lundi 31 décembre 2007

よい年をお迎えください MES MEILLEURS VOEUX À TOUS !



今朝は昨日仕入れたプーランクを聞きながら
久しぶりにバルコンで葉巻を燻らせ雲の流れを見る

何ものにも囚われることなく、たゆたう雲を見ることができるのはいつになるのだろうか

今年最後の日になったが、まだ振り返る余裕はない

今の私にとって、今年はまだ終っていないからだろう

その時が来たら、その総括をしてみたい


  今年もここにお立ち寄りいただき、ありがとうございます
  
来年もここから観察を続けていくことができればと考えております


    2008年も皆様にとって素晴らしい年となりますように!



dimanche 30 décembre 2007

久し振りのプーランク


Francis Poulenc
(7 janvier 1899 à Paris - 30 janvier 1963 à Paris )


このところ寒さが緩んでいるようで、比較的しのぎやすくなっている。今年の後半は現実に対応するの忙しく、後ろを見る余裕がなかった。1年を振り返る意味でこのブログを読み返してみた。随分いろいろなことを経ていることに改めて驚く。最近フランシス・プーランクのピアノ曲が教室で演奏されているのを聞いたことがあり、この機会にそのすべてに触れてみたくなった。オフィスからの帰り、お店に寄って探してみたところ、なぜか新品では見つけらず、中古のセクションにこの一枚があった。

一 枚目に聞き覚えのある曲が出てきた時には懐かしく、嬉しさが込み上げてきた。学生時代にこの曲の管弦楽バージョンをやったことがあり、気に入っていたからである。曲名が出てこないのでリストを見ると Suite française (フランス組曲) となっている。今では、よくぞこのような曲を書いてくれていた、という思いである。







1-2週間前、大学近くの古本屋を巡っている時に彼の名前に出会っていたことを思い出す。







samedi 29 décembre 2007

冬のパリ



いよいよ今年も残り少なくなってきた。相変わらずオフィスに通っている。その途中、メトロからの眺めで私の好きなところがある。それは今日の写真の場所で、丁度セーヌを渡るところでエッフェル塔が突如顔を出すところである。毎日いろいろな姿を見せてくれる。最初に見た時には思わず爽やかな空気が頭の中を吹き抜けた。今日は天気がよくなかったせいで上の方が雲に隠れていた。晴れた日や夜には全く別の姿になる。一向に片付かない課題を抱えた身にとっては、一瞬の快感が訪れる瞬間である。

ところでメトロで見るパリの住人の服装の暗いこと。殆ど黒やねずみ色に覆われている。どす黒いと言い換えてもよいと思うようになっている。今の精神状態を反映してか、気が滅入る色に溢れている。全くの先入観からか、フランス人はもう少し色彩感覚が豊かではないのかと思っていたのだが、、。そう言えば、日本にいる時にあるフランス人が日本人の服装が色彩豊かでいい、と言っているのを意外な思いで聞いたことがあるが、ひょっとするとそれは正直な感想だったのかもしれない。



vendredi 28 décembre 2007

ダン・フォーゲルバーグさん亡くなる



年末恒例になる今年亡くなった方のリストを New York Times で何気なく見ていた。



すでに知っている事実を確認するものが殆どで、中にこんな人がという例もある。しかし、その中に私の記憶を刺激する名前があった。

実は、この夏にこちらに来るための荷物を整理している時に、アメリカでよく聞いていたカセットを探したが遂に見つけることができないことがあった。しかもその歌手の名前をいくら思い出そうとしてもなかなか出てこないのだ。いろいろ関連のものを思い出してから一緒に釣り上がって来ないものか試したが、成功せず諦めていた。その名前がこんなにあっさり目の前に現れるとは。しかもこのような記事の中に。2004年に前立腺癌が見つかり、今月の16日に56歳で亡くなっていたのである。



特によく聞いていた数曲を何十年ぶりかで味わってみたい。
いずれも青春の記憶を呼び覚ましてくれる。




















jeudi 27 décembre 2007

オスカー・ピーターソンに触れ直す



昨夜はパスツールの I さんとディネ。

今、オスカー・ピーターソンのビデオを見直していた。
三曲の中では love ballade が今日の気分にぴったり。
素晴らしい曲と演奏である。

彼の神々しいまでの表情に感動に近いものを感じる。
インタビューにある若き日の表情と比べると雲泥の差である。
人間が熟していくということはこういうことなのかと感じ入り、なぜか嬉しくなっていた。
こういう瞬間は人生に肯定的になれる。




mardi 25 décembre 2007

オスカー・ピーターソンさん亡くなる



カナダのジャズピアニスト、オスカー・ピーターソンさんが12月23日に腎臓の合併症で82歳で亡くなったことをル・モンドで知る。学生時代に彼のレコードを数枚仕入れて、2オクターブも?届こうかという大きな手から繰り出される奔放で流麗な彼のピアノを繰り返し聞いていたことを思い出す。アメリカに渡ってからはテレビなどで彼の生の姿に触れる。今でも印象に残っているのは、世に受け入れられんとするコマーシャリズムに乗ったジャズに対して非常に批判的なことを言っていたことである。クウィンシー・ジョーンズさんなどの名前を挙げていたように記憶している。そこに彼の音楽こそがジャズの真髄を表現しているという自負のようなものを感じ取ることができた。


