jeudi 29 mars 2007

2006年暮、DL氏とランデブー



DL氏とのランデブーは2006年も押し迫った27日。それは私が日本に戻る前日であった。ランデブーの前に、DL氏に何を伝えればよいのか、一応のリストを作っておいた。メトロを降りると、大学の建物がすぐ目の前にあった。当然のことだが、案内をもらっていた研究室のあるビルに入っても人影はほとんどない。この時期に時間を割いてくれたDL氏に感謝していた。部屋に入ると温厚そうな顔が私を迎えてくれた。そして彼は 「私に何を求めているのですか」 と切り出した。私はフランス語を始めてから今に至るまでの心の軌跡を説明する。どの程度理解されたのかわからない。しかし、彼は非常に興味を示し、こちらで行われているいろいろなセミナーに参加したり、今年の秋にパリで開く予定にしている日仏の会議もあるので参加すると面白いのではないか、などの肯定的な話が続いた。

その会話の中で、論文などを書くのもフランス語を深めるためには興味深い経験になるかもしれないという考えが一瞬走った。それをどういう表現で口に出したのか今思い出せないが、彼はやや驚きと好奇心が入り混じった表情で、院生になりたいのですか、と聞いてきた。もちろん、フランス語での論文など考えられないので・・・と言葉を濁していた。それにしてもあなたの人生は他に例のないものですね、という意味を込めた "une vie singulière" という表現で私の選択を彼は表現していた (その時、singulier の持つもうひとつの素晴らしい意味を知ることになった)。この会話の中で、自分はこちらのどこかの大学に身を寄せて、自分の求めることを好きなように考えてみたいという漠然とした考えしか持っておらず、どのような立場で来るのかということについては何も考えていないことに気付き始めていた。

DL氏の研究室が来年早々には引越すことになっているとの話だったので、翌日の出発前の時間を使って新しい場所を見て帰ることにした。来年はここのどこかで学びの道を歩いているのだろうか、などと考えながら寒さをものともせず構内を散策し、期待を胸に夕方の便でパリを後にした。