写真には穏やかさが見られ、好々爺かなと思っていた。しかし、このフィルムが撮影されたのは何歳の時かわからないが、その物言いには依然として決然としたものが漂っている。先日の写真を見直してみたが、その中にある "serial plaideur" (連続訴訟人)の意味が非常に重く映る。
これまで観光地としてマグレバンを見ていたが、そこに隠れていた生々しい歴史の一部が顔を出してきた。このフィルムを見ながら、もう少し細かいところがわかるようになるとよいのだが、と感じていた。まだまだである。ただ、この中にはいろいろなフランス語を話す人が出てくるので、興味深く眺めていた。
ところで、このドキュメンタリーは、日本では話題になったのだろうか。
Jacques Vergès (avocat français et anticolonialiste, né d'un père réunionnais et d'une mère vietnamienne le 5 mars 1925 en Thaïlande)
この中にあった記載で、彼を追ったドキュメンタリー「恐怖の弁護士」が去年のカンヌ映画祭で "Un Certain Regard" のカテゴリーに選ばれ、今年のセザール賞ドキュメンタリー部門最優秀に輝いていることを知り見てみることにした。
« L’avocat de la terreur »
上にもあるように、彼はベトナム人の母とレユニオン島出身の父の間にタイで生まれている。子供の頃は色が黒く、ヨーロッパ人(白人)の中にいることに違和感を抱いていたようだ。若い時の姿には決然としたところがある。17歳の時(1941年)、レジスタンスに加わるためにレユニオン島を去り、アルジェリア、モロッコ、イタリア、フランスで戦い、何度か栄誉を得ている。彼はド・ゴールの人物に深く惹かれ、「ド・ゴール共産主義」(gaullo-communisme)を語っているという。その後2度訪問した以外はレユニオン島には戻っていない。
1945年には共産党員となり、1950年にはプラハに派遣され、54年まで留まっている。若き反植民地主義を唱える弁護士になった彼は、アルジェリア問題に興味を持つ。その中で、アルジェリアの反植民地主義の象徴であった女性(Djamila Bouhired)が爆弾テロの罪で捉えられ、拷問を受け、死刑を言い渡されたことを知り、彼女の弁護を買って出る。1965年には彼女と結婚し子供2人を授かっているが、1970年から8年間に亘る謎の失踪をする時に彼女から去っている。アルジェリアでは彼女の方が有名で、ジャミラの夫とされるのに辟易したのではないかと言っている人もいたが、真実はわからない。
これまでに弁護した人は右から左までのいわく付きの人が多い。私が聞いたことのある人では、「リヨンの屠殺屋」と言われたナチのゲシュタポ、クラウス・バルビー(Klaus Barbie)、国際テロリストのカルロス(Carlos the Jackal)。その他、シャンゼリゼでのテロに関わった3人の弁護も行っており、セルビアのミロシェヴィッチの弁護も申し出たが断られている。毛沢東にも会い、ポルポトとの関係も囁かれている。
カルロスの妻であったドイツ人女性(Magdalena Kopp)が爆弾テロで捕まるが、この時ヴェルジェスが彼女に差し入れをしている。当時一緒にいた女性によると、差し入れするものを買いに行かされ、面会時間も長いので気に入らなかったが(私は単なる運転手か?!)、ヴェルジェスは彼女のことを気に入っていたのだ、と断言し、最初の妻にも見られる向こう見ずな勇敢さのある女性に惹かれるのだと結論している。この女性は英語で話していたが、勇敢な女性は "téméraire" と訳されていた。それに答えるように彼のために獄中で編んだセーターをその女性が示すシーンがあった。
彼のことを長年追っているジャーナリストによると、彼は怒りの中で生まれ、偶然弁護士をやっているに過ぎないと評している。つまり、その怒りを解決することが第一で、弁護士が最も有効だと考えただけということになるのだろうか。自信満々で、時に挑発的でもあり、少し人を食ったようなところもある。先日の写真には穏やかさが見られ、好々爺かなと思っていた。しかし、このフィルムが撮影されたのは何歳の時かわからないが、その物言いには依然として決然としたものが漂っている。先日の写真を見直してみたが、その中にある "serial plaideur" (連続訴訟人)の意味が非常に重く映る。
これまで観光地としてマグレバンを見ていたが、そこに隠れていた生々しい歴史の一部が顔を出してきた。このフィルムを見ながら、もう少し細かいところがわかるようになるとよいのだが、と感じていた。まだまだである。ただ、この中にはいろいろなフランス語を話す人が出てくるので、興味深く眺めていた。
ところで、このドキュメンタリーは、日本では話題になったのだろうか。
vendredi 2 octobre 2015
このブログを読み直し始めて感じていること。
一つは当然なのだろうが、その記憶がすぐ横にあるものと、暫くして浮かび上がってくるものがあること。そして、いずれの場合も読み直しているうちに、書かれ ていることが今ここの出来事に変わっていくことだ。過去に現在の視点が加わることで、一つの体験に複雑な陰影が加わり、新たな経験として記憶に残っていくように感じる。特に、このブログの記事はほぼ毎日書いているだけではなく、この時期はこちらの世界を体験することに追われていたようなところがあるため、振り返る余裕がなかった。その意味では、今のような時が訪れたことには大きな意味があるだろう。
この記事にあるマグレバンには未だ足を踏み入れていない。その時は訪れるのだろうか。
Inscription à :
Articles (Atom)
