Oscar Peterson
(15 août 1925 à Montréal - 23 décembre 2007 à Mississauga, Ontario)


記事によると、18歳でデビューし、彼が24歳の1949年には、アメリカの興行師ノーマン・グランツがカーネギー・ホールで行われた Jazz at the Philharmonic オーケストラのコンサートに飛び入り出演をさせたことで世界的な演奏家への道を歩み出す。50年にも及ぶ充実した活動の後、1993年のニューヨークで出演の折、脳血管障害に襲われるもコンサートを終える。しかし、ヨーロッパ・ツアーをキャンセルし、今年のトロント・ジャズ・フェスティバルも参加しなかった。


この季節に相応しい静かな演奏を聴いてみたい。









 

インタビュー番組
"Maharajah of the keyboard" (CBC: March 7, 1979 )

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Le pianiste et compositeur de jazz Oscar Peterson est mort à l'âge de 82 ans suite à des complications rénales, dimanche 23 décembre au soir, à Toronto, selon les chaînes de télévision canadiennes CBC et Radio-Canada.

Oscar Peterson, qui a joué avec les plus grands noms du jazz en plus de sooixante ans de carrière, s'était illustré par une maîtrise inégalée du piano et son style caractéristique d'une période de transition dans le jazz, passant librement du boogie-woogie au stride ou au bebop.

Né à Montréal le 15 août 1925 dans une famille modeste d'origine antillaise, il avait débuté sa carrière en 1943 en devenant le premier musicien noir d'un orchestre de danse populaire de la métropole québécoise.

Sa carrière avait pris un élan en 1949 lorsque l'impresario américain Norman Granz l'a présenté aux Etats-Unis en tant qu'invité surprise au sein de l'orchestre Jazz at the Philharmonic, réunissant les plus grands musiciens américains, lors d'un concert au Carnegie Hall à New York. Cette brève apparition, à 24 ans, avait fait sensation et marqué le début de sa carrière internationale.

Il effectua régulièrement des tournées en Europe, souvent en compagnie de la chanteuse Ella Fitzgerald. Parmi les nombreux autres artistes avec lesquels il a travaillé figurent Roy Eldridge, Stan Getz, Dizzy Gillespie, Charlie Parker, Joe Pass, Ben Webster ou Lester Young.

Après cinquante ans de succès, en 1993, au cours d'un spectacle à New York, il avait eu un accident cérébro-vasculaire. Il avait néanmoins terminé le concert, mais avait dû annuler une tournée en Europe. Il continua ensuite à se produire, mais ralentit son rythme et avait dû renoncer en 2007 au festival de jazz Toronto.

(AFP | 24.12.07 | 19h17)



dimanche 23 décembre 2007

ジュリアン・グラックさん亡くなる L'écrivain Julien Gracq est mort


(La République des Lettres)


作家のジュリアン・グラックさんが97歳で亡くなったことをラジオで知る。彼の名前は以前にミシェル・トゥルニエさんがそのすべての作品を読むべき作家として挙げていたので気になる存在であった。数冊注文したが、未だ手付かずの人である。今しがたル・モンドを開けてみた。

ジュリアン・グラック Julien Gracq (27 juillet 1910 - 22 décembre 2007)

ドイツ浪漫主義、幻想やシュールリアリズムに溢れた19作品を残したフランスの偉大な作家。本名はルイ・ポワリエ Louis Poirier。なぜ Gracq に?との質問には、リズムと響きがよいから、と答えたとのこと。歴史と地理を学んだ後、カンペール (Quimper)、ナント (Nantes)、アミアン (Amiens)、パリなどの高校で教鞭をとりながら作家活動をした。1938年には "Au château d'Argol" (アルゴールの城にて) をガリマール社に持っていったが断られる。ジョゼ・コルティ (José Corti) がそれを受け入れてくれたので、それ以後同社への忠誠を守っている。

アンドレ・ブルトンに会った後、1939年に彼のシュールリアリズム運動に加わるが、すぐに遠のく。1951年、彼の傑作 "Le rivage des Syrtes" (シルトの岸辺) に与えられたゴンクール賞を拒否し、スキャンダルになる。1989年にはガリマールのプレイヤード版 (la Pléiade) に入る名誉は受け入れた。

手元を調べて見ると彼の対談集 "Entretiens" が出てきた。non-massicoté (ページが綴じたままで裁断されていない) ので、ペーパーナイフで開きながら読み進む楽しみを味わってみたい。いずれ、である。



samedi 22 décembre 2007

理想の時間?



