dimanche 22 novembre 2015

フランス語で生物の哲学をやるということ、あるいは科学哲学者の役割

22 novembre 2008


昨日のセミナーの演者はイギリスの方なので英語で話し、当然のことながら質疑応答も英語で行われていた。その話を聞きながらいろいろな考えが巡っていた。科学哲学の中には生物学の哲学があるが、この領域はアングロサクソンが優勢のようである。最近出されたアンソロジーの中でも大陸の哲学者は英語圏の哲学にあまり大きな影響を与えていないので著者から除いたとはっきり書かれてある。1年余りの経験でしかないが、英語圏では生物学の中に入り込み、その学問を学び、その上で理論を作り出そうという姿勢が見られるのを強く感じてきた。その意味では科学の一分野と変わらない印象がある。それに対して、フランスの場合にはその伝統から来るのだとは思うが、科学に歴史を絡めて語るところがあるので文系の要素が色濃く表れている。科学(者)に対して深いところで影響を及ぼすことはあるだろうが、科学の進行に対して直接的な効果は少ないだろう。科学の分野に長く身を置いた身としてはそこが魅力になっている。

しかしこれから生物の哲学を本格的にやろうという方の場合には、科学の領域がそうであるようにどうしても英語で発表しなければならない状況にあるようだ。一つにはこの領域の主戦場が英語圏にあると見えるからである。これはどうしようもない現実のようである。M2になり英語の文献が増えてきていることもそれを表しているのかもしれない。昨日のやり取りを聞きながら、この分野でのフランスの存在感が薄く感じられるのはそのスタイルもあるだろうが言葉の問題も大きいような気がしていた。その意味では想像される日本の状況とも変わりないように見える。ただ、フランスの持つ歴史や伝統、それからこの分野に対する極自然な距離感のようなものは大きく違うのだろう。

現時点で考えている科学哲学者の役割としては、実際の科学の中に入り込み、そこで気がついた疑問や新たな理論的枠組みを提示し、その上で科学者を刺激するような歴史的、哲学的考察を加え、科学の活動を生き生きとしたものとし、より深い自然の理解に導くことができれば理想的だろう。つまり、科学の側も哲学の側も自らの土俵に留まって語っているだけでは未来はなく、どこかで対面する必要があるということになる。その意味でも先日の日本での発表は私にとっては大きな一歩になったようである。



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dimanche 22 novembre 2015


言葉の問題は母国語の中にいると気付かないが、一旦外に出ると深刻な問題になる。こちらに来た当初はフランス語の中に浸っていた。何とか慣れようとしていたのだろう。フランス語を始めたのが遅く、しかもそれほど時間が経っていなかったため、いつも自分の体から出ているものではないように感じていたからだ。話をする時はパズルのピースを組み合わせるように文章を作る。どこか別世界にあるものを引っ張り出すという感じだったからである。  

このような時期が5年くらい続いただろうか。その間は恰も繭の中にいるように快適であった。ところが、アングロサクソンの世界に出るとそこは外気に晒される世界のようで、昔アメリカで生活していた時の感覚が蘇って来た。夢の世界から現実の世界に引き戻されるという感じだろうか。それは日本に落ち着いた時にも感じたことではあるのだが。この経験以来、次第に英語が頭の中に侵入し始めたのである。  

この記事で観察しているフランスとアングロサクソンの科学哲学の特徴は、それほど間違っていないのではないかと今でも思っている。ただ、わたしの場合にはこの道で身を立てる訳ではない。自分の感覚に合うもの、自分が求めるものを求めたいと思っているので、フランス的なものには捨て難いものがある。このところ英語でやっていたので、これからフランス語を真面目に学び直さなければならないと改めて思っている。  

それから哲学と科学の関係についても、両者が離れている状況は決して望ましいものではないだろう。哲学の方は科学を見ているが、科学が哲学を見ることは現代では殆どない。現場の科学が細分化され、生存のためのプレッシャーも増していると想像されるため、目が届く範囲が非常に狭くなっている。そこに哲学が入り込むのは至難の業である。ただ、わたしのような立場の科学者が増え、現場の科学を少し離れて眺めた時間軸も長い話が科学者にも届くようになると、状況は少しずつ変わって行くのではないだろうか。この方向性はこれからのミッションのようなものになりそうである。 
             


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