mercredi 19 décembre 2007

リチャード・シュスターマンというノマド哲学者



新しい Le Point に紹介されていた放浪の哲学者、リチャード・シュスターマン。初めての人である。nomade という言葉に惹かれて読んでみることにした。

 Richard Shusterman (December 3, 1949 - )

1949年、フィラデルフィアのユダヤ人家庭に生まれる。16歳の時、イスラエルに移住。エルサレムのヘブライ大学で英語と哲学を学ぶ。24歳から3年間軍隊に入る。30歳でオックスフォード大学から学位を取得。その後、イスラエル、ドイツ、フランス (Collège international de philosophie)、アメリカ (テンプル大学) を経て、2004年からはフロリダ・アトランティック大学で教育に携わっている。

今回、彼の新著が出た。

 Conscience du corps; Pour une soma-esthéthique
 Body consciousness: A philosophy of mindfulness and somaesthetics


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以下、Le Point のインタビューから。

 LP: 人の体の定義は?
 RS: それは精神と一体になったもの (unité psycho-physique) で、本質的にアクティブで感受性に富む、常に進化しているものです。esprit に対立するものでは全くなく、われわれが感じ、考える源泉にあるもので、すべての人間活動を担うものです。

 LP: ということは、常に自分ではないものと相互作用するものを指しているのですね?
 RS: 全くその通りです。だから体は人間存在の根本的な曖昧さを表現することになるのです。主体であるとともに客体であり、世界に存在する物であると同時にその世界にあって感じ、行動し、反応する感受性でもあるという具合に。世界を観察するためには左右、高低、内外といった視点を必要としていますが、この視点を提供しているのが体で、そこから時空間や社会的な関わりにおける自らの位置がわかるということになります。

 LP: あなたは体という代わりによく « soma » という言葉を使いますが、なぜですか。
 RS: それは哲学の分野で « corps » という言葉は精神 (l'esprit) との対比で考えられることが多いからです。それで感受性があり、知性があり、考える体という意味を持たせるためにギリシャ語に由来する « soma » という言葉を使っています。私の研究する分野を « soma-esthétique » と名づけ、感覚的・美的判断や自らを創造的に作り上げる場としての体について研究しています。

 LP: 今日、体は至るところで注目されているようですが、同時にそれはどこにもないということにはならないでしょうか。
 RS: 全くその通りです。私の考えに反対する人は、すでに体については充分に注意を払っているのではないかと言いますが、実際には良質の注意というものが致命的に欠けているのです。われわれの文明において « somatique » という場合、他人に自分の体がどう見えるか、世に出回っている基準に基づいてより魅力的な体にするにはどうしたらよいのかというところにしか意識が行っていないからです。

 逆に、われわれの感覚や実際の身体的活動についての意識を詳細に観察し (scruter)、磨きをかける (aiguiser) 方法については全く注意が払われていません。目的は単に体についての抽象的な知識を充実させるだけではなく、生きた経験や身体能力を向上させることにあります。われわれの悦びは体に最も細かな注意を払うことによって増幅させることができるのです。モンテーニュもこの点を強調しています。われわれの文明はこの注意を失い、益々異常な刺激への依存を高めています。私は禅の経験から、至上の悦びは静かな呼吸に注意を払うことによって得られるということを学びました。

 LP: あなたの « somatique » な文化という概念は、哲学的な問題意識とも関係があるのでしょうか。
 RS: 多くの古代ギリシャの哲学者はこの点を強調しましたし、アジアの哲学的伝統も身体の鍛錬に重点を置きます。哲学の中心課題である知識、自己知、徳、幸福、正義を思い起こせば充分でしょう。

 LP: 倫理や政治も身体的定点に…。
 RS: われわれの概念は常にわれわれの体を生かし、他者がそれを扱うという社会生活の形態に基づいています。その意味では、価値観がわれわれの体に刻まれています。例えば、人種嫌悪は理性的な思考結果ではなく、深く根ざした偏見によっています。それは他者の身体によって誘発される漠然とした不快感であり、身体的に刻印されます。この感覚ははっきりとした意識の下にありますので、寛容を促す単純な議論によっては修正ができません。そして、そのような偏見の存在を否定するのです。まず第一にやることは、われわれの中にあるその存在を認識できるようにする身体的意識を開くことです。

 LP: あなたの道行きを導いているものは何ですか。
 RS: 私の哲学的道行きは、異なる言語、異なる大陸、そしていくつかのスタイルによって導かれています。それは « nomade » と形容することもできるでしょう。私は新たな経験に扉を開き続けています。それこそが私の考えの源泉だからです。したがって、自分の仕事をある型にはめたくはありません。しかし、そこには生きる術として考えられた哲学への私の関わりから来る一貫性はあります。



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