本日もオフィス (研究所図書館) に出勤。課題となっている人の本を読む。実はこの方、私がこちらに来る切っ掛けになった張本人である。時間がたっぷりあると思っているので、余裕を持って読み始めた。読みながら自らに問いかけ直し、考えをまとめる。その繰り返しをやってみた。そんな時に自分の新しい考えが出てくることがある。その合間に書架に行き関連の人の本を紐解く。私の中にある理想的な時間の流れを少しだけ体験することができたようで、非常に気分よくオフィスを出ることができた。それから大学近くの本屋に立ち寄り、数冊仕入れて帰って来た。街には師走のざわざわとした感触が溢れていた。



vendredi 21 décembre 2007

クリスマス休暇に突入



「休暇に突入」 と威勢がよくなったのは、本来であればすべてを抱きしめたくなるような解放感が襲ってきてもよいところ、今回は重い荷物を背負って突撃するかのような意識と重なったためだろう。自爆でなければよいと今は願うばかりだが、、。ただ次の日を気にしなくてもよい日々が続くという点では、どこかに歓迎する気持ちもある。こういう気持ちで迎える年の瀬は初めての経験になる。最近しばしば感じる徹夜への誘惑ともうまく付き合いながら、乗り切りたいものである。

先日のシュスターマン氏の soma-esthéthique のお話に絡めれば、このところ体がどこかに行ってしまい心 (頭) だけの存在になっていると言えないこともない。身 (体) にとってはいい迷惑なのだが、そこにはある種の恍惚感を伴うようなところがあるから厄介だ。こんな感覚を覚えるということは心身が別のところにあるようでもある。いずれにしても心身ともに余裕がなければ soma-esthéthique の実現は難しいということかもしれない。



jeudi 20 décembre 2007

内と外の分担



まだ大学生活のリズムが生れるには至っていない。ただ、小論文を5-6編書かなければならないという状況になり、ある踏ん切りが付いてきたようだ。これまでは時間が足りないので所構わず同じ質の仕事をしようとしていた。しかし、アパルトマンで実際の仕事をするのは効率が悪いことがわかりつつある。そこでは体勢を気にせず、読んだり、瞑想したり、せいぜいメモを取るくらいしかできないと言い聞かせた方が精神衛生上よさそうだ。そこで本格的にやろうとすると変なストレスがかかり、よいことはない。実際の書き物は謂わば 「塔」 の中での成果をもとに、研究所や大学の図書館など人のいるところでやる方が書くこと自体に苦痛を感じることなく、また緊張感をもってできそうである。取りあえずこのスタイルで、荒れることは間違いがないこれからの二ヶ月余りの航海に乗り出したい。

これは余談だが、研究所では皆さん実験に忙しいのか、自分の場所でインターネットから資料を手に入れることができるためか、図書館には人がほとんどいない。そのため、最近ではその広く素晴らしい図書館全体が自分のオフィスのような感覚になってきている。



mercredi 19 décembre 2007

リチャード・シュスターマンというノマド哲学者



新しい Le Point に紹介されていた放浪の哲学者、リチャード・シュスターマン。初めての人である。nomade という言葉に惹かれて読んでみることにした。

 Richard Shusterman (December 3, 1949 - )

1949年、フィラデルフィアのユダヤ人家庭に生まれる。16歳の時、イスラエルに移住。エルサレムのヘブライ大学で英語と哲学を学ぶ。24歳から3年間軍隊に入る。30歳でオックスフォード大学から学位を取得。その後、イスラエル、ドイツ、フランス (Collège international de philosophie)、アメリカ (テンプル大学) を経て、2004年からはフロリダ・アトランティック大学で教育に携わっている。

今回、彼の新著が出た。

 Conscience du corps; Pour une soma-esthéthique
 Body consciousness: A philosophy of mindfulness and somaesthetics


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以下、Le Point のインタビューから。

 LP: 人の体の定義は?
 RS: それは精神と一体になったもの (unité psycho-physique) で、本質的にアクティブで感受性に富む、常に進化しているものです。esprit に対立するものでは全くなく、われわれが感じ、考える源泉にあるもので、すべての人間活動を担うものです。

 LP: ということは、常に自分ではないものと相互作用するものを指しているのですね?
 RS: 全くその通りです。だから体は人間存在の根本的な曖昧さを表現することになるのです。主体であるとともに客体であり、世界に存在する物であると同時にその世界にあって感じ、行動し、反応する感受性でもあるという具合に。世界を観察するためには左右、高低、内外といった視点を必要としていますが、この視点を提供しているのが体で、そこから時空間や社会的な関わりにおける自らの位置がわかるということになります。

