vendredi 20 novembre 2015

今日のクールで

20 novembre 2008
 


今朝のENSでのクールが始る前に、MITで経済学を修めてきた学生さんと話す時間があった。私が日本の科学の学会で哲学について触れたことを話すとどのような反応だったのか興味津々で聞いていた。科学者は哲学に触れる機会がほとんどないのでよいことをしたのではないかと言ってくれた。仕事に追われ、研究費獲得のプレッシャーの中にいるのでやりたくてもできないのだと説明すると、そういう状態を表現するフランス語を教えてくれた。自転車のハンドルに頭をつけてまっしぐらに進む姿が浮かぶが、周りには目もくれず突進する様を表しているのだろうか。

 "Ils ont la tête dans le guidon."

彼はまた天井の穴の開いたところを指しながらやや抑えた声で、ボストンでは最新の設備を誇っていたがフランスの最高学府がこの状態なのだ、とフランスの教育環境を憂いていた。私はこういうところが気に入っているのだが、現役の学生にしてみるとやはり政府に何とかしてもらいたい気になるのだろうか。

今日は新しい先生で、テーマはエイズウイルスの発見に纏わる話題。雑誌Scienceに1983年に発表されたアメリカのガロ博士とフランスのモンタニエ博士の論文を読み比べて、そこから何が見えてくるのかを考える試みであった。以前にも読んでいるはずだが、今回20年ぶりに比較してみて面白い(と言うより驚きの)発見があった。少々専門的になるが、ガロ博士の論文では成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)をエイズの原因ウイルスに近いもの、あるいはその原因にもって行こうとする思考の動きを感じたのに対して、モンタニエ氏の方はエイズの原因ウイルスはHTLV-1とは違いがあることを強調しているのがはっきりわかった。

ガロ氏の頭には功を焦るあまりの恣意のようなものを感じたのに対して、モンタニエ氏の方には冷静で謙虚な科学的な思考が見られる。時間が経ってから読み返すと発表当時とは違った印象がある。この辺りは歴史の面白さであると同時に恐ろしさになるのかもしれない。それにしても私の同時代に科学の分野で起こったことが(エイズというインパクトの大きな病気のせいだろうが)もう歴史研究の対象になっていることにも驚く。しかし少し引いて見ると、今や自らを歴史研究の対象にしているところもあるので、それほど驚くことでもないのかもしれない。

クールの途中に大きな警報ベルが鳴り始めた。なかなか止まないので、中断して地上に出た。他の階からも人が出てきていたが、誰も何のためなのかわからない。おそらく避難訓練ではないか、程度の反応で、話をして時間を潰している。日本の避難訓練であれば式次第があり、それに則って厳かに行われ場合によっては反省会などもある。お国柄の違いとは言え、その違いの大きさには驚かざるを得ない。もちろん、これまでの経過からフランス版がお好みであることは推測できるとは思うが、、、

その時の雑談で、今日の先生はアフリカのエイズを研究テーマにしていること、さらに私がいずれ会いたいと思っていた先生が彼のテーズの指導教授だったことなどが明らかになった。


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vendredi 20 novembre 2015

 こちらに来た当初、多くのことに感動し、目を開かされた

その中の一つに、次のような小さな発見があった

自分が研究していたあの時期に別の分野ではこんなことがやられていたのか、という感慨である

同時に、そんな世界があることも知らずにやっていたんだなぁ、という反省のようなものだろうか

 ここに書かれてあるクールでも同じような感慨を持ったはずである


冒頭の学生さんに今あっても認識できなくなっているだろう

この記事を読むまで、記憶の奥にしまい込まれていたからである

 その意味で、ブログは貴重な記憶の貯蔵庫になっていると改めて思う

 その記憶は生きる上でおそらく必須ではないかもしれない

しかし、「自己の調整」とでも言うべき過程に不可欠な役割を担っているような気がしている

 自己の調整という言葉はいま思い付いたものなので、説明は難しい

ただ、自分の全体をぼんやりとイメージし、自らを捉えようとする時に重要になる何か

そこでは、このような些細な記憶を意識できる形にして蓄えておくことが大切になると考えている

新しい概念が浮かんだ雨のパリである






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