 LP: あなたは体という代わりによく « soma » という言葉を使いますが、なぜですか。
 RS: それは哲学の分野で « corps » という言葉は精神 (l'esprit) との対比で考えられることが多いからです。それで感受性があり、知性があり、考える体という意味を持たせるためにギリシャ語に由来する « soma » という言葉を使っています。私の研究する分野を « soma-esthétique » と名づけ、感覚的・美的判断や自らを創造的に作り上げる場としての体について研究しています。

 LP: 今日、体は至るところで注目されているようですが、同時にそれはどこにもないということにはならないでしょうか。
 RS: 全くその通りです。私の考えに反対する人は、すでに体については充分に注意を払っているのではないかと言いますが、実際には良質の注意というものが致命的に欠けているのです。われわれの文明において « somatique » という場合、他人に自分の体がどう見えるか、世に出回っている基準に基づいてより魅力的な体にするにはどうしたらよいのかというところにしか意識が行っていないからです。

 逆に、われわれの感覚や実際の身体的活動についての意識を詳細に観察し (scruter)、磨きをかける (aiguiser) 方法については全く注意が払われていません。目的は単に体についての抽象的な知識を充実させるだけではなく、生きた経験や身体能力を向上させることにあります。われわれの悦びは体に最も細かな注意を払うことによって増幅させることができるのです。モンテーニュもこの点を強調しています。われわれの文明はこの注意を失い、益々異常な刺激への依存を高めています。私は禅の経験から、至上の悦びは静かな呼吸に注意を払うことによって得られるということを学びました。

 LP: あなたの « somatique » な文化という概念は、哲学的な問題意識とも関係があるのでしょうか。
 RS: 多くの古代ギリシャの哲学者はこの点を強調しましたし、アジアの哲学的伝統も身体の鍛錬に重点を置きます。哲学の中心課題である知識、自己知、徳、幸福、正義を思い起こせば充分でしょう。

 LP: 倫理や政治も身体的定点に…。
 RS: われわれの概念は常にわれわれの体を生かし、他者がそれを扱うという社会生活の形態に基づいています。その意味では、価値観がわれわれの体に刻まれています。例えば、人種嫌悪は理性的な思考結果ではなく、深く根ざした偏見によっています。それは他者の身体によって誘発される漠然とした不快感であり、身体的に刻印されます。この感覚ははっきりとした意識の下にありますので、寛容を促す単純な議論によっては修正ができません。そして、そのような偏見の存在を否定するのです。まず第一にやることは、われわれの中にあるその存在を認識できるようにする身体的意識を開くことです。

 LP: あなたの道行きを導いているものは何ですか。
 RS: 私の哲学的道行きは、異なる言語、異なる大陸、そしていくつかのスタイルによって導かれています。それは « nomade » と形容することもできるでしょう。私は新たな経験に扉を開き続けています。それこそが私の考えの源泉だからです。したがって、自分の仕事をある型にはめたくはありません。しかし、そこには生きる術として考えられた哲学への私の関わりから来る一貫性はあります。



mardi 18 décembre 2007

アイディアより言葉



パリを1週間空けただけで、以前の精神状態に戻すのに2-3日が必要であった。異なる言葉の世界から帰って、出発前の状態を思い出してみるとそれくらいかかっていた。目前に迫っているミニメモワールもさっぱりよいアイディアが浮かばない。どうも最初から大きな (漠然とした) テーマを頭に描いているためだろう。もっと絞り込まなければならないのだが、全くの異分野から飛び込んで来て3ヶ月の今の気持ちとしては、1年間じっくりこの世界に浸った後でテーマを絞りたいというのが正直なところである。そんなに急がなくてもよいだろう、可能であれば1年くらい留年してもよいという気持ちが強いのだ。ただ私のことだから、来年も同じことを言っている可能性が高いので、この時期に何とかしなければならないのだろう。

それからアイディアに関して言えば、言葉の影響は無視できない。英語の世界にいた時もそうだったが、最初から外国語で考えようとすると発想が著しく制限されてしまう。何とそれに気付いたのがつい最近という呑気さである。今回も反省した跡は全く見られず、最初からフランス語で考えようとしている。その蓄えがないのだから考えが進むはずはなく、いつもふわふわした状態でこの数ヶ月を過ごしていた。どうもテーマを考えるよりもよくわからないフランス語の世界に浮いている状態を楽しんでいた形跡もある。こうして見ると、私の場合、アイディアよりもまず第一に言葉に興味があるような気がしてきた。少し考え直さなければならないと思うが、これまでに染み付いた頭の使い方の癖を直すのは並大抵ではなさそうだ。



lundi 17 décembre 2007

寒さのため



一週間ぶりに外に出る。以前の気温はマイナスにはなっていなかったと記憶しているが、今では最低がモワン数度というところ。この数度の違いが大きいのか、体の芯から冷えわたりなかなか温まらない。メトロに入ると少しはよかったのだが、なぜか窓を開けているため上を走っている時は外と全く変わらない。誰もその窓を閉めようとしないから不思議だ。研究所の図書館に向かうが、ここもなぜか非常に寒い。以前から温度設定が低いことには気付いていたのだが、今日はその寒さが厳しく途中からコートを着る。しかし耐えられず予定を繰り上げて家に帰ることにした。そして寒さのため夜の講義を休むことになった。この調子でこれから先、大丈夫だろうか。



dimanche 16 décembre 2007

パリに戻って



わずか1週間ぶりだが、工事中だったメトロの駅が開いているのを見ると時間が経ったことがわかる。旅行中に感じたことに次のようなことがある。パリにあっては自分のアパルトマンがモンテーニュの塔のようになっているような気はしていたが、パリから離れてみるとパリに生活していること自体が塔の中での出来事のように見えていた。それはある意味で、体をなくして頭の中に生きていると言い換えてもよいだろう。ただ、その中に閉じ籠もっているだけではなく、モンテーニュがそうしたように外との接触を保ちながら自らの思索の過程や結果を外に出し、外の世界に参加しながらさらに思索を深めていくことができれば、こういう立場も面白いものになるかもしれない。



samedi 15 décembre 2007

隠居の視点



1週間ほどの不在の後、再びパリに戻ることになった。パリの景色が現実感を取り戻し始めている。この間、毎日 (毎晩が多かったが) いろいろな方にお会いし、積もる話をする機会に恵まれた。仕事をしていた時とは明らかに違い、気分がリラックスしているのと話題が広がり、あるところでは深まりも見せている。いずれの日も、これまでにはない、非常に気持ちのよい、味のある交換になった。ある若い方からは、顔から憑き物が落ちたようですね、などと言われた。

その存在をはっきりと見た記憶もなければどういうものかもよくはわからないが、いわゆる仕事というものを辞め、悠々自適を決め込んでいる御隠居の持つ視点のようなものが少しわかりかけているのだろうか。その囚われのない立場から出てくる話題の豊富さやその話題に身を委ねようとするゆったりとした心持、囚われのない立場だからこそ見えてくるもの、言えることの自在さのようなものを一瞬感じることができた。また、「機微」 という言葉も頭に浮かび、その意味が少し膨らんできているようにも感じた。この世に生きながら、文字通り微妙なところ、ある場合にはどうでもよいことに目をやり、そこに隠れているものや微かに見えてくるズレとか心の揺らぎ (痛みや悦び) のようなものを縦横に語り合う。このような時間がまさに至福をもたらしてくれる宝物のように感じられようとは、、、想像だにできなかった。大切にしたいものである。



lundi 10 décembre 2007

岡本太郎



久しぶりに日本語の本を読む。

岡本太郎の世界にはこれまでも触れている.

いつも他人とは思えないほど通じるものを見出し、楽しんでいる。

今回は人生をともに歩んだ人の熱い視線と出たばかりのエッセイ集を手に取った。





矛盾に満ち満ちた不思議な親子3人の感情生活が克明に語られている。

どこでも矛盾のない家族はないのだろうが、それが極端な形で出ている。

それこそが芸術を生み出す元にあったのではないかと分析している。


若き日のパリでの生活も具体的に語られている。

今回、彼がソルボンヌの哲学科で学んだ時期があることを知る。

当時のパリの町や生活を現在の自分に重ねながら読んでいるところもあった。






dimanche 9 décembre 2007

パリを離れて



いつかわからない将来

日本に戻ったり 別の町に移ったりする日が来た時

それまで住んでいたところはどう見えるのだろうか





パリを離れてパリの景色を見てみると 現実感が全く湧いてこない

それは夢の中の一つの出来事にしか過ぎないかのようだ

祭りの後のような感じさえする





そもそも事を振り返る時はそういうものなのかもしれない

人生の最後にもそう思うのだろうか




samedi 8 décembre 2007

煙草を吸うと



最近出会った煙草の箱を見てみると、この前と違う警告が出ている。いろいろなバージョンがあることを知る。

 Recto (表)
  Fumer nuit gravement à votre santé et à votre entourage.
  「喫煙はあなただけではなく周りの人の健康を著しく害します」
  (tabagisme passif の警告)

 Verso (裏)
  Fumer peut diminuer l'afflux sanguin et provoque l'impuissance.
  「喫煙により充血が減少し、性的不能になることがあります」

 こちらはいかにもフランスならではの警告と言ってよいのか?無視して突き進んでいる。



vendredi 7 décembre 2007

しばらくお休み?



夜シャワーを浴びてゆっくりする時、どこからともなく本を読みたい (昔の人と話をしたい) 衝動が現れ、しかも読み始めると昼間とは違いどんどん中に入ってくることに気付いている。そのまま朝まで読み続けていたくなり困っている。それをやると、もう体が持たないのだが、中途半端にそれをやっているので疲れが溜まってくるようだ。もし大学がなければ、完全にバルザックになってしまいそうな勢いである。それはそれで面白そうではあるが、、。

昨日も朝から研究所の図書館へ行ってから大学へ向かう。しかし、先週と同様先生がまだ体調を崩しているようで休講であった。先週とは違って嬉しいという気分は全くなく、早く良くなってあの重戦車のような迫力のある語りを聞かせてほしいというものであった。

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1週間ほどパリを離れ、科学の世界を覗くことになりました。
どういう反応が生れるのか、楽しみにしているというところでしょうか。



jeudi 6 décembre 2007

そろそろ真剣に



先週末を迎える辺りから、そろそろ真剣にミニメモワールに向き合わなければ、と思い始めている。そのせいか、図書館に篭ることが多くなっている。家にいる時には出てこない考えが時々飛び出すので、たとえ1-2時間でも時間があれば行くようにしている。ほぼ日課と言ってもよいだろう。以前にも触れたが、こちらに来てから仕入れたフランス語用のパソコンを持参している。日本語版ではなかなか進まないものでも、このパソコンに向かうと少しは違うようだ。日本語が消えて、甘えがなくなる。それとタイプが圧倒的にやりやすい。問題は何をそこに叩き込むかということなのだが、まだ固まっていない。やっているうちに突然まとまりがついてくることはないだろうかなどという淡い期待を抱きながら、今のところはとにかく出てきたことを控える作業をしているのだが、、、。

私の場合、最初から完成された文章を書くというタイプではないことはわかっているので、不完全でもよいから書き進むことが重要なのだが、どこかに完成度の高いものを最初から狙うところがある。その途端に、全く前に進まなくなるということを何度繰り返してきただろうか。未だにその癖は直っていないようだ。


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先日のParis1での講義の前、初めて男子学生が声をかけてきた。一体あなたはどういう人なのか、どこから来たのか、ここにどのくらい住んでいるのか、などという尤もな質問である。全く新しい環境に入った時、特にどこから来たのかと聞かれる時にいつも感じるのは、自分の存在がどんな意味をも持ち得るという、不安定だがある意味で囚われのない感覚である。そこでそれまでの存在を引きずるのか、新たな意味を見出そうとするのかで全く違った展開になるだろう。新たな意味を見出そうとする時、それまで自分でも気付いていなかった自分が顔を出すことがあるので非常に興味深いのだ。

彼はオランダで1年間フランス語を教えた経験があるという。外に出て、ものを見たことのある人や決まり切った道から少しでも外れた経験のある人は知らない人に声をかけるということに余り違和感を感じないようだ。3ヶ月を過ぎたところだと答えると、それは大変でしょうね、という反応であった。自分の中ではもう1年くらいの時間が経ったような印象もあったので、3ヶ月という数字を発して驚いていた。このクラスには、カナダのトロント大学で社会倫理や環境の問題を研究している女性研究者も加わっていた。残念ながらトロントは英語圏なの、とのこと。数週間の滞在予定。


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昨日のENSのクールでは、物理学者シュレディンガー (Erwin Schrödinger) を取り上げ、物理や化学の原理が生物学に応用できるのか、物理学と生物学の違いや共通点などを考察していた。一つの題材として彼の著書 「生命とは何か」 についても話していた。その中に、ライナス・ポーリング (Linus Pauling)、マックス・デルブリュック (Max Delbrück)、マックス・ペルーツ (Max Perutz) などが出てきた。そのペルーツはX線解析による立体構造解析を始めて20年もかかって仕事を仕上げたが、その間、僅か一つの分子 (ヘモグロビン) しか扱っていなかった。彼の精神力にはほとほと感心してしまう。彼らはノーベル賞を貰っている。ポーリングや フレデリック・サンガー (Frederick Sanger) に至っては2回もその栄誉に浴している。皆さんの中にも将来そうなる人がいるかもしれませんね、などと静かに話していた。励ましの言葉なのだろう。それを聞いていても、全く非現実的な感じがしないから不思議だ。どっしりと落ち着いている。



mercredi 5 décembre 2007

シンポジウム 「開放知としての科学と宗教」



シンポジウムのご案内です。科学・哲学・宗教が交錯するお話のようです。

「開放知としての科学と宗教」
日時: 平成19年12月10日(月)・11日(火) 
場所: 日本財団大会議室(溜池山王)


プログラム

2007年12月10日(月)

13:00 開会の辞 東京外国語大学学長 亀山郁夫 ・ 笹川日仏財団理事 関晃典

13:15 開放知と総合人間学 中谷英明(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

13:25 【脳】   モラルの脳科学的基盤   
            ジャン=ピエール・シャンジュー(フランス学士院会員)

14:50 【動物】  動物における「理解」   
            日高敏隆(総合地球環境学研究所前所長)

15:30 【原人】  原人の石器製作能力 ― 35万年前のハンドアックスを観る
            山中一郎(京都大学文学研究科・総合博物館館長)

16:15 【日本】 律令制・天皇制の神話的・宗教的特質
            大津透(東京大学大学院人文社会系研究科)

16:55 【中国】 理気世界観は何を説いたか
            小島毅(東京大学大学院人文社会系研究科)

17:35 【インド】 ブッダが希求した開放知
            中谷英明(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

18:15 レセプション


2007年12月11日(火)

13:00 【イスラーム】「イスラーム的知」をめぐる4つの補助線
            大塚和夫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所所長)

13:40 【ユダヤ】 タルムード的論証の開放性―偶像崇拝との闘い
            市川裕(東京大学大学院人文社会系研究科)

14:20 【ギリシア】 英知と学知の間 ー 古代ギリシア哲学が求めたもの
            内山勝利(京都大学名誉教授)

15:15 パネルディスカッション グローバル時代の科学と宗教
     モデレーター:宮田満(日経BP社バイオセンター長)

パネリスト: 御子柴克彦(理化学研究所) 中島隆博(東京大学大学院総合文化研究科)
       J.P.シャンジュー 日高敏隆 内山勝利 中谷英明

17:50 閉会の辞  渡辺昌俊(日本パスツール協会会長)


○ すべての講演は英日・日英同時通訳つき
○ 要申込み(先着200名)・入場無料
○ 申込み先 電話申込み:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
   〒183-0003 東京都府中市朝日町3-11-1 TEL : 042-330-5603
  インターネット申込み: http://www.classics.jp/GSH/sympo_application.html
○ その他のお問い合わせ先 
  日本パスツール協会
   〒163-1488 東京都新宿区西新宿3-20-2, 東京オペラシティタワー
   サノフィパスツール気付TEL:03-5358-3465
  笹川日仏財団
   〒107−0052 東京都港区赤坂1-2-2 日本財団ビルTEL : 03-6229-5111



mardi 4 décembre 2007

"L'Homme sans âge" de Francis Ford Coppola



先日触れたコッポラの新作 「歳をなくした男 (原題:若さなき若さ)」 が大学の近くでやっていたので見ることにした (概要はこちらを参照のこと)。

見る前にはかなり期待して行ったが、その期待に押しつぶされるような結果となった。言語の起源の問題、時間や空間などの哲学的問題、さらに愛や歴史との絡みも今ひとつ上滑りの印象が強く、残念ながら私の中にはほとんど入ってこなかった。これは以前から気付いていて書いたこともあるような気がするが、以前であれば素晴らしいと思うような映像にもほとんど反応しなくなっている。感受性が鈍ってきたのではなく、おそらく自分で現実を切り取ることを意識的にやるようになったせいではないかと疑っているが、どうだろうか。それからアメリカ人の見方とフランス人の見方が明らかに異なっており、自分の中のレセプターがアメリカ的なものに反応しなくなってきている可能性もある。アメリカ映画で人間を描く時に人間の上に薄い膜が掛かったように仕上がって見えるようになってきたのである。人間に直に触れることができないのだ。そうできないとしっくり来なくなっている。感じなくなっているようだ。フランス映画で気に入ったものには、その薄いフィルムがないように見えることが多い。

この映画を見ながら、いずれ東欧の雰囲気も味わってみたいと思っていた。



lundi 3 décembre 2007

ある日の小さな出来事



先日のENSでの講義に30分ほど早く着いた。部屋を覗くとピアノを弾いている人がいる。入って聞いてもよいかと尋ねると、その快活な女性はどうぞどうぞ N'hésitez pas ! と言って私を招き入れてくれた。講義が始るまでその演奏を聴いていた。ピアノから出る音は何のこだわりもなく自由奔放にそこら一面に舞い上がるような曲だったので、作曲家を確かめるとプーランク (Francis Poulenc) であった。その名前を聞いて、そう言えばフランスには私がその昔関わった曲を作った人だけでも大勢いるな、と改めて感心する。記憶を手繰ってみると、次のような人が出てきた。

Erik Satie
Georges Bizet
Hector Berlioz
Maurice Ravel
Offenbach
Olivier Messiaen
Gabriel Fauré
Paul Dukas
César Franck
Gounod
Darius Milhaud
André Jolivet
Jacques Ibert
Chausson
Pierre Boulez
Saint-Saëns
François Couperin
Roussel
Henri Tomasi
Vincent d'Indy
Charpentier
Rameau

 私が思いつくだけでもこれだけの作曲家である。今、フランス音楽の現場にもいることを実感。しかし、ラジオで済ませるばかりで、なかなか生の音に触れることができない。


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週末の研究所図書館。持って行ったパソコンを立ち上げ、スクリーンを覗き込んでいる時、後ろから人が来て私の横に立っているような気配を感じた。そんな人がいるとは考えられないので、何かおかしなことでも仕出かしたのかと思ってそちらに顔を向けると、女性がケーキの箱を持ってこちらに差し出している。

  「なぜですか。何かあったのですか」
  「だって残ってしまったんですもの」
  「メルシー」

そう言って、デーニッシュを一つ取った。それからはほんわかした気分で、時間がゆっくり過ぎていった。


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やはり雨の週末の昼下がり。パンを買いに外に出る。意外と横から来る風が強い。ブランジュリーではケーキと目に入ったフィセル・フロマージュを買うことにした。こちらでは初めてになる。

 「このフィセル、半分に切ってもいいですか」
 「雨が降っているからですか」
 「ウィ、ヴォアラ」 (と言って、袋の中に入れてくれた)
 「メルシ、、オルヴォワール」


店を出ると、久しぶりにサラ・ブライトマンの Classics というアルバムを聞きたくなっていた。雨の日の気分にぴったり来るのではないかと思ったからだ。歩き始めると、彼女の歌声が滲み入ってきた。昔の記事を見てみると、年末に聞きたくなるアルバムでもあるようだ。以下にいくつか。 

Winter Light (Preisner)
Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Turandot, opera Nessun Dorma (Giacomo Puccini)
Time to Say Goodbye (Francesco Sartori)



dimanche 2 décembre 2007

理解するとはものを視覚化することである



昨日の記事に対して、冬月様から次のようなコメントを戴いた。

 「『目に見えないものを言語化する』 という作業は、ある種の文明的な行為なのかもしれませんね。明るさを感じます」

最後にある、この行為に 「明るさ」 を感じる、という言葉に触発されて考えたことを以下にメモしたい。

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科学の発展を振り返ると、最初は目に見える物を記載したり、分類したりするところから始まるが、それがある程度進むと目には見えない領域が現れる。そこでは哲学的な思考が重要だったのではないだろうか。また科学がかなり発展した段階で出てくる目に見えない領域に対して何かを言う人は想像力のある天才なのだろう。しかしその目に見えない物を見ようとする人間の意志が技術を生み、やがてそれが見えるようになるという経過が科学の歴史ではないだろうか (現段階での見方だが)。言い換えれば、科学は物をこの目で見ようとする人間の試みのような気がしている。現代において、もし哲学が科学に何かできるとすれば、その目には見えないことについて発言することなのかもしれない。しかしそれは並大抵のことではなさそうだ。

   「科学とは、物を見ようとする試みである」
   "La science, c'est un essai de voir des choses."

一方、科学との比較で文系の領域を眺めると、最後まで目には見えない 「もの」 (物ではなく) を扱っているような気がしてくる。これまでこちらの講義で powerpoint が使われていないことに触れてきたが、目に見えないものを言語化し、それを自らの頭の中で視覚化できないとこの領域のお話は通じないことになる。つまり、それができる人を対象に講義が行われているだけに過ぎないのかもしれない。

   「理解するとは、ものを視覚化することである」
   "Comprendre, c'est visualiser des choses."



samedi 1 décembre 2007

なぜフランス語が (II)



この疑問について以前に触れたことがあり、昨日のお話とも関連する。未だに謎なのだが、先日のS先生との会話の断片が浮かんできたので書き留めておきたい。ルクセンブルグ公園を歩きながらであったか、食事をしながらのことであったか、もう判然としないのだが、改めてなぜ哲学なのか、なぜフランスなのか、という質問に答えている時だった。その時にこんなことを言っていたのを思い出したのだ。

フランスのものを読んでいる時、どうしてこんな何の役にも立たないようなことに (もちろん、それまで私が持っていた基準によれば、ということだが) 疑問を持つのか、考えるのか、という反応が生れていたこと、それはそのまま人間の精神の中で繰り広げられていること、すなわち目には見えないものを言葉にしようして人生を送っている人、送った人たちが山ほどいるということをはっきり意識することにつながり、このようなことになったのではないか。さらに、それまで読んでいた英語の世界では、より科学的なものを感じたり、その精神のどこかに、何かの役に立つ、という要素が見え隠れしていて、私にとって面白みに欠けるものだった、というようなことを話していた。

この発言を見ながら、この世の枠組みはできるだけ取り払ったところから見えてくる何かに、ひょっとするとその何かにしか私は興味がないのではないかという想いが湧いていた。これはある意味で、坐りながら味わったカルチャー・ショックの結果で、深く静かに進行する性質を持っていたようである。


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早いものでもう師走である。このまま行くと、知らないうちにすべてが終ってしまいそうなスピードである。